蒼き騎士の伝説 第二巻 | ||||||||||
第十七章 キリートム山の誓い(1) | ||||||||||
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山肌に沿って、駆け上るように矢が走る。あらかじめ狙いをつけた、少し白っぽい大きな岩のほぼ中心に突き刺さる。
「なかなかやるな、お前」
からからと軽い声を立て、ティトがユーリを見上げた。
「じゃあ、今度はあの向こうにある、ちょっと黄色い岩だ。まず、おいらから」
そう言うと、ティトはユーリから弓を奪った。人の手には小振りに感じる大きさだが、キュルバナンの民にとっては抱えるのもやっとといった状態だ。それゆえ、彼らは弓を射る時に補助台を使う。ティトは手際良くそれをセットし、狙いをつけた。
滑るように矢が放たれる。一本の糸で繋がれているかのように、まっしぐらに飛ぶ。ニ百メートルはあろうかという距離をものともせず、見事に射抜く。
「よし。次はお前だ」
高い声でそう促され、ユーリは弓を取った。構造的に、キュルバナンの弓はクロスボウに分類される。飛距離も貫通力も、大型の弓に負けない威力があるが、実はそれほど特別な技術を必要としない。素人でも、すぐに射ることができる。しかし……。
ユーリが放った矢は、目標から大きく右に逸れ、無様に落ちた。
「下手だな、お前」
嬉しそうにティトが笑う。
「もう一回だ、もう一回。練習すれば、上手くなるぞ。お前は特に下手だから、いっぱい練習しなくちゃいけないぞ」
小さな口の悪い教官に苦笑しながらも、ユーリはもう一度弓を構えた。
矢に対する空気の抵抗が強いのだ。破壊力を生み出す矢の太さが、飛ぶほどにぶれを大きくする。ある程度の距離までなら高い命中率が約束されるが、ここまでの距離となると、機械仕掛けである分、調整が難しい。ティトの腕は、本当に凄い……。
ユーリはゆっくりと、胸の奥に空気を送り込んだ。意識のレベルを上げる。感覚を、弓に、矢に、染み透らせる。
風を切る。真っ直ぐに飛ぶ。一点を目指す。
「うぉ!」
ティトが小さな声を上げた。
「当たっ……た」
その声が、少し恨みがましい。眉を寄せ、口元を尖らせているティトを見て、ユーリは慌てて言った。
「まぐれだよ。ティト、まぐれ」
「そりゃ、そうだ。まぐれに決まっている。決まっているが……当たった」
口元の尖がりが、さらに強まる。どう宥めようか、窮していたところに、野太い声がかかる。
「お前なら、もっと遠くの的にも当てることができるだろう」
ユーリは振り返った。近付く巨体を見上げる。
「その気になれば、あの岩陰の、見えない的をも射抜けるのではないか?」
「オラム……」
「なにを言ってる」
後ろに倒れるのではないかと思うほど、ティトが大きく頭を反らした。
「見えないものは的にはできない。見えないものは射抜けない」
「確かに。お前には無理だ、小さいの」
ティトの頬が大きく膨らむ。
「お前がでかすぎるんだ。でかいのは嫌いだ。あのジャナも。だから嫌いだ」
「ジャナ?」
「ジャナ族のことだ」
小首を傾げたユーリに、オラムが答えた。
「南の森、フィシュメルのナバラダ森に住む、巨人族のことだ。私の三倍くらいはあるかな」
「へえ」
「なんだお前、ジャナ族のことも知らんのか」
喉の奥を軽やかに震わせ、ティトが笑った。上向きになった機嫌を、後押しするようにユーリが頷く。
「うん。ティトは知ってるんだね。凄いな」
「当然だ。他にもいろいろ知ってるぞ。でかいやつらより、いっぱい。お前が知りたいなら、教えてやってもいいぞ」
「ありがとう」
人懐っこい笑顔で、ユーリは答えた。
「いろいろ聞きたいことがあるから、頼むよ。そうだな、まず」
「待て」
ティトはそう言うと、ぽってりとした掌をユーリに向けた。
「その前に、後片付けが先だ。物は大事にしなければならない。物を無駄にしてはいけない。あの矢はまだ使える。だから、取って来い」
「私が行く方が早いな」
決してなだらかとは言えない山肌を見上げたユーリの横で、オラムが軽く鼻を鳴らした。
「取って来よう」
「だめだ!」
間髪入れず、ティトが叫ぶ。
「お前は女だ。女には見えないが、女だ。ご婦人に危険なことをさせてはならない。ご婦人は大切にせねばならない。だから」
ティトの丸い指先が、真正面からユーリを指す。
「お前が取って来い」
「だってさ」
肩をすくめ、憤然と鼻から息を吐くオラムを見やりながら、ユーリは笑った。
「僕が取って来る」
「まったく。こいつに、こんな馬鹿げたことを教えたのは、誰だ?」
「さあ」
ユーリは、また笑った。雲の合間から、急に日が射し込んだかのような光がそこに溢れる。その光が、見る者の心を柔らかく溶かす。
「とにかく、取って来る」
そう言うと、ユーリはするすると崖を上った。身のこなしは軽い。その姿を見やりながら、ティトが腕組みをする。
「あいつはバカだが、なかなか面白い。旦那も面白いが、二番目に面白い」
「そうだな」
ティトの横で、同じように腕を組みながらオラムが頷いた。
「人間にしては、悪くない」
ユーリは、小さな岩に引っ掛かるように落ちていた矢を手に取った。それを右手で持ち、下にいる二人に向けて翳す。飛び跳ねて両手を振るティトと、小さく右手を上げたオラムの姿を瞳に捉え、微笑む。
ユーリの周りで、一段と空気が純度を増した。