蒼き騎士の伝説 第五巻                  
 
  第八章 暁(2)  
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      二  

 星のない暗い空の下を、ゆっくりと進む。辺りの静けさに反し、甲板の上は騒がしい。ランプを掲げた水夫が舷側にずらりと並び、海面を、さらには直ぐ側に迫る島影を照らしながら声を張る。舵を取っているのは船長だ。普段は操舵長に任せる仕事を、今回ばかりは自らが買って出た。もちろん、この危険な夜の航行を決断したのも彼だ。
 ちょうど真夜中に、ゼンクト号は浅瀬の多い海域を前にした。通常ならいったん錨を下ろし、朝を待つことになる。だが、ゼトスは闇の中を、強行に抜けることを選択した。雲の動き、風に含まれる匂い、ユーリ達素人は無論のこと、経験の浅い水夫達には嗅ぎ分けられない、嵐の気配を彼はそこに感じ取ったのだ。
 今この時を逃すと、大幅に航海が遅れるだけではなく、最悪の場合、座礁。運が良くても少なからずの損傷を受け、著しく航行能力を落としてしまう。そこを海賊に狙われでもしたら、一たまりもない。
 ゼトスが船を進める。たとえ、明るく力強い太陽の光に照らされていたとしても、波の上から底の深さを知ることは難しい。頼るべくは、やはり知識と経験か。耳に聞こえる風の音、足元を揺らす波のうねり。その両方が徐々に強まってくるのを肌に感じながら、ユーリは改めてパペ族の能力に感服した。
 揺れる船の上で、目測にも関わらず、島との距離を弾き出す水夫。その水夫達の声が、時に五つほど重なるのをものともせず、舵を取る船長。操帆手達の動きも無駄はない。風を読みながら、直接帆を操作する者、ロープをさばく者。そしてそれらの足元、手元を照らす役目の者。各々が、自分の持ち場で最大限の力を発揮している。その中心で、ただ空を見上げ、雲行きを見守ることしかできないことに、ユーリは唇を噛んだ。
 歯がゆい思いを飲み下し、まだ荒れてくれるなと祈る。本格的な嵐となる前に、ヨズミ諸島を抜けねばならない。さらにもう一つ。この海域の直ぐ先にあるという、潮。ゼトスの話によると、かなり流れの速い潮で、天候の良い時でも気を抜くと、あっと言う間に陸の方へ流されてしまうらしい。ヨズミ諸島を抜け、速い潮の流れを越え、彼らがアズサネと呼ぶ入り江に船を着けるまで、空には踏み止まってもらう必要がある。
「……あっ」
 光を感じたように思い、ユーリは空を見上げた。厚い雲が、一時だけ千切れる。そこから覗いた月は、まだ明るかった。闇は深い。夜明けは遠い。
 ぎしりと軋む音がして、煽られるように船が持ち上がった。大きなうねりに乗ったまま、左舷の方向に引きずられる。二人の水夫が叫び、船長が舵を右に取る。捩れるように後方を波に取られながらも、船が向きを戻す。そこに、空から声が降る。
「灯りだ!」
 枯れんばかりの声で、マストの上の見張りが叫ぶ。
「後方に灯り、五時の方向」
「灯りだけじゃ分からん!」
 船長が怒鳴り返す。
「島の灯りか、船の灯りか。船だとしたら、どこの船か、きちんと報告――」
「海賊船だ!」
 マストトップから身を半分ほど乗り出して、水夫は喚いた。
「ジナルダ型の大型船! あの影の形は、商船なんかじゃねえ!」
「距離は」
「およそ――五百パム!」
「総員、戦闘準備!」
 甲板が、さらに慌しくなる。水夫の一人が、船倉に向って船長の命を繰り返す。手持ち無沙汰でまんじりともしない夜を過ごしていた兵士達が、いっせいに動き出す。その様子に焦りを覚える。
 何か手伝えることはないか、そう船長に尋ねようとした矢先、副長のエダムがユーリに声をかけた。
「顔色が良くねえな。ちょいと一眠りしたらどうだ?」
「一眠り?」
 あまりにも意外な言葉に、ユーリは目を丸くした。
「でも……」
「戦闘が始まるとしても、明け方だろう。まだ一時間以上ある」
「そんなに? だけど敵は――」
「しっかりしてくれよ。こちとら海の上にいるんだ。相手が見えたからって、直ぐ戦闘にはならねえ。馬で駆けるわけにはいかねえんだ」
 あっ、そうかと納得すると同時に、少し恥ずかしく思う。わざわざ声をかけてくれたところをみると、よほど切羽詰った顔をしていたのだろう。自分の役目があるとしても、それは当分先だというのに。
 そんな心の内を全て見透かすかのように、日焼けした顔の副長が続ける。
「まあ、眠くないなら、そうだな、砂を運ぶのを手伝ってくれ。この甲板と、下の砲列甲板にも。すべり止め兼引火防止用の砂なんだから、たっぷり湿らせておいてくれよ」
「分かった」
 短く答えると、ユーリは船倉に降りる階段の方へ向った。ちょうど上ってきたミクとかち合う。

 
 
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  第八章(2)・1