蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第十九章 交渉(1)  
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 <交渉>

      一  

 陽光が燦々と降り注ぐ。季節は秋。だが、フィシュメル国王都の頭上に輝く太陽は、まだ力強かった。同じアルビアナ大陸のキーナスなら、もうすっかり黄金色に葉を染めているユルバムの木々が、ここでは目に染みるくらい青い。背景たる乳白色の石壁も、その輝きを強めるのに一役かっている。なだらかな平原の先、ユルバムの木と石壁で作られた森。その中に、王都、カロイドレーンはあった。
 アルビアナの真珠と喩えられる美しい街並。他大陸から来たものは、よくキーナスを王に、フィシュメルを王妃に准えた。理由はいくつかある。まず国土、その広さの違い、自然環境の違い。より大きく厳しい方を男性に例えることに、異議を持つ者ももちろんあろうが、大方は、ごく自然にそれを受け入れた。その感覚は、街の見た目にも現れている。灰白色を基調とした厳しい形の建築物が多いキーナスに対し、フィシュメルは淡く黄みがかった白を主とし、どこかしら柔らかな曲線を用いた建物が多い。優しく、繊細な印象の中に、多くの人間は女性を見出すのだ。
 しかしこの両国を、王とその妃に准えるもっともたる理由は、互いの関係にあった。決して穏やかとはいえない歴史の末に、築いた絆。その深い絆に、今、亀裂が入った。
「止まれ!」
 カロイドレーンの北の門。街の正門にあたるフレツェール門の衛兵が、鋭い声を放った。
「これは、クルドス通行証だな。これだけでは、ここを通すわけにはいかん。領主印の入ったナズ許可証が必要だ」
「ナズ許可証?」
 日焼けした肌に年以上の皺を刻んだ、中年の痩せた男が尋ねた。
「そりゃあいってえ、何ですか? もう二十年近く行商をやっとるだが、そんなもんがいるなんて、初めてだがや」
「それはそうだろう」
 ひどい訛の純朴そうな男を、気の毒そうな面持ちで見つめながら、衛兵は言った。
「ナズ許可証を持つことが義務付けられたのは、五日前からだ。だからお前が知らぬのも、持っていないのも、無理はないのだが。規則は規則だ。ここを通すわけにはいかん」
「そ、そんな。じゃあ、わしはどうすれば」
「来た道を戻るんだな」
「戻るって。この荷物は――第一、馬っ子が」
 限界を超えた量の荷物を背負わされた小振りの馬が、男の手に引かれ、よろよろと二歩足を運ぶ。
「一番近いエンドラの村でさえ、四日はかかるだ。とてもじゃねえが、持たねえ。ここで荷を下ろして、十分休ませにゃ。おねげえです。街の中に、入れて下せえ」
「気の毒だが、答えは同じだ。とにかく、エンドラの村まで行け」
 言葉と同時に、左手を腰の剣に添わせる。そうやって脅しながら、右手を大きく振って追い払う。
 項垂れ、未練がましく何度も振り返りながら来た道を戻る男に、衛兵は苦々しい息を吐いた。
「恨むならキーナスを恨め。同士に、兄弟に、刃を向けたキーナスをな」
 ここ数日、このようなやりとりは、カロイドレーンだけではなく、フィシュメルの主だった街で同じように繰り広げられていた。いずれも、軍事的な要所ばかりである。フィシュメル国はそこに、キーナスの人間が入ってくることを恐れた。フィシュメル人を装い、密偵が送り込まれることを案じたのだ。
 もちろん、フィシュメルにおいても、自由に領土内を行き来できるものは限られている。一部の特権階級、商人、学術者、キーナスにおける蒼き騎士のように、銀の鎧に身を固めた軍人も、その中に入る。しかしいずれの場合も、その身の証をたてるものが必要だ。例えば商人ならば、領主が発行したクルドス通行証、学術者なら、ライラス学術院の証明書、軍の者なら、その鎧自体が身分を表すという具合に。
 このうち、商人の使う通行証は、もともと各領主ごと複数の種類が存在していたが、やがてそれらはクルドス通行証という一つに束ねられた。それぞれの領主が発行することに変りはないのだが、形、書式が統一されたのである。そのお蔭で、片田舎で時々起きていた、他地域の通行証を認識できないという事態がなくなり、フィシュメル全土、くまなく流通が行き渡るようになった。さらに、この通行証は、キーナスにおいてもそのまま使用が可能であった。キーナスでも、同じことが行なわれていたのだ。そしてそれを、統合した。つまり、共に同じ通行証を持つことで、お互いの国を自由に行き来し、経済をより活発化させることを狙ったのである。
 実際、その政策の効果で、両国は共に潤い、国力を高めた。しかし、その恩恵も、友好関係が良好であればこその話だ。キーナスの裏切りが明らかとなって以来、街道は封鎖され、厳重な監視体制がしかれている。だが、山や、森や、道なき道を進み、フィシュメル国に潜入してくる者には、まったく意味を為さない。そういう輩が、通行証を利用して、街に潜り込むのを何としても防がなくてはならない。その結果、大多数を占めるであろう、正真正銘の罪なき商人達を、街から追い出すこととなってしまった。これが長引けば、経済的にも大きな打撃となるであろう。それが分かっていながら、そうせざるを得ない。苦しい選択を、まずフィシュメルは強いられた。
 一体、キーナスに何が起こったのか。
 釈然としない気持ちを抱えながら、衛兵は俯いた。その目に映る石畳に、薄っすらと影が近づく。

 
 
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