おかしい。
泰明が「治療法のわからない病気」なんて重い問題を自主的に相談しそうな相手は、俺の常識の範囲じゃレイラくらいしかいない。が、レイラなら俺もよく知ってるし、あいつらの仲のよさはトレセン中で有名だ。俺に隠す必要なんかどこにもない。第一、さっきも思った通り、泰明はほとんど隠し事なんかしないやつだ。
それでもなお、隠すってことは……。
泰明は素直なやつだから、相手が「自分の存在は秘密」とでも言えば、俺や真奈はもちろんのこと、レイラにさえ話さないだろう。
では、相手はなぜそんなことを望んだのか?
1日1回は泰明と顔を合わせている俺が気付かなかったところから、相手はおそらくつい最近あいつと親しくなったやつだ。そして、あいつは例の病気にかかった……このタイミング、偶然とは思えない。
ひょっとしたら相手は、泰明が病気にかかることを最初から知っていたんじゃないだろうか?
そして、そのとき自分が相談相手に選ばれるように、あらかじめ泰明を操っておいたとすれば……。
――考えれば考えるほど、怪しい。

まさか……。
俺の中で、何の証拠もない疑惑が広がる。

……トレセンの中で時折聞かれる噂話。
この奇病は、実は誰かが流行らせているんじゃないか。
行方不明者が出てるのは、その誰かが発病したやつをさらって人体実験に使ってるからじゃないか――。

聞き流すだけだった戯れ言が、次第に現実味を帯びてくる。
もし……もしこれが、何パーセントかの確率で真実だったら……。
泰明が危ない!

俺はベッドに飛び乗り、壁に耳をつけた。
この壁は結構薄い。密着して集中すれば、会話くらいは聞き取れる。
もうすぐ、隣の泰明の部屋に謎の相談相手が来る。ふたりの会話を盗み聞きして、相手がどんなやつか――怪しくないかどうか、確かめてやる。
見解が間違っていたときの失礼を考えると胸が痛かったが、それも疑惑には勝てなかった。

 

 

――待つこと、約10分。隣からノックの音、それに続いてドアを開く音が聞こえた。
来た……!
俺は、息を潜めて耳に全神経を集中させた。

……。

『来てくださいましたね……』
『ええ。まあ……本当に真っ白ね。おかわいそうに……』

女だ……!
泰明が丁寧語だから、レイラや真奈じゃない。
泰明は行方不明の弥生さんと同じく五十嵐厩舎所属で、彼女は姉貴分に当たる。しゃべり方も何かそれっぽいし、彼女だろうか? だが、声がどことなく違う気も……。

『やはり、病院へ行った方がいいんでしょうか……』
『いいえ、行く必要はないわ。行ったら、隔離されて誰とも会わせてもらえなくなってしまうそうよ。あなた、それに耐えられる……?』
『いえ、ちょっと……自信ありません』
『私もよ。私も、あなたに会えなくなってしまうのはつらいわ……』
『……あなたは強い方ですから、ぼくなんかいなくても何ともないでしょう?』
『とんでもないわ! 今の私は、あなたがいなければ……。だから城くん、がんばって生きて! お願い……』
『ありがとうございます。あなたがそれを望んでくださるのでしたら……ぼくも、がんばれそうです』

……何だか、いいムードじゃないか。いったい相手は誰だ?
会話からして、泰明より年上か立場が上の女であることは間違いない。性格的には、男への依存心が強いタイプに思える。
また、泰明を「城くん」と呼んでいる。弥生さんは「泰明くん」だから、これで彼女だという可能性は消えた。
わからない……。
どうも、俺の頭の中で泰明とつながりを持っている女じゃなさそうだ。俺の知らないやつか、知ってても泰明との関連を見出せないやつか。

『……でも、どうすればいいんでしょう。こんな髪になった以上、世間から隠し通せるわけはないですし……』
泰明が、俺と同じ悩みを打ち明けている。
『髪は染めてしまえばどうということはないわ。それより……とりあえず、フードでもかぶって一緒に私の家に来てくれないかしら』
『あなたの家に?』
『ええ。心当たりがあるの。私の知り合いのお医者さんが、完治はしないまでもかなり長いこと生きられる方法を発見したらしいのよ。彼をこっそり連れてきて、診察してもらいましょう』
――俺も、隣の部屋へ踏み込んでその医者を紹介してもらいたい気持ちだった。が、やはり泰明は俺の親友。やつが「干渉するな」と言った以上、そんなことはできない。有馬への騎乗がかかっているのは事実だが、そのために他のやつを踏み台にするようなことはしたくない。俺みたいな人間は、おそらく戦場に出たら真っ先に死ぬんだろうな……などと、不意に考える。
『ねえ、そうしましょう。私、あなたを死なせたくないわ……』
『……わかりました、行きます』
『ありがとう。じゃあ、早速行きましょう』
女は、泰明を連れ出すつもりだ……。
『待ってください。……もう少しだけ、この部屋にいさせてくださいませんか。もしかすると、しばらく帰れないかもしれませんから……』
『名残惜しいのね。その気持ちはよくわかるわ。……ねえ、せっかくだから、あなたの好きな曲か何かを聴かせてちょうだい』
『ええ、喜んで』

――やがて、壁越しに静かなラブバラードが流れてきた。
ふたりは黙って聴いているのか、それとも何かをしゃべっているのに、歌にかき消されて聞こえないのか。

俺は壁から耳を離し、今までの会話を総合して考えた。

そして――結論を出した。

 

 

A  やっぱり、あの女はどこか怪しい。

B  あの女は、本当に泰明の恋人なのかもな。


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