「素人よ。間違いないわ」
「やっぱりそう思いますよね」
花梨ちゃんの表情が明るくなる。
「ええ。反対する妹までむりやりメンバーに加えたあたりから考えて、黙ってても同志が集まってくるような凄腕ではないはずよ。あのリーゼントだって注意力に欠ける感じだし、まず素人と見て問題はないわ」
私が説明すると、花梨ちゃんは前髪を少しひっぱって言った。
「私は、最初に人質を男女に分けて男性だけ解放したとき、誰も私に『中身が男だからお前も出ろ』って言わなかったところから、連中は競馬の世界にも詳しくないんじゃないかなって思ってたんです。その上素人なら、人質全員で裏口へ行ってセンサー切ってそこから逃げちゃったってわからないかもしれないなあって。人質が全員脱出できれば、さっきも言った通り、解決はあっという間でしょうし」
「確かに……あ、ちょっと待って。やっぱりそれは無理よ」
いい考えだと思ったが、残念ながら穴がある。
「裏口へ行くにはあのリーゼントの横を通らなければいけないわ。人質は、裏口のレイラを除いても8人もいるのよ。その全員が全員裏口の方へ大移動なんかしたら、いくらあの男が注意力散漫だってさすがに異変に気付くはずよ」
「それじゃ、やっつけちゃいましょ」
「……えっ?」
私は自分の耳を疑った。
「だから、やっつけるんです。……悔しいですけど、私は中身は男ですし、それなりに腕に覚えもありますから、油断させて銃を奪い取る自信はあります。素手同士になったら絶対負けません」
「花梨ちゃん……」
「ね? そうしましょうよ。ひとまず2階の私の部屋あたりに、私とレイラさんを除いた人質7人全員を集めておいて、私があのリーゼントを倒す。成功したら、レイラさんがセンサーを切って9人で一気に脱出よ」
「……」
花梨ちゃんの話を聞いていると、本当にどうということもない方法のように思えてくる。が、それでも危険なのは否めない。
やるか、やらないか……。
その判断を自分ひとりで下すのには、問題がありすぎる。
「わかったわ。その方法は候補に入れておきましょう。でも、まずは僚に連絡しないと。そのついでに彼にもそれを話して、意見を聞いてみるわ」
私は言った。
「ええ。お願いしますね」
花梨ちゃんは微笑んだ。それが戦場に花を咲かせる目的の作り笑顔だということはわかっていたが――。
そして私は、遅ればせながらついに部屋の電話を取り、僚の携帯を鳴らした。
……ほとんど呼び出し音が鳴らないうちに、彼は出てきた。
『はい!』
「私よ」
『真奈! それで、どうだったんだ!?』
僚は、声とともにこっちへ飛んでくるんじゃないかというくらい焦っていた。
「慌てないで、ちゃんと聞いてちょうだい」
私は彼をそうなだめてから、話を始めた。
センサーのスイッチが裏口の横だということ。
そこではあのマシンガンの女が見張りをしていたこと。
レイラが英語で聞いたところ、犯人一味は某国人の4人兄弟だったこと。
末妹は独身寮ジャックには反対していること。
今は女を縛り上げて倉庫に閉じ込め、たまに様子見に来るリーゼントへの対策として、レイラが彼女の服を着て入れ替わっていること。
何かのはずみでセンサーが切れたことを気付かれるとまずいので、必要なとき以外はスイッチを入れておくと決めたこと。
『でも、裏口の見張りがいなくなったんなら、スイッチ切って全員で一斉に裏口から逃げちまえばいいんじゃないのか?』
……みんな考えることは同じみたい。
「だめなのよ。今の連中の位置を教えておくと、サングラスは玄関ホールにいて、スキンヘッドとリーゼントはそれぞれ2ヶ所の階段の1階部分に座ってるの。スキンヘッドはホールに通じる階段に、リーゼントは裏口近くの階段にね。つまり、裏口へ行くには絶対にリーゼントの前を通らなきゃいけないのよ」
『だけどさ……』
僚は考えつつ言った。
『お前の話によると、レイラが見張りの女に化けたんだったな。ってことは、リーゼントの目から見れば、レイラは裏口の方へ行ったっきり戻ってきてないことになる。それに気付かないってことは、そいつもそんなにお前らの行動を一生懸命チェックしてるわけじゃないんじゃないか?』
「それでも、全員そろって裏口の方へ行ったりしたらさすがに気付かれるわよ。何か企んでるんじゃないかって」
『そうか……』
落胆する僚。私と同じだ。
「でも、連中はこの手の乗っ取りに関しては素人ね。それは間違いないわ。メンバーが集まらないから、反対する妹まで加えて数を増やす必要があったのよ。だから、そこにつけ込もうっていう考えはあるの」
だから私は、彼の気持ちをやわらげる意味も込めて、花梨ちゃんが言った方法を話すことにした。
『考え?』
「花梨ちゃんは、あのリーゼントを油断させて銃を奪い取る自信があるらしいのよ。しかも、素手同士のケンカになったら絶対に負けないって」
『大丈夫なのか?』
当然だろうが、すぐに賛成というわけにはいかないようだ。
「実は、私もちょっと不安なの。……客観的に見てどう? 僚は賛成できる?」
私は素直に言い、そして意見を求めた……。
……僚はしばらく黙っていたが、やがて答えた。
『よし、花梨を信じよう』
僚の結論ならば信用できる。私はほっとしながら彼に告げた。
「わかったわ。それじゃ、人質たちを1ヶ所に集めてから作戦開始よ。上手いことリーゼントを倒せたら、みんなで裏口から出るわ。いいわね?」
『ああ。成功を祈る……』
その言葉はありがたかった。私は彼に感謝の意を込めつつ、電話を切った。
――それからは大忙しだった。
花梨ちゃんが寮の各部屋をまわって作戦の説明をし、私たち以外の6人を2階の彼女の部屋に集める。
私は再び(3度めか)リーゼントの横を通り抜けてレイラのもとへ行き、同じように作戦の説明をした。
「わかった。あたしはみんなが来たら、センサー切ってここから一緒に出ればいいんだね?」
「ええ、それだけよ」
「何か、ほっとするよ……やっと出られるんだって思うと」
「……出られたら、まず最初に何をしたい?」
私は、そっと笑いながらレイラに聞いてみた。
「泰明の顔が見たいな」
レイラは恥ずかしげもなく答えた。
「裏口から出るって僚に言ってあるから、今頃もうこのドアの向こうにいたりして」
「だったらいいんだけどね」
「じゃあ、また後で」
嬉しそうに笑うレイラに一礼して、私は2階の花梨ちゃんの部屋に戻った。
花梨ちゃんの部屋には、すでに私たち以外の人質6人が集まっていた。花梨ちゃんは、どこから持ってきたのか立派なロープを手にしていた。
「じゃあ、行ってきます。大船に乗ったつもりで待っててくださいね」
そして彼女は出ていった。
私は、こっそり花梨ちゃんの後をつけた。自分がどれだけの戦力になるかはわからないが、もしものときには力を貸すつもりで。
2階から1階への階段の踊り場から下を見ると、花梨ちゃんがリーゼントの後ろに近づいていくところだった。リーゼントの方は彼女をただそこを通り過ぎるだけの人間に思ったのか、気にする様子もない。
――そのチャンスを、彼女が逃すはずはなかった。
後ろからいきなりリーゼントの右腕をねじ上げ、その手から銃を落とす。
「う……うがああああ! い、いてててて……ま、まいった! ギブアップするから腕をねじるな!」
リーゼントは意味不明の叫びを上げ、あまりにもあっけなく降参した。
「もう遅いですよ」
花梨ちゃんは涼しげに言い、リーゼントの後頭部に力のこもったパンチを、背中に強烈なキックをたたき込んだ。
「ぐふっ」
リーゼントは伸びてしまった。こんなに情けないとは思わなかった。
花梨ちゃんは、持ってきたロープでリーゼントを縛り上げようとしていたところで私に気付いた。
「真奈さん!」
「強いのね。すごいわ!」
彼女が強いというよりリーゼントが弱いといった方が正しいが、それでも彼女の度胸には感謝する。
「私がこいつを縛り上げますから、真奈さんは早く部屋の6人を呼んできてください!」
「わかったわ!」
私は答え、2階へ駆け上がって廊下を懸命に走った。
「みんな! もう大丈夫よ! 早く出ましょう!」
花梨ちゃんの部屋に飛び込んでそれを告げると、6人は我先にと部屋を飛び出した。
私は彼女たちを先導して、再びさっきの階段まで走った。
階段の下では、花梨ちゃんがリーゼントを縛り終えていた。
「あっ、よかった!」
彼女は、私たち7人を全員確認すると、安心して顔をほころばせた。
「花梨ちゃん、みんなを連れて裏口に行って! 私は念のためにここで少し見張りをするわ! みんなが逃げた頃に私もすぐ行くから!」
私はその役を引き受けた。それが私なりの勇気なのだと思って。
「じゃあ、お願いします!」
花梨ちゃんたち7人は、裏口の方へ走っていった。
――当たり前かもしれないが、誰も来ない。
私以外はそろそろ全員出た頃だろうし、私も逃げよう――。
そう思った、まさにそのときだった。
「貴様!」
驚愕して声の方を振り返ると――そこにはスキンヘッドの男が立っていた。
オートマティックではない回転式リボルバーの銃口が、しっかり私をとらえている――。
私は慌てて両手を挙げた。
「貴様がひとりでこいつをやったのか? ……まったく、おとなしそうな顔をして、油断もスキもない小娘だ」
スキンヘッドは私に近づいてくると、「動くな」と命じ、自分の持っていた銃を床に置いて、縛られたリーゼントの様子をチェックし始めた。こんなことをしていても、さすがに自分の弟だけあって心配なようだ……。
息があることを確認し、さっき花梨ちゃんがたたき落としたリーゼントの銃を見つけて自分のポケットに押し込むと、スキンヘッドは後ろから私を羽交い締めにし、さらに右手で私の口をふさいだ。
「貴様には一緒に来てもらおう。女だからって自由に歩かせといたのは失敗だった。貴様ひとりでも俺と一緒にいれば、警察の連中も手出しはできないだろうよ」
私ははいていたスリッパを片方落とし、そのまま引きずられるようにして玄関ホールに連れていかれた。
スキンヘッドは床に置いた自分の銃のことを忘れているが、当然それは教えないでおく。武器は少ない方がいい――。
玄関ホールに連れてこられて5分ほどしたところで、スキンヘッドは早くも自分の銃を忘れてきたことに気付いてしまった。
私を抱えたままさっきの地点まで戻り、元のままそこにあった銃を拾うと、その先を私の首筋に当てた――。
反応を楽しんでいるのだろう、私が一瞬震えてしまうと「ふっ」と憎らしい声を出し、またしても私を引きずってホールへと戻った。
――時が流れた。
私はホールの階段に腰かけたスキンヘッドの膝の上に座らされ、やつの左手でずっと口を押さえられていた。もちろん右手にはあの銃。私に突きつけることこそやめたが、絶えず動かし続け、狙いを定めない。その気になればいつでも何でも撃てるんだぞ、という威嚇だ。
私はというと、全身に力を込めて気力を全開にしていた。破壊された玄関のガラスドアをはさんで行われているサングラスと競馬会の人の交渉を見たり、スキンヘッドの銃の動きを見たり。
だが――本当のところ、それはそうしていないと気絶しそうだったからだ。今、私の命のすべてはこのスキンヘッドに握られている。他人の意思で生きるか死ぬかが決まる――そんな状態に陥って、平静でいられるはずなどない。世間には「冷静だ」と評されている私でも、だ。
……僚……。
いつしか私は、僚のことを考えていた。
彼はおそらく、私が捕まったことはもう知っているはずだ。彼は今、何を思っているのだろう。私がこうなっていることを、どの程度心配してくれているのか――。
……。
確かに、結果的に私が捕まることになったこの作戦にゴーサインを出したのは僚だ。でも、私にはそれを恨む気持ちなど微塵もなかった。むしろ、彼に元気な自分を見せられないのが、たまらなく苦しかった。
そして――気付いた。
もしここで私が殺されたら、彼にはあれもできなかった、これもできなかった、と後悔だらけだということに。
……生きるわ。
私は、絶対に殺されたりしない。
必ず、生き抜いてやるわ……!
――そう強く決意したとき、事態は急変した!
突然、光るものが流星のように私の目の前1メートルほどのところに落ちてきたのだ。
それはホールの床にぶつかり、鋭い金属音が響く。
見ると……ナイフだ!
「な……なんだ!?」
スキンヘッドは慌て、私を締めつける腕を一瞬緩めた。
チャンス!
私はありったけの力を込めてスキンヘッドの右腕に飛びつき、手首を強く握って階段にたたきつけ、銃を弾き飛ばすことに成功した!
すると、階段の上から足音がした。
スキンヘッドから懸命に逃れ、振り返ると――駆け下りてきたのは、ここにいるはずのない人だった――。
「……僚!!」
幻でも見ているのかと思った。
「貴様は……!」
「食らえ!!」
僚は、隠し持っていた何かのスプレーをスキンヘッドの顔に吹きつけた。
「ぐあああああ……っ!!」
どうやらそれは催涙スプレーだったらしい。スキンヘッドは顔を押さえて暴れ出した。
私がスキンヘッドから離れてホールの隅に逃げると、僚は勇ましくやつを組み敷き、手錠を取り出して後ろ手に動きを封じた。
そして、私が弾き飛ばした銃を拾って自分のポケットに入れるのを見て一安心――。
――とは、いかなかった。
「きゃあっ!」
スキンヘッドに気を取られすぎて、うっかり忘れていた。
このホールにはもうひとり、しかも最も凶悪な敵がいたことを――。
「……真奈!」
僚が気付いてこっちを振り向いたとき――私はすでに、後ろからサングラスに捕らえられていた。
しかも、いつから持っていたのか、大きなサバイバルナイフが私の目の前にちらつく……。
「……まったく、お前もこの小娘も無謀なものだ。我々に抵抗しなければ無事でいられたものを」
ナイフの刃の冷たさが、私の喉元から全身に広がる……。
「僚……」
声を出すことでせめて気絶を防ごうと思ったが、その声は自分で予想していたよりずっと弱々しかった。
……僚、助けて……。
「畜生! 真奈を放せ!」
3メートルほどの距離から、僚が叫ぶ。
「さあ、どうしたものかな」
「そっちがその気なら、こっちにはこいつがある!」
――僚は、ポケットからさっきのスキンヘッドの銃を取り出し、両手を使って私たちに向けて構えた。
しかし、その手も全身も震え、とても狙ったところには当たらないような状態だ……。
時が止まっているような、そんな静寂が周囲を包んだ。
「……おやおや、震えてるじゃねえか。よせ、お前には無理だ。撃ったところで、この小娘を天国にご招待、ってなことになるのがオチさ」
私を盾にしている形のサングラスが、憎らしい笑いを浮かべた。
……それもそうだと思ったのだろう、僚は何も言わない。
それをいいことに、サングラスは続けた。
「そんなことより、取引をしないか。お前がその物騒なものを俺に渡せば、この女を返してやるよ」
「何……」
「だめよ! そんなことをしたら危ないわ! 僚、早くこの男を撃って!」
――思わず、私は叫んでいた。
確かに、この距離と僚の腕では、撃ったところで私に命中、という可能性が高い。
しかし――サングラスに銃を渡せば、やつは私を返すどころか、その銃で僚を撃つ。
こいつのことだ。絶対に、撃つ――。
自分が死ぬのはいやだ。
でも、自分の大切な人が死ぬのは、もっといやだ――。
「さあ、早く渡すんだ」
サングラスが、余裕の口調で僚に決断を迫る……。
――私は、とっさに叫んだ。
A サングラスに向けて「あなたの妹さんは悲しんでるわ!」と。