自分は、愚かな人間だと思う。
自分や親しい人間のためならば、無責任な道でも選んでしまう。
それは、誇りに思っていた父親の後ろをついて歩くだけの甘えた幼少時代を過ごした影響だと、自分では思っている。

だが、それに気付いたのは、本当にここ数年のことだった。
それまでは、自分なりの価値観を押し通し、それが正しいとかたくなに信じていた。

――人生で最大の愚かな選択は、娘が生まれた25年前の冬だった。
私は娘の誕生をどんなに待ち望み、そして――まともならどんなに喜んだだろう。
娘の命と引き換えに、妻が天に召されることさえなければ――。

私は恐れた。
このまま私がひとりで育てれば、娘は「母親のいない子」としていじめに遭うのではないか。
たったひとりの娘を不幸にしたくない――。
それならば私が娘を守り、幸せにしてやればいいだけの話なのだが、切羽詰まった私にはそれさえ思いつかなかった。
それは、無責任に生きてきた代償といえるだろう。

私は、ずっと子供を欲しがっていた友人の谷田部夫妻に、養育費を出して娘を託すことにした。
そして、法律には反しても、できることなら実子として出生届を出してほしいと頼んだ。
だが――谷田部はそれを拒み、あくまで娘は「養女」にすると言い張った。そうでなければこの話は絶対に受けない、と。
承諾するしかなかったが、谷田部はさらに意地悪(当時はそう思っていた)だった。
なんと、私の名前「敏生」から1文字取って、娘を「弥生」と名付けると言い出したのだ。
12月生まれの娘に「弥生」……不自然なことこの上ない。誰かがその不自然さに感づいて父親が私だと疑ったらどうするんだ、私はそう谷田部に文句を言った。
すると、谷田部は静かにこう言ったのだった。
「それも承知の上だ。もしこの子が大きくなって自分が俺の実の娘でないと気付き、それに悩むようになったら、お前のことを話す。この子の実の父親はお前しかいないんだからな」
その谷田部が至極まともなことを言っていると気付いたのも、つい最近だった。
私が彼に不満のようなものを感じている間に、娘は谷田部の養女「谷田部弥生」となった。
私のもとから去る日、娘は母親を亡くしたことも自分を取り巻く状況も、そして私の心も知らず、天使のような顔で眠っていた……。

出産で妻を亡くしたことを知っている人たちには、娘も助からなかったとウソをつくことにした。
自分と「弥生」の関係を、誰にも悟らせたくなかったのだ。
が、谷田部の気持ちはそうではなかったらしい。
弥生が自ら望んだことなのかそう思うように谷田部が育てたのか、中学生になった娘は「騎手になりたい」と言い出した。
そして娘は競馬学校の騎手課程を受験して合格し、騎手への第一歩を踏み出した……。

私自身は当然、娘との絆を断ち切ってしまったわけではない。
父親として名乗り出ることはなくとも、娘の幸せを祈る気持ちは、誰にも――育て親の谷田部にも負けない自信があった。
だから、娘が2年生になって所属厩舎を決めるとき、私は競馬学校の方に「谷田部弥生を預からせてほしい」と申し出た。
娘とは「父親の友人」としてそれなりに面識があったため、それは不審に思われることもなく受け入れられた。

こうして娘は、所属騎手として私の厩舎に来ることとなった。
私は師匠として娘をしっかり育て、一流の騎手にしてやろうと決意した。
今までそばにいてやれなかった分を、「親子愛」ではなく「師弟愛」で埋めようとしたのだ。

――ところが。
残念ながら、私に似たと思われる弥生の消極的な性格は、騎手には向かなかったようだ。
親のひいき目を抜きにしても、騎手としての腕はそれほど劣っているとは思えないのだが、ともかく他の厩舎の先生との関係が深くならない。
「この馬に私を乗せてください」……その一言でさえ言えないのだから、無理もない。
それならせめて私くらいは、と私はたくさんの馬を弥生にまかせてきたが、それでも他の厩舎からの信頼は高まらず、減量が取れてからは騎乗数が目に見えて減っていった。
それからは、「危険だから」との理由で最近の若手は乗りたがらない障害レースに活路を求め、自分の生きる道を模索していた。
私は、決して甘くしすぎず、娘が自分で道を切り開くその瞬間を待っていた。

だが――。
障害でかなりの人気を背負った馬を負けさせてしまったある日の次の月曜日、弥生は厩舎の大仲部屋で頭を抱えたまま動かなかった。
私が声をかけると、娘は泣きながら言った。
「先生……。私、騎手をやめようと思います。このまま乗っていても、皆様に迷惑がかかるだけですから……」
「そんなことを軽々しく言うもんじゃない。迷惑がかかっていると思うのなら、腕を磨いてそうならないように努力するべきだろう。今やめたら、志半ばで挫折したと一生言われ続けるぞ」
私はそう説得した。態度には出さなかったが、懇願する気持ちだった。
――しかし娘は、顔を上げることもなく答えたのだった。

「……私なんかもう、どうなったっていいんです。騎手になったことも、自分がこの世に生まれてきたことも、間違いでした……」

……このときほど、私は自分が娘にした仕打ちを悔やんだことはなかった。
私には娘を育て、幸せにする責任があったのに、生まれたときからそれを放棄していた。そのくせ完全な他人にもなれず、娘を弟子にして――たどり着けばこの有様だ。
思う気持ちだけでは何もできない、それに気付いたが、遅すぎたのかもしれない――。

結局、私は必死に弥生を引き止め、せめてあと1年はやれるところまでやれと言った。
それで今は何とか現役を続行させているが、1年のうちに本人が納得できるだけの進歩をさせてやれなければ……。
そのために、私はいったい何をすればいいのだろう。
わからない……。

……弥生。
私の、娘……。

 

 

(隠しシナリオ No.9)


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