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徳川斉昭のデータ



徳川斉昭(とくがわ・なりあき)。謚、烈公。幼名、虎三郎、敬三郎。号、景山、潜竜閣。

嘉永12年(1800)3月11日徳川7代水戸藩主治紀(はるとし、武公)の三男として江戸小石川藩邸で誕生。

文政12年(1847):水戸九代藩主。兄・八代藩主斉脩(なりのぶ)は病弱で後継者争いがあったが、斉脩の遺言により襲封。
役職 海防参与→政務参与

万延元年(1860)8月15日。享年・数え61歳。墓所:茨城県久慈郡瑞竜山。
学問 会沢正志斎(水戸学権威)に教育を受ける。
家族

親族
正妻:有栖川宮幟仁(たかひと)息女登見宮(とみのみや)吉子(文明夫人)。登見宮降嫁時、時の仁孝天皇は、水戸は代々勤王の志が篤いので良縁だと歓んだ。暇乞の際には、天皇・上皇(光格天皇)から御所の桜と橘の苗木を下賜した。

:水戸藩主徳川治紀
:烏丸資補の娘

子供
長男 徳川慶篤(よしあつ) 10代水戸藩主
五男 池田慶徳(よしのり) 因幡鳥取藩主
七男 徳川慶喜(よしのぶ) 15代将軍
八男 松平直候(なおよし) 川越藩主
九男 池田茂政(もちまさ) 備前岡山藩主
十男 松平武聡(たけあきら) 浜田藩主
十一男 喜連川縄氏(きつらがわ・ただうじ 喜連川藩主
十四男 松平昭訓(あきくに) (京都で死去)
十六男 松平忠和(ただかず) 島原藩主
十七男 土屋挙直(しげなお) 土浦藩主
十八男 徳川昭武(あきたけ) 11代水戸藩主
十九男 松平喜徳(のぶのり) 会津藩主
二十二男 松平頼之(よりゆき) 守山藩主


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