俺はその場ですぐに携帯を手にし、真奈を呼び出した。
『はい……僚? どうしたの?』
「頼みがある。お前、トラックマンの田倉さんの携帯の番号、知ってただろ。ちょっと彼を寺西厩舎へ呼んでほしいんだ」
『田倉さんを? どうして?』
やはり理由が気になるらしい。俺と田倉さんの間には接点がないから誰しも気にはなるだろうが、こいつの場合はそうじゃなく、自分で納得できるまでは絶対に行動を起こさないってポリシーがあるからだ。
困った。「馬が実は人間の女だったから、知り合いらしい彼を呼んでほしい」なんて言ったところで、真奈は絶対に信じないだろう。「メルヘンなんて夢の次くらいに嫌い」なこいつだからな……。
仕方ない。納得してくれるかどうかはわからないが、適当に理由を言うか。
「『野々村彩夏』。彩夏は彩りに夏。田倉さんの知り合いの名前だ。彼にこの名前を言えばわかる」
『彩夏さん……ね。私にはわからない事情なの?』
真奈はつぶやく。不機嫌なわけじゃなくて、いつも通りの単なる疑問だろう。ジェラシーのかけらでも見せてくれればかわいいのだが、それはこいつの前じゃ禁句だ。
「悪いが、そういうことになる。……頼めるか? その女のことで俺が話をしたがってるから寺西厩舎へ来てくれって、彼に伝言」
『いいわよ』
よし、上手くいった。
「サンキュー! じゃあな、早速頼む」
俺は携帯を切った。
「彩夏……田倉さん、来てくれるかもしれないぜ。よかったな」
そう言って、彩夏の右手(右前脚)を握る。馬なら顔をなでるくらいが適当かもしれないが、こいつは人間だ。人間ならやっぱり握手に限る。
俺が手を放すと、彩夏はその右手で50音表をなぞった。
『ありがとう、とってもうれしい』
15分ほど後だっただろうか。
「失礼するよ」
その言葉とともに、田倉さんが厩舎に入ってきた。
真奈もついてきた。結局こいつも気になったんだろう。
「すみません、お呼び立てして」
「いいんだ。……それより、彩夏ちゃんのことで話があるそうだけど、なんで君が彼女を知っているんだ?」
田倉さんがたずねてくる。俺は話を始めた。
「……信じられないかもしれませんが、今ここにいるウィローズブランチ、彼女が彩夏なんです」
「お……おいおい、悪い冗談はよしてくれ」
案の定の反応だ。だが、俺は慌てず、ゆっくりと説明した。
「悪い冗談じゃありません。彼女は1年前に亡くなったそうですね。そのときから彼女は、こうして馬になってトレセンに来たんです。これは彼女自身から聞いた話です。とても信じられないでしょうから、証拠をお見せしましょう。……彩夏、田倉さんにメッセージを」
俺が彩夏の右手を指差すと、ともに不可解そうな表情の田倉さんと真奈はそこをのぞき込んだ。
そんなふたりに、彩夏ははっきりと、自分が「野々村彩夏」である証拠を示した。
『しょうたさん、ひさしぶり。あたしはほんとにあやかよ』
「彩夏ちゃん……!」
その一言は、どんな説明よりも効果があったようだ。
「ま……まさか、こんなことがあるの!?」
冷静を売り物にしている真奈でさえ、驚きを隠せないでいる。
「あるも何も、目の前で起きてることがまだ信じられないのか?」
「だって……僚、あなた、これってウィローズブランチに芸を仕込んだだけじゃないの?」
実にかわいくないことを言う。
「意味もないのに、俺がそんな面倒なことするかよ。どうしても信じられないってんなら、田倉さんに、彼と彩夏しか知らないことをたずねてもらったっていいんだぜ」
俺の言葉に答えたのは田倉さんだった。
「いや……君には悪いけど、その通りちょっと試させてもらうよ。どうもまだ、半信半疑で……」
そして彼は彩夏の前にしゃがみ込み、やつだけに聞かせるようにたずねた。
「……俺の家の庭にある一番背の高い木は、何の木だ?」
彩夏は迷わずに答えた。
『はなみずき』
「正解だ! 疑って悪かった。君は、間違いなく彩夏ちゃんだ……」
田倉さんは彩夏の前にひざまずき、その顔を見上げた。
「何か、夢を見てるみたいだ。君とまた、こうして意思の疎通ができるなんて……」
それが本当の気持ちなんだろう。
ふと横を向くと、あの真奈でさえも、茫然と彩夏の方を見ていた。もう疑う余地はないようだ。
俺は田倉さんと真奈に、馬になったいきさつなど、彩夏から聞いたすべてを話した。
そして彼からは、彩夏との関係などを聞いた。
彼と彩夏は、隣の家に住んでいた者同士だったそうだ。彩夏は元気のいい明るい子で、小さい頃からよく遊んでやった間柄らしい。
おそらく彩夏にとっての彼は、お隣の憧れのお兄さん、ってとこだろう。彼に気持ちを伝えられないまま死んでしまった彩夏は、それを叶えようとトレセンに来た――これなら不自然さもない。
『まにあってよかった』
彩夏はそう言った。
「間に合って、よかった……?」
田倉さんが聞くと、彩夏はなおも「会話装置」をたたく。
『あたしがうまでいられるのは、1ねんかんだけ。あたしがしんだのはきょねんのきょうの12じ。あと1じかんで、あたしはいかなきゃいけないの』
「行く!?」
俺も田倉さんも真奈も、大声を上げた。
「そ、それはつまり……君とは、あと1時間で会えなくなるってことなのか!?」
田倉さんが「ウソだろう?」という口調でたずねる。
『そういうことなの。このうまはふつうのうまにもどって、あたしはもう、このせかいにはかえれない。さいごにわかってもらえてよかった』
「普通の馬に……」
それを気にしたのは真奈だ。こいつが何を考えているか、俺にはわかる気がしていた。
「……私たち、外に出ましょうよ」
そして真奈は言った。それは予想外の言葉だったが、異論はない。
「そうだな」
俺たちは、田倉さんと彩夏を残して厩舎の外に出た。
「……悔しくないの?」
外に出て、最初に真奈が言ったのはそれだった。
意味はわかっていた。それでも俺はたずね返した。
「悔しくないって、何がだ?」
「だから、あのウィローズブランチは、頭脳が『人間』だったからレースの進め方なんかをわかっていて、それで強かったわけでしょう。あの馬がただの馬に戻ったら、有馬だって確勝級じゃなくなるのよ。あなたは、伸おじさんのために絶対有馬を勝つって意気込んでたのに」
俺は答えた。