蒼き騎士の伝説 第五巻                  
 
  第十三章 祭礼(1)  
               
 
 

 式典の際には、どうぞこちらをお召し下さりますよう。
 申し訳なさそうに、キゼノサタが衣を持ってきた時のことを思い出す。国外からの賓客に、無理強いはできぬという思いがあったのだろうが、かしこまって「分かりました」と答えながら、ユーリは内心ほっとしていた。
 キーナスにおいては礼装の代わりになる蒼き鎧だが、さすがにこのような場には無骨過ぎる。もちろん、持参した服は他にもあるが、いずれも少々役不足に思える。何よりこの十五日間にも及ぶ滞在中に、全て出し尽くした。その点サナは抜かりなく、今日の式典用にと取っておきのものを残していたのだが。前日になってユーリの失態を知り、さらに「絶対においらも行く」と宣言したティトの荷物の中に、何一つ満足のいくものがなかったことに、正直途方に暮れていたのだ。
 ティト、退屈していないかな。
 全てがゆったりと進む中、ユーリがちらりとティトを伺う。そのわずかな動きに、いかにも上質そうな肌触りの衣が、かさりと微かな音を出す。
 奥殿の中、舞台と向き合う位置に設けられた貴賓席は、全部で十四名分あった。席といっても椅子はなく、綿布を詰めこんだ朱色の丸い敷布が、板間の上に並べられているのみであったが。微妙にその位置は工夫されており、中央奥まったところにウル国王が、その直ぐ前に長子サザトムが。そこからさらに前に出たラインの左にユーリ達、右にシャン国王夫妻――ただし、シャン国王妃は今日も気分が優れず式を欠席しており、お蔭でユーリは未だパルコムを回収する機会に恵まれずにいるのだが。いずれもウル国王の視界を塞ぐことのないよう、少し離れる形で並べられていた。
 もし、ギノウが都にいたなら、席は長子の横となる。さらに、亡くなってもう十年になるというウル国王妃がご健在であれば、その席は王の隣りとなる。この並びを見る限り、ウル国において夫婦、兄弟はそれぞれ同格であり、国外からの客人に対してはその身分を問わず、共に厚く持て成すしきたりといえるだろう。
 席のルールはまだ続く。ウル国王、サザトム、そしてユーリ達の前後の間隔は、五十センチあまりの狭いものであるが。そこから八人の武官がずらりと並ぶ最前列との間は、三メートルほどの幅がある。大きな差だ。単に主と従の身分の違いだけではなく、客人との距離も考えてのことだろう。あるいは、武官ばかりが並んだところを見ると、あくまでも彼らは護衛兵という意味合いが強いのかもしれない。実際、彼らの位置から舞台を見通すことはできない。
 舞台は、奥殿の床より高い位置に作られていた。高さは一メートルほどあるかないか。よって、間近に座す者は顎を上げ、頭を大きく後ろに反らして舞台を見上げなければならなかった。一番離れているウル国王の席ですら、舞台の後ろまで見渡すには苦労を強いられる。要するに、この舞台の観覧場所として、ここが最上ではないということだ。もちろん、外から見物する者達も、斜めであったり遠くであったり、不自由が多い。彼らも、観客としてのランクは低い。
 ウタタメの祭りにおける最高の賓客は、空にあった。今から演じられる楽も舞も、全てはウル国の守護神であり天神である、キヤマノタツオト神に捧げられるものだ。我々は、そのお零れを頂いているに過ぎない。そっと、密かに。神の目の邪魔にならぬように、垣間見る。
 奥殿、及び内庭を囲む外廊下は、いずれも屋根があった。ずらりと並ぶ見物人達の姿が、神の目に映ることはない。さらに本殿裏、舞台のある奥殿を遠く正面から見る場所に設けられた、一般人用――とはいっても、服装を見る限り庶民という言葉はほど遠く、いずれもそれなりの家柄、財産などを有する者達用の立見席も、目に鮮やかな朱色の天幕が張られており、神の目からは人の姿が見えないように工夫されていた。
 もっとも、これらの状況を並べてみなくても、この祭りが雨天のみならず、曇天の場合も延期されるということに、全てが現れている。厚い雲に空が覆われていては、神が舞台を見下ろすことができない。それでは何の意味もない。幸い今日は、所々こんもりと綿菓子のような雲が浮かんではいるものの、空の多くは誰にも邪魔されることなく天界まで続いていた。恐らくあの青の向こうで、天神キヤマノタツオトは、今か今かと待ちかねているのであろう。
 ユーリは、天神に負けず劣らず、期待を込めて舞台を見つめるティトを見やり、ほっと胸を撫で下ろした。と、辺りの空気が変わったことに気付く。低いうねりのような、ざわつく気配が消えている。ユーリは、視線を前に戻した。
 ぴんと空間を引き締めし者を、舞台の上に認める。ウツトミノ・ユアナという都一の、つまりはウル国一の舞姫の姿を瞳に捉える。
 全ての者が減紫色に身を沈める中、舞姫は白い衣に身を包んでいた。きっちりと体に巻きつけるような形の、筒のようなデザイン。袂は端が足元に達するほど長く、腰には幅広の布帯が巻かれている。帯は背の部分で花を模るかのように結ばれ、先が袂と同じように垂らされていた。その全てが白、いや、厳密にいえば、白一色ではない。長い袂の先の部分に、目を凝らさねば気付かぬほど、淡く滲む薄紅色がある。
 確か、ソメイヨシノ……。
 ユーリはその色から、地球において馴染みのある、特に東洋の一国で愛される花をイメージした。
 どこか儚げで気品を伴うその薄紅色は、長く垂らした布帯の端にも散らされており、舞姫が足を進める度に揺れ動き、まるで花びらがそこで舞うかのような錯覚をユーリにもたらした。
 ばさりと、空間が音を鳴らす。花びらが散り、袂がはためき、舞姫の長い黒髪が流れる。右手に持った朱色の扇が、水平に翳される。
 少し締めつけるような、それゆえ天に向って加速するような、伸びやかな音が笛の奏者によって奏でられた。小さく息を継ぎ、さらに音が重ねられる。力強い響きの線が、また空間に刻まれる。その音に合わせ、舞姫の扇がゆっくりと動いた。
 真横から、体の正面へ。見えない音の線を全て絡め取るかのように動く。笛の響きがさらに強まり、あたかも舞姫の扇によって、極限まで音が引っ張られたかのような感覚を覚える。
 ひらりと、朱色が真正面で翻った。柔らかく手首を動かし、蝶のように舞う。扇の動きに合わせ、バラランと弦が弾かれる。
 さらに、ひらりと。
 そして、はらりと。
 舞姫の顔が、右に向けられる。左足を軸に、ひらひらと扇を翻しながら、その場で回る。後ろ、そして左。笛と弦とが競い合うように、音を増す。
 再び正面を向いた舞姫が、とんと足を踏み鳴らすと同時に、太鼓と鈴が楽に加わった。途端、全ての音が止む。静寂の中、舞姫の扇が最初の位置に戻される。次なる音が、そこで響く。

 
 
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  第十三章(1)・2