蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十章 獅子の行方(2)  
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      二  

「お食事をお持ちしました」
 そう言ってティトが置いていった料理を、しばらくミクは漠然と眺めていた。眠りから覚めたばかりであること、さらに今はまだ真夜中であることが重なって、あるはずの食欲が意識できない。ならばこの時間を利用して、ロンバードと今後について話し合おうかと思ったが、ティトによるとまだ彼は眠っているらしく、それをわざわざ起すのは憚られた。体以上の心の疲れが、まだミクの中にも残っている。無理に話をしても良い案など浮かびそうにない。
 ミクはそこで一つ欠伸をし、辺りを見渡した。小さな部屋。南の壁には二つの丸い小窓があり、そこに今ミクが腰掛けている寝台がある。赤、緑、白の太い糸で編まれたカバーがかかっていて、可愛らしい印象だ。この色の組み合わせが、この地で何か意味を持つのかどうかは知らないが、地球の感覚からすると、それはクリスマスを連想させた。北の壁にある扉に掛けられた、木の実やドライフラワーからなる真ん丸な飾り物も、その雰囲気に一役買っている。
 これも主の手作りなのか、それともティトの方か。
 ミクは東の壁に目をやった。四号サイズくらいの絵。こちらの方ははっきりしている。間違いなく主の作だ。果たして何人目の女なのであろうか。女と呼ぶにはまだ早い、白いドレスに包まれた少女は、頬がりんごのように丸く赤い。無邪気で純な笑顔を真っ直ぐにこちらに向けてくる。遠い記憶にある面影と重なって、無意識の内に口元がほころぶ。
 カルタス人。
 厳密にはカルタスのエルフィンという種族であったわけだが、彼らを映像の中で初めて見た時、地球人は驚いた。異星の生命体が、これほど自分達に酷似しているとは――と。進化における多様性を考えれば、これはあり得ないに等しいことだと学者達は言った。
 もちろん、遺伝子レベル、細胞レベルでの両者の比較はまだ行われていない。ミク達にはそれらの課題も託されていたが、そのための設備は、母船、エターナル号の中にあった。今その船は、遥かダングラスの森で傷付いたまま眠っている。当分、分析は不可能だ。しかし、調べてみずとも結果は明らかなような気もする。カルタスの人間は、似ているどころか同じにしか見えない。
 ここで、一つの学説がミクの脳裏に浮かぶ。何という名の学者だったか、確か女性であったはずだが。学会からも世間からも異端として無視された彼女の説を、何かの雑誌で目にしたことがあった。彼女はその中で『必然的偶然』、『約束された奇跡』という言葉を使っていた。その例として、生命が誕生する星の条件があった。
 まず、原始太陽から放出される円盤状の塵やガスの量が、一定の範囲に固定されなければならない。収縮し、微惑星となり、無数の衝突を繰り返し、ほどよいところでガスが吹き払われることも大切だ。このタイミングが遅ければ、三、四日で太陽を一周するような灼熱惑星となってしまう。さらにもう一つ、木星のような大きな惑星が、盾として外側に存在すること。ただし数は二つまで。三つ以上だと、互いの強力な引力で、軌道が円を描けなくなり不安定となる。いずれは外に弾き飛ばされるか、太陽に死のダイブをするか、どちらかの運命であろう。地球はこうした条件の元、誕生した。
 もしこの事象を地球が生まれる前の時間軸から眺めれば、それは偶然の連続であろう。奇跡としか言いようがない。だが、今ここにある地球の時間軸から見てみると、必要な事柄を全て満たした当然の結果に過ぎない。地球は生まれる前から、なるべくしてなる必須条件が備わっていたのだ。
 それを進化の過程でも等しく考えたのが、彼女の説だった。知的生命体。それは人間という形のみに与えられたものであると。ありとあらゆる可能性の中から、たまたま選ばれたものではないのだと。正直、星と人とを同レベルで論じるなど、かなり無謀に思う。それに何やら運命論じみているところも好きになれない。未来に向かう道が一本しかないように感じられて、憂鬱になる。
 絵の中の少女をぼんやりと見つめる。頭の中で、主の顔を重ねてみる。どこか冷たくよそよそしいレンツァ公の微笑が、一瞬和らぐように感じる。
 まだ、可能性はある。
 そう、実際のところ、カルタスには地球と異なる進化も見られた。キュルバナンやラグルが良い例だ。大雑把に分ければこれも人型に属するのかもしれないが、少なくともあの学者が唱えていたものからは外れるだろう。道は一つではないのだ。
 二時……過ぎか。
 少女の絵の横に掛けられた時計を目にして、ミクはいったん思考を止めた。思えばこの地を旅して、このような室内時計を見るのは初めてだ。高い技術。なるほどこれなら、分の単位を計ることも可能だろう。
 カルタスの一日は、地球と同じく二十四時間と為されていた。一日を二回に分けそれぞれを十二に区切り、さらにそれを六十に刻む。この事実は、地球人とそっくりな姿の人間がいることと同様、ミクを驚かせた。数の数え方の方はまだ分かる。地球と同じ十進法なのだが、これはその手の指の数が同じであるのだから当然の結果といえよう。六十進法の方も、数学的見地からそこに辿りつく場合もありえるので、よしとしよう。しかし、十二に至る共通項が見つからない。
 地球において十二という区分は、古代メソポタミア文明時代に確立された太陰暦が上げられる。月の満ち欠けを基準にして、それが年に十二回というわけだ。しかし、残念ながらこれをカルタスにあてはめることはできない。二つの月の周期は、地球とは異っていた。
 となるともう一つ、天文学的な見地から十二という数字を導き出す可能性があるのは、太陽系内の星の数だ。一説によると、その昔、シュメール人は、既知であった惑星に想像上の星を加えて、全部で十の惑星があると見なしていた。最も外側にあるニビルという名の星は、なんと三千六百年の公転周期を持つという。それらに太陽と月を足して、全部で十二。そう、考えていたそうだ。同様に、カルタスも星から数を取ったとしたなら、十一個の惑星、二個の月、そして太陽の十四となる。が、月を省いて考えたということも十分あり得るので、十二という数字が出てくること自体、不思議はないのかもしれない。
 ただ地球もカルタスも、半ば適当に出した数字にも関わらず、同じ答えになったところが不思議なのだ。まあこれも、数のマジックであると言えなくもないが。一日をあまり多くの数で割っても、少な過ぎても、不便であろう。適当な数の範囲は限られている。確率的には、かなり高いのかもしれない。それに実時間となると、両者の間にははっきりと違いがあった。地球の時計で計ること二十五時間三分六秒。さらにコンマ以下、二十桁以上の数字を加えた時間がカルタスの一日であった。しかしこのサイクルの違いは、全くといっていいほどミク達を困らせなかった。むしろこちらの方が心地良いくらい、カルタスの時の流れは体内時計と合致していた。
 いい、匂い。
 ミクはまた、思考を切り替えた。誘われるまま、後ろを振り返る。

 
 
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  第十章(2)・1