蒼き騎士の伝説 第五巻                  
 
  第十三章 祭礼(1)  
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 雲を遏むとは、こういうことを言うのだろうか。
 魅入られたように舞姫を見つめながら、ユーリは思った。
 空間を優しく震わせ、そっと鼓膜に届けられた音は、楽士達が奏でたものではなかった。舞姫の、ほんのりと赤く染まった唇の間から、澄んだ声が零れる。語るように歌が紡がれる。
 曲は、極めて単調なものだった。音域は狭く、音も五音ほどしか使われていない。リズムもほぼ一定で、言葉の終わりを長く、緩やかに揺らすように歌われる他に、大きな変化は見られなかった。それだけに、音そのものが持つ魅力、つまり、舞姫の声の美しさが、そのままストレートに伝わってくる。歌詞を鮮明に伝えてくる。
 語られた言葉は、ウル国創世の物語であった。史実ではなく伝説。山が、河が、平原が、神のいかなる御業によって作られたのか。天より下りし神の御子が、いかにして蛮族を退け、ウル国を築かれたのか。簡潔な言葉と単調なメロディーの繰り返しで、それが綴られる。節と節の合間には、再びあの楽と舞。緩みなく、澱みなく、延々と物語は続く。
 しかしユーリは、一瞬たりとも退屈には思わなかった。神々の名前や、この国の地理、歴史に疎いことが影響して、語られる物語を十分に理解できなかったにも関わらず、気が削がれることはなかった。無論、舞姫の声は美しく、舞も素晴らしく、楽も豊かな響きで心に深く訴えるものであったが。派手な演出があるわけでもなく、もし、わずか十メートル四方の小さな舞台の上だけに気持ちが囚われていたのなら、半時を超えた辺りで、ユーリは集中力を欠いてしまったかもしれない。
 舞が始まってからほどなく、ユーリは視線を踊り手から離し、空を見上げた。正確には舞台を通し、さらに奥を見やったことになるだろうか。感覚としては、ピントをずらすような形。舞姫の姿を淡く、前で意識しながら、心は後ろに広がる背景へと導かれる。そう、導かれたのだ。自らの意志に基づくものではなく、無意識下の行動でもなく、意図的にユーリはそこへ誘われた。この、ウル国一と称えられる舞姫によって。
 目を奪われるほどの見事な舞は、かつてキーナスでも観た。リーマ。流浪の民、キャノマン一の踊り子の舞だ。だが、彼らの舞とこのウル国の舞は、根本的に楽との関係が違っていた。
 キャノマンの場合、楽はエネルギーだった。楽士達が、技と心の全てを込めて奏でた音が、踊り子リーマに注がれる。リーマはその音を糧とし、極限まで自身の魂を高める。自らが光源となり、見る者全てを惹きつける。場の力が、踊り子の舞一点に集中する。
 しかし、この目の前の舞姫に、強い求心力は感じない。楽士の演奏も、確かに力を感じるが、それが舞姫の踊りに作用するには及ばない。ひらり、ひらりと扇が翻る度、それは撥ね返されてしまうのだ。そして、空間で弾ける。見えない力が、見えない色となり、広がっていく。果てしなく伸びる。目に映る、体で感じる空間全体が、昇華される。
 視点が違うからだろうか。
 感覚の全てで舞を堪能しながら、ユーリは思った。
 リーマの踊りは、目の前にいる観客のためのもの。この舞は、天におわす神に捧げるもの。踊りの型が違ってくるのは、当然といえよう。
 ほのかに酔うような心地の中、ウル国最初の王の件がとうとうと謳われた。長い舞姫の黒髪が、風を含んで靡く。空間に、また見えない色が広がる。
 終わりはひどく美しかった。笛の音が長く、細く、響く中、舞姫の扇がゆっくりと閉じられる。しばらく余韻が辺りを包む。全てが空の果てで滲み、透き通り、光だけをそこに残して消える。
 静と舞姫が膝をつき、閉じた扇を床に置いて一礼をした。
 ユズムラ王が、豊かな声を放つ。
「見事であった」
 舞の儀は、終わった。

 

 
 
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