蒼き騎士の伝説 第四巻                  
 
  第二章 キャラバン(1)  
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 <キャラバン>

      一  

 延々と続く砂のうね。そのなだらかな輪郭を、光と影が縁取る。恐ろしいほど青い空の下にある、強い沈黙。風一つない砂漠は、思わず息を呑むほど神々しい。懐に抱かれると、さらにそれを実感する。人の無力を、神の残酷さを。
 ユーリは腰にある、水の入った皮袋に手を伸ばした。伸ばして、止める。一人、一日の分量は決まっている。日はまだ半分も過ぎていないのに、皮袋の中の水は残りわずかだ。乾いた口の中の、苦味を帯びた唾だけを呑み込み、一歩、前に進む。体の重みと、背に負った荷物の重みが、深く足を砂に沈み込ませる。
 蒼き鎧は置いてきた。砂漠を渡るには不用のものだ。領主のような権力者に面談する予定でもあれば別だが。この広大なイソラ砂漠には、様々な部族の小さな集落があるだけで、鎧の正当なる価値を示す機会はない。帰ってくるまで預かって欲しいとモルスに頼んだ時、彼は一瞬、複雑な表情を浮かべたが。すぐに笑って分かったと答えてくれた。
 そのモルスの手配で、今、自分達は砂漠を旅している。ハンガラ族の小さな隊商。隊商といっても、彼ら自身は商人ではない。ただの運び屋だ。男達だけではなく、女性や子供、果ては赤ん坊までいる。要するに、彼らは一つの家族であった。止まった所に住むことが許されぬ、この国で最も下層にいる民の一家。ただひたすらに、砂漠を流れ歩き続けることを強いられた民。
 目の前を行くデグランが、ゆったりと体を揺らす。積まれた荷袋の中から、赤子の大きな目が覗いているのを認め、ユーリは柔らかく微笑んだ。そのデグランの背には、ティトが肩を窄めるようにして座っている。どうやら自分だけがデグランに乗っていることに、居心地の悪さを覚えているようだ。
 デグランは、馬を一回り大きくしたような、見事な体格であった。らくだのようなこぶはないが、毛並みはらくだに似ている。全体を黄褐色の毛が覆い、首の中ほど辺りから脇腹、そして尾にかけて、濃く長い毛が生えていた。顔は馬よりも少し短く、丸い造りだ。しかし、一番特徴的なのは、その背の部分であった。
 幅の広い、少しだけ盛り上がった堅い背中。喩えるなら、亀の甲羅が馬の背に乗っている、そんな感じだ。甲羅と違って両サイドは、軽く巻き込むように、脇腹へと繋がっている。もちろんこれは形のことであって、デグランの背は、顔や足と同じく、短めの毛で覆われていた。恐らくこの部分が、らくだのこぶ代わりを果たしているのだろうが。何かを乗せるという点では、らくだよりも機能的な形である。
 しかし、その何かは、荷に限られていた。人は基本的にデグランに乗らない。少なくとも、ハンガラ族はそうしない。その余裕が、彼らにはなかった。
 スナ・ハルマという長兄を柱とするこの隊商は、全部で十四名の大所帯であった。彼らの基準では十二歳以下を子供とみなすため、このうち大人の数は、九人となる。その九人のうち男は五人。長兄、次兄が所帯を持っていて、その妻の数が四人。一夫多妻制ゆえ、そういう計算となるわけだが、実際には長兄に三人の妻がいるだけで、次兄はハンガラ族にしてはつつましい妻の数であった。
 残る三人の兄弟も、とうに結婚していてもおかしくない歳なのだそうだが。まだ、妻をめとるだけの財力がない。器量がどうとか、働き者であるかとか、よく子供を産む家系の出であるなどの高望みはしなくても、妻をめとるとなれば、デグラン三頭くらいは先方の親に差し出さねばならないのだ。
 隊商では、二十一頭のデグランを飼っていた。デグランそのものの価値からすれば、かなりの財産となる。売れば、相当な金額となるだろう。しかし、金を持つことも、どこかに定住することも許されていない彼らにとって、それは全く意味のない基準だった。砂漠におけるデグランの価値は、それより遥かに低かった。
 全てのデグランの背に、たくさんの荷物が積まれている。商品を積んだものは、そのうちのわずか八頭。他は、砂漠を渡るために、砂漠で生きるために必要な物資が乗せられていた。つまり、彼ら十四人の生活を支えるのは、八頭のデグランが積んだ荷物のみ。これが多いのか、少ないのか。堆くその背に商品を積まれたデグランの姿が、答えを如実に語っている。彼らは、ぎりぎりのところで生きていた。全てのデグランに、これでもかというくらい荷を積んで、ようやくなんとか生きていけるだけの糧を得ていたのだ。
 砂に足を取られながら、ハンガラ族の七歳になる子供が前を歩いていく。そのおぼつかない足元から視線を外し、ユーリは右を見やった。
 濃い緑のリャンの下で、赤い髪が揺れる。俯き加減なのは、単に太陽から顔を背けているだけではなく、疲労がそうさせているのだろう。しかし、足取りはまだ、確かだ。むしろ――。
 ユーリは左方を向いた。横に並んでいるはずの、テッドの姿がない。振り返る。隊商から、すでに五メートルほど遅れている。ユーリは立ち止まってテッドを待った。砂地を睨みつけるようにして歩くテッドは、それに気付かない。荒い息を吐きながら通り過ぎるところを、呼び止める。
「テッド、そろそろ交代――」
「うるさい、まだいい」
「でも」
「わたし」
 ユーリの声に、サナの声が重なる。歩みを速めたテッドに負ぶさりながら、もう一度サナは口を開きかけ、それを閉じた。

 
 
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