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ひとりごと その3 (2006/10)

2006/10/31
さてさて、僕はカブ隊を引き受けてすぐしたことは、「カブ新聞」の発行だった。 月刊である。
それによると、初年度は前年度の活動を一通り踏まえたうえで「ミニハイク」を逐次実施するという年間プログラムを発表している。
ボーイスカウト運動は、言うまでもなく「キャンプ」と「ハイキング」が活動の柱にならなければならない。 ベーデン・パウエルは、この運動は、大自然の中を「教場」にするように言っている。 他にサイクリングやカヌーなどあるが、基本は前者だ。
もし、これからボーイスカウトに参加したい方がいたら、ここの点をチェックしよう。
  1. 年間でキャンプ(ディキャン含む)を10回以上実施の実績がある
  2. ハイキングをキャンプ中を除いて年間3回以上の実施実績がある
  3. カブ隊の隊長は、キャンプが好きな男である
     (おばさんはほとんどダメ。 これは僕の経験則だ。)
  4. ボーイ隊が2班(10名以上)以上ある
  5. 団委員長がハッキリとしたビジョンを持っている
上記の条件を満たしていないで何か違う活動が多かったら、それは内容的にボーイスカウト運動をしていない可能性がある。
少なくても3ヶ団を見学しなければ僕のように失敗する。
しっかり見学をして確かな団に入ってください。 ちなみに僕が隊長をしていた間、活動を見て入団を希望した親が何人かいた。 迷わず僕が見てまずまずの活動をしている団を紹介した。 
それはなぜか、転団したその団のボーイ隊は、2ヶ月に一度しか活動をしていなかったからだ。
親もそれでいいという。 絶句。 就職に有利と聞く「ボーイスカウト」の名前が欲しいだけらしい。
こういうことも実際にあったことだ。

2006/10/30
僕は一年以内に研修を受けるという確約のもと、前倒しでカブ隊の隊長になった。 
ボーイスカウトの組織は、最小単位が「団」でその中に年齢別の「隊」がある。 「団」が集まり「地区」になって、それを束ねているのがそれぞれの県にある「県連」だ。 その県連へ行くとボーイスカウトを運営するための著作が手に入る。 僕はそれらを読みあさった。 この運動の凄さは、ここにある。 運動の理念からその実施要領まですべて明文化している。 逆に現場ではそれが足かせとなることがある。 その一番いい例が年齢別の隊を合同にしてはならないというものがそうだ。
僕はカブ隊の隊長になったが、すでにビーバー隊の子がいてリーダー不在だ。 つまり僕はビーバーの子の面倒も見なければならない。
その団の前の団では、そのことで散々いやな思いをさせられた。 それを目の前の子に僕は絶対にしたくはない。
僕にしてみればカブだろうがビーバーだろうが愉快な子供たちだ。 制服の違う混ぜこぜでそこら中をハイキングをしたら地区の会合で他団のリーダーに止めろと偉そうに命令された。 「バカヤロウ、俺はお前に雇われてるんじゃない。」 制服を脱げばただのババァだろう。 教育規定を宗教にするのはたいがいおばさんだ。 まったく腹が立つ。
僕が今、BSのリーダーがいやになった一番の理由は、そうしたおばさんがどこの団にもいて馬鹿馬鹿しくてやってられないからである。
BSの理念の「明確な信仰を青少年に奨励する唯一の運動」があることをまったく無視して「教育規定」を宗教にして、いいだの悪いだのと言っているおばさんがいるかぎり本末転倒の運動になってしまう。 
僕は本当に今現在の日本をこう思う。 目先しか見ることの出来ない母親やおばさんたちが言いたい放題の状態で、本当のところ、一番大切なことが疎かになりすぎだ。 だからこそ父親がしっかりしなければならない。 男がしっかりしなければならない。
それでお父さんに子育てを訴えたいがために自前のキャンプクラブを立ち上げた次第だ。
まぁ、そんな腐った話しはこれで終いにしてどういう活動をしたか、ゲレンデに40日立っていた元スキーヤーの腕前を披露していこう。

2006/10/29
さて、四番目の子が新たな団でカブ隊に入って、ハイキング、ロープワーク、ゲーム、奉仕活動、初詣やクリスマス会(宗教儀礼)、舎営、といろいろな体験をさせてくださった。
僕はまだ二十代の若い隊長を積極的に支援した。
しかし、最初の一年が終わろうという頃に隊長が「実は来年隊長ができない。できたら隊長資格をとって来年やって欲しい。」と言い出した。
そこの団でもスカウトが6〜7名で実質リーダーは1〜2名だったからだ。
加えて彼が言った。「隊長をしていただかないと存続できなくなる。」
新たな団でうまくいくだろうと思っていたのに僕は眼が点になった。
たぶん、これでビーバー隊の時と同じで普通はいやになって辞めてしまうことが多いと思う。 しかし、僕は自分の子供の成長のためにウッドバッジ研修という3泊4日の隊長資格の研修に参加することにした。
知って欲しいのは、このようにして障害を乗り越えることだ。 お父さん自ら目標に向かって「岩をブッチ割り、山をブッピらき、」前に向かって突き進む元気が子供の心に反映されるということだ。
親が出来ないことを言葉で子供に説教してもまったく効果がないばかりか、子供は見透かしているから親に逆らう態度が固着するのである。 このことはお父さん、子育ての根本の原理だから覚えて欲しい。
いちばん最低の子育ては、親自身が「あれが悪いからダメ、これが悪いからダメ・・・・」という普段の親の生活態度だ。 子供はすべてのことを何かのせいにする性格になりやすい。 分かって欲しい。 そうなったらお終いだ。
さて、このようにして僕は生きていてまったく想定外、想像外の事態へと・・・・
どたばた劇の始まり、始まり〜。

2006/10/28
うつ病の、僕の友人がどうやら会社を辞めたらしい。 
彼の父親は、名の通った会社を定年退職したサラリーマンだ。 母親は一度も社会で働いたことが無い。 50歳にもなろうという息子に働くようこの間何百万かの車を買ってあげていた。 物で釣る育て方をしていた証拠だ。
彼がどうしてうつ病なのか、僕にはハッキリ理由がわかる。
そして、日本の家族の多くは彼と同じ価値観で生活しているのではないだろうか。
「ニート」という言葉は英語の頭文字を綴ったものだそうだ。 そしてそれはイギリスで問題になったのが始まりらしい。 イギリスでも日本でも物質的に豊かだからこそ起こる心のトラブル。
気楽な人生を幸せだと思っている。
お父さん、ある幼稚園の理事長先生が言っていた。 「この世の中で最も難しい事業とは、子育てだ。」僕もまったく同感だ。 そして難しいからこそ面白い。 子供が小さく従順で気楽に生活が今、出来ているからと何の問題も感じていないかもしれない。 僕もまったくそうだったが、子供の心は強く育てようとしない限りフニャフニャになってしまう。 
僕が味わった悲劇を繰り返さないで欲しい。 
お父さん、子供を強く育てよう。

2006/10/27
今年も幼稚園界隈では、お泊り保育のシーズンが終わり運動会も一段落した。 気の早い幼稚園ではもう発表会だ。 やたらに人生が早い。 この早さだとたぶんアッと言う間に死期を迎えそうだ。 死ぬ前にどうしても伝えたいことがある。

さて、四番目の子がビーバー隊だったが三番目の子はボーイ隊で充実していた。 三番目の子には事情を良く説明してキリのいいところで転団をした。
四番目の子は、次の団でカブ隊へ入った。 初年度の舎営(宿を使ったキャンプ、幼稚園のお泊り保育は、ボーイスカウトの世界では「舎営」という。 僕は幼稚園のお泊り保育の仕事が面白くて今の仕事を20年やっている。 カブ隊の舎営は、正しく僕がハマル要素だらけだ)では、若い隊長が熱心に計画を立てて下さった。 僕はビデオ屋だからそれをビデオに収める役割をすることになった。
ビデオの出来具合は、まずまずで企画内容も良かった。 後に他団のリーダーが参考にそのビデオが欲しいと言うぐらい良かった。
僕がハマラない訳が無い。 それから何をしたか綴っていこうと思う。 
もしかして何かの拍子にカブ隊の現役リーダーが読んでいたらぜひ参考にしてもらいたい。

2006/10/26
話しがそれた。
四番目の子がビーバー隊だったころ。
おばさんリーダーがリーダー会議で多くの気に入らないリーダーを「クビ」にしてついに自分はカブ隊の隊長になった。
ある日、僕は自分の子供たった一人を相手にビーバー隊の集会(?)をいつものように公園で行っていた。 そこへそのおばさんが率いるカブ隊がやってきて、そのおばさん「あっちへ行け」と僕にわめいた。
教育規定では、カブ隊とビーバー隊が合同で集会してはならないとある。
子供たちの目の前で、こんな調子でどう「友情」を教えるつもりだろうか。 僕はその団を辞めることにした。
そしてもっとまともな団に入り直すことにした。 
僕がビデオ屋で食べられるようになれたのはここだ。 一度決心したら諦めずに挑戦し続ける。 どんな困難にも立ち向かう。 このしつこさが心の強さだと思う。 若い人が何人かビデオ屋を目指して僕のところに来たが、この粘りがない。 ちょっとした障害でつまずいて諦めてしまう。 そういう若者では困る。 子供は心を強く育てることが一番重要だと、そういうことで思うようになった。
お父さん、母親は見える成果ばかりを追い求める傾向にある。 例えば、学校の成績とか、習い事などだ。 しかし、子供の心が強くなければ、言われたことしか出来ない、いや、言われたことも出来ない人になる。 言われなくても自分で気付き実行できる、そういう若者に育てよう。
子供の心を強く育てられるのは、お父さんしかいない。 つくづくそう思う。
親子キャンプで些細なことでつまづかない精神を養おう。 それが人生を強く生きていくために必要だ。

2006/10/25
四番目の子は、この間ジャンボリーに参加できていよいよボーイ隊を卒業が近い。 ボーイ隊の上は「ベンチャー隊」という。 僕の子がそれに参加するかどうか分からないが、Snowmen Camp Club でその内容は実施したい。
サイクルキャンプを一人で計画・実施、これは三番目の子がやったが良く自立心が養えた。 極めて危険なことなので事前の練習が大切だ。 これを四番目の子にも体験させたい。 
それと自分より年下の子供の面倒をみてキャンプをする。 四番目の子は、さんざん三番目の子に面倒をみてもらった。 だからそのことを本人に強く意識させて、今度は四番目の子がそれをいやがらずに進んで出来るように誘導する。 この間のディキャンプでは、それも目的の一つであった。 
四番目の子は、一所懸命に小学校6年の2人の子にタープの張り方やテーブルの作り方、流しそうめんの台の作り方、など教えてくれていた。
そして、いよいよそうめんを流して食べようというときも、取りそこなったそうめんが最後にざるへ落ちるのだが、そこでの作業をだれに言われるわけでもなく四番目の子がしていた。 
いよいよ終わろうかというときに飛び入り参加していたあるお父さんが、「この子はさっきから食べていない」と四番目の子をさして言った。 僕は、「ボーイスカウトだから当然だ」と言ったら、そのお父さんは妙に納得した。
それを見ていた小6の子のお母さんは、「あなたたちも・・・・」と説教をした。 間違えである。
僕の子はもう何年も積み上げてそうなるように育てたので、結果として奉仕ができるのであって、「言葉」で命令してやらさせてもそれは、しかたなしに作業をするだけなのだ。 実はこれは学校教育で多い。 先生が言葉で命令して生徒を動かす。 だれでも子供の頃にこの体験があるでしょう。 本人はいやいやなことが多い。
そうではなく、自主的に奉仕が出来るよう育てるのが肝心だ。
簡単ではない。 何年もかかる。
こういうものがあるということを、若いお父さんに知って欲しい。
具体的にどんなことをすればいいのか・・・。
いろいろある。 もちろん、直接的に小さい子の面倒をみなさい、という指示もある。 しかし、普段は募金活動、街の清掃活動、奉仕活動、そのような「自分の楽しみ」ではないことをたくさんボーイスカウトで体験してきた。
家族のキャンプでもできることでは、撤収のときに自分たちが使ったサイトのゴミ拾いがある。 そのときに自分のゴミではなくても他人のゴミも積極的に拾わせる。 このようにして同じ教育効果が期待できる。
ぜひすぐにでも真似て欲しい。
どうすれば子供の心に「自分の楽しみ」より「他人の楽しみ」を優先できる心が育てられるか、それはまずお父さん自身が出来るようになれば子供がそれを真似るようになる。 これは非常に重要なヒントです。
そしてこれこそお父さんがするべき家庭教育です。

2006/10/23
Snowmen Camp Club の活動が昨日で一周年。 始めは僕の家内と二人だけだった。
去年の11月、だれもいないディキャンプ場。 とりあえず「竹トンボ」の材料を持っていたが、「お客さん」が出来そうに無いことは見れば分かった。 見事にだれもいない。
まぁ、本当の商売をしようというわけではないから、そんな調子で翌年の4月ごろまでは二人だけのピクニックを楽しんだ。
1月だか2月だったか、一面の雪景色のときがあった。
広々とした公園に二人だけで、すごく幻想的だった。 根雪ではないからすぐ消えてしまったことだろう。 たくさんキャンプをしてきたが、印象深い景色の思い出になった。 自然は驚くほど美しい。
気楽で楽しいピクニックの人たちには味わえない。 たぶん、まさか雪の日に公園へ行こうという気持ちすら起こらないことだろう。
しかし、僕は車でたった40分のところで東北の平野の景色を独占できた。 雪が降って晴れたのでものすごく綺麗なコントラスト。
人生はちょっとした心構えの違いでまったく信じられないような「価値」が手に入るものだ。
子育てもほんのちょっとした親の心構えで、子供の育ち具合がまるで変わる。 これは本当にそうだ。 若いお父さんにも分かって欲しい。
それが今年の5月になって急に人手が多くなった。 そしていきなり「竹トンボ作り」は盛況になった。 このこともビックリする体験であった。 親の膝にちょっこりと子供を乗せて一生懸命に竹トンボ作りに挑戦している光景は見ていてとっても微笑ましい。 その親子の幸せが僕の体全身にも溢れるように伝わってきた。 なんて平安な一時なのだろうか。 
僕はその快感がまた味わいたくて、それからも公園へ月に一回通うことになる。
そして僕の友人も面白がって時折来るようになった。 まったく愉快だ。 
消費の喜びではなく、成長の喜びと訴えているのは正にこのことだ。
そんなことを続けていたら二人の兄弟が集うようになった。 そして子供のリクエストで昨日は季節外れの「流しそうめん」をした。
しかもその子たちが友達一人を連れてきた。
子供たちで竹と紐でテーブルを作り、流しそうめんの台も作った。 このために用意した立派なもうそう竹、6メーターぐらいのものを半分にナタで割るのも子供がやった。 そうめんを食べるためにコップと箸も竹で作った。
その様子を見ていた隣のサイトの子供と親がドドットやってきた。 
それから、「竹トンボ」を新たに教える時間的余裕はなかった。 だから、6組の新しい親子のお客さんにも箸づくりをさせた。 ただ竹をナイフで削るだけの話しだが、大いに喜んでくれた。 僕はこんな簡単な工作でもいいんだ、親子が触れ合って楽しむのだからこれでもいいということを学んだ。
大人の学び。 お父さん、ぜひ味わって欲しい。
箸も出来たし目の前に流しそうめんの台がある。 当然、突然現れた親子にもそれを楽しむ権利がある。
そして、その権利は施行された。
まったくの予想外のたくさんの子供たちで、わいわいがやがや、流しそうめんを我先にすくい取って食べた。 
僕もあまりの嬉しさに、ついつい子供たちを囲んで「お風呂体操」の手遊びをしてしまった。
お母さん一人も加わったが「窓の外には、キラリキラキラお星様」のフレーズのところで恥ずかしがってリタイヤしていた。

明日はまた出張だ。
次回は、そのときの僕の子について。

2006/10/22
絶対ではないが傾向として、親自身がスカウト運動に積極的に手伝うかどうかで、スカウトらしく育つ効果がどうも違うように思える。 やっぱり他人任せの養育態度は根本的にダメのようだ。 
野球の一郎選手も、父親がかなり積極的に子育てをしたと聞く。 
僕がやっている「スノーメン・キャンプ・クラブ」は、お父さんに子育ての何かヒントになれる、それが目的の活動だ。
今日で一周年となる。
成果は、思ったようにはなっていないが、想定外の効果はあった。 リピートの子がともかく出来たのだ。 嬉しいね。

2006/10/21
三番目の子が小さいときに海岸で「アブラハム体操」を家族だけで楽しんでいたぐらいだから、四番目の子を相手に家族で「集会」をすることが出来た。 幼稚園を相手に仕事をしているからできるようになった。
冬の夕方に公園でランプを囲んで「ランプファイヤー」なる企画を立て実施した。
その様子を固定カメラで記録した。 この間、8〜9年ぶりにそれを見た。 まったく、家族だけでビーバー隊の集会をするなんて、よくやったよ、自分でそう思う。 このころにはもう、スカウト活動の流れを大雑把には出来るようになってしまっていた。
僕自身がリーダーとして少しずつ育っていた訳だ。 そうしようと思っていたのではなく、そうなっていった。 不思議な体験だ。 そしてこのことは次への伏線となった。

2006/10/20
三番目の子がボーイ隊の一年生のときに四番目の子がビーバー隊に入った。
♪わいわいあつ〜まれ〜ビーバーの仲間・・・♪ こんな歌で集会が始まる。 5〜6人の仲間に混じって四番目の子も楽しそうにしかも「切磋琢磨」のチョッピリ厳しいところもあって本当にいい活動に参加させていただいた。 
隊長はどこかの小さな会社の社長らしく、ときおり経営する上で大切な心がまえのようなお話しを子供にして下さった。
公園で宝物探しゲームをしたり、ビーバーランドという大会にも連れていってくださった。
しかし、しかしだ。 ボーイスカウトの教育規定というのがあるが、それに添っていないとあるおばさんリーダーがリーダーの会合のたびに騒ぐようになった。
それはひどい罵声を他のリーダーに平気で浴びせるのだ。 当然、リーダーの方々が一人辞め、二人辞め、ついには団委員長というトップをも「クビ」にしてしまった。
ビーバー隊の子供も次第に辞めていき、ついに僕の子供だけになってしまった。
三番目の子はボーイ隊で活発に活動をしていたので、しょうがない、自分の子だけで僕は「集会」をすることになった。
大人は僕一人になってしまったので、一日のリーダー講習を受けることになった。 そこでこのボーイスカウト運動について詳しく知ることになった訳だ。 今考えると、そういうバカげたことがなければ学ぶことがなかっただろうから、人生とは不思議なものだ。
いいサービスが受けられないからと辞めてしまった人たちは何も得ることがないが、僕は貴重な勉強をさせていただいた。
得るも得ないもちょっとした心構えしだいだ。 
そして子育てもこのちょっとした心構えの違いで、子供がくじけて育つか、堂々と育つかの違いになる。
ぜひ、このことをお父さんたちに分かって欲しい。

2006/10/18
三番目の子は、ボーイ隊に入って熱心な隊長のおかげでいろいろな体験をさせていただいたようだ。 
ここで言う体験とは、知識的なことではない。 例えば動物園へ行っていろいろな動物を子供に見せるが、これは子供が実物を見てそれを「知る」のであって体験ではない。 同じように動物園へ行ってポニーに乗せるのであれば、それは子供にとって「体験」となる。 ハムスターをだっこするのも体験だ。 それらの体験で子供は、動物の「毛」の感じや体温、におい、かわいらしさ、を感じ取る。 この感じ取るということが子供の心の育ちに重要だろう。

僕は子供の頃、ベートーベンが活躍した年代や、ゴッホの生まれた年を覚える授業があった。 そういう芸術を学ぶのに大切なことは、それを味わう「感覚」を身につけることだろうに、学校の先生はどうしても「点数」にしなければ気がすまない。 英語だって話せるようになることが重要なのに、文法にこだわるから中学、高校、と6年間無理やり覚えさせられてもちっとも英会話が出来るようにならなかった。 多くの方が同じ体験をしたことだろう。
子供には体験が伴う活動で、「考え」たり「思った」り、「感じ」たりできるよう育てよう。
そのことで本当の「自立」が身についていく。
男の子の場合、この自立心がないと会社の奴隷になりやすいようだ。 
就職ではなく就社にこだわるようになる。
僕の友人がそれでうつ病になっている。 自分に合った仕事ではなく会社の名前にこだわっている。
限りある人生なのになんて無駄なことをしているのかと、僕は思う。

僕のHPは、風変わりなパソコンの先生を知り合いに持っているために勝手に進化している。 不思議な体験だ
この書き込みは、月ごとに整理されている。 サンキューです。
今日からまた出張。 今月は多い。 早くのどかな生活に戻りたいね。

2006/10/15
朝刊に学習塾のことがでていた。 少しでも知識的に優位にたって物や金を手に入れたいという親の心が映し出されているように、僕には見える。 
よく考えれば、偏差値的に半分以下の子供が国民の半分を占めている。 それを学校の先生は「底上げ」の教育をするべきと考えている。 まったくの机上論。 もし、僕の子供がその論法に従って子育てをしたとしたら、三番目の子は、毎日朝から夕方まで休みの日も机にしがみついていなければならなくなる。 どうやって心を育てられるのか。 
覚えるのが遅いから一生涯一所懸命に学ぶ心(自己教育力と言った方がいる)になるよう育てる、それが僕の考えだ。 
僕は高卒だ。 しかし大卒でも、その後学ばない連中より結果的に多くのことを学べたと思う。
仕事上のあらゆる技術のこと、子育てのこと、宗教のこと、細かいところではロープワーク、キャンプ技術、サイクリング・・・・
まだまだ、違うあることを学びたい。 そして「成長の喜び」を生きている限り味わいたい。
もちろん、こうして自分が生きてきたこの生き方に本当の喜びを感じるからこそ、自分の子育ての基本に据えたのだ。 そして実践した。 
塾がいけないとは言わないが、子供の育ちについて熟考を、ぜひお父さんしてください。 子供の本当の幸せを、どうしても物や金でなければならないのだろうか。
そんなことをして本当にうつ病に将来ならないだろうか、ニートにならないだろうか、よく研究してください。

明日は遠方へ出張で書き込めない。

2006/10/14
三番目の子は、住む場所も、遊びも、豪華な感じが無く育った。 それが後に「我慢する力」の基になったようだ。
僕の家族は、貧乏だから我慢しよう。 そういう気持ちが育った。 これは非常に重要なヒントだ、若いお父さん。
小学校五年ぐらいだったろうか、三番目がやっと24インチのロード(自転車)に乗れるようになった。
上の子が乗っているのをいつも見ていてもう乗りたくて乗りたくて毎日柱に傷を付けていた。
そして、三人の子が同じロードに乗って、僕はアラン(自転車)で先頭を走った。 天気のいい休みの日はほとんどそうしてサイクリングを楽しんだ。
ある日、三番目の子だけを連れて逗子方面へオートサイクリング(車に自転車を積んで移動)をしたときのことだ。
海岸線が美しいヨットハーバーのそばのレストランでお刺身の盛り合わせを頼んだ。
僕は三番目の子に、このサザエ、一個500円はするだろうな、と言ったら食べようとしなかった。 どうやら高価なものはお父さんのものという意識が働いて我慢したようだ。 驚いた。
この子は知的に障害があったからたぶん学校でイジメがあったはずだ。 
しかし、それも我慢できていたようだ。 小学生の時代で暗く落ち込むという姿は見なかった。
小学校時代までに、欲しいものに我慢が出来る、人との関係で我慢が出来る、貧乏を我慢できる、これが子供の心を強く育てる秘訣だ。
この反対のことを散々体験させてしまうと、つまりニートやうつ病になりやすくなる訳だ。 若いお父さん、手遅れにならない内に気付いて欲しい。

2006/10/13
三番目の子が小学校の時代は、路地裏で子供たちの歓声がよくあった。 今は少ない。 その子は近所の子とよく遊んだ。 家にいてどこら辺で遊んでいるのか声の位置で分かった。 まだボーイスカウトを知らなかったので、ともかく元気良く外で遊ばせていた。 今思うと、妙に子供をいじくりまわすより、そうして子供同士で思いっきり遊ぶのもいい方法だと思う。 
家庭内ではその子は、上の子と一緒に毎日ドタバタ、ドタバタ、とじゃれあって楽しそうに生活をした。 これも非常に良かったと思う。 そして、僕が脱サラした時に産まれたからスキーで享楽的な刺激のレジャーは出来なかった。 これもいい環境だった。 
今、戸田のグリーンパークでディキャンプを月に一回行っている。 たまたま通りすがりのお父さんに竹トンボの作り方を教えてお子さんと一緒に遊ぶキッカケになれるのが目的だ。 同じように、三番目の子が小学校の時には家族でよく江戸川の土手でディキャンプをした。 子供たちがダンボールに乗って土手すべりで遊んでいるビデオが残っている。 スキーのような贅沢感が無い。 これも大変良かった。
おそらくその子は学校で多少のイジメがあったことだろうが、ほとんど気にするほどの様子はなかった。 
たぶん、家庭で、路地裏で、毎日思いっきり遊べたので十分に発散できたからだと思う。
その子が中学を卒業をした頃、僕のシゴキを受けていたが、そのときに「お前は小学校のときにたくさん遊んだのではないか、ならば今は必死に学べ」と言ったことがある。 その子は小学校時代たくさん思いっきり遊んだことを十分に自覚していた。
テレビゲームがなかったし、塾通いもしなかった。 豪華なものや贅沢な旅行もしなかった。 その子は、子供同士で、家族の中でたくさんの人との関わりで育った。
ぜひ参考にして欲しい。

2006/10/12
僕は五十歳。 やっと自分の「死」について確実にもうじきあるという気持ちを持てるようになった。 自分の死について意識出来るからこそ今生きているありがたさが浮き上がるのだ。 
先日の感動は、余韻となってまだ残っている。 いや、たぶん一生忘れないだろう。 五十歳でなければ味わえそうに無い喜びだ。
子供の存在は、自分以外の他人を自分のことのように、いや場合によっては自分のこと以上に心配し、努力し、喜ぶ、そんなことが出来るようになれる存在だ。
三番目の子は、小学校に入るときに児童相談所に呼ばれて行った。 それによるとまったく学習が遅れるという問題があると知らされた。 だから三番目の子は始めから相当苦労することを覚悟して育てた。 専門の方のアドバイスではかなり遅いけど必ず理解が出来るようにはなりますから慌てず焦らず育てるようにとのことだった。
このことで僕は、他の障害を持つ親と子供に興味がでるようになった。
あるとき、ダウン症の子に知り合った。 顔がこの症状独特だ。 その子は小学校3年生ぐらいだった。 そして僕になついてくれた。 かわいいんだなぁ。 空き地でプラスチックのクラブでゴルフをした。 それが面白くて面白くて。 何が面白いって、その子の表情がだ。 僕の十周年記念ビデオにその子が登場する。 機会があるようだったら見れば分かる。 ものすごく表情が豊かなのだ。 文章ではそれを上手に表現できないぐらいだ。
また、カブ隊をやっていたときにはダウン症の子二人を招いて種まきの活動をした。 そのときのその二人の友情は素晴らしかった。
ハンディを背負っている方が生きることに真剣になれるということがハッキリ読み取れる。
30代のうつ病やニートの増加の問題を考えると、いかにフヤフヤ、ブニャブニャ、育てられているのかが想像できる。

2006/10/11
三番目の子の話しを順にしていきたいが、どうしても今日は、今、中学三年の四番目の子のことをインサートしたい。

家を買う、車を買う、今日何を食べよう、何を着よう、どう贅沢な旅行をしようか、それらすべて含めて「消費の喜び」だ。
消費の喜びは、手に入れた瞬間に嬉しくなるがすぐに醒めてしまう虚しい喜びだ。
それに対して「成長の喜び」がある。 
自分自身の成長、兄弟の成長、子供の成長、社員の成長、ペットの成長、草花の成長・・・。
どれも手塩に掛けて、甘やかすのではなくしっかりと成長する喜びは地味だが心の奥底からの感動が味わえる。
昨夜、四番目の子がこの成長の喜びをだいぶハッキリと悟ったようだ。 
これは知るのではなく悟りだ。
数日前から前兆があった。 メトロノームの振り子のように一時的に悪い方へも何回か振れた。 このことを医療関係では「好転反応」と呼ぶ。 知っていて欲しい。 本当に良くなる寸前に一時的にかえって悪くなることだ。
悪い方へ振り切れてしまうとまた不良の出来上がりとなる。 しかし、多少の努力の甲斐があってか、いい方向に大きく振れる瞬間があった。 そのときに僕は四番目の子に、この消費の喜びと成長の喜びの違いについて話しをしてあげた。 止めを刺した。
子供の目がキラキラではなくギラギラと情熱が湧いた様子だった。
三番目の子はこれをジックリと次第に理解していったが、四番目の子は一瞬の出来事だった。
僕はもう嬉しくて嬉しくて、カロリー70% off のちっとも味がしないビール味の発泡酒で一人で祝宴をしてしまった。 4本、ゴクゴクと飲ったね。 痛風のことはもうどうでもよくなっていた。
若いお父さん、子供が例えば何かの志をつかむような、そういう心の成長を味わえるよう育ててください。
自動的にはそうなりません。 学校任せでもまったくダメです。
お父さん自身で子供を育ててください。 そしてぜひこの喜びを味わってください。
生きているって素晴らしい。 こんな感動が味わえるなんて素晴らしい。

2006/10/10
四人の子供のうち、上二人は僕自身が幼稚だったためその心が伝わってグレてしまった。
子育てがこれからのお父さん、ここが重要な点だ。 ドジを踏まないように。
下二人は、その反省から子供の心を強く育てるということを最大の目標にしようと決心した。 まるでビデオ屋を目指す時のようにハッキリとそれを心に刻んだ。
そしてある日ボーイスカウトに巡り合った。 さっそくそこに入団した。 
三番目の子が小学校6年でボーイ隊に、四番目の子は年長さんだったのでビーバー隊に入って別々に活動をした。 そのころボーイ隊の隊長は自分のお子さんがいたので特にエネルギッシュに活動をしていた。 
小学校6年ぐらいになるとお父さんから離れて遊びたがる。 しかもボーイ隊では親が不要ときたものだ。 何をしているのか本人の話しだけでしか知る術がない。 
夜の夜中にハイキングをした。 班に分かれて30キロぐらいテクテクと歩いたそうだ。 子ども自身で読図していたようだ。 中には方向違いに行ってしまった班もあったようだ。
こうして子供に自立心や自主性、判断力、そうしたものを体験で覚えていくわけだ。 お父さん、要領を分かって欲しい。
リーダーも引率しているが間違ったら間違ったまま付き合う。 まったくミスコースなしと言うことは無いようだ。 頑張る子供も立派だが、そのリーダーはもっと凄いではないか。
間違えと言う体験をさせるというのは、今の母親ではまず出来ないことだ。 お父さんなら子供の心を強く育てるために出来る。 やって欲しい。
三番目の子は、途中歩きながら居眠りをして側溝に落っこちたりしながらヨロヨロになって朝帰ってきた。 いい体験をさせていただいた。 
これなら具体的に心が強く育つ。

2006/10/09
昨日は、運動会の撮影で急いで行かねばならなかったのであせって書き込んだらどうも文脈がバラバラだった。
まぁ、僕の一番言いたいことはだいたい今までのところだ。 
これからは、その考えに沿ってどう子育てを僕の場合したのか、理論ではなく実践したことを紹介していきたい。
ただ、あくまで一つの例であって同じ事をしてもいいことはない。 それぞれのご家族の習慣にあった子育てで何かを参考にしてもらえたら、それがこの書き込みの目的です。

僕の四人の子のうち、下二人はボーイスカウトに参加して本当に心が強く育ったようだ。
だからそのいいところを伝えられればと思う。
しかし僕の場合、順調にその活動ができたというわけではなかった。
明日からそのドタバタ喜劇を楽しんでいただこう。

2006/10/08
子供にどう自由と責任を教えるのだろうか。
自分の感情のまま好き勝手に振舞えることを「自由」と本気で思っている大人がいる。 それはただの「わがまま」という状態だ。 
例えば、宗教が嫌いなのは本人の勝手だが、それを子供に教えるとなると、自由だが責任が出来る。 肝に銘じてこのことを大人が認識するべきだ。
本当に子供に宗教を無視して生きることが正しいと教えていいものだろうか。
僕の仕事のジャンルはまさしく「自由業」だが、経済的責任は負っている。 だから本当の自由なのだ。
この自由と責任を小学校低学年から少しずつ教えていかないと、それを理解できない大人になる。

ボーイスカウトのリーダー研修で習うことに、子供を育てる教育のあり方というのがある。
それは、子供は、家庭教育・学校教育・社会教育、この三つが揃って育つと言うものだ。
日本の教育機関でこの最後の社会教育の認識が薄い。 もちろん、ボーイスカウトはそれだ。
その他に、身近では近所のおじさんから、神社・お寺・教会などがある。
子供の育ちで決定的なものが「家庭教育」だ。 それがその子のベースとなる。 学校は昔からいうところの「読み書きそろばん」、つまり知識的教育を行う。 最後の社会教育は、学校とは違う他人との関わりを学ぶ。 それは、社会のルールや生き方、友情・正義・感謝、そのようなことを体験で学ぶ。
それが今、なんでもかんでも学校に求めようとしている。
家庭で教えなければならないことも学校に求めている。 親が子育てを放棄している人が増えたようだ。
そして宗教を無視する風潮で社会教育が成り立ちにくい。 それも学校に求めようとしている。
給食費は払っているから子供に「いただきます」と言わせるなという親が現れた。 今の日本の子育てを端的に表しているようだ。
幼稚園に月謝を払っているから子供の全人格を教育して当たり前と思っている保護者がわずかだが本当にいる。

こういうことで、「わがまま」を自由と思ってしまう大人が出来てしまったのだろう。
さぁ、お父さん、子供に本当に大切なこと、生きる意味や価値を教えよう。
それをキャンプで語れば子供の目が輝くだろう。

2006/10/07
僕は、ビデオナー・ビズネットというビデオ屋の集いで会員26名、実勢10名ぐらいの会の広報係だ。
広報係は、会のモチベーションをどう高められるか、それが目当てと言っていい仕事だ。
創設10年の節目に本年度がなった。
ビデオ屋をサラで始めて売上目標である「サラリーマン時代の年収」を達成した会員が一名出た。 彼は今、会で勉強会開催の担当と親睦旅行の幹事の仕事を請け負って下さっている。
彼を見ていてビデオ屋を開業成功させるためのいくつかのポイントをちゃんと押さえていることが分かる。
ビデオ屋が出来たらいいだろうなぁ、という憧れではなくビデオ屋で喰っていこうと決心をした点。
具体的な自分の売上目標を掲げた点。
目指す仕事が具体的で効果的な営業をした点。
とくに最後の営業は、DM配布だけではなく飛び込み営業もしっかりやって成功させた。
僕もまったく同じ道筋をとってビデオ屋を20年続けてきた。
いやこれはビデオだけのことではない。 世の中の仕事の原点だと思う。

普通に子供を育てればいい・・・。 その結果はニート85万人だ。
世の中で堂々と仕事をして自分の人生に価値を作っていく子供に育てよう。
そのためには、子供の心を強く育てることが優先順位として一番初めにあると思う。

2006/10/06br>
もし、志も理念もなにもない会社でただ時間で稼いでいたとしたら虚しい。 多少賃金が安くても仕事の価値が見出せて働きがいがあれば充実すると思う。 やっぱり社長はかっこいい、そう思える会社がいいはずだ。
家庭でも同じだということ。 ご自身の家族のかっこいいリーダーにお父さんがなって欲しい。
優しいパパではなく、りりしいお父さんになって欲しい。 子育てに無関心は熟年離婚の原因の一つだそうだ。

2006/10/05
僕も今のビデオの仕事を始めるときには、自己啓発の講習を受けた。
ビーカーに水を入れてその中にカエルを泳がす。 そしてアルコールで少しずつビーカーを暖める。 カエルはいつでもビーカーから出られるが、ついに水が沸騰するまで中にいた。 
もう一つ、ある発展途上国での話し。 ある病院の二階は、自力で歩けない人ばかりの病棟だった。 庭に大きな木が生えていてその枝が二階の窓に達していた。 その枝を伝って一匹のコブラが病室に入ってきた。 中にいた患者は走って逃げたという。 
集合住宅の五階から自分の赤ちゃんが落ちてきた。 母親は受け止めて何の怪我もなかったそうだ。 よくいう火事場のクソ力の話し。
僕は今の仕事の前は、10年間サラリーマンだった。 自由業から比べればたしかに気楽だ。 自由業は営業も含めすべて成功報酬。
だから自己啓発は必修だ。
それで僕は、「子供をビデオに撮って売る」商売を20年続けることができた。
はじめの頃は、実際にそんな商売がなかった。 まだVHSの普及率が20%ぐらいだったからだ。 
自分で本当に思うが僕がこの仕事で今食べられるのはまったく奇跡としか言いようがない。
そして本当に思う。 子育ては、僕が商売を立ち上げるより難しかったことを。
それをお金を払って他人任せに育てるのはいかがなものだろうか。
確実に言えるのは、親が親として育たない、ということだ。
カブスカウトの活動で二人のダウン症の子供と一緒に種まきをしたことがある。 その子達のお母さんは、健常の子のお母さんよりも堂々としていて明るく行動力もテキパキとしていた。 
言いたいことが分かってもらえるだろうか?
子供の心を強く育てるためには、まず親の心が強くなくてはならない。

2006/10/04
レンタル屋さんでCDが借りられるという認識がやっと出来るようになった。
それを知識として知ってはいたが、初めて借りた。
裕次郎にちあきなおみ、サブちゃん、前川清、細川たかし、いいねぇ。
もっと早く借りればよかった。 なぜ今まで借りなかったのだろうか。 少し人生を損した気分だ。
痛風だから、プリンターが少ないと言うビール味の発泡酒をそれを聞きながら飲んだ。
だめ、そうしたらエンジンがかかってしまった。 うちの中古女房を連れてスナックへ・・・・
あぁ、気持ち悪い。 二日酔いだ。
ところでそこのママは韓国人だ。
日本人の男をどう思う、と訪ねたらやっぱり「幼稚」とズバリ言い切った。
それだけではない、軍隊がいいかどうかは別として韓国のように徴兵制にすれば少しはマシになるとアドバイスをいただいた。
そう言えば、ロータリークラブの下部組織に「ロータリーアクト」という活動がある。 ロータリアンの若者版だ。
その活動で世界の若者が集まっていたとき、若い外国の女の子が「日本の若者は幼稚だ」と言っていた。
子育てをしようという日本男児の諸君、しっかりご家族の伝統の宗教を学びたまえ。

2006/10/03
僕は、40歳を軽く越す頃ボーイスカウトのリーダーをした。
ロープワークは、「南京結び」以外はこのときに覚えた。 子供に教える手前、必死に覚えた。 それだけではない。 体験によって子供を育てる、その方法を学んだ。 異年齢交流、幼稚園界隈で言う「縦割り保育」も実践した。 
するとどうだろう。 本当にくら〜い男の子がビックリするぐらい元気に明るくなっていく。 あるとき、その子の父親が一度だけ活動の手伝いをしたことがある。 「この子がこんなに明るいなんてビックリした」、父親の感想だ。 本当に、本当に、これは事実だ。
多動で手を焼いた子は、ずいぶんと手間取ったが、最後には老人ホームにお手伝いの奉仕活動でおばぁちゃんの目から大粒の涙をボロボロ出すほど喜ばせてくれた。
信仰を奨励するほどの崇高な志があるスカウト運動。 だからこそ美談もいっぱいある。
ロンドンであるスカウトがアメリカ人の高官に道を尋ねられた。 少年は丁寧に道を案内した。 高官はチップを差し出そうとすると、「奉仕の機会をいただきありがとうございます」と言ってチップを受け取らず去っていった。 驚いた高官は、その少年がボーイスカウトであることを知りアメリカに帰ってその運動を早速起こした。 今、アメリカでは、社会のリーダーになるためにはボーイスカウトを経験するという格言があるそうだ。
大戦中のアメリカ兵と日本兵。 これほど仲が悪い状況はないはずである。 その最中、今や日本兵がアメリカ兵の止めをさすべく銃口をアメリカ兵の頭に向けた。 するとアメリカ兵は自分の最後を知り三指の敬礼(ボーイスカウト独特の敬礼)をして気絶した。 銃口を向けた日本兵はそれを見て引き金を引くのではなく、アメリカ兵の傷を治し手紙を書き送った。 「私もボーイスカウトだ。傷は手当てした。・・・・」
僕はこの話しを読んで心から熱いものがこみ上げて止まらなくなった。
スカウト友情は、国を越え、宗教を越え、なんと敵味方さえも越してしまったのである。 本当の平和がそこに見えるではないか!!
この話しは、ボーイスカウトのハンドブックにある有名な美談だ。 神奈川県の公園にこのことを記した記念碑がある。
僕の子供だけでそこまでサイクリングの計画を立て実施した。 記念碑に日本兵と敬礼をしているアメリカ兵が描かれてあった。

宗教を無視してこんなことが起こるわけがない。
宗教を無視して生活することを幼稚と呼ぶのではないだろうか。

2006/10/02
ボーイスカウトには、「教育規定」というハッキリとした基準がある。
これによると特定の宗教や政治団体を宣伝してはならないことになっている。 
特定の宗教を育成会にある場合は、それを奨励するが、そうでない85%の団では特定の宗教を宣伝してはならないが信仰を奨励する。 
それがスカウト運動の一番大きい目的だ。 そしてその難しい作業を僕は請け負うことになった。
ここの部分を宗教が嫌いなリーダーは面倒だから端折っていることがある。
ハッキリ言ってそれではボーイスカウト運動は、ただのレジャーランドに化す。

子供に信仰を奨励すると言っても説教をするわけではない。 それは宗教家の仕事だ。
具体的には、主にハイキングで途中お寺、神社、教会、があったらその説明をする直接的な指導と清掃活動や募金活動などのボランティアで「奉仕」の体験を通して感じさせる間接的な指導がある。 また、これが難しいのだが「ヤーン」と言ってキャンプの実践中にリーダーの話し掛けで目に見えない大切な何かがあることを子供に気付かせるという伝統的な信仰奨励がある。 僕には難しすぎてそれをなかなか上手に出来なかった。 キャンプファイヤーは本来はヤーンだったのだ。 創始者ベーデン・パウエルが数人の子供たちに焚き火を囲んで人生について、宗教について語ったことがその始まりだ。
ボーイスカウトの遊びがキャンプファイヤーのように一般に普及したものに、ハイキングがある。 TOTOという便器の会社があるがそこのホームページに「TOTO便器の歌」があって振り付けもついている。 どうやらこれもボーイスカウトが発祥らしい。

面白いものは、みんなまねっこしていく。
僕が提唱する親子キャンプは、実は中身はボーイスカウトの手法そのものなのだ。 別に僕が考案したものではない。
スカウト運動は、異年齢の少人数のグループで子供たち自身で切磋琢磨して育てるというものだが、僕の考えているキャンプはお父さんがご自身の子育ての場にしようというところが違うのである。
今の日本、子育てにお父さんがお父さんでなければならない仕事をしっかりやって欲しいのだ。 そのヒントにしてもらいたい。

余談
間違っていると困るのでこれを書き込んだ後、TOTOのホームページを見た。 歌詞が「大きいウンコも小さいウンコも・・・」とあるが僕がボーイスカウトでのキャンプファイヤーで聞いたのは「大きいものから小さいものまで・・・」だった。 ずいぶん前までは、このホームページに「ボーイスカウトや学校で流行っている」と書かれてあったが今は削除されている。 そう言えば、ボーイスカウトでリーダー最後のころ、この歌は上からのお達しで禁止になったとか聞いた。 なんらかの圧力があったようである。

2006/10/01
ボーイスカウトの活動は年齢別で、ビーバースカウト・カブスカウト・ボーイスカウト・ベンチャースカウト・・・と分かれている。 僕は小学生を相手にしたカブスカウトのリーダーを4年務めることになった。 もちろん自分の子供がいるからである。 
僕の子供四人の内、下二人はこの活動の教育を受けた。 それで上とはまるで違う子供が育った。

ボーイスカウト運動は、子供の心を育てるノウハウが満載だ。 しかもリーダーをも育てるシステムが本当に立派にある。 学校の先生はこのボーイスカウトのリーダー研修を必修にするだけで教育改革を画期的、効果的に出来るだろう。 するべきだ。
しかし、残念なことが一つある。
それはこの日本が世界有数の宗教嫌悪国であることだ。 なぜそうかは先日推論してみた。
ボーイスカウト運動をしているリーダーも日本人だ。 だから日本のスカウト運動は宗教が大嫌いな人たちで運営されている。
ここに大問題がある。
ボーイスカウト運動を一言で言い表すと、「信仰を奨励する日本で唯一の青少年育成運動である」とこうなる。
しかし、大方のリーダー自身宗教が嫌いだからこれが言えない。
するとどうなるか。
ボーイスカウト運動自体を宗教にしてしまう輩が現れるのだ。
本当の宗教を持たないというのは、心の支えを宗教以外に求める。 
この運動を宗教にしてしまうのは分かる。 それだけの魅力があるからだ。 
しかし、この運動は本物の宗教への橋渡しをするのが目的なのだ。 このことは直接日本連盟に問い合わせてみて確認をした。 
それで分かったことだが、その当時、宗教を育成会に待たない非宗教の団は日本全国の85%もあるのだそうだ。 いかに日本人が宗教大嫌いか良くわかる数字だ。 日本の常識、世界の非常識の原点だろう。

ここに警告をしたい。
テロを行うオカルト集団にのめり込むのは、宗教を無視した家庭に育った人たちという事実を訴えたい。
子供のうちから、そのご家族の宗教をしっかり家庭で教育していれば、そういうものに影響されないはずだ。
また、その家族の生きる理念、つまり宗教的家庭教育の責務は父親にある。
エプロンを着て台所に立つことではない。 その家族の理念を父親がハッキリと示し家族のリーダーシップをとらなければならない。
ここが欠けているからニートが85万人なのだ。

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