競馬界は、「誇り」を大事にする世界だ。
だから、自分の仕事に誇りを持って生きていかなければならない。
だが、俺は競馬の仕事というのにどうしても誇りを持てなかった。
ゆえに、三段論法的に(四段か?)、俺は競馬の仕事には向かない。
そんなことを、勝手に思っていた。
じゃあ、俺はいったい何になら誇りを持てるのか?
――知る人は少ないが、実は俺が好きなのは「クイズ」だった。
俺が若い頃には、一般視聴者が参加できるクイズ番組がたくさんあった。
ごく普通の一般人が知識を武器にバトルに挑み、勝ち抜いて名誉を手に入れる。
こんな楽しいものはない。
中にはクイズにはまってしまったせいで人生を曲げたような有名プレイヤーもいたが、そんなのもまた俺の憧れとなった。
だから俺は、中学の頃あたりから、雑学関係の勉強を始めた。
学校の成績に直結することはなくても、いろんなことが頭に入るのは楽しいものだ。
そして、ふとしたきっかけでそんな知識を披露して「お前、物知りなんだな」と言われたりすると、とても嬉しかった。
やはり俺にも、競馬界育ちの人間特有の「プライド」があるのだ。
若いうちに知識を豊富にしておき、大人になったらクイズ番組に出て優勝し、有名クイズプレイヤーになる。
そして「父親は競走馬の調教師」と全国にアピールして、少しでも競馬ファンを増やす――。
少々変かもしれないが、これが俺の若い頃の人生設計だった。
自分が競馬の仕事をすることには誇りを持てなかったが、それでも親父やその仕事を守ろうとする意識は一人前にあったわけだ。
――ところが。
俺が大人になった頃には、クイズブームは完全に終わってしまい、テレビの一般参加のクイズ番組はひとつも生き残っていなかった。
たまに復活したかと思うと視聴率が悪く、制作者側はその穴を埋めるために芸能人を出したりしてクイズの部分を減らし、クイズファンは「おもしろくない」「あれは単なるバラエティー番組だ」と文句を言って余計に見なくなり、やがて番組そのものがなくなってしまう。
こうして、「俺が有名クイズプレイヤーになって競馬界を振興させる」というプランは失敗に終わった。
残ったのは、俺の頭に染みついた、クイズがなければ何の役にも立たない知識だけ。
……結局、俺はそのまま親父の仕事を手伝うようになり、親父が定年で引退してからは調教師となって、現在に至っている。
最初は誇りを持てないと敬遠していた競馬の仕事も、やってみるとそれなりに深みがあり、今では楽しんで馬たちを育てている。
だが――。
やはり、俺が生涯を賭けて本当に誇りを持てるジャンルは、クイズ以外にない。
若い頃に詰め込んだ知識を織り交ぜた話をして、厩舎スタッフに「先生、よくそんなこと知ってますね」と感心されたりすると、今でもそう思う。
こういう楽しさがあるから、クイズというものは生まれてきたのだ。
クイズ番組がなくてもこの楽しさを求めている人は多いと思うのだが……なぜテレビのスタッフは、それに気付かないのだろう。
クイズブームというのは、何度終わっても必ずそのうち復活する、妙な性質を持っている。
そう考えると――そろそろ、またクイズブームが起こる頃だという計算になる。
もし、そうなったら……。
俺は、若い頃にあきらめた計画を再びひっぱり出した。
今度こそクイズ番組に出て、現役調教師のクイズプレイヤーとして有名になる。
そうして、最近は若いファンがつきにくくなっている現在の競馬界を、ほんの少しでもアピールできれば――。
俺は自分の知識に誇りを持ち、また今では競馬の仕事にも誇りを持っている。
そういう夢を見たって、いいじゃないか。
誇り
(隠しシナリオ No.8)