蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第十九章 交渉(2)  
               
 
 

「もしもこの作戦が罠であるならば、今陛下の御手にある手紙は、悪しき意図によって書かれたもの、ということになる。それらが間違いなくキーナス国王、並びに国妃によってしたためられたことは、先ほど陛下御自身がお認めになった真実。となれば」
 手紙を持つデンハーム王の手が、小さく震える。その手に、シオはさらなる言葉を浴びせた。
「陛下は、キーナス国王の御心をお疑いになられているのですか? それとも、ウルリク様の御心を、お疑いになられるているのですか?」
 深い吐息がデンハーム王の口から吐き出された。目を閉じ、そのまま時の中に身を委ねる。つい先刻までうねっていた、居並ぶ者達の反発の気も、潮が引くように薄れていく。ウルリクという言葉が、誰の胸にもその姿とその魂の輝きを、鮮やかに甦らせていた。
 ロンバードは勝利を確信した。が、それは誤りだった。柔らかそうな明るい栗色の髪。ひょろりと背が高く、鼻と顎がやけに尖った顔立ちの男。一見して狐のようだと印象を持った、フィシュメルの若き軍師サドートロが、ロンバードの確信を打ち砕く。
「今のお話は、どうでしょう。あまり説得力がないように思えるのですが」
 口調は丁寧だが、声は飄々としている。どこか他人事のような、下手をすれば小馬鹿にするような色がある。
「言葉と同じように書かれた文字も、往々にしてその者の意志に反する場合があります。やむを得ず、そのような手紙を書いた。裏でガーダが糸を引いているのなら、なおのこと、そう考える方が自然なのではないでしょうか。違いますかな?」
 シオは声の持ち主をじっと見た。神経質そうな造りの割には、穏やかな表情。それだけに感情が読みにくい。しかし、茶色い瞳の奥に、ちかりと挑戦的な光が揺らめくのを認めると、シオは意図的に男から顔を背けた。
「なかなか、いいご意見です」
 玉座を見据えたまま、シオが言う。
「つまり貴殿は、ウルリク様が御自身の保身のため、あるいは愛する夫のためにやむを得ず、母国を滅ぼすような企みに手を貸したと。そうおっしゃられるのですな」
 荒立つ波がシオではなく自身に降りかかるのを覚えながら、サドートロは言った。
「私が懸念しているのは、これがガーダの――」
「その考えは成立しない」
 ぴしゃりと撥ね付けるような声が、サドートロの口を塞ぐ。
「なぜなら、ガーダの狙いとこの策とでは、目的が一致しない。ガーダが望んでいるのは、キーナスの勝利などではない」
 王の目が見開かれる。それを澄んだ瞳で見返すと、シオはサドートロを振り返った。淡紅色の唇に、冷淡ともとれる微笑が浮かぶ。
「よもや私にここで、ガーダとは何ぞやという説明を、お望みではありますまいな」
 サドートロの顔が一瞬強張り、瞳の光が小さく弾けた。ちりちりと、その欠片が散る。それを、強い力で奥に沈める。
「いいえ」
 最前と寸分違わぬ、さらりとした口調の声が響く。
「いくら無知なる私とて、そのような愚問は致しません。過去の経緯はもとより、今起こっている現実を見れば、ガーダの狙いは疑いようがありませんから。我らがつかんだ情報によれば、カナドール、ノランの両騎士団がヴェーンを超えたとか。王都の盾となるべき騎士団を動かすのは、オルモントールに攻めてくれと言っているようなものです。あの国をも巻き込むとなれば、やはりガーダは、全てを滅ぼすつもりなのでしょう」
 そこまで言うと、サドートロは唇を大きく横に引き、にっと笑った。そして、軽く頭を下げる。
「浅はかな疑問を呈じました。どうか、お聞き逃しを」
 シオはその答えを、サドートロから視線を外すことで示した。
「して」
 十分間を置き、王が声を放つ。
「仮に我が軍をそちに任せたとして、一体どのような策を講じるつもりであるか?」
「そうですね」
 シオはそこで初めて、自分の銀色の房髪に右手を添えた。軽く指先で、二度回す。いったん止めてから、声を出す。
「先ほどはこの手に全軍を、と申し上げましたが、直接、先陣にて指揮を取らせて頂きたいのは、五千ほど。それだけあれば十分です。残りの軍は、私の指示通り、フィシュメル国内に配備して頂き――」
「五千――ですと?」
 少し遅れる形で、驚きの声が上がる。アルビアナ最強と謳われる、フィシュメル歩兵隊。その中で最も高位を表す、白銀の鎧を纏った男。肩に付けられた高い襟の外套は朱色で、その身分が将軍であることを示している。襟の部分には、王直属の部隊であることを示す黄金の線が一本。その昔、トノバスの侵略を退けた堅剛な守りを、パルメディアの山の如しと称えられたフィシュメル陸軍。その総大将カンナフェルの厳つい顔が、歪む。

 
 
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  第十九章(2)・2