蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十章 獅子の行方(2)  
               
 
 

 西の壁。この壁は、少し他とは違っていた。外から見れば、ちょうど船形の屋根の船首近くにあたるため、内観もそれになぞった姿をしていた。部屋の天井は屋根から見れば甲板となる。船尾部分にも同様の部屋があり、ロンバードはそこに案内されていた。
 一方中央部分、レンツァ公と対面した部屋の真上にあたる部分には天井がなかった。船底だけでなく甲板にも大きな穴が開いているわけだから、ティトの嘆きは深いだろう。それほど、キュルバナン族はこの形に思い入れを持っていた。船首がぴったり、真西から北へ十度の方角を指しているのもその一つだ。キュルバナン族が建てる家は、みなこの方向を向いている。その先に、彼らの故郷がある為だ。あったのだと、過去形で語られる場合も多いらしい。遠く、西の海に思いを馳せる。あの小さな種族の船をその海に浮かべる。
 ミクは立ち上がった。なだらかなカーブを描く壁に、すっぽりと収まったテーブルと椅子。腰を下ろすと、そのあまりの居心地の良さに四肢の緊張が緩む。目の前には、ティトが用意した料理がまだ湯気を立てていた。香ばしい香りが、ミクの食欲の扉を押し広げる。
 山鳩、のような味。
 一口、その肉を口に含んでミクは思った。美味しい。かりっと香ばしく焼けた皮、噛み締めるほどに広がる深い味わい、フルーツをベースにしたと思われる甘酸っぱいソースが肉汁と合わさって、味覚を満たす。その幸福の余韻が消え去る前に、ミクはもう一切れ肉を刻んだ。
 小さなナイフは、食事専用とは思えない切れ味を持っている。ポルフィスの町でビルレームの招待を受けた時も、このようなナイフが使われていた。しかしこのフォークは、その時食卓に並んではいなかった。肉もパンも野菜の類も、ナイフで切り分けた後は、全て手づかみか、スプーンを利用して食した。それがこの地の一般的な習慣のようで、時にはスプーンすらないことがあった。とすると、木の柄に二股の鉄がはめ込まれただけのシンプルなこのフォークは、キュルバナン族独自の文化なのかもしれない。料理の完成度の高さも含め、食に関しては一歩も二歩も、人間より進んでいるようだ。
 ミクはそのことをさらに裏付けるべく、隣りのスープに挑んだ。白いふっくらとした豆のスープは、これまでもよく口にした。決して贅沢なものではない。キーナスは貧しい国ではないが、大衆が飽食に明け暮れるほど文明は進んでいない。その状態を、高度な文明といえるかどうかは置いておくとして、多くの場合、豆スープと堅いパン、たまにゆでた野菜が添えられるのみだった。
 それだけに、この豆スープの役割は重大で、その土地土地、あるいは各家庭で独自の味付けがあり、それぞれ異なる味わいとなっていた。おかげで旅の途中、それこそ毎日のように出されても、飽きることなく食事を楽しめた。
 そして今、ミクはその頂点に位置する存在と出会った。ストレートに伝わる豆本来の旨味に加えて、独特のこくがある。素朴でありながら、一級の品格をも兼ね備えた味。それは横に添えられた色黒のパンも同じで、小麦本来の味を最大限に引き出しており、格別の味わいとなっていた。手で引きちぎる。外側の皮がパリパリと軽い音を立て、食欲に拍車をかける。
 美味しい。
 さっきから、一体何度そう呟いただろう。ミクは気持ちが安らぐのを感じた。この星に来て、これほどくつろいだ気分になったことはなかった。状況的には、決して良くない。個人的にも、自身の力の変化という、恐れにも似た戸惑いがある。だが、心はそれほど重くない。体に力が与えられることで、気持ちも満たされる。美味しい食事とは、単に物理的エネルギー以上の効果を人に与えるようだ。微かな渋みを含んだ、さらりとした飲み口の果実酒を喉の奥に流し込みながら、ミクはもう一度時計を見た。
 三時……さて、どうしよう。

 
 
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  第十章(2)・2