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2.略史-(1)会津地方の支配者変遷


蒲生氏
(1590〜98)
会津地方は中世以来、葦名伊達が支配していたが、天正18(1590)年、関東・東北を治めた豊臣秀吉の仕置きにより、蒲生氏郷の領地となった。領地の中心は氏郷の郷土蒲生郡若松の森にちなんで、「若松」と改められた。氏郷は若松城と城下町を本格的に整備し、楽市楽座を進めて産業業振興をはかった。ちなみに氏郷の妻は織田信長の娘。氏郷はキリシタンであり、レオという洗礼名をもっていた。氏郷の死後、家中不和から蒲生秀行は宇都宮転封となった。
上杉氏
(1598〜98)
慶長3(1598)年、蒲生氏に代わって、越後の上杉景勝が封じられた。しかし、関が原の戦い後、上杉氏は会津などの領地を削られ、米沢に入った。
蒲生氏II
(1601〜27)
慶長6(1601)年、上杉氏に代わって、徳川方に味方した蒲生秀行(妻が徳川家康の娘)が再び会津に封ぜられたが、秀行の後を継いだ忠郷が世子のないまま死んだため断絶した。
加藤氏
(1627〜43)
寛永4(1627)年、伊予松山の加藤嘉明が封ぜられた。しかし、嘉明の子、明成の時代に、家臣の出奔事件が起こり、加藤氏は会津地方の領土を没収され、石見に転封となった。
保科/松平氏
(1590〜98)
寛永20(1643)年、徳川秀忠の子、保科正之が会津に封ぜられた。保科氏は第3代正容のときに松平姓を名乗り、以後、松平氏の支配が幕末まで続いた。>>会津藩略年譜

<参考>:『福島県の歴史』

*葦名氏について知りたい方は、止々斎さんのHP「会津守護戦国葦名家」へ


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