一条摂家の侍臣下橋敬長の回想より
将軍秀忠(2代)、家光(3代)上洛時、将軍に対する朝廷の待遇は関白・三大臣よりも上、太上天皇扱いでした。天皇と同間で差し向かいで話したものでした。また、「牛車宣下」が赦され、御所の玄関まで乗りつけることができました。
さて・・・幕末の将軍家茂の待遇は・・・
■一度目の上洛
家茂の初上洛時は、朝廷内では尊攘激派の勢力が伸張しており、「よほど徳川さんの見識が落ちました、そこでひどいです」。待遇がどうひどかったというと・・・ひとことでいえば、関白・三大臣の下に置かれてしまったわけです。
参内 |
乗り物は公卿門(宣秋門)まで。そこから沓をはいて御所へ。 |
御所の間 |
摂家・親王と同じ麝香の間(関白・三大臣は小御所内) |
料理 |
六位の蔵人の配膳(摂家・親王は同じ間で殿上人の配膳) |
退出 |
非蔵人が履物をはいて送る(大臣・摂家が御簾下まで送るところを送らない) |
(う〜む。食事など、同じ間で摂家・親王は殿上人の料理なのに将軍は下位の蔵人の料理。屈辱的だったんでしょうねえ。こういう「さりげないイジメ」、お公家さんらしい^^;)。
■二度目の上洛
二度目の上洛は、禁門の政変後。激派勢力が京都から一掃され、朝廷内も在京諸侯も公武合体派で占められていました。将軍には従一位内大臣が宣下され、天皇は、参内した家茂に対して「汝は朕が赤子」と信任を示しました。将軍の待遇も従一位内大臣扱いですから、初回とは比較にならないほど改善されました。(秀忠・家光の頃に比べると、格落ちの臣下扱いではありますが)。
参内 |
「牛車宣下」の復活 |
御所の間 |
麝香の間のまま |
料理 |
殿上人の配膳 |
退出 |
殿上人の見送り |
なお、将軍の待遇改善に関しては、守護職松平容保ほか在京諸侯が尽力しており、容保は素志が貫徹したことを喜び、感泣したそうです。
<参考>『幕末の宮廷』・『七年史』
関連:「開国開城」「将軍家茂上洛と大政委任問題」
(2001/12/22) |