蒼き騎士の伝説 第六巻                  
 
  第十七章 失われた欠片(1)  
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 <失われた欠片>

      一  

 音のない闇の世界へ降りていく。たった二百メートル、潜っただけで太陽の光が途切れる。暗黒に包まれ、マッコウクジラに似た形の、ただし大きさは全長五メートルにも満たないアトランティスが、その存在すら否定される寸前で光を放つ。船内のスクリーンに、再び周囲の景色が映し出される。
 命の数が少しずつ減っていくのを、またそれら生物の姿が環境に合わせ変化していくのを眺めながら、ユーリはアトランティスをさらに深く沈めた。現在の水深を示す計器の数字が、緩やかに加算されていく。500、600、700、800。さらに1000を刻んだところで、ユーリはわずかばかり身を乗り出した。
「……マリン・スノー」
 目に映る景色に向かって、細く息を吐く。
 小さな白い粒子が、いつの間にか海全体を覆っていた。下から上へ、雪が降るように立ち昇っている。正体はプランクトン、その死骸。豊かな海を支える聖なる墓場。しかし海は、ここで尽きたわけではない。計器の数字は休むことなく堅実に、今も数を増やし続けている。
 水深二千メートル。闇がまた濃くなる。どれほど出力をあげて周囲を照らしても、アトランティスに備え付けられている照明では、せいぜい半径二十メートルほどしか光は届かない。たとえ何もない海でも、遥か遠くを見渡すことができれば、少しは心も落ち着くであろうが。狭い視界の中に閉じ込められていると、どうにも穏やかな気持ちを保つことができない。冷たい海水が心の中に流れ込むような、押し寄せる闇に呑まれるような、そんな感覚がユーリを襲う。
 ユーリは、意識的に深く息を吸い込んだ。アトランティス内で空気を有する空間は、この耐圧殻内だけ。その直径のどこを計測しても、誤差わずか1マイクロメートルという真球の形に守られながら、吸った息をゆっくりと吐く。計器の数字に集中する。2200、2300、2400。ユーリの手が、そこで動く。アトランティスの潜行スピードを緩める。底は近い。着地に備える。
 カツンとアトランティスが振動を感じた。計器の数字は2510。ようやく目的の場所に着く。この深さであれば、外は親指ほどの大きさに、二百五十キログラムくらいの圧力がかかる計算となる。体の中に気体の入った袋を持つ生物にとっては、死の世界。ユーリは、生と死の境界線たるアトランティスのスクリーンに目を凝らした。
 海底には、深い谷があった。そこに、いくつもの柱のようなものが見える。高さはおよそ十メートル。他にも、二十メートルほどの塔のようなものもある。もちろん、探しているものとは違う。歪な形をしたそれらの塔は、まるで生き物であるかのように呼吸をしていた。てっぺんから、黒く煙のようなものを吐き出していた。
「ブラックスモーカー……」
 ユーリの唇が、また息を零す。
 塔の正体はマグマだった。噴き出しているのはおよそ二百℃の熱水。地上なら当然のごとく気体となる温度だが、深海では圧力があるため沸点はもう少し高くなる。そんな熱水が、熱いマグマが。地の底から噴き上がり、海水に冷やされ、繰り返し繰り返し現在の形を作った。出来上がる行程は異なるが、塔と同じく柱もマグマの跡だ。恐らくその部分に小さなへこみがあり、海水が溜まっていたのだろう。谷一帯がマグマで満たされた時、海水のあったところだけが冷やされ、全ての溶岩が流れ去った後、柱の形となって残った。
 いずれにせよ、これらはただ一つのことを示している。つまり、かつてこの海域で大規模な火山活動があり、そして今も、地底は躍動的に動いているのだと。
「やっぱり」
 スクリーンを見据えながら、ユーリが言う。
「大きな地殻変動が、パルメドアを滅ぼしたんだろうか」
「この状況を見る限り、そう考えるのが妥当ですね」
 アトランティス内に、ミクの声が響く。今、ユーリが見ているものと同じ光景を、アリエスのコンピューター画面で確認しながら、さらに言葉を続ける。
「ただ、大陸一つを丸ごと消滅させるエネルギーとなると。当然他の地域でも、その連鎖が起こるはずです。惑星全体が、まるで生まれたばかりの頃のように激しく活動し、地表では原型を止めないくらいの破壊が起こる。しかし、語られる伝説では、パルメドアがある日突然海に沈んだとあるだけで、他大陸において壊滅の記述はありません。大きな地殻変動を示すものは、せいぜいアルビアナ大陸におけるパルディオン山脈くらいでしょうか。正直、なぜその程度で済んだのか、疑問が残りますね」
「伝説がそうなだけで、本当は長い時間をかけて徐々に姿を変えた、沈んでいったという可能性は?」
「そうなると、当然地層にそれを証明する跡が残っていなければなりません。断層に年代的な違いを示すものが。しかし少なくともこの谷に関しては……」
 声が、止まる。ミクがデータを分析し終えるまで、大人しく待つ。
「やはり、その兆候は見られませんね。この海底の谷は、一気に、一度に作られたものです」
「そうか」
 深くユーリが息をつく。思考に五秒ほど費やし、口を開く。
「じゃあ、次はどうしよう? もっと内陸部、あるいは外に同じような谷がないかを探すか。それとももう少しこの谷を調べてみるか。深さも凄いけど、長さも。センサーが捉える限りでは、少なくとも数百キロメートル以上はあるみたいだし」
「そうですね。では谷に沿って北東に、しばらく航行してみましょう」
「分かった」
 短く返事をすると同時に、ユーリはアトランティスを動かした。また、音の無い空間を強く意識する。どこまでも続く闇へ、健気に光を投げかけながら谷沿いを進む。
 アトランティスの推進速度は、およそ12km/hでしかない。ここが地上であれば車はもちろん、自転車もマラソンランナーも、遥か先を行く計算となる。そのスピードの遅さが、ユーリの感覚を鈍らせる。ゆったりとスクリーンを流れる景色が、時までをも遅くしたように感じる。静かな船内に響く、自身の呼吸の音が次第に緩やかになっていく。

 
 
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