蒼き騎士の伝説 第四巻 | ||||||||||
第六章 求めし者(2) | ||||||||||
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「これが、詳細だ」
ユーリ達は、煤けた色を見せるその紙を覗き込んだ。ハラトーマの街の地図。ただし、上部ではなく下部の地図。モルスの言った、地下水路の地図だ。
ハラトーマに限らず、シュイーラ国の比較的大きな街は、みな地下水路を持っていた。貴重な水を陽射しと乾燥から守るためだ。網の目のように張り巡らされた地下水路の水は、街の所々にある井戸から汲み上げることができる。ただしこの井戸は、誰でも、いつでも自由に使えるというわけではない。井戸を囲むように建てられた小さな小屋には、常に一人、ないし二人の衛兵が詰めており、朝の水汲み時以外での使用を見張っていた。
しかし逆に考えれば、閉鎖された空間というのは、外から適度に遮断されていることを意味する。井戸のどれもが、人通りの多い場所にあるという欠点はあるものの、いったん踏み込んでしまえば、誰にも邪魔をされない格好の侵入路となる。この地下水路は、そのまま領主の館にまで続いているのだ。出口となる井戸は、館のちょうど裏庭にあたる場所にあるという。もちろん、そこにも警備の目はあるが、周囲を固める兵に比べれば、少ないはずだ。
なるほど、地下から潜入するのは良い手だ。問題は、一体どの井戸から入るかだ。衛兵だけなら何とでもなる。だが、街の人の目まで、塞ぐことはできない。その耳を、口を閉じることはできない。特に今は、誰もが疑心暗鬼となっている。小屋に忍び込む、異国の人間の姿をちらりとでも見かけようものなら。たちまち通報されてしまう恐れがある。
地下水路は迷路のような作りになっているため、モルスの地図を頼りに進んでも、かなりの時間を要するだろう。侵入は、密かに行わなければならない。誰にもその瞬間を、見られるわけにはいかない。
「入るとしたら、ここだ」
モルスの指が、地図の上を滑る。指し示されたのは街の外れ、いや、遥か外だ。訝るユーリ達の視線の先で、モルスの表情が歪む。
「昔、ハラトーマはもっと大きかった。この地図に入りきらないくらいにな。ロナ族が政権を握る前、俺達ソン族は、今よりもずっとたくさんここに住んでいた。だが迫害され、追い出され、街の人口は大幅に減った。俺が生まれた頃には、すでに街は元の半分ほどの大きさとなってしまっていた。街の外は、もう瓦礫同然だ。井戸ももちろん使われていない。水路も、街の外壁に沿って寸断されている」
「じゃあ、外から行くことは」
「できない。この一箇所を除いて」
モルスの指がすっと移動し、一点を指す。
「この古井戸の下。ここに、水路へ続く横道がある。俺達が、作った」
ユーリは息を呑んだ。その言葉の持つ意味が、深く胸に突き刺さる。
モルスが教えてくれた侵入路は、彼らの道であった。時間をかけ、衛兵の目を盗んで、少しずつ少しずつ掘り進めたのであろう。街の東、二キロほど離れたところにある地下水路の跡から、北に回り込むように掘られた道。ちょうど領主の館の背後にある井戸の一つを掠める道に通じている。そこより南にある井戸までは、およそ八十メートル。一気に走り抜ければ、あっと言う間に領主の館内だ。
ユーリの脳裏にイメージが過ぎる。
武器を手に携えた男達が、暗闇を突き進む。声を潜め、息を殺し、領主の館の裏庭に達する。最初に火の手が上がるのは、そこか、あるいは館の正面か。組織が大きければ、陽動もあるだろう。街の至るところで、衝突が起きるかもしれない。そして何より、その時は、もう間近なのだ。
ユーリの唇が、それを確かめるべく開く。
「いつ?」
モルスのごつい手が、ぐるりと自身の顎髭を一撫でする。
「予定では、サブーラの八日、月の最も暗い夜。今日より十三日後だ。だが」
モルスの目が厳しく細まる。
「怒りはもう、限界まできている。もしここでお前達の話を、エナマ村の悲劇をみなが知ったら。誰もその気持ちを押えることはできないだろう。道はある。武器も揃った。これ以上、何を待つ必要があるのだと、なにゆえ耐えねばなるぬのかと」
「モルス……」
「保証はできない」
真っ直ぐな漆黒の瞳を避けるように、モルスは顔を背けた。
「お前達が戻るまで踏み止まると、約束はできない。俺はみんなを止めることはできない。悲しみを、怒りを、まだ我慢せよなどと言うことは、口が裂けても言えない」
「うん、分かっている」
思いの外、明るい色をしたユーリの声に、モルスは顔を元に戻した。改めて、蒼き鎧の異国の騎士を見やる。どうかすると少年にしか見えない青年の、瞳の深さに魅入る。恐ろしいほど冷えた夜の空を写し取ったかのような瞳に、星の強さを見出す。
モルスの口が開く。
「一つだけ、約束しよう。俺は誰も止めない。戦いが始まれば、俺もこの手に武器を持つ。だが、その先陣を切るのは俺ではない。始めるのは、俺ではない」
「ありがとう」
漆黒の瞳が、柔らかく潤む。
「それで十分だ。ありがとう」
その言葉に、モルスはようやく眉間の皺を解いた。そして一つ、小さく頷いた。