蒼き騎士の伝説 第六巻                  
 
  第十七章 失われた欠片(1)  
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「……ユーリ」
 鋭い声ではなかった。大きく、怒鳴りつけられたわけでもない。たっぷりと空気を含んだミクの声。その囁くような呼びかけに、ユーリの心臓はどきりと大きく脈を打った。アトランティス内の時が、それで正常に戻る。
「ミク?」
 目の前に並ぶ計器類の数字に、何の異常もないことを確かめつつ声を繋ぐ。
「どうか――した?」
「この解析結果を、見て下さい」
 指示に従い、スクリーンを操作する。外の景色を遮断し、アリエスから送られたデータ画面に切り替える。
 変わらない光景が、ユーリの瞳に映った。スクリーンに広がっているのは海底の谷。ただし動きはなく、大きさも実寸に比べて少し小さい。コンピューターで分析をし終えた部分の写真、と認めたところで別の画像が被せられる。
「これ――は?」
「古代の地図です。かつては地上にあった、パルメドア大陸の地図。その北東部、北緯27度、西経77度の海岸線がこれです」
「つまり大陸は」
 細い声でユーリが呟く。
「形を厳密に保ったまま沈んだと? まるで、上から押し込めるように、水深2500mに及ぶまで底を抉り、この海に」
「ユーリ」
 ミクの声のトーンが高めに変わる。
「その位置から東に、三百メートルほど進んでもらえますか?」
「そこに何が?」
 アトランティスの方向を変えながら、ユーリが問う。再び外の景色にスクリーン表示を切り替えたところで、意図を察する。
 海の谷へと落ち込む崖の端に、欠損があった。深さはそれほどない。だが、幅はアトランティスの照明範囲を超えている。ソナーを使い、広範囲の画像を出す。崖の上を、蛇が這うような形が浮かび上がる。一目でそれが、大河の跡と分かる。
 となれば。
 ミクの目的が何であるかは明白だ。予想通りの解説が、ユーリの鼓膜に響く。
「資料によると、河の名前はエクプスセタと言われていたようです。そのほとりにムーアレオナという大きな街があったと記述されています。王都パルメドアは、そこから北、河を六十キロほど遡ったところにあったようですが。もし、大陸が形を保ったまま海の底にあるのだとしたら、あり得ない話ですが、もしそうなら。この古代地図を頼りに――ユーリ」
「ミク」
 同時に二人が名を呼び合う。共に同じ情景を瞳に捉え、沈黙する。
 岩と泥に覆われた海底。一見したところ、周囲の景色と変わりない。しかし、その内部をも探った詳細なデータを、3Dグラフィックに変換したものを重ねると、世界は一変する。ここが水深2500メートルの深海であることを、しばし忘れる。
 大きな石の柱のようなものが倒れていた。表面に規則正しく並ぶ線模様は、意図的につけられたものだ。くっきりと斑紋の浮かぶ白い石は、何もコンピューターが気まぐれに色を付けたたわけではない。成分比をもとに、それがいかなる種類の岩石かを解析し、決定した。
 大理石……。
 地球の知識でそう結論付けた石柱の柱から、ユーリは脳内で斑紋を消した。ハンプシャープの離宮、かのキーナス国妃ウルリクが一時その身を寄せていた、宮殿の門の石と同じ姿に修正を施す。
 キーナスで、ハカナと呼ばれていた石は他にもあった。柱の直ぐ横、堆く積もっている様子から、かなり大きな建物がそこに建っていたようだ。しかしその先、地を走る道のようなもの。コンピューターの示したアルコース質砂岩との判断に従い、灰色に色づけされた石畳に沿って、薄黄色や赤茶色の瓦礫の帯が続いている。恐らくは、レンガのようなもので出来た民家。長い時の経過を差し引いても、石屑の残存する量からして高さはない。街自体の規模も、そう大したものではない。パルメドア大陸の有数な都市として、名が残っている割には小さい。アトランティスの探査範囲、直径二キロメートル以内にすっぽりと収まっている。道は内陸、つまり北に進む一キロメートル弱ほどで終わり、先には小さな丘が、
 ――じゃ、ない。
 ユーリの体が前に傾く。食い入るように、スクリーンを見つめる。
 なだらかな丘の側面に横襞が見えた。規則正しく刻まれた線に、揺らぎはない。それが、見事な大階段であることを知り、左右に視線を転じる。
 完璧な半弧が、ユーリの視界を埋める。広場、あるいは劇場のようなものだろうか。そう推測しつつ、丘を上ったところで大きく溜息をつく。
 壮麗にして巨大な古代都市の残骸が、目の前にあった。一つの街が、丸ごとそこに沈んでいた。いかなる力が、どのように働けばこんな事態となるのか。改めて強く疑問を持つと同時に、胸が絞られるような痛みを感じる。一体、どれだけの命が失われたのか、そのことに震える。
「……ユーリ」
 躊躇いがちにかけられた声に、ユーリは「うん」と小さく答えた。一呼吸の間を置き、言葉を返す。
「街の中心から始めようと思う。ここから北北東に五キロメートル、でいいよね」
「ええ。恐らくこの様子だと、サナの資料にあった古代地図通りの世界がここにはあるのでしょうから。そういう意味では、探査は――」
 しかし、ミクは次に用意していた言葉を口にしなかった。想いはユーリも同じであった。塔を探すという目的においては、伝説通り沈んだ大陸の存在が望ましかったが。かつてそこにあったであろう命の全てが失われた姿を前にして、それを幸運と思うことはどうしてもできなかった。
 だが、その感慨に足を止めている時間はない。形は違えど、地上では、これに匹敵するほどのことが起ころうとしているのだ。
 闇がまた沈黙する中、ユーリ達は黙々と己の作業に没頭した。

 

 
 
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