短編集1                  
 
  動物保護区  
               
 
 

「トレミングさん。生物学者としての、あなたの知識を提供して頂きたい。R−001地区の保護については急を要するのでしょうか?」
「それは――確かにそうです」
「なるほど。では、次に問題のE−515地区の動物についてですが、知能の問題はさておき、今現在、他の地域で生息しているのでしょうか?」
「ええ、E−515地区以外に四地区で生息しています。ただし、その数はE−515地区に遥かに及びませんが」
「それではその数の点で、E−515地区は問題であるという考え方はできませんか? つまり、コントロールの問題ですが」
 マーシュ氏のこの質問に、ロバートは一瞬言葉を詰まらせた。
「それは……」
「どうなんです?」
「確かにそれは言えるでしょう」
 ロバートは低い声で言った。
「E−515地区の動物は、ミス・ベルベットが指摘されたように、どちらかと言えば知能も低く、野蛮な性質の動物です。群れる習性はあるものの、秩序ある社会集団を作る性質はなく、また縄張り意識が強いため、仲間同士の争いでは、相手を死に追いやるまで戦うほどの凶暴性を持っています。加えて共生観念も乏しいが故に、時には他の動物、延いては彼らの生活区域ですら破壊してしまうこともあるほどです。もっとも当初は、こういった性質のため、絶滅の恐れもあるとして、保護の必要が学者の間で叫ばれました。が、研究が進むにつれて、彼らの生命力、及び繁殖力が他動物に比べて遥かに強いことが判明し、過剰な保護は、かえって他の生命体を脅かし、生態系のバランスを崩す結果になりかねないと案じられました。そしてその兆しは、すでにE−515地区に現れていると、現在では結論づけられています」
「なるほど。よく、解りました」
 マーシュ氏は静かに言った。
「トーマス君。議事を進めてくれ給え」
「は……はあ。それでは――意見も出揃ったようなので、そろそろ決をとりたいのですが――」
「待って下さい! もう一つだけ――もう一つだけ言いたいことがあるのです」
「トレミングさん? ああ、それなら、どうぞ」
「どうも、それでは――」
 ロバートはそこで少し間をおくと、おもむろに立ち上がった。そして一言、一言、確かめるかのように、ゆっくりと語り始めた。
「この件に関して、このE−515地区の保護打ち切りに関しての僕の意見は、ただ一つです。すなわち、どんなことがあっても、反対だということです。先ほども申し上げたように、生物学的な見地から見ても、彼らはそれほど価値があるわけではありません。それに、この地区で彼らがこれだけ繁栄しているのも、全ては我々の膨大な費用と努力の賜物であります。しかし、だからと言って、彼らの生命が我々の手の内にあると思うのは大間違いです。彼らの生命はあくまでも彼らのものであり、我々が手を加えるべきことではありません。生命の開発において一番大切にすべきことは、この部分ではなかったのですか? いったん、命を与えた以上、その命は絶対であるということを――僕が言いたいのはこれだけです」
 そう言うと、ロバートは静かに席についた。
「それでは……」
 短い咳払いと共に、トーマスが言った。
「決をとらせて頂きます。E−515地区の保護打ち切りに反対の方」
 ロバートは、勢い良く挙手をした。
「トレミングさん、お一人ですね。それでは、賛成の方」
 ロバートは目を閉じた。一人の老人の姿が脳裏を掠めた。
 これで良かったのだろうか。
 僕は、十分な意見を述べることが、できたのだろうか。
 あの老人が言っていたように、もしあの野蛮な動物達に、我々の知らない何かがあるとしたら――。
「一人、二人……私も含めて四人――」
 いつもそうだ。いつも……。少数のものは、それ故に排される。それが真実であり、正義であるかもしれないのに。いや、それどころか、排されることで、存在した事実ですら消えてしまうのだ――。
「それでは多数決により、E−515地区の保護は打ち切りとします。では、続いて、次の議題ですが――」
 そこでロバートは目を開けた。しかし、そこにはあの澄んだ輝きは見られなかった。ただ、どうにも遣りきれない哀しみと憤りだけが、くすんだ色を発して揺らめくだけだった。

 

「ああ……」
 ロバートは、親しみの篭った笑顔が近づいてくるのを見て、溜息にも似た声を発した。
「トレミングさん。会議は終わったんですか?」
「ええ、まあ――」 ロバートは言葉を濁した。
 いずれはこの老人にも分かることだ。知ってて隠しておくこともないだろう。事実を告げるのは辛いが――。
「実は――今日の会議でE−515、あそこが打ち切りになることとなりました」
 しかし、予想に反して老人の声は静かであった。
「そうですか」
 だがさすがにその顔に、哀しみの色が滲み出てくるのを、押さえることはできなかった。
「やはり――やはり、そうでしたか」
 ロバートが言った。
「残念なことです。あなたの哀しみが、どれほどのものか。お気持ち、よく分かります」
「いいや、悪いがあなたには分からない」 老人は首を振りながら言った。
「あなたにこのわたしの苦しみは分かりません。そもそも、こんな結果になったのは、このわたしのせいなのですから」
「あなたの……せい?」
「失敗したんですよ。わたしは……コントロールに失敗したんです。と言うより、どうしてもできなかった。全く――保護官に有るまじき行動です。保護官の仕事は、ただ動物達を守るだけではありません。我々の役目はバランスを保つこと。それ故、余剰の動物達は速やかに抹殺しなければならなかった。なのに、なのにわたしは……」
 老人はそこで、その場に蹲ってしまった。ロバートは、微かに震えるその貧弱な肩に、そっと手を置いて言った。
「僕があなたの立場だったら、きっと同じ行動をとったでしょう。前々から、僕はコントロールに反対でした。会議でも、その旨を述べたのですが――残念ながら、今回は受け入れられませんでした。でも僕は、このまま引き下がるつもりはありません。打ち切り反対のための、何らかの行動を起こすつもりです。どれほどの事ができるかは分かりませんが、たとえ、一かけらでも、可能性が残っているのなら――」
「いいえ、いいえ、トレミングさん」 項垂れたまま呟くように老人が言った。
「もう、慰めて下さらなくて結構です。どんな言葉も思いやりも、このわたしの胸に深く刺さった楔を抜くことはできません。彼らの悲しい結末は、全てわたしの責任なのですから。彼らに、わたしは何もしてやれなかった。野蛮で、暴力的で、それ故、不安と疑惑に悩み、怯えていた、あの哀れな動物達が、この無力で愚かなわたしを、あんなにも慕い、あんなにも愛してくれていたのに――」
 老人はそこで顔を上げた。榛栗色の瞳が濡れていた。
「彼らはわたしを、救世主と――キリストと、呼んでくれていたのですよ」

 

  終わり  
 
  拙い作品を最後まで読んで下さって、感謝致します!
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