蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十章 サルヴァーンの攻防(2)  
               
 
 

 茂みに身を隠す部下達に、合図を送る。自分も含めて八人。森に篭っていた分、体力的に最良の状態とは言えないが、いずれも腕の立つ者ばかりだ。気を抜かなければ、必ず勝てる。案ずるべきは、取り逃がすことだ。いくら貴重な情報を得たとしても、その情報が漏れ出たことを相手に知られては意味がない。三人のうち、一人も城に帰してはならない。
 兵士の顎の動きに、部下達が散らばり、荷馬車を囲む。
「でやあ!」
 自らの声と、鋭く切り出した剣を合図に、全員が飛び出る。まず、馬を狙う。が、相手もそうはさせじと剣を払う。かち合い、火花が散り、馬が嘶く。
 ずさりと鈍い音がして、部下の一人が切り捨てられた。その横で、暴れる馬の一頭が泡を吹く。腹から血を流し、その場に崩れる。
 引きずられるままに荷馬車が大きく揺れ、馬もろとも横倒しとなった。サルヴァーン城どころか、ハルトの城にも聞こえるような地響きと共に、三人のキーナス兵が地に投げ出される。
 そこに剣を突き立てる。対峙した男の頬に、赤い傷ができる。
「うわああ!」
 悲鳴が鼓膜を貫く。だがそれは、目前の男のものではなかった。
 振り向く兵士の目に、荷馬車が映る。傍らには、膝をがくがくと揺らし、地に尻をつけた部下の姿がある。敵は、三人とも前にいた。では、部下は何に怯えているのか。兵士の背に、冷たい汗が伝う。
 倒れた荷馬車は、その拍子に幌の部分が裂けてしまった。中から出てきたのは、鉄の檻。扉には厳重に鎖がかけられ、大きな鍵が付いていた。だが、その縁とは反対の、蝶番の部分が壊れている。扉はもはや、その役目を失っていた。
 ぬうっと、檻から体半分、出す者を見つめる。黒い毛に覆われた手足に架せられた鎖が、鈍い色を放つ。
 ラグルを見るのは初めてだった。噂はもちろん、耳にしていた。すぐにラグルと認識できたのも、そのおかげだ。だが、噂は所詮、噂でしかなかった。どんなに尾ひれをつけようが、誇張しようが、そこに恐怖は伴わない。咆哮を上げ、断ち切った鎖を振り回し、迫り来る脅威はない。
 はっと気がついた時には、ラグルの巨体が目の前にあった。
 これが、ラグル……。
 意識の遠くで、もしくは意識の中の別人が、そう単純な驚きを示した。今、思い返せば、ラグルを見た瞬間、自分は死を覚悟したように思う。どう抗うかなどと、夢にも思わずに。それほどラグルの姿は強烈だった。何かを考え、行動する余地を与えぬほど、動きは素早かった。
 力なく、なおざりに振った剣が、空を切る。だが、ラグルはそれに見向きもせず、脇をすり抜けた。
「シッ・バールム・オルザ・エルダラ!」
「ルス」
「ルス」
 低い唸り声が、尾を引きながら背後を流れる。その残響が消えるのを待って、首を回す。ラグルの姿は、すでにない。キーナス兵もいない。それが、どのような事実を示すのか。理解するのに、少なからずの時間を消費する。
「……追え」
 兵士はそう叫んだ。だが、それは呟きにしかならなかった。腹に力を込め、もう一度声を振り絞る。
「追え。やつらを追うんだ。行くぞ」
 兵士は、そう部下を叱咤した。だがむしろ、それは自身に向けたものだった。竦んだ足を動かすため、震える体を沈めるため、背けた顔を上げるために、命じ続ける。
 追え、追え、追うんだ……。
 まるで泥炭の中を進むかのような足取りで、兵士はラグルの後を追った。体を前に強く屈め、倒れようとする力で突き進む。そうでもしなければ、足は止まってしまう。ふと、部下達はちゃんとついてきているのだろうかと、疑念が浮かぶ。だが、兵士はそれを確かめなかった。
 後ろを向いたが最後、もう前に進むことができなくなってしまうだろう。そこに部下がいようがいまいが関係なく、体は命令を無視するだろう。
 兵士は、徐々に加速のついた歩みを、そのまま保つことだけに神経を注いだ。木々の間を縫って進む。揺れる視界が、わずかに開ける。
「……うっ」
 無意識に上がった自身の左腕が、口から漏れ出た呻き声を小さく止めた。無残な死骸が三体。自らの血に塗れ、転がっている。
 辺りを伺う。風の騒めきが、不安を煽る。遠くに翳む木々の色味が、幻影を見せる。
 ラグルはどこだ? もう、いないのか?
 武器を持つ手に力を込める。が、思いに反して、剣は今にもその手からずり落ちそうだ。
「……あっ」
 背に聞こえた小さな物音に、兵士は飛び退きながら振り返った。そこには、自分と同じように顔を強張らせ、石のように固まる部下達がいた。止まった息を、静かに吐く。互いのその音に、ようやく表情を緩める。
 兵士は、しっかりと剣を握り直すと、それを大きく回して鞘に納めた。

 
 
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  第二十章(2)・2