蒼き騎士の伝説 第六巻 | ||||||||||
第二十一章 天空塔(2) | ||||||||||
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緊張が高まる。もし、文字が出るとしたら、壁のどの辺りとなるだろうか。水中では、体の動きが制約を受ける。軽く周囲を見渡すだけだとしても、地上にいる時より著しく機敏さを欠いてしまう。そんな状態で、壁、天井にまで気を配らなければならない。もちろん、この注意は文字が現れなかった時、すなわちヌンタルが鍵であった場合も同様だ。扉が開いた瞬間、一体何が起こるのか。
ただ、底に穴が開くだけで終わればいいけど。
ゆっくりとした動作で、ミクとフパックプフが扉の輪郭を超えようとするのを視界の端に収めながら、ユーリは前方を見据えた。
微細な変化をも逃さぬよう、明る過ぎるライトを消す。石組みの隙間から、ほのかに空からの光が零れる。真っ暗な闇を、少しの青と水とを使って、薄めたような空間で息を殺す。
「…………ん?」
かなりの間を置いて、テッドがそう息を漏らした。
大きな動きはなかった。ミクとフパックプフが並んで立つ足元で、青銅の扉は静寂を守り続けた。その周りで、小魚達がいつもと変わらぬ姿で翻る。右に、そして左に。光の少ない塔の中で、一つの大きな影のように揺らめく。立ち昇る、泡の合間を縫って泳ぐ。
微かに認めることが出来た変化は、この泡だけだった。もちろん、大量に溢れたわけではない。わずかな光しかないにも関わらず、一瞬強く、煌くように輝いてくれなければ、誰もその存在に気付かなかったかもしれない。
揃って泡の出所を見る。ちょうど扉の輪郭に沿って、数本ほど棒状に水上まで伸びた泡の柱。残念ながら、今はもう出ていない。扉が緩み、封じ込められていた空気が数箇所から漏れ出た。だが、どういうわけか、最後まで扉が開き切ることはなかった。共通の見解のもと、それぞれの口から溜息が零れる。
「途中で止まっちまったってか?」
「水圧の関係とか、あるのかな」
「ヌンタルが鍵であることは間違いないようですが。そのヌンタルで開かないとなると――」
「ヌンタルは、この扉の鍵じゃないわ」
「え?」
マスクのスピーカーから響いたサナの声に、三人が同時に疑問の声を上げた。代表する形で、ユーリが問う。
「だけど……。例の光文字は現れなかった。壁にも天井にも、どこにも。もしここが、ソーマの目にあった塔と同じ仕組みなら、何らかのメッセージが出てもおかしくないはずなのに」
「確かに、光文字はなかったわね」
澄んだ声で、サナが答える。
「でも、ちゃんとメッセージはあったわ」
「本当に? どこに?」
「泡」
きっぱりと、一言だけが返される。意を認め、三人が揃って自身のパルコムを見る。
「ええと、このままじゃ読みにくいわね。文字は縦に流れていたから。「回転」でいいのよね。で、これでは裏返しだから「反転」。後、少し明暗が足りないから、背景を暗くして――それにしても、これって本当に便利ね」
小一時間ほど前に操作方法を伝授されたサナが、器用に画面を操る。下から上に流れていた泡の棒が、左に90度傾けられる。右から左へと、流れる方向を変える。
「あっ」
真っ先に声を上げたのはユーリであった。続いてミクが、そしてテッドの唸る声が響く。
泡の棒は、全部で六本あった。背景との明暗を強めることによって、くっきりと泡の姿が浮かび上がる。重なり合うその輪郭が、連なる文字として形を作る。意味ある言葉として、一瞬の時の中を流れ行く。
「『高き海を飛ぶ者よ』、多分これが最初ね」
サナが指摘した一本の泡の棒が、画面の一番上に表示される。そこから時計回りの順番で、残りの棒が並ぶ。
「『お前が鍵となる扉は』、『暗く深き底にある』」
二本目と三本目が、ミクの声によって読み上げられる。
「『天への道を目指すなら』、『空を泳ぐ者と共に来い』ってか」
四本、五本と読み上げたテッドの口が、そこで渋る。六本目、そこに流れる泡文字を、声にすることを躊躇う。結局誰もが、目だけでそれを噛み締める。
――その命を、捧げに――
長い吐息を繰り返し、ようやくテッドが言葉を零す。
「この仕組みを考えた奴は、意外とサービスがいいな。ソーマの目にあった塔と異なるヒントを、ちゃんと用意してくれてる。ただし、根性の方は最悪だが」
「確かに、そうですね」
やっと搾り出したかのような声で、ミクが答える。
「恐らく五つ目のフレーズが意味するものは、スルフィーオ族であろうと推察されますが。鍵が何であるか分かったところで、これではどうしようもない。敵対する者同士、あるいは一切の交流を持たないもの同士を一つの鍵としたり。挙句、入れば命はないと宣言したり。単なる脅しなのかもしれませんが、『天への道』という目的に具体性が欠ける以上、誰もリスクを背負ってまで試したりはしないでしょう。謎は、永遠に謎のままに……」
深く、心が沈む。誰もがその想いをかかえ、黙り込む。
すっかり手持ち無沙汰となったフパックプフが、息が続かなくなりそろそろ戻ろうと促すまで、ユーリ達は石のように、塔の中で佇んでいた。