「だからどうしたってんだ」
俺は敬語を使うのも忘れ、腕組みをして強がった。
泰明がここにいる。香先生は何か理由があって、一緒に感染した俺をここへ連れてきたのだ。真奈がケガをしたってのは、俺を誘い出すためのウソなんだろう。そこまでされたんなら、病気を隠すことにもあまり意味はなさそうだ。ただ、素直に認めたくない気持ちも当然ながらあり、それが俺をひねくれさせた。
いや――それよりも、俺は不安だったのかもしれない。
……もしや、香先生が事件の黒幕か?
この状況では、そう考えない方がおかしい。不安になればなるほど開き直るタイプの俺は、そんなことを思いながら口を尖らせていた。
「認めるのね?」
「ああ。今朝起きたら髪が真っ白だった。体温も下がってるみたいだったし」
「それで、篠崎さんに相談した、と」
「……知ってたのか?」
俺は不思議に思って聞いた。
「ええ。私が長瀬厩舎で仕事をしていたとき、彼女が横で携帯を使ってたもの。ちょっと聞いていれば、相手があなただってことや、あなたがどんな状態かなんて、誰にだってわかるわ」
「……あんたには、人の電話を盗み聞きする趣味があったのか。知らなかった」
俺はさらに対抗心をむき出しにした。
「今回は訳ありよ。城くんのケーキを半分食べて感染したというあなたに興味があったの」
「何? じゃあ……本当にあのケーキが病気の元なのか?」
「そうよ。あの病気は経口感染するの」
「よく知ってるな。……まるで、あんたが病気を流行らせた張本人みたいだ」
俺がちょっと意地悪く言うと――香先生は余裕の笑みを浮かべた。
「ご名答。あのケーキを城くんにあげたのは、私よ」
「何だと……」
想像が現実に変わった瞬間、俺は不意に考えた。
香先生は……いや、香は、本当に事件の黒幕だった。そいつがわざわざ感染した俺をここまで連れてきたってことは……こいつはきっと、俺をここから出さずに、何らかの方法で口をふさぐつもりだ!
恐れる心を悟られまいと、組んでいた腕を解いてジャージのポケットに突っ込む。
すると――右手の先に、携帯が触れた。
よし……。
こいつのメール機能で、気付かれないように助けを求めよう。
「おい、どうやって泰明に取り入った!」
俺はわざと大声で詰め寄り、ポケットの中の手に注目されないようにしながら、手探りで送信の操作をした。
相手は真奈。
文章は『HELP アズマヤシンリョウジョ リョウ』。
漢字に変換している余裕はないが、これでわかってくれるだろう。
真奈、頼む……。
「簡単なことだったわ。あの人は自分に自信がないから、元気づけたりしてちょっと味方になってあげたら、すぐ私を全面的に信用した。それで昨日、彼の誕生日にケーキをあげて食べてもらったの。それがワナだとも気付かずにね。しかも今朝、発病した彼は、真っ先に私に相談してきたのよ。おかげで、何の障害もなくこうして連れてこられたわ」
香は、俺の質問にご丁寧に答えた。――その落ち着きに、俺はキレた。
「貴様……なんでそんなことができるんだ! 泰明は貴様を信じたんだぞ! それをよくも……」
「彼だけじゃないわ。思い出してみなさい。失踪した人はみんな、彼みたいな自分に自信のないタイプばっかりだったでしょう? しかも、失踪の直前に誕生日を迎えた人たちが多かったはずよ。私は、理解者として近づいて誕生日のケーキで誘い出す……って方法で何人も手に入れたの」
そうかもしれない。弥生さんもおとなしくて自分を責めるタイプだし、誕生日が先週の14日で、その翌日に失踪している。
……なんて考えてる場合か!
「貴様は最低だぜ! 誰かが誰かを信じる心を、そんな風に利用すんじゃねーよ!」
「信じる方が悪いのよ。それは所詮、優しさが本物か偽物か見分ける目がなかっただけのことだもの」
「なんだと……! 貴様、いったい何考えてんだ! そもそも、何が目的でこんなこと続けてんだよ!」
俺は叫んだ。こうなったら、聞けるだけのことを聞き出してやる。無事にここから脱出できたら、世間に公表してやるんだ!
「目的はひとつよ。この病気に関しての実験をするため。あなたは気付いてないでしょうけど、この病気の患者は、超人的な能力を持っているのよ。私はそれを研究して形にしたいの」
「超人的な能力だと……?」
「ええ。特別に教えてあげるわ。あなた、体温がどんどん下がってるでしょ。特に手なんか、もう凍りそうに冷たいはずよ」
「それがどうした」
突っ張りながら俺はポケットから手を出し、自分で自分の手の甲を触った。が、やっぱり自分じゃよくわからない。
「その状態の患者にある種の薬を投与するとね、手から凄まじい冷気を吹き出すことができるようになるのよ」
「冷気……だと!?」
「そう。よくファンタジー小説なんかに、そういう魔法を使う魔術師が出てくるでしょう? それになれるのよ。ちなみに、患者が女の場合は、体温が上昇して手から炎を吹き出すの。現実の人間に魔法が使えるなんて、人類始まって以来の快挙だわ。今のところ、ヘッドギアなんかの装置をつけて他の人間がリモコン操作する形しか完成してないけどね」
――魔法。
今の俺には、魔法の素質が眠っている。
が、そのためにこの女に利用され、操作されかかっているのだ。
絶対に許せない!
今まで犠牲になった多くの人間のためにも、ここで実験台にされそうになっている泰明のためにも、もちろん俺自身のためにも――そして、俺の親父や真奈を初めとする、患者たちの無事を祈る他の人間のためにも、俺はこいつを許さない!
……親父?
俺はその言葉が心に引っかかり、そして――恐ろしいことに気付いた。
「おい! 貴様、東屋先生は……東屋隆二先生はどうしたんだ! まさか、自分の父親まで実験台にしたってんじゃないだろうな! もしそうなら、俺はこの手で貴様をぶっ殺すぜ!!」
本気の意気込みだった。
すると――香は目を閉じ、つぶやいた。
「……命乞いをするつもりはないけど、私は父は実験台にしてないわ。正真正銘、本当の話よ。むしろ、父が人前に出られなくなったところから、私のこの研究はスタートしたと言った方が正しいの」
「どういうことだ……?」
俺は落ち着きを取り戻し、考えた。
香は「父が人前に出られなくなった」と言った。死んだとは言ってない。……てことは、まさかこの騒ぎの真の黒幕は東屋先生で、香は父親の研究を手伝ってるだけだとでもいうのか?
……いや、いくら何でも、自分の娘をそんなやばい道に引き込んだりはしないはずだ。東屋先生は妻と離婚して家族は香ひとりだけに、余計その気持ちは強いと思われる。
わからない……。
と思った、そのとき。
「……あなたはそんな答え、知らなくていいの。さて、しばらく眠っててもらうわ」
何だと……!?
――反応したときには、もう遅かった。
俺は香が後ろに隠し持っていた催眠スプレーをいきなり吹きつけられ、そのまま意識を失った――。
……。
……体が動かない。
なのに、俺は自分の足でどこかに立っている。
捕まって実験台にされて、香にコントロールされてるのか……。
事態を把握するため、何とか動くまぶたを動かして、目を開ける。
……!!
真奈!
――そこは、ログハウスの中のようなところだった。
俺のすぐ斜め前に、リモコン装置らしきものを持った香。そして前方3メートルほどの距離に、真奈が立っている!
やつは実験台にされた様子はなく、しっかりした目で香をにらみつけている。
メールのメッセージが届いて、助けに来てくれたんだ!
「……僚は私が連れて帰るわ! 例え治らなくても、モルモットにされてるよりましよ!」
真奈、よく言った!
俺は心で叫んだ。
確かに、俺が今のままここから抜け出せたとしても、有馬まで生きられる保証はない。俺自身も、最初はそれだけを恐れていた。
だが、今は違う。例え有馬まで生きられなかったとしても、その前にこいつの悪事を暴ければ本望だと思う。
きっと、親父も俺の気持ちをわかってくれるだろう……。
「残念だけどね、返すわけにはいかないわ。ちょっと調べた結果、片山くんは今まで連れてきた誰よりも強い力を持っているんだもの。信じられないなら、見せてあげるわよ」
香は言って、手に持つ装置を何やら操作した。
すると――俺の両腕が、俺の意思とは無関係に持ち上がった!
やっぱりコントロールされている!
そして――。
「……きゃあ!」
バシュッ! という音を立てて、俺の手の先から冷気が吹き出した。真奈は間一髪でかわしたが、その冷気が当たった壁は、スキーシーズンのログハウスの外側みたいに真っ白に凍りついた。
……こいつは、まともに食らったら生きてられないぞ!
俺は青くなった。
もし、もしこんなのを真奈に食らわせちまったら――。
「いかが? ……さて、自力でこんなところまで来たあなたの努力は認めてあげたいけど、ここの秘密は守られなきゃいけないの。悪いけど、彼の冷気攻撃を受けてもらうわ」
――その心配が、早速現実味を帯びてきた。
「何ですって……!?」
叫ぶ真奈を横目に、香は容赦なくリモコン操作を始めた……。
――俺の手が持ち上がっては、その先から冷気が吹き出す。
逃げろ! 当たらないでくれ!
俺には、そう願うことしかできない――。
その願いがある程度通じているのか、真奈は必死に逃げ続けた。
だが、見たところ、やつは武器らしきものは持っていない。つまり、反撃はできないってことだ。
それでも、どうやら冷気をかわしながら香に近づこうとしているらしいが、それも成功するだろうか――。
次第に高くなっていく「最悪の確率」に、俺は流されそうになっていった。
が、そのとき。
「僚! 目を覚まして!」
真奈が、俺に向かって必死に叫んだ!
「私……私、あなたを助けたいの! だから、目を覚まして、私と一緒に帰りましょう……!」
真奈……!
俺の中から、「最悪の確率」がどこかへ飛んでいく。
「無駄よ。彼にはあなたの言葉なんて届いてないんだから」
……届いてるさ!
届いたからには、俺はそれに応えなきゃいけない!
気力が湧いた。
俺は香のコントロールに懸命に逆らった。
何とか、何とかこの冷気の一撃を、香に当ててやれば……!
香がボタンを押す。俺の手が持ち上がり、その先に冷気がたまっていく……。
……今だ!
俺は――生きるための体力までなくなるほどの力を込めて、香の方を向いた!
冷気が放たれる。
そして、その端が――香の腕をかすめた!
「……いやあっ!」
香はリモコン装置を落とした。
すかさず真奈がそれを拾い、そして思いっきり壁に投げつける。
……ガシャーン!!
凄まじい音を立てて、装置が粉々に砕け散る。
――同時に、俺は床に崩れ落ちた。
操作できなくなったんだ!
「僚……!」
真奈が駆け寄ってくる。
そして、崩れ落ちた俺の前にひざまずき、すがりついてくる……。
……真奈の体は、炎のように熱かった。
それだけ俺が冷たいってことなんだろうが、久々に人間らしい情熱に触れたようで、俺はそのままその熱さを楽しんだ。
――が。
「帰さないわ! これをごらんなさい!」
なんと香は、同じ装置をもうひとつ取り出した!
「出てきなさい、谷田部弥生!」
弥生……だと!?
俺が思う間もなく、部屋の左側にあるドアがバタンと開いて、そこから髪を茶色くした女が飛び出してきた。
弥生さんだ……!
彼女もまた、この香を信じたがために……。
弥生さんの両手が、彼女の意思とは無関係に持ち上がった。
そして、そこから……。
「うわあっ!!」
火炎放射器のような熱線が飛び出し、俺たちを襲った!
俺はとっさに床を蹴って真奈ごと飛び退き、当たらずにすんだが――その炎はログハウスの壁を直撃し、またたく間に引火した!
「うふふふ……あなたたちもみんな道連れよ。先に地獄で待ってるわ……!」
言うと、香は自ら装置を床にたたきつけて壊し、覚悟を決めるようにその場に横たわった……。
「……ごめんなさい! 私……私、こんなことして……どうしたら……」
束縛から抜け出した弥生さんが、口を両手で押さえながら座り込む。
「後悔している暇なんかありません! 立ってください!」
真奈は弥生さんの手をつかんで強引に立たせた。
「早く逃げようぜ!」
おそらく俺が目覚めたとき真奈が背にしていたドアが出口に近いだろうと思い、俺はそこに飛びついた。
「待って!」
だが、真奈が止めた。
「何だよ!」
「まずいのよ! さっき見つけたんだけど、この建物内にはこれまでの研究の成果が全部残ってるの! このままここが焼け落ちたら、証拠が全部消えちゃうし、病気の治療法があったとしても闇の中になっちゃうわ!」
それは確かにやばい!
「香を一緒に連れて逃げたところで自白するとは思えないし……何とかしてこの炎を消さなきゃいけないってわけか!」
すでに炎は奥の壁全体を覆い尽くし、黒い煙も上がっている! 早く何とかしないと、俺たちまでやられちまう!
……俺は、ふと思った。
今の俺は、いわば冷気の魔法を操る魔法使いだ。それなら、香に操られなくても、相当に気力を集中するかどうかすれば、冷気を放出してこの炎を消すことができるんじゃないだろうか?
だが、もし失敗したら、今度こそ俺は動けなくなっちまうかもしれない。
そうしたら、ここから逃げ出すことさえできなくなる――。
どうする!?
――半ば直感で結論を出し、俺は叫んだ。