蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十五章 白き牢獄(1)  
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 <白き牢獄>

      一  

 キーナスは美しい国だ。多様な自然を有している。中でも大陸東部、このマロリー海岸一帯は、風光明媚な地として名高い。その姿と白砂の耀きから、『銀の月』と呼ばれる浜。複雑に入り組み、光と影をも合わせて様々な造形を見せる入り江。そしてそれらに寄り添う海。リルの石に勝るとも劣らない、澄んだ蒼だ。その海を、両腕で抱きかかえるように臨む丘の上に、ハンプシャープの離宮は建てられていた。
 この純白の宮殿は、他のキーナスの城とは異なり、軍事的な要素がなかった。場所的に意味がないだけではなく、造りそのものもそうだ。ガラトーワ王治世の時代、ルドート・パイカという当代きっての建築家によって設計された宮殿は、広い中庭を囲むように建てられていた。海を背にした本殿、左右対象の北殿、南殿、そしてその美しい浮彫の模様から、『白亜の美姫』と呼ばれるタイロマ門を有する、前殿という構成だ。
 タイロマ門は、門といっても、高い白壁の中央部分が、大きくアーチ型にくり貫かれただけであり、扉などはつけられていない。代わりに、ハカナという白い石が、全面に貼りつけられている。この石は、その美しい色と柔らかい性質のため、古くから細工用として珍重されたもので、数多くの装飾品、彫刻などに姿を変えてきた。中でも、タイロマ門の浮彫は、技術的、芸術的に最高峰を占めるもので、今なお、その道の者達の手本となっている。
 特に、門の前面、両側に埋め込まれた巨大な浮彫は、題材的にも非常に貴重なものであった。通常、キーナスの建築において使われる題材は、幾何学的なものが多い。例えば花などでも、写実的に描かれることはなく、抽象化した模様に変えて使われる。ただしこれは、建築に限っていえるのであって、絵画や彫刻の世界などでは、もちろん存在した。これは人物でも同様で、肖像画、彫像などはあっても、それが建築の一部に加えられることはなかった。ただ一つ、タイロマ門を除いては。
 パイカは、この離宮の建築にあたり、国の内外から優秀な芸術家を集めた。その中に、失われた大陸伝説のある、カナマ島出身のキュマという彫刻家がいた。その彼が、キーナスにはない芸術を、そこに刻み込んだのである。
 『花の乙女』と名付けられる右の浮彫は、五人の美しい乙女達が水辺で戯れる図を中心に、様々な草花が重なるように彫られている。衣の襞、そよぐ髪、ふっくらとした頬や胸など、同じ石とは思えぬほど異なる表情を見せる乙女達。さらに、葉脈の一筋、花弁の一片までもが命を宿しているかのような花々が、見る者を圧倒する。しかもこれらは、植物学としての水準も満たしていた。右上の隅から春、夏、秋、冬と四季折々の花で埋め尽くされた浮彫は、そのまま植物図鑑としても価値を持っていた。
 一方、『鳥の乙女』と呼ばれる左の浮彫は、大きな木の陰で、三人の乙女が佇むものだ。その名の通り、様々な鳥が回りに飛び交い、同時に、木の実や果実などが描かれている。こちらも、標本といっても過言ではないほどの写実性を持っており、どれだけその前で時を過ごしても、足りることがない。
 しかし、この門の真の価値は、むしろそれらの美しい彫刻を、退けたところにあった。それは、町の入り口まで戻り、そこから離宮目指して進んで初めて、知ることができる。
 四季を通じて、様々な花が咲き乱れる草原の終着点。そのハンプシャープの丘にある町と大地との間に隔てるものはなく、丘の斜面に沿って、ぽつぽつと民家が立ち並んでいた。とはいえ、それらは全て貴族や一部の富豪の所有物であり、民家の姿は外見だけで、中は贅沢な空間となっていた。住んでいる者も農民などではなく、その家の主に雇われた使用人達だ。もちろん、主自身がそこに滞在している場合もある。が、ほとんどは、しばらく田舎暮らしを楽しんだ後、本宅に帰ってしまうので、ほんの数名、管理を任された者達が残っている家ばかりであった。
 そんな家々を尻目に丘を上ると、少しずつ、離宮の城壁が見えてくる。単一的な輝きを持つ白壁に対し、浮彫を埋め込んだタイロマ門は、微妙な陰影を持っていた。それがむしろ、人の目をそこに引きつける。道のない斜面に、一筋の導を作る。
 上りきった丘の上に建ち並ぶ邸宅は、斜面のそれとは違い、全て純白であった。離宮との調和を考え、形も統一されている。それらが整然と並ぶよう、道もある。淡い薔薇色の石畳。その花の道の先に、タイロマ門があった。周りの白を吸い、道の紅を吸い、さらに太陽の光を吸って、燦然と輝く。その光に縁取られ、離宮は一枚の絵画となる。
 門が切り取った景色には、本殿の中央、半円にせり出したバルコニーがぴったりと収められていた。目に入る他の建築物は、全て直線的であるため、より優美さが強調されている。しかしこの印象は、バルコニーに限ったものではなく、本殿全体に言えることであった。
 門をくぐる。視界が広がる。バルコニーの両端には、二本の大きな円柱。そこからずらりと小さな円柱が並んでいる。円柱の台座や、その上部には波を模ったと思える模様が刻まれており、表情にさらなる柔らかさを与えている。このような模様は、キーナスにおいて水の神殿によく用いられるものだ。なるほど、トルキアーナ海を背にした離宮ならではと、ここを訪れたことのない者はそう思うだろう。だが一度でも、離宮を目にしたことのある者なら、そうは判断しない。海は、一つではなかった。

 
 
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