蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十章 サルヴァーンの攻防(2)  
              第二十章・3へ
 
 

「どうやらラグルの狙いは、キーナス兵だけであったようだな」
 意識的に、声を張る。そうすることで、自身を保つ。
「だが、まだ油断するな。みな、無事か?」
 ぱらぱらと、後方の部下達が前に出る。兵士は素早く人数を確認すると、遺体をぐるりと囲むように彼らを並ばせた。辺りに注意を配るよう指示し、自分はその中心に立つ。そして屈む。
 こうして打ち捨てられていると、対した時より、心持ち小さくその身が縮んだように感じる。どの顔も、思ったほど苦悶の色はない。体を調べ、その理由が分かる。背に、もしくは腹に、大きく一太刀。見事な腕だが、今はそんなことに感心している場合ではない。
 懐を探る。ほどなく、一通の書簡を見出す。すぐさま開き、目を通す。その時点で、兵士からラグルへの恐怖が消えた。それを遥かに超える新たな衝撃が、そこに記されていた。
 キーナス王、アルフリートの勅命。サルヴァーン城全軍をもって、北へ向かえとの指示。それだけなら、ただの驚愕。問題は、向かう場所であった。
 エルティアランへ。
 震える手が、文面の文字を滲ませる。
 エルティアランへ向かえ。すでにかの地のラグルは制した。事実はこの通り。
 咆え狂う、鉄枷をはめられたラグルの姿が、書簡の上で朧に重なる。
 キーナスの永劫なる勝利は近い。今こそ、大いなる遺産を手にする時ぞ。
 震える手が止まらない。わななく膝も止まらない。止まらない。止まらない……。
「して、その死体はどうした?」
 音として、微かな音として、兵士はそれを耳で捉えた。意識がすっとそこへ動く。その分だけ、震えが静まる。
「……は、はい」
 そう答えながら、顔を上げる。今聞こえた音が、ハルトの城主の声であること。そしてそれが、意味を持つ言葉であることを、順にゆっくりと理解する。ようやく過去から、現在に戻る。
「どうしたのだ!」
 苛立ちの帯びた声で、グストールが怒鳴った。だが、兵士にとっては、逆にそれが救いとなった。一昨日の悪夢も、これから起こりうる戦乱も、全て心から排除し、ただ問いに答えることだけを意識する。
「は、はい。書状を奪いましたゆえ、そのままにしておくわけにはいかず、荷馬車ともども人目につかぬよう、森の奥まで運び去りました」
「それはまずいですな」
 妙に甲高い、しかも高音部分が二重に割れた、特徴のある声が鳴った。兵士の目が横に動く。声の主に対する好ましくない思いが、兵士の顔を微かに歪める。この部屋にいる、自分と城主以外のもう一人の男。ずっとその薄い唇に笑みを浮かべたまま、押し黙っていた軍師セトゥワが、不快な声をさらに連ねた。
「ドレファスめが動かぬとあれば、すぐまた別の使者が送られてくるでしょう。さすれば、この作戦が我らに漏れたことを知られてしまい、サルヴァーン城の兵は止まり続けることになる」
「すると貴様は、やつらが動いた方がいいというのか。エルティアランの力を手に入れるのを、指をくわえて見ていろと!」
 その声は、兵士に向けられた時よりさらに激しく、セトゥワを襲った。しかしセトゥワは、狡猾そうな細い目を窄めて、平然と言った。
「そうではありません、閣下。エルティアランの力を手に入れるのは、奴らではなく我らです」
「……なに?」
「奪えばいいのです。奴らの手から、このオルモントールが」
「……むう」
 低く、グストールが唸った。
「貴様の策を聞こう。どうする気だ?」
「はい」
 セトゥワは口元を歪に曲げ、冷淡な笑みを浮かべた。
「フィシュメルの一件。私はこれを、キーナス自らが仕組んだこと、と考えております。すなわち、密かにエルティアランを発掘するための、目眩ましだと。しかしそのせいで、キーナス国内は手薄となった。破壊神とやらを手懐けるために、サルヴァーンの軍を費やすほどに。それほど、今のキーナスには駒がない。つまりこれは、攻め入る絶好の機会だということです。とはいえ、正面きっての戦いを挑むのは愚の骨頂。奴らが退くなら、そうさせればいい。不用意に我らに背を向けたその時、後ろから矢を射ればいいのです。そうしてドレファスの軍を駆逐し、我らはそのまま北へ上る」
「そして……王都を落とすのか」
「いいえ」
 思わず首を竦めたくなるような耳障りな声で、セトゥワは言った。
「ブルクウェルなど、どうでもいい。我らはさらに北を目指すのです。そう、エルティアランに」
「しかし……それでは我が軍の方が、背後を取られることになる。王都を守る、キーナ騎士団にな。それに、フィシュメル遠征軍が取って返してくれば、挟み撃ちとなって」
「確かに、それはよくありませんな。単純な兵力差を考えれば、敗北は必至。ですが、その時我らの手には、エルティアランがあるのですぞ」
 やけに赤い唇が、にいっと横に開く。
「この手に、破壊神が」
 グストールは大きく息を吸い込んだ。一方兵士は、息をすることすら忘れていた。身分も立場も弁えず、セトゥワをじっと見る。削げた頬をぴくりと動かし、また毒が吐かれるのを見やる。
「もっとも、ブルクウェルの軍に追いつかれては厄介です。王都ベルーバからの援軍に、その相手をさせるとよろしいでしょう」
「うむ……そうだな」
 グストールが頷く。
「では、すぐに援軍要請を」
「閣下」
 肩を竦め、セトゥワが二度、首を横に振った。
「それはもう少し後にすべきことです。あまり早く来られては、我らに追いついてしまう。良いですか、閣下。エルティアランを制するのは、閣下なのです。力はその手に、閣下のその手に、握られるのです」
 そう言い放ちほくそ笑むセトゥワを、グストールはしばらく呆然と見つめた。顔を引き攣らせ、深く椅子に体を沈める。
 が、迷った時間はわずかであった。いや、その力ない声は、まだ迷いを引きずっていたのかもしれない。
「分かった……そちに任せる」
 呟くようなグストールの言葉に、セトゥワは満面の笑みを浮かべた。嬉々とした気持ちが、さらに一段声を高くする。その声で、あれやこれやと兵士に指示を出し終えると、セトゥワはグストールに向かって深々と礼をした。
 その姿を見る城主の目が、どこか疎まし気に見えたのは、気のせいだろうか。
 胸にはっきりとつかえを残したまま、兵士はその場を後にした。

 

 
 
  表紙に戻る         前へ 次へ  
  第二十章(2)・3