蒼き騎士の伝説 第五巻                  
 
  第十四章 不実なる真実(1)  
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 <不実なる真実>

      一  

 ミオウは目の前で傅く、男の少し秀でた額を見据え、呟いた。
「そうか」
 一度目を伏せ、また開く。
「相分かった」
 大きく右手を動かし、下がれと合図をしたところで、行動とは別の言葉を吐く。
「いや、待て」
「はっ?」
「しばし奥の部屋で、妃の相手をしてゆくがよい」
「国妃……様の?」
 訝るように、次の間に続く引戸を男は伺った。その若い家臣とは反対の向きに眼差しを置き、ミオウが言う。
「今、そちが外に出ては、キーナスの騎士殿に迷惑がかかる」
「はあ」
「随分と」
 ミオウの口元が微笑を湛える。
「庭がお気に召されたようだ。実に面白いところを散策なされておる」
 王の黒い瞳が、白い紙戸に据えられる。
 すでに日は傾き、部屋は薄暗い。仮に燦燦と光が降り注ぐ昼間であっても、紙戸を通して何かを透かすのは無理であった。しかし家臣の目には、王が仄かに蒼い翳りを滲ませる紙戸を通し、外の景色の一切を見通しているかのように思えた。形を超え、その内側まで見透かすかのように、男は感じた。
「何をしておる。ミオウ様のお言葉、聞こえなんだか」
「は、はい」
 家臣の頭が深く沈む。沈んだまま、後ろに下がる。ミオウの背後に、それこそ影のように付き従う、ウリアノの容貌を思い浮かべながら、次の間の引戸を開ける。頭を下げた姿勢を保ちつつ、体を次の間に滑り込ませ、また一段と深く礼をし戸を閉める。
 容貌、といっても。
 ようやく緊張から解き放たれ、男は頭を上げた。幸福の象徴とされるユエ鳥の見事な絵が施された引戸を眺め、思う。
 顔など一度も見たことがないがな。
 気持ちに苦々しいものが混ざる。自然と表情が歪む。
 自分に限らずシャン国の誰も、ひょっとしたらミオウ様すらも、ウリアノの顔を知らぬかもしれない。内政はもとより、軍事、外交に至るまで、あらゆる取り決めごとに関わりながら、一切の権力を持たぬ特殊な役職、ウリアノ。この職に就くためには、当然それだけの能力を有し、王の信頼を得ることが必要であるが。何よりも、人でありながら人ならざることが、第一の条件とされていた。
 ウリアノは、人として生きる道を閉ざした者のみに与えられる、職であった。自分は一度も近づいたことはないが、シャン国の王城、アスラマ城の王の間の奥に、隠し扉で隔てられた小さな牢があるという。そこがウリアノの終の棲家であり、王より呼び出しを受けない限り、出ることは許されない。場合によっては長期に渡って、扉は閉ざされたままであるらしい。その間、食事は取らない。眠ることもしない。嘘か真か、牢の中央で胡坐をかき、ただ静かに瞑想にふける。何日も、何十日も。どう考えても、人の為せる技ではない。
 さりとて、王と共に外界へ出た様子も、およそ人とは言い難い。何よりも姿が異様だ。頭から指先、足先に至るまで、きっちりと黒い布帯を巻いている。さすがにそのままではあまりに不気味で、上に長い黒衣と、顔半分ほどを隠す頭巾を身につけているのだが。目に映る全てが黒で覆われている姿は、人どころか、この世ならざるものといった印象を、見る者に与えていた。
 もちろん、だからといって、誰もその衣を脱げとは言わない。脱げばもっと恐ろしい姿になることを、皆が知っていた。
 ウリアノは、盲であった。噂が本当であれば、鼻はもげ、耳もない。ただし、それは生まれながらによるものではなく、意図的にそう作られたものだった。
 ただその身の環境だけを指して、ウリアノは人に非ずと位置づけられているのではない。まずは形から、つまり体から、人であることを捨てねばならなかった。そうすることで人としての欲を、愚かさを、捨て切ることができると考えられた。人ではなく英知そのものとして、知恵の塊として、生きることができるのだと。
 彼は、この条件を受諾し、自ら望んでそれを求めた。その結果のウリアノであることを、シャン国ならず近隣の国全ての者が理解していた。

 
 
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