三条河原町。現在はぱちんこ屋になっている。元治元年6月5日、新選組の襲撃があり、会合を開いていた志士たちと激闘になった。
関連:◆元治1年6月5日:池田屋事件(1)、◆元治1年6月6日:池田屋事件(2)
四条河原町。現在は日本料理屋「志る幸」。当時、枡屋という古物商であったが、枡屋の主は、実は志士古高俊太郎であった。元治元年6月5日早朝、新選組が枡屋を襲い、古高を逮捕した。一説に土方歳三による凄惨な拷問の末、古高は長州系志士の京都放火・天皇の長州への移動計画を告白したという。この自白がきっかけとなり、池田屋事件が起こった。しかし、京都放火計画の実在性に疑問を投げかける学者も存在する(その場合は、志士弾圧の口実にするための新選組(/守護職)のでっちあげになるのだろう)
関連:◆元治1年6月5日:池田屋事件(1)、◆元治1年6月6日:池田屋事件(2)
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木屋町三条上ル。現在、料亭「金茶寮」。幕末には「丹虎」という料亭であった。
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木屋町三条上ル。「武市瑞山寓居(=当時は料亭丹虎)の隣である。