……情報不足だわ。
こういうのは、しっかり情報を集められる立場の人間でないと調査はできない。
気がかりだったが、私は自分で何かをするのはあきらめることにした。
「じゃあ、俺たちはそろそろ帰ろうか」
僚がそう提案した。
「そうね」
確かに、これ以上することはない。多人数で騒がしくするより、少しは静かにしてあげた方がレイラのためでもあるだろう。
「あ、帰るの。じゃあ、また来てよね」
レイラは元気に言った。
「ああ」
「また来るわ」
「……これ、洗濯物?」
私と僚が返事をする中、ひとりだけずれたことを聞いたのは泰明くんだった。見ると、そばのテーブルに置いてあった手提げ袋を持ち上げている。
「ちょっと! 中のぞかないでよ!」
「あ、ごめん……。ただ、そうならぼくが持って帰って洗濯してこようかと思っただけなんだ」
泰明くんが慌てて手提げを元の位置に戻すと、レイラは声を落ち着けて言った。
「じゃあ、頼める? 一応まとめてはおいたけど、洗ってくれるやつに心当たりがなくって、どうしようかなって思ってたんだ。あんたがやってくれるんなら頼みたいんだけど。……悪かったね、大声上げて」
「いいよ。じゃあ預かっていくから」
「サンキュー。あ、でも絶対広げて見たりしないでよね!」
「わかってるよ」
……広げなければ洗濯はできないと思うのだが、ふたりともそれに気付いてないとしても、契約が成立したならそれでいいだろう。
「じゃあ……」
泰明くんは再び手提げを手にすると、病室の壁に掛かっている時計を見た。午前11時を過ぎたところだ。
「2時間ほどで持ってこられると思う。午後の1時くらいにまた来るから」
「よろしく。……あ、ちょっと」
「何?」
反応したのは泰明くんだったが、レイラの視線は私の方に向いていた。
「あんたじゃないよ。真奈」
やはりそうだ。
「何かしら」
「ちょっと、泰明と僚が帰った後もここに残っててくれない? 相談事っていうか、そういうのしたいから」
「いいわよ」
断る理由はない。
「……ぼくじゃだめなのか?」
と泰明くん。洗濯物の件でわかる通り、いつもレイラの頼みを聞くのは彼の仕事だ。そうたずねるのも無理はないだろう。
「あんたじゃだめ。女限定」
「それじゃ仕方ないな。……ほら泰明、帰るぞ」
何となく未練がありそうな泰明くんを引きずるようにして、僚は早々と病室を出ていった。
「さてと……」
病室に残った私ひとりを見て、レイラは口を開いた。
「あんたさ……泰明って、あたしのことどう思ってるように見える?」
「泰明くん? ……わからないわ」
私には本当にわからなかった。泰明くんがレイラをどう思っているかも、彼女が私にそれを聞いた理由も。私は他人の気持ちを察するのが苦手なことくらい、彼女も知っているはずなのに。
「だよね。あたしもわかんないもん」
レイラは泰明くんの持ってきた果物かごからバナナを1本取り、皮をむきながら言った。
「でもさ、いろんな噂は聞くでしょ? ほら、あいつはあたしのこと好きだとか何とか……」
「それはね。でも、みんなからかってるだけじゃない? 少なくとも、私にはそう思えるわ」
「そうなんだよね。第一、本人がそんな素振り全然見せないんだからさ。そりゃ、さっきみたく親切はしてくれるけど、それはあたしを好きってこととはつながらないじゃん。あんたがあたしの話聞くためにここに残ってくれた、その気持ちと変わんないのかもしれないし」
「……レイラ、あなたは彼のことが好きなの?」
私は聞いた。
「べ……別に! ただ、今みたいな宙ぶらりんな状態にちょっとイライラしてるっていうか、そんな感じなだけだよ」
レイラは皮をむいただけで食べようとしないバナナをかごの隣に置き、あたしを見据えてつぶやいた。
「……実はさ、あたしのこと好きだって言ってくれてる男が、ひとりいるんだよね」
「それは、どこの人?」
私はたずねた。
「ほら、あたしがよく行くゲーセンがあるじゃん。あそこでバイトしてる店員。昨日なんか、バイト休んでほとんど1日中ここにいてくれたんだよ。どっかの誰かとは大違い」
トレセンから歩いて30分ほどのところに、この田舎町にしてはずいぶんとにぎやかなゲームセンターがある。私もよく僚やレイラに連れられて出かけるが、人がたくさんいる場所はどうにも苦手だ。
「どっかの誰かって……泰明くんは昨日レースがあったわけだし、その後は彼の誕生日パーティーだったのよ。あなたに持っていくって、お料理を残しておいたりもしてたのに……来なかったの?」
「来なかったよ、そんなの。もし来てくれたら、プレゼント買いに行けなくってごめん、って言おうと思ってたのにさ」
「そう……」
レイラが不安になる理由が、少しだけ感じられた気がした。
「とにかく、あたしがあんたに頼みたいのは、これから例のゲーセンに行ってその男をここまで呼んできてくれってこと」
「その人を、ここまで連れてくればいいのね?」
「うん。そいつの名前は新谷稔。今日は午前中だけでバイト終わるはず。胸に名前のプレートがついてるから、それ見て探して。よく似たのがいるから間違えないでよ」
「わかったわ」
私は答え、時計を見た。午前11時15分――。
ちょっと待って。
「……ねえ、レイラ。時間的に考えると、私がその新谷さんを連れてきたとして……あなたがここで彼と話しているちょうどそのときに、泰明くんが洗濯物を持って戻ってきちゃうはずよ。それはまずいんじゃないの?」
がらでもないおせっかいをすると、レイラは思いっきり顔をしかめた。
「あんた、鈍いなあ……。わかってて鉢合わせさせんだよ。そうでもしなきゃ、泰明の本当の気持ちなんかわかるわけないじゃん」
「……」
ようやくレイラのやりたいことが見えてきた。つまり彼女は、他の男性と一緒にいるところを泰明くんに見せて、彼がジェラシーを持つかどうかを試したいのだ。
「……何さ、黙っちゃって。何か問題ある?」
「ううん、ないわ。そういう目的があるなら、それでいいんじゃない?」
「そうだよね。じゃ、頼むよ」
「それじゃ、行ってくるわ」
私は、なるべく早く目的を果たそうと思いながら病室を出た。
30分ほど歩いて、ゲーセンにやってきた。
世間一般では平日とはいえ、ちょうど昼休みの時間に入りつつあるためか、人の数は多い。
私は手近なカウンターへ行き、そこの男性店員に声をかけた。
「すみません」
「はい、何でしょう」
「こちらに新谷さんという店員さんがいらっしゃると思うんですが、その方を呼んでくださいませんでしょうか」
「新谷どっち? 下の名前は?」
「え、えーと……」
そういえばレイラの話では「よく似たのがいる」とのことだった。まずい……下の名前までは記憶が曖昧だわ。
「稔? 豊?」
店員が助け船を出してくれた。
「あ……そうそう、稔さんです。失礼いたしました」
「稔ですね。ちょっと待っててください」
男性店員は、奥のスタッフルームに入っていった。
――待つこと1分ほど。さっきの店員とは違って私服の男性が、スタッフルームから出てきた。
レイラによると、確か新谷稔さんの仕事は午前中だけだったはずだ。もう着替えを終え、帰るところだったのだろう。
「君は……?」
「篠崎真奈と申します。星野レイラの友人です」
騎手をやっている関係か、街を歩いていると「あっ、篠崎真奈だ!」などと指を差されることもあるが、それでもまだ私の顔と名前が一致する人は少数派だ。
「ああ……レイラからたまに話を聞くよ。ジョッキー仲間だとか。あ、どうも。新谷稔です。何か紛らわしかったみたいで、申し訳ないね」
稔さんは、私が思っていたよりずっと軽い感じの人だった。……正直なところ、少々苦手なタイプだ。
「新谷さんはもうひとりいらっしゃるみたいですね」
「双子の弟が一緒に働いてるんだよ。しょっちゅう間違えられてね」
それは、確かに紛らわしいかもしれない。
「あ、用件を申し上げるのが遅れまして申し訳ありません。実は、レイラがあなたに来てほしいと言っているんです」
「レイラが! じゃあ、今すぐ行くよ。荷物を取ってくるから待ってて」
……別に私まで病院についていく必要はないのだが、断るタイミングを逸してしまった。
結局私は、稔さんを連れて病院に戻る形になったのだった。
レイラの病室に入るやいなや、彼女は稔さんと壮絶なおしゃべりを始めた。無口な泰明くんが相手ではこうはいくまい。帰りたかったが、「帰る」と一言はさむ間さえないのだ。
どうしようもなくて、私はそばにあった椅子に腰かけ、窓の外や時計を眺めて時間をつぶしていた。
……午後1時半。
稔さんをここへ連れてきてから1時間が経っていた。
泰明くんはどうしたのかしら……。
来ると宣言していた時間からもう30分が過ぎている。
そういえば、昨日の夜も来ると言ってたのに来なかったらしいし……。
「……真奈?」
そのとき、ようやくレイラが私に気付いてくれた。
泰明くんが遅いことを彼女も気にしているのかどうかが気になったが、もちろんそんなことを稔さんの前で聞くわけにはいかない。
「あの……私、帰るわ。お邪魔なみたいだから」
だから、それだけ言って椅子から立ち上がった。
「そう。じゃあね。今日はいろいろとサンキュー」
「それじゃまた」
レイラと稔さんに頭を下げ、私は病室から出た。
すると。
ドアの外、廊下の壁には、さっきの手提げ袋を持った男性が寄りかかっていた――。
「やすあ……」
――声は、固有名詞にならないうちに、その名前の持ち主によって封じ込められた。
私は、どれくらい前からそこにいたのかわからない泰明くんに、思いっきり口を手でふさがれたのだった。
そして、彼の顔を至近距離で見る体勢になる。
……。
泰明くんの表情は、何か思い詰めているようにも見えた。
何も言わないが、私に何かを懇願しているかのような――。
私は……。
B 泰明くんを遠くに連れていって、詳しい話を聞くことにした。