蒼き騎士の伝説 第五巻 | ||||||||||
第八章 暁(3) | ||||||||||
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来る、と思った瞬間、ユーリはまた体に大きく負荷がかかるのを感じた。ずるずると、甲板の上を左に滑る。それで、大きく左に旋回したことを知る。
まさか、この状態から逃げる気なのか?
高い声で、砲弾が唸る。空を切り裂くような音が雨となって降る。ゼンクト号が、海面の上でバウンドするように揺れる。大半は海の藻屑と消えたが、ただ一つの砲弾が船尾部分を直撃したのだ。
重く軋むような音を立て、船尾楼が砕け散る。
「そのまま前進、離脱、離脱!」
喉から血を絞らんばかりに、ゼトスが怒鳴る。風を、ほぼ真後ろに受ける形で船が走る。右舷後方にあった海賊船は、左舷後方に位置を変えていた。砲弾の並ぶ横腹を見せつつ追いすがる。風を味方に右旋回をかけながら、次こそはゼンクト号の息の根を止めんと狙いを定める――はずであった。
「一体、どうしたんだ?」
急に動きを鈍くした海賊船を見つめ、ユーリが呟いた。その横で船乗り達が歓声をあげる。
「よーし、かかった」
「やったぞ!」
「気、抜くな。一気に引き離せ」
「おう!」
ユーリの瞳の中で、瞬く間に船影が遠ざかる。ただ回頭させるだけで四苦八苦する海賊船を見て、はっと気付く。
「そうか、潮」
「ああ、そうだ」
いつの間にか側に立ったエダムが頷く。
「あそこの潮は速いからな。しかもこの時間、風は逆の向きを取る。俺達ですら、あれだけてこずったんだ。奴らだって」
「てこずったって、そうか、あの時船の速さが急に落ちたのは」
「まあ、俺達はそこを突っ切るだけだったからまだいいが。あそこで急激に向きを変えるのは至難の技だ」
「でも」
ユーリが首を傾げる。
「彼らもあの場所に潮の流れがあることは、よく分かっていただろうに」
「そこが俺達の腕よ」
海の飛沫と汗とでぐっしょり濡れたエダムの顔が、誇らしげな笑みを浮かべる。
もしこれが、全て計算の上だとしたら、まさに神業の域である。とてもあり得ない。だが、だからと言って、ただ運が良かっただけという説明で、収まるものでもない。
ユーリは改めて甲板を見やった。
ゼトスはまだ大声で指示を出し続け、船乗り達が忙しく動きまわっている。破損したボウスプリット、船尾楼の周辺には、もう船大工達が群がっている。それぞれが、各々の務めを果たす姿。恐らく甲板の下でも、同じような光景が広がっているだろう。この一人一人の力が合わさり、結びつき、奇蹟は呼び寄せられたのだ。
「右舷、二時の方向に新たな船影!」
冷水を浴びせられたような衝撃を伴う見張りの声に、表情を厳しくしながらも乗組員達に動揺はない。
「馬鹿野郎! 船影だけじゃ分からん。敵か味方か、距離は?」
「中型のマザック船。商船だ。距離はおよそ、四百パム。船影の数は全部で三、ヨズミ諸島に向って進んでいる」
「信号旗用意。後ろに海賊がいるのを知らせてやれ!」
何もない空に向って二つ、空砲が放たれる。マストトップに立つ見張りが、赤い大きな布を左右に振る。
早く気づけよ。
ゼトスの声が、風の中で千切れる。
そして無事、逃げ切ってくれ。
ただ知らせることだけが精一杯である無念さを滲ませ、ゼトスがさらに呟く。その音を、ユーリは心で聞いた。思いを重ねる。そして祈る。
嵐を確約する重い雲の下、風と波に揉まれながら流れていく船団に向って、ユーリはただ一心に彼らの無事を願い続けた。