私は、本当はこの世に存在していてはいけない人間なのではないか――。
私の胸の中には、常にそんな思いが渦巻いていた。
どこで何をしていても、自分の生きるべき場所はここではない、という意識が働いてしまう。
ならば――私は、いったいどこへ帰ればいいというのか。
……人生で一番最初にその疑問を抱いたのは、小学生の頃だった。
友達3人ほどで、自分は父親と母親のどちらに似ているかという話をしていた。
友達は「私はお父さん似なの」「私、顔はお母さんかな」などと口々に言ったが――私は答えられなかった。
それまで、そんなことは意識さえしていなかった。
しかも――その場で父と母の顔を思い浮かべてみて、「自分はどちらにも似ていない」という事実に気付いてしまったのだ。
もしかすると、私は両親の本当の娘ではないのかも――。
それは、子供心には非常に恐ろしい考えだった。
恐ろしければ、両親に「私は本当にお父さんとお母さんの娘なの?」とでも聞けばよかったのだろうが、昔も今と変わらずにあまり勇気がなかったので、それもできなかった。
聞けないとなると、疑問は大きくなるばかりだ。
中学に入ってからは、毎日それに悩み、家から証拠のひとつも見つけようと必死になったこともある。
それでも見つからなかったのは、やはり私の臆病さが、本当に怪しいところは探させなかったせいなのだろうか。
――しかし、やがて真実が私の目の前にさらされる日はやってきた。
中学2年になった頃から、父は私に「騎手」という職業を勧めるようになった。
父によると、騎手は機敏さと体力の仕事だから私に向いているとのことだった。
確かに私は体が小さく、性格が内気なわりには体育は得意だった。
本当にできるかしら、と思いながらも興味を覚えた私は、それから騎手について調べられる限りを調べた。
そしてついに、競馬学校の騎手課程に挑戦してみる意思を固めたのだった。
結果は、合格。私は競馬学校に入り、騎手の卵として出発することが決まった。
その入学手続きのためには、戸籍抄本が必要だった。私は自分でそれを役所まで取りに行こうとしたが、母がさっさと取ってきてしまった。
きっと、「続柄」の欄を見せたくないのだ――そう直感した私は、たたまれたそれを母の目の前で手続き用の封筒に入れ、しっかり封をしたふりをして、自分の部屋に持っていってもう一度開けて見てみた。
……思った通りだった。
私は「養女」だった。父と母の実の娘ではなかったのだ――。
自分の「弥生」という名前からして、不自然だと思っていた。
12月の寒い朝に生まれたはずの私が、なぜ「弥生」などという名前なのか。
母に聞いたら「響きがかわいいからつけたけど、それが3月のことだなんて知らなかったの。ごめんなさいね」と言われてしまった。
が、それがごまかしだということはすぐわかった。大学の国文科を出ている母が、そんなことも知らなかったはずはない。
きっと、私の本当の誕生日は3月で、何か訳があって12月生まれということにしているのだ――そう解釈するしかなかった。
自分の出生には謎がある――。
それが、自分の生きるべき場所を見つけられない要因のひとつだった。
その謎を解かない限り、私には帰る場所はない……。
でも、私は自分が養女だと知ったことを、誰にも言わなかった。
内緒にしていたことにも、理由があるのだろう。
例えば、私が傷つくと思ったとか……。
……様々な思いを抱えたまま、私は競馬学校の生徒となった。
授業や騎乗訓練はとてもつらく、しかも私の同期では女子生徒は私ひとりだったため、気軽に相談できる相手もいなかった。
一番私の心の支えになってくださったのは、2年の秋から実習に行った先の厩舎の、五十嵐敏生先生だった。
彼は父の古い友人で、私が騎手候補生になったとわかると、自分の弟子にするとすぐに言ってくださったそうだ。
私の悩みも苦しみも、五十嵐先生はすべて親身になって聞き、的確なアドバイスをしてくださった。
さすがに「自分のいるべき場所が見つからない」話はできなかったが、それは先生に寄りかかりすぎたくなかったからだ。
私は先生を心から尊敬し、彼の期待に応えて優秀な騎手になるべく努力を怠らなかった。
しかし――。
努力だけでは、才能の欠如は埋められない。
やがて騎手デビューした私は、明らかな実力不足に悩むようになった。
元来の消極的な性格で、自分を他の厩舎に売り込む「営業」も苦手だったため、騎乗機会を増やすこともできなかった。
そして……たまにいい馬に乗せてもらえても、それを勝たせることはほとんどできなかった……。
……私は騎手には向いていなかった。
このまま続けても、私を信頼して乗せてくださっている五十嵐先生や、馬券を買ってくれるファンの人に応えることはできそうにない。
やめるなら、今が潮時かもしれない……。
そのうちそう考えるようになり、五十嵐先生に真剣に相談した。
先生は、せめてあと1年はがんばれとおっしゃった。
それで今は何とか騎手として生きているが、1年くらいで何が変わるはずもない。
1年後、私は騎手を廃業して、競馬界を去る運命にあるのだろう……。
……だが。
去るといっても、どこへ?
私には、帰る場所も行くべき場所もない。
実家に戻っても、自分が本当の娘でないことを知ってしまったため、違和感を拭えなくなっている。
もし、一番居心地のいい場所が「帰る場所」だとすれば、それは紛れもなく、この五十嵐厩舎だった。
厩舎に迷惑をかけないためには、出ていかなければいけないのに……。
どうすればいいというの……。
――もう、わからない。
帰る場所
(隠しシナリオ No.10)