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ひとりごと その2 (2006/09)

2006/09/30
ボーイスカウトの創始者はベーデン・パウエルと言う。 彼は優秀な退役軍人だった。 だから当時より軍事教育に間違えられている。 そう見当違いをされるのはもう伝統なのだろうか。 しかし、中身は本当に違う。
第一次世界大戦が終わったロンドンにベーデン・パウエルが帰ってきた。 街中に今でいうニートがあふれかえっていた。

越谷の花火大会の後、ボーイスカウトのベテランリーダーと土手の清掃ボランティアを夜していたとき、彼に僕が言った。 「まるでベーデン・パウエルがロンドンに帰ってきたときのようだ」。 そのベテランリーダーも言った。 「谷口さんもそう思いますか。」
家族連れも若者も享楽の極みを楽しんでそこら中にゴミを捨てている。 
中にはゴミ拾いしている僕のゴミ袋に、何のためらいもなく当然のように堂々とゴミを入れるバカ者もいた。 
道路の真ん中で若いおねぇちゃんがアグラをかいて座っている様に、「どうかこの人が子供を産んでも、僕の取引先の幼稚園に来ないように」と本気で祈った。
また、ボーイスカウトの子供たちは年に何回か街の清掃ボランティアを行う。 一番多いゴミはタバコの吸殻だ。 子供たちはそれを一所懸命に拾う。 スカウトたちは大人のゴミを良く知っている。

2006/09/29
児童館でボーイスカウトに出会うまでは、それは何か異様な軍隊教育だろうと思っていた。 とんでもない見当違いだった。

太平洋戦争の傷跡が日本人の心にトラウマになっているところがないだろうか。
少なくとも僕にはある。
それは、良く知りもしないのに国家を尊重できないことや宗教を無視したいということに現れている。
国民をだますようにして日の丸を振って戦争をはやし立てた当時の国家の印象があって、どうも国を信用する気になれなかった。
同じように国民をマインドコントロールしていたと思える宗教も嫌いだった。
日本は世界で有数な宗教嫌悪国となったのは、こういうことではないだろうか。
子供のためにボーイスカウトに参加して、むしろ僕自身の方がよっぽども結果的に勉強になった。
この「ビデオマンのひとりごと」は、これからが本題となります。

2006/09/28
生きていくため、生活をするために仕事をして糧を得る。 大切なことだが、それが人生の目的になってしまっていないだろうか。
どの時代でも、どこの国でも、社会の歪は弱い子供に現れる。 逆に、子供を見れば社会の歪が分かる。
僕の子供四人のうち上二人がそうだが、物質的に金銭的に豊かになった今の日本だからこそ起こっている歪がある。
それは、子供を育てるというほのぼのとした決して刺激的ではないが心が豊かになる生活よりも、見た目が派手で刺激的な生活を、まるで麻薬中毒にでもなっているかのように追い求めてはいないだろうか。 そのために常識的に考えておかしいと思える長時間労働が、単身赴任という家族の引き裂きが、当たり前になってはいないだろうか。 確かに家族のためだろうが良く考えてみて欲しい。 深く考えてみて欲しい。 結局は家が欲しい、車が欲しい、安定収入が欲しい、というところに行き着いてはいないだろうか。 僕は物を持ってはいけないと言っているのではない。 そのために子供が犠牲になっていないかどうか良く考え見極めて欲しいと思う。
日本の今、ニート85万人でもっと増えるそうだが、間違えなく社会の歪で異常です。
もし、金のために子供の世話をしないで会社にしがみつくとしたら、ひょっとしてそれは会社の奴隷になっていることではないだろうか。
物質的に豊かだからこそ起こるニートという悲劇、どうにかならないものだろうか。
いくら重役になれても子供の様子が変に育ってしまっては、人生の終盤で辛い思いをするのは親自身だということをもう一度よく考えて欲しい。
子育てがこれからという若いお父さん、会社の奴隷にならずにもっと勇気を出して人生を歩むことを心からお祈りします。
その勇気は必ずお子さんが見ていることでしょう。

2006/09/27
このホームページのトップにその頃の二人の子供の写真を使った。
今思うけど、子育ては真剣に取り組めば取り組むほど自分の心の中に本当の愛が芽生える。 そしてそれは子供の世話をした分どんどん大きくなる。 それだけではない。 小さくてかわいかった頃の子供を思い出すだけで涙があふれ出るほど感動をする、本当の幸せが味わえる。 なにもいらない。 たぶん思い出は天国に持っていけると思う。 無事行ければの話しだが・・・・
子供を思う愛は決して目減りしない。 むしろ増えていく。
自分の子はもう大きくなって可愛くないが、戸田のディキャンプで出会う子供たちが今度は可愛い。
その子とそのお父さんが楽しそうに竹トンボを作っている光景は、この地球のオアシスだ。 とっても美しい。

2006/09/26
歩いて1〜2分のところにそれは立派な児童館がある。 鉄骨三階建てでちょっとしたビデオの映画も上映している。 
上二人の子を上手に育てられなかった反省から自分にできる情操的な何かを捜し求めていた。 
そんな中ある日、児童館へ行ったらそこの広場でボーイスカウトとガールスカウトが合同で自分たちの活動をアピールしていた。
たいがいの人が知っているようで知らないものの一つにこの活動があるのではないだろうか。
僕も目の前で制服を見たのはその時が初めてだった。
よく覚えていないが、ロープワークの一つを小さな紐にしたものを記念品にいただいた。
リーダーがいたが案内や説明などは子供がしてくれた。 それを見てなんて立派な子供たちだろうと思い、下二人の子をぜひ参加させたいとその場で申し込んだ。 下の子二人が、小学校六年生と年長さんのころだった。

2006/09/25
僕の四人の子供の上二人が中学でグレてしまった。 
この時期に子供が反発するのは自立しようとする準備体操のようだ。 
だから反抗期には元気良く反発しなければ自立できない人になるだろう。 大人になって残虐な犯行をする人はこの時期におとなしかった人が多いと聞く。
しかし、だからと言って僕の子供のように10ヶ所の警察署廻りをさせられるのは育て方の何かが悪い。
それは何か。
決定的なことは、父親が家庭内で子供を育てるハッキリとしたビジョンがないこと。 これが致命的だ。
つぎに母親の甘やかし。 両者は関連していて父親が子育てに無関心だから母親が些細なことで暴走するということが分かった。
そこで僕は下二人を育てるのに「何かで鍛える」ことを探すことにした。
そこで鍛えると言っても自分自身でできることでなければならない。 なぜなら、サッカーでも野球でも、他人に預けてしまうのでは父親としての子育てにならないからだ。 
父親が関われることを目的に子育てにいい何かを探した。
それは思いもよらないところで見つけた。

2006/09/24
心の自由とは、欲望を捨てることだ。
一般的には若いうちには難しい。 なぜなら例えば性欲がもし若いうちになかったら人類は繁殖しなくなる。 それはまずい。 
神父様は立派だが、人類がもし全員神父になったらどうなってしまうのか・・・・。 
しかし、僕の知っている同業者は僕と同じぐらいの歳だが小さい子供が三人いる。 バイアグラを持ち歩いていざと言うときに使うのだそうだ。 まぁ、達者と言うか依存症というか・・・。 本人はそれが自慢になっているけど他人の僕には気の毒に見える。
同じように、物で立派な人もそうだ。 享楽に溺れている人もそうだ。 本人には自慢でもそのために人生を窮屈に生きていれば気の毒に僕は思う。
何にも束縛されていないというのは、裏を返せば何もないということになる。

僕の子育ての理念は、子供の心を強く育てる。
ということだ。
心が強いと言うのは、どういう状況でも幸せを感じ取る能力を高め強めること。

せっかくの人生を有意義に生きるためには、歳とともに自分で自分の心を強く成長させる、そのことを楽しむことではないだろうか。
究極的には「命」さえなくても幸せになれるのなら、これ以上の幸福はない。
「死」を不幸に思う人は、その一生涯に不満があった不自由な人生だからではないだろうか。 何にもなくても人生に感動を持って、つまり感謝を持って終わるのなら幸せだ。 僕はそうなりたい。 その一歩にビールを諦めることが僕にはある。
ふんむ、難しいなぁ。
理屈では、物や金を持ち過ぎると幸せが遠いようだ。 日用の糧があれば十分。 それを子供に伝えたい。
秋の長夜にそんな知的考察はいかがなものだろうか。

2006/09/23
2〜3日前に幼稚園の保育室に行ったら子供たちの熱烈歓迎を受けて肩に乗るは、首にまとわりつくは、膝に乗るは・・・
帰ってきたら軽いギックリになってしまった。
今日、運動会の撮影なのにな。 
歳とともに、あっちが痛く、こっちが痛く、ビールは飲めなくなるし、運転も長くは続かないし・・・
あれもこれもできなくなっていく。 それでオトナシクなっていくので大人と言うのだそうだ。
でも不幸ではないよ。
自分の子がでかくなってあまりかわいくなくても、幼稚園に行けばとっても幸せな思いができるんだな。

2006/09/22
毎朝6時にこれを書き込んでいるのだが、今日はもう行かなければならない。
自由業は、普段のんびりしているけど、仕事は終わるまで。 拘束時間の制限はない。
忙しくなると睡眠時間がなくなる。 たぶん、サラリーマンよりきついだろう。 デメリットの部分だ。
たとえどんなにデメリットがあったとしても一度手に入れた「自由」は死んでも放したくないものだ。
子供たちにも本当の心の自由を味あわせたいものだ。
心の自由ってなんでしょうか?

2006/09/21
僕の四人の子は、どうも知能指数が低い。 それによるトラブルの解決にはずいぶん慣れてきた。 しかし、その逆、知能指数の高い人のトラブルというのもある。
僕が子供のときの同級生がそうだ。
頭の回転が非常に良く物事を覚えるのも早い。 しかし、心が育っていないと言う感じでどうも彼の生き様を見ていて感心できないことが多い。
知能指数が高かろうが低かろうが関係なくしっかりと心を育てなければ、結局家族を悲しませることになる。
心を育てる、それはいやなこと、辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、それらを乗り越えようとしたときに強く育つ。
気楽な人生では決して育たない。 このことを若いお父さんに訴えたい。

2006/09/20
人生で、物や金を選ぶか、それとも自由を取るか。
僕は、若い頃まぁまぁの給料で豪快にスキーで遊んで暮らした。 給料が良かったので年間35日ゲレンデに立ったのだ。 悪かったらそんなことはできない。 給料はいっぱいあればあるほどいいのだろうか。 答えはNO。 
ますます金が欲しくなるだけの人生になる。 僕はそのころ欲望が心の中を渦巻いていた。 結果、子供がいじけて育ってしまった。
僕はその給料を捨てた。 そして自分のしたい仕事を開拓した。 
当然貧乏だ。 
しかし自由を手に入れた。 
基本的に気に入らない仕事はしなければいいし、普段の生活では大方午後はまったくの自由時間である。 夏はまるまる一ヶ月自由だ。 冬は半月遊んでいられる。 銭湯に行こうが、ウォーキングしようが、公園で昼寝しようが、ビールを飲もうが・・・ いや、痛風でビールは飲めなくなってしまった。
子供と遊ぶ計画や実行もいくらでも出来る。 そして四人の子の下二人は、その自由を使って育てた。 結果、上二人とはまったく違う子が育った。
僕の実験結果としては、家や車、家具といった物、海外旅行やスキーなどでの享楽を追い求めると子育てがおろそかになりやすく、場合によっては子供がいじけて育つ。 子供が自ら成長しようとせず自立できない人になりやすい。 女の子は育てたことがないので詳しくは分からないが、自立心のない女の子は婚期をはずしやすいようだ。
自分の欲望に気付き、子供を上手に育てる方法を謙虚に学んでこそいい家族を構築できるのではないだろうか。
そして、子供たちもそれを学んで自分の人生を開拓していけるようになれる。 親の真似っこをして育つ。
高慢ではなく自信を、卑劣ではなく謙虚を、甘やかしではなく愛情を、子供たちに身につけさせたい。
そのためにはまずお父さん自身がそうならなければならない。
子育てキャンプをしよう!

2006/09/19
筆勢づいて昨日の書き込みは、ちょっと恰好をつけ過ぎてしまった。
それは、僕のこれからの人生の大目標だ。
なんてことはありゃしない。 本当のところは最後の子にもう遊んでもらえそうにないので寂しいだけのこと。
今年の春、三番目の子が社会人になって元気良く家を飛び出して行った。
そのとき、まるでセミの抜け殻になった気分で、もう拍子抜けしちゃってまるで失恋でもしたような落ち込みだったのです。
ある詳しい人が僕を見て何とか症候群と言う心の病気なんだそうだ。
そう、四月、五月、ぐらい落ち込んでいたような気がする。 結構なダメージだった。 子供が自立できて嬉しいのではなく落ち込むなんて、それこそ想定外だった。
そこに舞い込んだのがマザー牧場でのキャンプの仕事だった。 僕にぴったりのしかも夏休みのいい仕事だった。
ちなみに僕は幼稚園の仕事が90%なので夏休みはたっぷり一ヶ月間あるのです。 今まで子供たちと思いっきり遊んできてとっても楽しかった。 
それが最後の四番目の子にも遊んでもらえなくなったし、非常に暇な人になっていたのです。 だからその仕事は僕のために神様が今年用意してくれたものとしか考えようがないほどジャストフィットだった。
おかげで少し元気が出てきた。
いよいよ子供たちに遊んでもらえそうにないことは去年からの予測であった。 だから、戸田の公園で道行きの親子を捕まえて竹トンボの作り方を教えようと考えたんだ。 これが本当のところ真意。 大目標は今のところ「お題目」。
でもまんざら悪くないこれからの目標でしょ?
高校時代の友人で僕の妹と結婚した元スキー仲間のヤツも面白がって時々参加するし、先ず先ずだ。
無くしたものを代償にする心理だね。
そのある詳しい人がさらに、たいした回復力だと言っていた。

2006/09/18
僕のように家庭で父親が幼稚と言うのは致命的だ。
大なり小なり今のお母さんは子育てで不安な様子だ。 だから些細なことで大騒ぎするのだろう。 幼稚園の発表会の役柄で問題を起こすのはもう古典的とも言えるぐらいだ。
家庭内にその家族の子育てに対する「理念」が欠落している。 会社だったら社長が掲げるその仕事は、家庭内では父親がしなければならない。 
しかし、その父親が子育てに無関心だと「子育ての理念」がない家族ができる。 すると母親が目先の(つまり戦術的なことばかりの)子育てが暴走することになる。 
はるかに必要以上の塾通いを子供にさせたり、喜ぶからと言ってゲームをたくさん与えたり、快適な生活が子供の幸せとでも言わんばかりに見た目のきれいさを追い求めたり、人と比べてなんでもかんでも自分の子が優れていなければ気がすまなかったり、・・・・
どうだろうか、子供の心を強く育てると言う視点が母親だけだと、どうしても持てないようではないか。
僕が上二人を育てているときには、子育ての理念などという概念すらまったくなかった。 もし、誰かに教わっていたらもう少しはマシな子育てをしただろうに。 だから僕は今、お父さんたちにその重要性を訴えたい。
とは言っても、たくさんのお父さんにいっぺんに伝えるられるほどの技量は僕にはない。 だから草の根で戸田の公園で竹トンボつくりをお父さんに教えることでそれを実践している。 40キロのマラソンコースを一歩踏み出せた感じがする。
子育てに失敗し、社会に迷惑を掛けた僕の反省を込めて活動していきたい。 10月でこの活動が満一年になる。

2006/09/17
僕はビデオ屋だ。 仕事柄あらゆるイベントを撮る。
まぁ、昔は結婚式が多かった。 三社祭も撮ったことがある。 やくざの事務所の中も、そう言えばやくざの葬式も、結婚式も。 もう絶対にこの手のものはお断りだ。 世界の三大荒修行の一つから無事生還した坊さんの式典も撮った。 フランチャイズの会社の大会、これはすごい。 どうモチベーションを高めるのか勉強になった。 ロータリークラブの地区大会。 
撮影ではないがある幼稚園の園長先生が好きで、誘われて参加したものに「朝起きの集い」というのがある。 丸山さんと言う方が創始者だ。 正確には「倫理研究所」とか言う。 
まるで宗教のようだが、彼らは宗教ではないと言っていた。 しかし、内容は宗教のように立派だ。 「栞」という経典がある。 その一節で「子は親の心を演じる名優である」というのがある。 本当にその通りだと僕は思う。
子育てで最も大きく影響をする環境とは、親の心だ。 まったく同感だ。
僕には四人の子供がいて、風呂の無い二間のアパートに25年住んでいる。 物質的環境は同じ。 それなのに上二人と下二人はまったく違うように育っている。 何が違うか。 それは親の心だ。 その集いで学ばさせていただいた。 本当にありがたい。
上二人を育てているときは、スキーやオートキャンプを享楽的に遊んでいた。 そして何も努力なしで楽しいレジャーを子供に与えた。 そのころの僕の心は「幼稚」だったのである。
いろいろな子供のトラブルを幼稚園で知ることが出来る。 そのほとんどが親の幼稚からきていることが分かる。 そして幼稚園の経営者は、子供の世話をするのが本業なのに親の幼稚に振り回されているのが現状だ。 
僕はすべての幼稚園の経営者が口が裂けても言えないだろうから代表して言うが、「問題を起こすのは子供ではなく保護者だ」。 あぁすっきりした。 
保護者のみなさん、僕と同じで反省をして自分自身の幼稚を改めないとほぼ確実に子供の心が歪みます。 小学校3〜4年生あたりまでは親に従順ですが思春期で一気にその歪が爆発します。 そのときに慌てても完全に手遅れです。 また、場合によっては何十年後か経ってからうつ病のような心のトラブルを起こします。 心を強く育てないとこの二つのどちらかになりやすいと肝に銘じて知ってください。
幼稚、これが今の日本をだめにしそうな一番の問題だ。

ホリエモンと言う方が話題を振り撒いているけど、知識的、行動力、はずば抜けて優秀だ。 しかし心が幼稚ないい例ではないだろうか。
ニートやうつ病といった問題も、掘り下げて考えると物や金で立派な親の幼稚な心に行き着きそうだ。
子供は、親の心そのものが映し出される鏡です。 間違えない。
僕は、この日本の今、最も重要なのはお父さんの心構え、そしてスキンシップ。 それをキャンプを通して若いお父さんに伝えたいと思いついたのです。 
それで「親子キャンプ」のハウツービデオを作り、「キャンプ・じぃじ」と名乗るようになりました。

2006/09/16
どれほどお父さんが子供を観察できるか。
何かの欲望で心の「目」が曇っているとまったく見えない。
しかし、子供を愛する本当の気持ちがあればよく見える。
僕の四人の男の子の性格は、長男は、おっちょこちょいだ。 次男はずるがしこい。 三男は臆病で四男は極めてのんき。
それがベースとなっている。 これは、ほぼ産まれた順番による影響だろうと思われることが多い。
巷で血液型による性格分類が流行っているが、心理学と言う学問では、否定されている。
あれはテレビ局が面白おかしく話題にしただけのもので根拠が無い。 それをもし子育てに応用するとしたらとんでもない間違えだ。 決してそのようなことがあってはならない。
そもそも日本人はアイデンティティがない国民と言っていい。 だからそのような迷信にすぐ溺れたがる。
怪しげなオカルト信仰が流行るのも自己イメージが希少だからだろう。 そしてそうだから見栄を張りたがる。 外国人から見た日本人の性格は見栄の文化と言った人がいる。
このことは、子供の子育てにも大きな影響を与えている。
その一人の子がどういう気持ちで、どういう性格なのか、それを把握できないと小学校3〜4年生あたりまではいいとしても思春期で適切な言葉がけが出来ない、ということになる。
僕も長男の心がまったく読めなかった。 打つ手、打つ手、すべて逆効果だった。 
子供をよく観察する、僕は本当に痛い目にあったのでぜひ若いお父さんには大変だろうが実行して欲しい。

余談
血液型による性格分類は、そもそも大戦前に日本の学者が論文を発表したことに始まる。
結構センセーショナルな発表だったようでアメリカの学者がすぐに追試した。
その結果、成り立たないことが証明され現在にいたっている。
だから心理学の学問上それは否定されている。
しかし、昭和50年頃にどこかのバカが血液型による性格分類の本を面白おかしく書いて、それがヒットした。 
そのあとすぐにテレビ放送がそれを取り上げ日本中に広まった、というのが本当の経緯だ。
一時、採用条件に血液型を取り入れた会社があって、差別として訴えられた事件が起こったこともある。 これは本当のことだ。 肝に銘じて知っていて欲しい。
絶対に子育てに応用してはならない。 間違っている。
自分のお子さんを偏見無くよく観察しよう。 実は、ものすごく面白い生き物であることが分かるから。

2006/09/15
上二人が荒れ狂っていて手におえない状態の間は、本当に古い写真やビデオを見ることが出来なかった。
いとしさ募ってにくさ百倍、だろうか。
決して根本解決しているわけではないが、名誉挽回戦のおおざっぱなイメージ、このような方向で時間がかかっても方向付ければいいのではないだろうか、というアイディアがあるのと小康状態ということもあって昨日古いビデオを整理した。
とても懐かしい。
四番目の子が生まれる前、一枚の写真を手帳にはさんでいた。
それも出てきた。 大切にビニール袋に入っていた。
たぶん千葉の海岸線だろう。 そこに家内と一番目、二番目、三番目、の三人の子が立って手をつないぎ大海原に向かっている。
僕は、ビデオ屋を目指しながら死に物狂いで仕事を開拓していたとき、苦しいとき、この一枚の写真で生きるエネルギーが出てきたものだった。
きっと多くのお父さんも「子供のために」と思うことで必死に働いていることだろう。
子供の存在は、このように偉大だ。
ただ、子供がかわいいからと言って豪華なものや享楽的なレジャーばかり与えていると僕と同じ運命をたどることになる。
ぜひ、若いお父さんに知っていて欲しい。
子供を愛するのなら、産まれたときからその子にちょうどいいちょっと「大変なこと」ちょっと「辛いこと」ちょっと「悲しいこと」を自立に向けて与えて欲しい。 そしてそれらを乗り越える心にぜひ育てて欲しい。
そのときにお子さんもお父さんも共に成長の喜びを味わうことになる。
ひとたび、この成長の喜びを握り締めれば、お子さんは自ら学び努力をするようになれることだろう。
おとうさん、ぜひそういう我が子をイメージして育ててください。

2006/09/14
特別な例は除いて、子供は小学校3〜4年生ぐらいまでは親に従順で性格も一本調子のようだ。
それが子供の自分と大人になろうとする自分の二つの異なる気持ちが一人の子の心に同居するようになる。
それが第二反抗期であり不安定な精神状態の時期と思う。
本人も子供っぽい自分に甘えていたいにも関わらず、それに嫌気がさしている。 しかしながら大人のようにはできない。
だから、手っ取り早い「恰好」だけでも真似てみるのだ。
それが子供の飲酒や喫煙、セックスになるのだろう。
良く見ると、子供の不良はほとんど大人の真似っこであることに気付く。
子供は、幼稚な自分と大人に成りすませたい自分との間で、まるでメトロノームの振り子のように心が振れる。
それは、一日の間でも何回も起こっているのだろう。
だから荒れるときには一気に振り切れるのだ。
逆にこの反抗期が極端に浅いと、たぶん、後になって精神的な問題を起こすのではないだろうか。
反抗期が浅いと言うのは、我慢が出来ているのではなく自主性が極端にないのか、それを財産などの代償で取り上げられているのか、そういったことのようだ。
ニートやうつ病の人たちは、大人に成ろうとする、このころのエネルギーの不完全燃焼と思える。

僕の子供は、外に爆発したようだ。

元気良く反抗するのだけれども我慢も出来る子。
それが思春期の子育ての目標になる。

2006/09/13
答えを言ってしまえば、小学校3〜4年生になるまでに心理学で言うフラストレーション耐性をしっかりと強く育てなければならないのだ。 
フラストレーション、要するに我慢の力だ。
それは、日常の生活でその子が耐えうる辛いこと、悲しいこと、いやなこと、そういったマイナスなことをしっかりと体験させてそれを乗り越えさせることで鍛えられる。
例えば、朝の早起き、何かの順番待ち、欲しいものが手に入らないこと、
苦手な食べ物を食べること・・・・
いくらでも日常生活にある。
それらを親が「かわいそう」と言いながら取り上げると、つまりあまやかすと、思春期で我慢が出来なく荒れると言うわけだ。
高校卒業程度の考える力があれば、ちょっと考えれば当たり前のことではないか。
そういうフラストレーション耐性は、例えば何かのスポーツでも鍛えられる。 ただ「鍛える」のだから本人が「辛い」と感じるまでそれをやり続けることが大切だ。 親が、「そんなに辛いのなら、止めなさい」とか「そんなにいやなら止めなさい」などの言葉がけは、完璧な甘やかしだ。 そこを何とか我慢して乗り越えようよ、そう励ますのが正しい。 そしてその辛さを乗り越えさせて心が強く育つのだ。
そして、その辛さも次第に厳しいものにも耐えられるよう育てていけばいいのだ。
そのためには、親の本当の真心が必要不可欠となる。

僕が提唱する親子キャンプは、そこが目的となる。 親の甘やかしではなく親の真心。

2006/09/12
思春期の男の子の心がいじけて、まるでゴム風船が滅茶苦茶に飛んでいくように街を徘徊するようには、アッという間になる。
昨日までニコニコしていたと思ったら、今日暴走族というぐらい急に激変する。 このことは知っていて欲しい。
長男が本当に暴走族を始めた。 まもなく次男を巻き添えにした。 長男はウップンが爆発した感じだが、次男は興味本位の感が強い。
同じように悪さをしても動機が違う。
おまわりさんや学校の先生は、子供の「気持ちになって」と無責任なことを言う。 彼らはあくまで一般論を語っているに過ぎない。
子供が思春期で荒れる原因は、大方小学校低学年以下(3〜4年生以下)での過ごし方に問題があるから、荒れている状態の子をどういじくり回してももう完全な手遅れなのだ。 これも知っていて欲しい。
僕は、北は鴻巣警察署から南は上野警察署まで、10件の警察署廻りをすることになった。
女の子だったら売春をしたことだろう。

2006/09/11
上の子二人は、小さいときから努力や苦労をして何かを得るという体験が少なく、逆にスキーやキャンプで享楽的な喜びをたくさんしてしまった。 そして普段の生活では母親に甘やかされていた。
今考えてみると、心が育つわけが無い。
子供にしてみれば、何の努力もなしに楽しいのが当たり前なのに次第につまらない生活になっていくのだからウップンが溜まっていったのだろう。
もし、子供に豪華な物で「ほらこんなにいい物があって幸せだろう」という言葉がけをして育てたのなら一生涯その子にそれ以上の豪華を与え続けなければならなくなる。 親にとって今、豪華なものは、子供にとって当たり前のものになる。 
気楽で楽しいレジャーを「よかったね」と言葉がけして育てたのなら、それ以上の享楽を子供に与え続けなければならなくなる。
僕もそうしてしまったが、小学校高学年から中学生ぐらいで子供の心がくじける。
もちろん、僕の子供もそうなった。
長男が高校入試のときにその始まりがあった。 そして二番目の子を巻き添えにしていく。
賑やかで愉快だった生活が、アッという間に擾乱場と化す。

2006/09/10
だから失敗したとしても親が深く反省し親の養育態度を改めれば子供が変わる。 これは、ニートを直す本やうつ病の本に書いてあったことで、僕はそれを信じる。 そして、僕の子供、上二人はズッコケたがなんとしても改善する。 その兆候が最近あるのでこれを書く気になったのだ。

2006/09/09
ここで子育ての失敗とは、その定義は、

幸せを感じ取る能力が低く育てること。

子育ての成功とは、

どういう状況でも幸せを感じ取ろうとする強い心に育てること。

2006/09/08
親が何かの欲望で一杯の場合、まず子育てに無関心になる。 また、親の「見栄」で子育てをすると親自身で出来ないことを子供に要求することが多い。 どちらもほぼ確実に子育てに失敗しやすい。
子供の心が見える親は、真の愛情を発揮する。

2006/09/07
さて、ここで子供にとって二つの大きな「つまらない」が分かる。
一つは、普段生活をしていて「遊び」がつまらない。
そして学校の成績が悪くてつまらない。
この二つだ。 まったく違う事象を混ぜこぜに考えてはいけない。
僕は子供の数だけの「子育て論」があるべきだといつも考えている。 
なぜならその子にとって憂鬱なことは、あらゆる事象の組み合わせであるからだ。
例えば、ある子は、身体的コンプレックスと何か別の問題。 またある子は、友人関係と別の何かの問題。 クラブ活動や習い事が不良になる原因ということもある。 第一子と二子でもよく観察すれば違いがある。 そしてそれらの組み合わせも二つだけではないことだってあるわけだ。
こうして考えれば、その子にとって一番いいと思える育て方はほぼ無限に近い方法があって然るべきではないだろうか。 いかがなものだろう?
結論を言えば、親の愛とは、その子をどれほど深く観察できているかと言うことに尽きる。
ある意味でこれは専門的な心理学を学ぶ必要があるほど深く観察することであるのだ。
子供の表面しか見ていない親は、大なり小なり子育てに失敗するわけだ。
僕が上二人を失敗したところだ。

2006/09/04
男の子4人に恵まれたのだが、上二人は心をいじけさせてしまった。
その二人が生まれたときには、年中オートキャンプかスキーに出かけていた。
子供からどう見えたのだろうか。
いつも車に乗って、スライドドアーが開くとすでにそこはキャンプ場かスキー場。
長男がまだ1〜5歳ごろだから何か手伝うほどのこともないし、あとは享楽的に「楽しい」という感情が起こるのみ。
普段の生活では、たぶん、居住スペースの狭さは意識されなかったろうと思う。 昭和30年代の東京では、珍しくない狭さだ。
次男、三男は、それぞれ上より二歳違いだ。 長男が6〜7歳頃までは一つの部屋でむしろ楽しかったのではないだろうか。
そのころは毎日兄弟同士でじゃれ合っていた。 そう、毎日だ。 だから兄弟の仲は良い。
これは僕の家族の美しさになった。
しかし、当時僕はサラリーマンをしていて平日の日中どうしていたのかは分からない。
ただ、そうとうの甘やかしを母親がしていただろうことは確かだ。
こうして子供たちの生活で、苦労をして何かを成就するという体験がほとんど無かった。
すべて消費の喜びで「成長の喜び」を与えていない。 そのころの僕にその概念さえなかった。
ここに僕の最大の失敗がある。 父親として子育てをまったく怠ったのはここのところだ。
子供たちに、気楽で楽しいというのを当たり前にしてしまったのだ。

それが、長男が11〜12歳ころになると多分、様子が変わったろうと思う。
まず居住スペースが狭い。 子供たちの体も少しずつ大きくなり上三人が一部屋というのは無理になってきた。
そのころ僕は脱サラをして仕事が立ち上がろうとしていた。 売上拡大に必死だったころだ。
しかし、営業はうまくいっていたがコストが掛かりすぎて逆に収入減。 これは本当に痛かった。
しかも長男が12歳のときに四男が生まれる。
子供たちは、普段の生活に不自由を感じ始めたことだろう。
子供にしてみれば、お坊ちゃん扱いを受けて苦労をするのは間違えと言う気持ちのところへ、現実は逆に辛いことが押し寄せてくる。
フラストレーションは一気に膨らんだことだろう。
しかも、僕の子供たちはみな学校の成績が悪い。
学校生活でも不満が次第に子供の心にのしかかった事だろうと思う。
気楽で楽しかったものが徐々に憂鬱な気分の日々になっていったことだろう。

さて、今日から打ち上げに、親睦旅行に行ってきますね。 あくまでこれは業務、ギョウムなのだ〜。

2006/09/03
昨日の竹トンボ作りのための準備に四番目の子に手伝わせた。
保育園の先生にお世辞半分ウソ半分で「しっかりした感じのお子さん」と言われた。
本人に夕食のときに、そう誉められたことを伝えた。 嬉しそうな顔をした。
その竹トンボを15組ぐらいのお母さんと子供に教えたのだが、みんな嬉しそうだった。
中には、何回もお礼を言ってくれる子もいた。
みんな、僕に嬉しそうな顔をいつでも、何回も、見せてくれる。
知らず知らずのうちに僕も幸せな顔になっている。
子供たちに、この幸せを味わって生きていってもらいたいのだ。
そのためには、心を強く育てなければならない。
僕の子供上二人は、どのように心がいじけてしまったのか。
次回よりその当時、子供の目から見た生活を推察していこう。

明日から、マザー牧場のスタッフの計らいで「ごちそうサマーキャンプ」の打ち上げがあり仲間入りさせてもらえる。 その次の日からはビデオ屋の集い
−ビデオナー・ビズネット−の親睦旅行でいない。
金や物では味わえない喜びで一杯だ。
しかし、しかしだ! この間から痛風で足が痛い! 医者からビールご法度の宣告を受けた。
なんという悲劇だ。 信じられない。 それでも行くぞ。

2006/09/02
今の日本での生活はおおむね気楽で快適だ。
そういう環境の中だけで子供が生活しているようだったら・・・・
心が強く育ちそうにないのではないだろうか。
そこで子供たちに普段の生活ではない何かの体験をさせたくなるのだろう。
マザー牧場で竹とんぼの作り方を教えたら珍しがって僕一人ではまかなえないほどの方たちが集まった。
今日も預かり保育園の秋祭りコーナーで竹とんぼを教えることになっている。 7週連続の「竹とんぼ作り」だ。
子供たちは、この竹とんぼ作りでナイフの扱い方に触れる。 小刀を握るのは、ほとんど初めての子が多そうだ。
なんだか僕のビデオより強烈な人気なのである。
手斧やノコギリ、キリ、そういう工具も使う。
ちょっぴりワイルド感があるので親たちは我が子に体験させたくなるのだろう。

そんなことの延長線に僕が主張したい「子育てキャンプ」があるのだ。
子育てキャンプは、気楽で快適ではない。 しかし、子供の冒険心をくすぐる面白さがそれを乗り越えさせてくれる。

2006/09/01
幸せとは、幸せを感じ取る能力の問題だ。
有名な哲学者の言葉だそうだ。
僕もまったく同感。 いくらお金や物を手に入れても幸せとは限らない。
今日一日の生活に価値を見出せるのなら、その人は幸せだ。
僕は、20代は20代の、30代は30代の、40代は40歳でなければ味わえない感動をいただいた。 それぞれの年代に満足している。 だから若いときに戻りたいとは思わない。 完全燃焼した感じだ。
台本の勉強で些細なことを葛藤にくどくどと描くことを「水っぽい」と言う。 
ドラマチックに展開してこそ面白いのだ。
人生も同じだろう。 気楽に安全で快適・・・極端に水っぽい。 子供たちにはどんな困難でも乗り越えようとするエネルギッシュな人生を送って欲しい。 自らの人生に「価値」を作っていく愉快な人生を送って欲しい。 これが僕の子供たちに味あわせたいことだ。
幼稚園の経営者に創設期の話しを聞かせてくださることがある。 どれもドラマチックで聞いていて面白い。

2006/08/31
なぜか、いつものパソコンの先生がここのコーナーを進化させてくれました。
かわいいキャラもついていい感じです。
サブコメントも本人には思いつかないいいフレーズです。
持つべきものはブレーンですね、感謝。
とってもOKです。

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