蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十四章 流浪の民(4)  
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「良かった」
 目の前で、笑顔が弾ける。それを受けて、ユーリも二種類の笑みを顔に浮かべた。一つは、単純にその笑顔につられて。もう一つは、他の意識を感じるあまり、最も身近な存在に気付かなかった愚かさを苦笑して。
 だが、リーマはそれとは知らず、返ってきた微笑にまた笑みを作った。
「本当に良かったわ。石のように動かないから、生きたままサドナの術にでもかかったのかと、心配しちゃった」
「サドナの術?」
「古くからの風習で、死者を送る時にサドナという歌を歌うの。役目を終えた肉体から、魂を解き放つための」
「魂を、解き放つ……」
「ええ、そうよ」
 弾むように話すリーマの言葉に、北部地方独特のくぐもるような訛はない。旅から旅へ、その生活が、自然と言葉を中庸にしたのであろう。草むらに腰を下ろしたリーマに倣い、ユーリもその傍らに座った。
「子供の頃は、よく注意されたわ。儀式の時は、側に来ちゃだめだって。魂がまだ空に帰らず、別の器を求めて、生きている者の中に入ってしまうことがあるからって。でも、そんな風に言われたら、よけい気になるじゃない? だから、こっそり見てたの。これくらいの大きな樽に隠れて、蓋をこうやって、ちょっとだけ開けて」
 踊り子の衣装を脱ぎ、化粧も落としたリーマは、年齢以上に幼く見える。くすりと笑う姿は、少女のそれと変わらなかった。
「でも、結局何も起こらなかったわ。ただ長くて、退屈で。それは今も変わらないわ。夫の、カラディアの時だって」
 カラディアという名が、リーマの表情に憂いをもたらした。急にその顔が大人びる。
「カラディアは、倒れた馬車の下敷きになって死んだの。足を挟んだだけだったから、大丈夫だと思ったんだけど。季節が悪かったのね。傷が腐って、足を切り落として、それでも駄目で。ひどい熱と痛みに、十日間も苦しみ続けて、変わり果てた姿になって死んだの。火台に置かれた遺体を、あたしはまともに見ることができなかった。長ったらしい儀式なんて、すぐに止めて、早く燃して欲しかった。だって、苦しそうなんだもの。痛い、痛いって、呻き声が聞こえてきそうなくらい」
 くっきりとアーモンドのような形の目が、一つ瞬きをする。瞳の中で、光が揺れる。
「サドナの歌も、嫌だった。無理矢理、魂を空に帰すなんて。ひょっとしたらカラディアはここに、あたしのこの胸の中に、残っていたかったかもしれないのに」
 リーマの顔が悲痛に歪む。かける言葉が見つからず、ユーリはただそっと、リーマの黒髪に触れた。小さな子供にするように、その髪を優しく撫でる。
「いやだ、あたし……」
 リーマの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
「カラディアが死んだ時も、儀式の時も、泣いたりなんて、しなかったのに……」
 リーマは自分の膝に顔を埋めた。細い肩が震えている。それでも再び顔を上げた時、涙は跡だけ残して消えていた。
「儀式は嫌いよ。サドナの歌も。でも、その中の一節だけは、好きなの。とても綺麗な旋律で、それに言葉も」
 リーマの表情に少しだけ明るさが戻ったのを受けて、ユーリは彼女の黒髪から手を離した。そして、その明るさの元となったものを尋ねる。
「それは、どんな歌?」
「あたしは歌うたいじゃないから、あまり上手くないけど」
 はにかむような笑顔を見せて、リーマは目を閉じた。そしておもむろに、唇から優しい音を出す。だが、その音色とは裏腹に、ユーリの心は戦慄した。

 血に染められた空の下で、朝のうちに三つの国が滅びた
 降り注ぐ業火に抱かれて、昼のうちに五つの国が滅びた
 沈黙する闇にのまれて、夜のうちに七つの国が滅びた

 この地にあるのは、憎しみのみ
 この地にあるのは、悲しみのみ
 だが、やがてそれも潰えるだろう
 全ては、破壊神の名のもとに

「……全ては、破壊神の名のもとに」
 うわごとのように、ユーリはその恐ろしい歌の最後の言葉を呟いた。それをもう一度、今度はキーナスの言葉で言う。
「全ては、破壊神の名のもとに」
「――破壊神?」
 不思議そうに首を傾げて、リーマが言った。
「どうしたの? なんで、いきなり破壊神なんて」
「なんでって」
 今度は、ユーリが首を傾げる。
「今、君がそう歌って――」
「そんな歌なの、これ。騎士様は、今の言葉が分かるの?」
「じゃあ、君は知らずに歌っていたの? 言葉の意味を」
「ええ、そうよ。あたしだけじゃないわ。みんな知らない。知っているのは、ブルクウェルの偉い学者様くらいね。それでも、全部は分からないと言ってたわ。だってこの言葉は、古の失われし言葉、エルフィンの言葉なんですもの」
「エルフィン……」
 体の中を、電流が走るかのように思い、ユーリは震えた。
 エルフィンの言葉。エルフィン自身が語った言葉。
 伝説という不確かで不透明なベールを、一気に引き剥がすチャンスをつかんだような気がして、ユーリは声を大きくした。
「歌は、他にもあるの? 宴の時のも、そうだよね。その他は? まだたくさんあるの?」
「あたしは……もう。長老様なら、もう少し知っているかもしれないけど。でも……」
「でも?」
 リーマの目が、真正面からユーリを見据える。
「あなたは……誰?」
 ユーリは言葉に詰まった。そしてそれが、ありのまま顔に出る。困惑した表情で、リーマを見つめ返す。
 短くない静寂。しかし、先に目をそらしたのは、リーマの方であった。
「……いいわ」
「えっ?」
「騎士様は、騎士様ですもの。あたしを助けてくれた。ルシュを助けてくれた。だから、いいの」
「……リーマ」
「明日の朝、長老様に聞いてみましょう。騎士様も一緒に」
「うん、ありがとう。お願いするよ」
「ふふっ、本当に変わった騎士様。あたしなんかに、お願いするだなんて」
 悪戯っぽい笑みを浮かべると、リーマは立ち上がった。大きく一つ伸びをし、呟く。
「でも、良かった」
「良かったって、何が?」
「だって明日、もう少しだけ、騎士様と一緒にいられるんだもの」
「…………」
「おやすみなさい、騎士様」
 右頬に、風が過る。柔らかくふっくらとした唇の、甘やかな香り。
 リーマは身を翻し、駆けていった。月の光が、その姿を映す。幌馬車の中に消えるまで、淡く輪郭を模る。
 頬に残された感触が冷えるのを待って、ユーリは立ち上がった。空を見上げる。星々が、微笑むように瞬いていた。

 

 
 
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