子供は両親から半分ずつ特徴を受け継ぐ。これは当たり前の話だ。
だいたいではあるが、外見が父親似なら性格は母親似、そうでなければその正反対のことが言える。
――娘が生まれ、その顔が真理子にそっくりだったことを知った瞬間から、ぼくの不安は始まったと言っていい。
そしてそれは、長い年月をかけて的中していった……。
真奈の性格は、昔の自分を女にしただけであるかのように、ぼくに「生き写し」だった。
おとなしくて人見知りが強く、感情表現も人づきあいも下手。
自分で確証を得たこと以外は、決して信じようとはしない。
おまけに、一度自分の敵と見なしたら最後、避けることしか考えない。相手を理解しようなどという心は一切持たないのだ。
ぼくはかつて、そういう性格のために、いくつもの後悔をしてきた。
だから、忙しい日々の中でも、娘を真理子のような「誰にでも好かれる女性」に育てようとがんばったつもりだ。
だが――他はともかく、あの「自分の敵を理解しようとしない癖」だけはついに直ってくれなかった。
しかも、その「敵」には、真理子も含まれてしまったのだ……。
何がいけなかったのか――。
それを考えるとき、ぼくは決まって、あの海を思い出す。
遠く……30年以上前のあの夏から遠く続く記憶に付随する、福島の海。
かつて、ぼくと真理子は毎年必ず、夏休みに真奈をあの海へ連れていった。
ここはお父さんとお母さんの想い出の海なんだよ、と教えると、あの頃の真奈は嬉しそうに笑った。
ぼくが溺れて真理子に助けられた過去を話すと怯えて震えたが、それからは気をつけて泳ぐようになった。
ところが――。
忘れもしない、真奈が小学校5年の夏。
今度は、真奈があの海で溺れた。
ぼくは慌てて飛び込み、娘を助け上げた。
ぼくのときは何日も意識不明になったものだったが、そのときはそんなようなことはなく、水を吐かせると真奈は何分かで目を覚ました。
……しかし、ほっとしたのも束の間、目覚めた真奈は「助けたのがぼくである」ことを知ると、真理子に敵対の目を向けるようになったのだ。
その理由については意地でも口にしようとはしなかったが、同じ性格を持つぼくにはわかる。
「お母さんは、お父さんが溺れたときには飛び込んで助けたのに、私のときには助けてくれなかった」――。
真理子は根本的に水恐怖症だ。
ぼくの事故のときは周囲に誰もいなかったから彼女自身がどうにかするしかなかったが、真奈のケースではぼくを含め、たくさんの人が事故を目撃していた。だから彼女は、どうしても自分が――という必然性に押されず、泳ぎの得意なぼくが当然飛び込んで助けると思っていたのだ。そしてぼくは、誰に言われるまでもなくそうした。
だが――そんな理由に真奈が聞く耳を持つはずはなかった。
真奈は「自分は母親に大事にされていない」と認識してしまったらしい。
ぼくも真理子も仕事が忙しく、育児のために騎手を引退した片山に真奈を預けることが多かっただけに、余計そう思ったのだろう。
ちょうど反抗期の入口あたりの年頃だったことも拍車をかけた。
――そして真奈は、真理子を敵視するようになった。
あいつが誰かを敵視したとき、それは決して味方には覆らないことを意味する。
その通り、娘が真理子に笑顔を向けることは、二度となかった。
あれほど好きだった海にも、それ以来行きたがらなくなった――。
やがて真奈は、騎手になりたいと言い出した。
現役の真理子はもちろん、ぼくも騎手だっただけに、同じ道を選んでくれたのは嬉しかった。
だが、その理由は「早く自立したい」だった。
1日も早く、こんな家からは出ていきたいと――。
……子供に嫌われた親ほど、惨めなものはない。
ぼくも真理子も、痛いほどそれを実感した。
そして、今――。
後悔の色の記憶が、ぼくの胸を締めつける。
片山を敵対視し続け、罵倒してから、やつがぼくのために誕生日のパーティーを計画してくれていたと知ったときのあの後悔――。
真奈もいずれ、あんな後悔を胸に刻まれる運命にあるのだろうか。
……仕方がないのかもしれない。
そうなる以外に、真奈が自分の愚かさを克服できないならば。
ただひとつ……。
子育ての方法を間違えた愚かな父親として、思うことがある。
願わくは、その後悔を与えるのが自分でありたいと。
続・海色の記憶
(隠しシナリオ No.1)