幕末豆知識トップ HPトップ


幕末豆知識(12)国事御用掛、国事参政・寄人リスト(当初)

文久2年12月9日、朝廷は、新に国事御用掛を設置した(こちら)。設置時のメンバーは以下の通り。(黄色は文久3年禁門の政変で参朝・他行他人面会を禁じられた人物。赤字は都落ち七卿)国事御用掛は慶応3年12月9日の王政復古の大号令によって廃止された。

近衛忠煕
このえ・ただひろ
関白 勅問御人数 徳大寺実則
とくだいじ・さねつね
中納言 議奏加勢
一条忠香
いちじょう・ただか
左大臣 同上 六条有容
ろくじょう・ありおさ
宰相中将 同上
二条斉敬
にじょう・なりゆき
右大臣 同上 長谷信篤
ながたに・のぶあつ
三位 同上
青蓮院宮(中川宮)
親王 同上 坊城俊克
ぼうじょう・としかつ
中納言 伝奏
鷹司輔熙
たかつかさ・すけひろ
前右大臣 同上 野宮定功
のみや・さだいさ
宰相中将 伝奏
徳大寺公純
とくだいじ・きんいと
内大臣 同上 庭田重胤
にわた・しげたね
中納言
近衛忠房
このえ・ただふさ
左大将 同上 柳原光愛
やなぎはら・みつなる
別当
一条実良
いちじょう・さねよし
大納言 同上 大原重徳
おおはら・しげとみ
左衛門督
中山忠能
なかやま・ただやす
大納言 議奏(当時) 河鰭公述
かわばた・きんあきら
少将
正親町三条実愛
おおぎまちさんじょう
・さねなる
大納言 同上 東久世通禧
ひがしくぜ・みちとみ
少将
飛鳥井雅典
あすかい・まさのり
中納言 同上 裏辻公愛
うらつじ・きんよし
侍従
阿野公誠
あの・きんみ
宰相中将 同上 橋本実梁
はしもと・さねやな
侍従
三条実美
さんじょう・さねとみ
中納言 同上 万里小路博房
まりこうじ・ひろぶさ
右中弁
広幡忠礼
ひろはし・ただあや
大納言 議奏加勢 勘解由小路資生
かでのこうじ・すけなり
中務少輔
三条西季知
さんじょうにし・すえとも
中納言 同上 姉小路公知
あねこうじ・きんとも
少将 後に参加
出所:『徳川慶喜公伝』2より作成 。

ただし、同日付『維新史料綱要』では六条有容がなく、橋本実麗(はしもと・さねあきら)が入っている

*文久3年2月、大原重徳蟄居。国事御用掛を解職
*文久3年5月20日、姉小路公知死亡(暗殺)
*文久3年5月28日、庭田重胤・日野資宗罷免
*文久3年8月24日、議奏・伝奏及び三条実美・三条西季知・橋本実梁・豊岡随資・東久世通禧・万里小路博房、参朝停止・他行面会禁止。
*元治元年1月5月9日、有栖川宮幟仁親王・熾仁親王・権大納言九条道孝大納言・鷹司輔政大納言任命



文久3年2月13日(1863年3月31日)、朝廷に、国事を議論する場として新たに国事参政・寄人が設置された(こちら)。定員14名中13名に尊攘急進派が任命された。

設置時のメンバーは以下の通り(赤字は禁門の政変で都落ちする七卿)
国事参政
(4名)
参議橋本実麗・大蔵卿豊岡随資・左近衛権少将東久世通禧・右近衛権少将姉小路公知
国事寄人
(10名)
権大納言正親町実徳・権中納言三条西季知・左近衛権中将滋野井実在・右近衛権中将東園基敬・左近衛権少将正親町公董・修理権大夫壬生基修侍従中山忠光同四条隆謌右馬頭錦小路頼徳主水正沢宣嘉

ただし
*文久3年4月15日、参議橋本実麗辞職
*同年6月8日、侍従烏丸光徳を国事参政に任命
*同年7月18日、左近衛権少将橋本実梁を国事参政加勢に任命

出所:同日付『維新史料綱要』より作成

国事参政・寄人は同年8月18日の禁門の政変によって廃止された。(同日、正親町実徳以外、全員が参朝・他行他人面会を禁じられた)

最終更新:2011.1.14

豆知識トップ HPトップ

お願い:このコーナーは、HP「なるほど!幕末」を読む際に知っておくと便利な豆知識を管理人が自分なりにまとめたものです。「なるほど!」は趣味のHPであり、学問的価値はありませんのでご注意ください。また、記載事項以外の情報をお求めの場合は、別のHPをお探しくださいm(..)m。明らかな誤りは連絡帳までお知らせいただけると、ありがたく存じます。