暖房の効きすぎで暑い。これじゃ考え事も上手くいくはずない。
俺は、テーブルの上にあるリモコンを取って顔を上げた。
ん……?
エアコンは、効きすぎどころか完璧に消えていた。
……そうか、思い出した。
昨夜寝るとき、妙に暑くて消したんだった。
しかし、おかしいな。
真冬の真っただ中に一晩暖房を切っておいて、この暑さ。
こいつは、最近どんどん深刻な問題になってきてる「地球温暖化」の仕業か?
それにしても――。
――そこで俺は、考えたくない可能性を考えてしまった。
まさか……。
まさか、俺は……。
恐る恐る、部屋に備えつけてある鏡の前に行く。
……。
恐れは、現実となった。
「すべての希望が打ち砕かれる」とはこういうことなんだと、こんなときなのに冷静に考える。
俺の髪は、全体が真っ白に変わっていたのだった――。
――それは、何ヶ月か前からこの美浦周辺で流行っている謎の奇病。
発病したら、短くて1日、長く持っても1ヶ月で死に至る。
今のところ、治療法は発見されていない――。
この病気の一番の特徴は、男女で症状がまったく違うことだ。
まず、俺たち男の場合は、今の俺みたいに髪が真っ白になる。
そして、体温がどんどん下がっていく。その影響で異様なまでの暑さを感じ、ほとんどの男患者はそれで自分が病気になったと知る。これも今の俺に当てはまる。
そのうち、体力や身体的機能が落ちていき、やがて――眠るように息を引き取るのだ。
女の場合は、白髪になるのではなく髪の色そのものが薄くなる。体温は男とは逆にどんどん上がり、異様な寒さで発病を知る。だが、最後は同じで、次第に体が弱ってきて、炎が消えるように眠りにつく――。
原因はいまだに不明だが、とりあえず空気感染はしないらしい。
しかし、患者がこの美浦周辺に集中しているところから、何らかの形で伝染はするのだろうと考えられている。
このトレセンは病気の流行の中心に位置するらしく、何人もの患者――すなわち死者が出ている。行方不明になった人間も何人かいるが、それはこの病気にかかって人知れず入院し、そして死んだのだろう。誰も言わないが、暗黙の了解で誰もが知っていた。
俺の知り合いには、その「行方不明組」がふたりいる。
ひとりは、このトレセンで開業する獣医・東屋隆二先生。彼は病気流行初期の――いや、確か一番最初の行方不明者だったか。
もうひとりは、五十嵐厩舎に所属する先輩女性ジョッキー・谷田部弥生さん。彼女はつい最近いなくなった。先週の金曜日の朝、調教に出てこなくて、それっきり行方がわかっていないそうだ。
そして――悲しい話だが、誰も行方不明の彼らを探そうとはしない。
だが、その悲しみも他人事ではいられない。きっと俺もそうなるのだから。
治療法が発見されない限り、患者は1ヶ月以内に必ず死ぬ運命にあるのだから。
そう、俺も――。
――なんてこった。
俺は鏡の前に座り込んだ。
この拳で鏡をたたき割れば病気が治ると言われたら、俺はどれほどの傷を負ってでも実行しただろう。
死にたくない。
せっかく、有馬に乗れることになったのに。
せっかく、親父の夢を継ぐチャンスをもらえたというのに。
死にたくない……!
俺は両方の拳で、鏡の代わりに床を強くたたいた。
……涙が落ちた。
――どうする。
俺は、どうする……?