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ひとりごと その4 (2006/11)

2006/11/30
(カブ新聞01/8/24) 8月11日 カブ隊の舎営に行けなかったビーバー隊の二人の子でミニハイクをした。 僕の四番目の子に世話をさせている。 
たしか、街にどんな仕事があるのか知るというような履修があって、それを実施したのだと思う。 街の地図を書くと言うような科目もあったと思う。
隣の駅まで電車で行って、市民会館、市役所、保健所、警察署、市民病院、そして最後にゴミ工場へ寄っている。
そう言えば、警察署では外から見ていたら、中にいたおまわりさんがボーイスカウトであることに気付き、中に案内してもらって、仕事についていろいろお話しをしてくださった。
ゴミ工場は、田舎の町の割りに豪華なものがあって、煙突が展望台になっている。 そこに上がって画用紙に街をスケッチした。

たぶんここらへんで、古い体質に慣れていた保護者だけだったところに、
僕の方針を喜ぶ保護者が芽生えてきていたころだと思う。
とくに、この二人のビーバーの子たちは、後に隊活動の中心になっていく。
僕のような強いクセのある人間は、好むと好まざるがハッキリする。 
それはいつものことなので僕は慣れている。 だから、気に入らないという人に、僕は無理して合わせない。
古い友達は、みんなそういう僕の性質をわがままだと言う。
それは違う。
なぜなら、みんなブツブツ文句を言いながらでも遊びに付いて来るからだ。 昔のスキー仲間、それがスカウトになっただけのこと。
いやだったら来なければいい。 そう言ってもいつも付いて来るのができる。 不思議だ。
参加人数は減るが、活動はいよいよエキサイティングになっていく。
僕が隊長の第一年に、ぼちぼちなろうとしている。

余談
その古い友達と昨日、呑んだ。
量は多くなくてもすぐグロッキーになってしまう。 もう肝臓がボロボロなんだろうなぁ。
そいつはうつ病で会社を辞めた。 もうすでに二年近くブラブラしている。
なんとかしようと思い、うつ病を治す本やニートを治す本を買って読んだ。
結局、育てられ方の問題で、親が変わらない限りダメのようだ。 僕にはどうにも手におえない。 せいぜい気晴らしに一杯付き合うことしかできない。
人の心は、本当に難しくできている。
一度、気楽を覚えてしまうと、総ての行動がその気楽さを土台にしてしまう。
僕の上二人の子も結局そういう方向で生きてしまっている。
しかし、下二人は必死にこう教え続けている。
「人は、常に気楽か真剣かを選んで生きている。 なんの訓練も受けないと、人は必ず気楽を選ぶ。 そしてそれがクセになる。 しかし、それでは自分の人生を開拓することは出来ない。 今日一日、自分の力でその真剣を身につけられるように訓練しろ。 お前は(下の子に向かって)ボーイスカウトだ。 あのアメリカ兵と日本兵の話しと同じスカウトだ。 だから、カッコよく真剣を身につけろ。」
こんな風にゲキを飛ばすと子供の背筋がピッと伸びる。
それもほとんど毎日のように、真剣という言葉を使って言葉がけをしている。
三番目の子は、中学三年の夏休みにやっと九九を覚えられるという障害に近いものがあったが歯を食いしばって定時制高校を卒業した。
四番目の子は、中学三年の春では、北辰テストという偏差値を計るもので最下位で行ける高校が無い状態だったものが、この二学期でいくつか行けそうな見通しができるようになった。
僕の子供は頭が悪い。
しかし、熟漬けで知識を詰め込むのではなく、心を強くすることで自分の意思で学べるよう、そういう方針でいる。
だからこの夏休みには、暗記ではなくジャンボリーに行かせた。
効果はゆっくりだが、知識だけではなく生き方も同時に身に付けてくれている様子だ。
その育ち具合を見ていると嬉しい。 愉快でさえある。
子供の存在は、成長の喜びを溢れるほど味合わせてくれるものだ。
他人に自慢するほどの成績なんてどうでもいい、うつ病やニートにならず自分の人生を堂々と開拓し、生きる本当の喜びを味わって生きていけますように。
そして将来、この書き込みや僕がやっている公園での「親子で工作」の活動などで、お父さん自身で子育てをしようという気持ちを強く持つ方が一人でも出来ますように。
うつ病で悩む友達のお陰で、そう心からお祈りしたい。


2006/11/29
(カブ新聞01/8/23) 8月17日〜19日 僕は、カブ隊の子とビーバー隊の子とまたがってリーダーをしていた。 カブ隊にとって夏の舎営は、一年間の総ざらいだ。 その舎営を規定どおりカブ隊だけで行った。
前回の一泊お泊りは、ビーバー隊のキャンプという意味もあったわけだ。
自分で思うけど、よくやっているよ。 並みのBSリーダーでは、やってはいけないことだから、したことがないはずだ。
カブの内容とビーバーの内容を並列して活動しながらも分けるときは、分けて活動をするという器用なことを強いられていた。

さて、前年度の舎営は、僕が「仕事モード」でビデオを撮ったから、幼稚園のお泊り保育のように編集して作った。
しかし、この年からは隊長なので撮影に集中できない。
それでも諦めずに「写真」でカブ新聞に克明に記録をしている。 それは、
18枚からなる組写真で構成している。
僕のカブ隊、夏季舎営、テーマは「伝説を求めて」 はじまり、はじまり〜。 
(拍手をしてください)

  • 那須湯元
    伝説を伝える観光案内版をスカウトたちとリーダーが囲んで読んでいる写真に
    説明文
    「九尾の狐の伝承地、殺生石を見学したね。夏季舎営の始まりだ。」

    アズマヤにスカウトたちが集まり相談している写真に
    説明文
    「夜、お寺に狐を捜す順番を・・・が議長になって民主的に決めたね。」

    橋を渡っているスカウトたちの写真に
    説明文
    「いよいよ、休暇村那須に到着。すごい山の中のコテージだったね。」

  • コテージ駐車場
    リヤカーで荷物運びをしているスカウトの写真に
    説明文
    「駐車場からコテージまでリヤカーで荷物を運びました。」

  • コテージ
    テラスがある。 そのテラスに荷揚げしているスカウトたちの写真に
    説明文
    「コテージの階段からは、リレーで荷物運び。自分のことは自分で。」

  • コテージ前
    カブコール(カブ隊独特の儀式)をしている写真に
    説明文
    「開所式では、森の動物になりきったかな?」

  • 森の中
    スカウトの腰まである茂みにスカウトたちが虫アミを持っている写真に
    説明文
    「さっそく、自然研究路で九尾の狐を追う狩人の追跡サイン(そういうゲーム)を発見。」

    広場で探し物をするスカウトたちの写真に
    説明文
    「サインに従うと、アミが出てきた。それでトンボを捕ったね。」

    注・・・・どうもこの上の二枚の写真は意味からして逆だ。編集ミス。

  • コテージ中
    スカウトたちが練習をしている写真に
    説明文
    「九尾の狐の話しを営火(キャンプファイヤーのこと)の出し物に、その劇の練習をしました。」

    枕を持っているスカウトたちの写真に
    説明文
    「ついでに隊長に了解なしでマクラ投げを。網戸をブチヌイてくれた。」」
  • テラス
    夕食を囲むスカウトたちの写真に
    説明文
    「夜は、テラスでランプの明かりでバーベキューでした。」

  • 夜道
    真っ暗闇を一人のスカウトが歩いている写真に
    説明文
    「夜のお寺へ、狐を捜しに行きました。今年は全然怖くない?」

    注・・・・要するに肝試し。前年度がバッチリだったがこの年はイマイチ。
    リーダーは準備が大変なんだ。しかも当日はたいがい蚊の大群に襲われるし、気味が悪いし。しかし、年間で唯一堂々とスカウトたちに仕返しができるチャンスだった。ウシシシ・・・・


  • コテージ中
    テーブルを囲んで作業をしているスカウトの写真に
    説明文
    「二日目、あいにくの雨。お土産のレザークラフトを作りました。」

    注・・・・天気が良かったら茶臼岳にハイキングする予定だった。
    予定通りだったら、リーダーが夜なべでスカウト全員分、それを作ることになる。リーダーにとって恵みの雨。


    女の子の頭に飾りがある写真に
    説明文
    「チェーン結び(ロープワークの一つ)を、こういうふうに使うなんて女の子らしいね。」

  • コテージ外(夜)
    キャンプファイヤーの前で演技するスカウトの写真に
    説明文
    「営火、九尾の狐の劇は、最高の面白さだった。良かったよ!」

  • 河原
    石を積み上げたカマドにスカウトがフイゴを使って火起こしをしている写真に
    説明文
    「最後の日には、河原に行ってカマドでシシャモを焼いて食べました。」

    注・・・・当時のカブブックでこうして直火で火起こしをするのが履修だった。現在ではどうなっているかは知らないが、環境保護の問題で直火は、しない方が良い。


       おしまい     (ここで読者は拍手をする)

2006/11/28
(カブ新聞01/8/8) 8月4日〜5日で1泊のお泊り会を実施。 カブ隊では「舎営」と言って宿を使ったキャンプを行う。 テントを使った本当のキャンプはボーイ隊からという規定だからだ。 その舎営に向けて要するにリハーサルをした。
自分たちで夕食のカレーを作って、お母さんたちに煮込んでもらう間に近所の神社の境内へ虫取りに行った。 そして公園でスイカ割りをして、それを食べた。 そのスイカは最も大きいサイズで最も糖度の高いものだ。 ある幼稚園で二つ分けてもらった。 普通に買ったらベラボウに高い。 初めて言うが、それは隊長の差し入れだったのだ。 スカウト、リーダー、合わせて10名ぐらいが食べきれなく、残りはカレーの付け合せにした。
そして、夕食の後キャンプファイヤー、の代わりのランプファイヤーを公園でした。
地元の子ども会も誘ってボリュームアップを図っている。 内容はほぼBS流のプログラムだった。 
静かに一列になって円陣を組む。 このときに厳粛な気持ちになれるよう「絶対に口をきいてはならない」と子供に命令する。 非常に重要なことだ。 自分勝手が許されない厳しさを教える。
普通、その後薪に点火するのだがランプなのですでに点いている。
そして、歌ったり、踊ったり、ここは思いっきりバカ騒ぎをする。 「まじめ」と「発散」のコントラストが強ければ強いほどいい。 子供たちは、こういうメリハリのきいたキャンプファイヤーを通してケジメを身に付ける。 そう、銭湯での他のお客さんがいるときと、いないときのようにだ。
最後に隊長からの「ヤーン」がある。 人生について語り聞かせる。 
そして終わったら、また静かに厳粛に退場する。
いつもとは違う露天風呂の無い銭湯へ行った。 そこで「お風呂でキュ、キュ、キュ、」をしたとある。 あれは思い出すだけでも愉快だ。

2006/11/27
(カブ新聞01/8/8) 7月28日 チャレンジ章の「水泳選手」の取得を目標にレジャープールへ行った。 水泳選手と言ってもそれほど難しい内容のものではない。 しかし、学校外でプール指導を受けていないとちょっと難しい。 出来るか出来ないか、そういうことではなく、そのちょっと難しいというところに大切な成長がある。 だから、ちっとも難しくなくクリアーしてしまったら、成長にならない。
ちょうどいいストレスを与えるところに大きく心が育つ秘訣がある。
難しすぎても、簡単すぎてもいけない。
実は、この加減が難しい。 お父さん、よくご自身のお子さんの様子を観察して、その子の能力を把握しなければできないのです。

しかし、記事によるとカリキュラムを心配することが不要だったようだ。
子供たちは、自分たちで勝手に遊びまわっていて、それを追いかけるのが精一杯の隊長でした。
最後は、諦めのセリフで終わっている。

2006/11/26
(カブ新聞01/7/24) 7月15日 地区主催のポスター展があり出品して、それを見に行く。 リーダー側とスカウト側で投票して優秀な作品を表彰する。 
僕は、この企画が好きになれない。 なぜならベーデン・パウエルは大自然を教場にしろと言っているのにまったく違う活動だからだ。 リーダーにおばさんが多ければ多いほど活動がインドアーに傾く。 このために何日も隊集会でインドアーを強いられた。
それともう一つ、当然のことながら「見た目が綺麗」な絵が目標になる。 
子供の絵は、技法に傾くと「イメージ」や「創造性」を学びにくくなる。
それはどういうことかと言うと・・・・
僕の「卒園ビデオアルバム制作」の本のp15にある。

§12
 昭和30年ころ、教育界で自由画の運動が起こりました。
それは、教師が子供に何かお話しなどをして、子供にあるシーンを想い起こさせ、それを各自、自由に絵を描かせるというものです。
想画とも言って、思い浮かぶまま絵を描くのは、何か見て正確に写し取るという写生と、まったく違う指導だそうです。
ある子供は、真っ黒に塗り潰し、大人の目に『絵』と呼べないものでも、一人一人自分で描きたいようにさせます。
構図が整っているとか、技法的に優れているといった点数になりやすいことでの評価はありません。
どれだけ夢中になれたのか、自分の気持ちが絵にどれだけぶつけられたのか、そのようなものを先生は指導するものだったようです。
この指導法で結局目標にしていたのは『本当の創造力』だったようです。
ある本によると、人は、ひとたび創造力がめざめれば、人生におけるすべての前途がこの創造力によって左右する、とありました。 つまり工夫する能力によってこそ人生が開けると言っているのです。
創造力は、ある特殊な人のものではなくて、人が人らしく生きるために、本来誰でも身に付けるべきものなのです。
 この本は、プロを目指すために編集しましたので、あらゆる分野の技術を紹介していますが、しかし、本当に大切なことは、自由画の運動と同じで、創造力をたくましく強くしてもらいたいのです。
そのために、機材やテクニックではないところのトレーニング、研究を勧めているのです。
 自分の心は、どういう方向に育てればいいのか。
自分の生きがいとは、本当のところは、何が目的なのか。
 企業には、戦略、戦術、といった言葉の作戦があります。 でも、いくら優秀な作戦があっても、企業に理念がなければ意味がないそうです。
あなたのアイデンティティ、何に本物を求めるのでしょうか。

谷口則之 1996年5月自己発行


2006/11/25
(カブ新聞01/7/24) 7月14日 虫取りに大きい公園へ行っている。 ザリガニ釣りのあとセミや蝶を捕まえようと思っていたら、スカウトたちは、と言っても三人しかいないが、ザリガニ釣りにハマッてしまった。 忘れもしない、この日は越谷が40度の猛暑の日だった。 もう、熱中症が心配でしょうがなかったが子供たちはザリガニに熱中。 なんちゃったりして。 サム〜。
このあたりでスカウトの保護者に大きい変化が現れる。
活動を頻繁にする方針で、スカウト自身がいやがったのは恐らく1〜2名。 あとは親が辛くなっている。 しきりに負担だ、負担だ、との声を聞くようになり参加者が減っていった。
中には、子ども会のカルタ取りがあるからという理由もあった。
子ども会の活動は、楽しい一日を過ごすことが目当ての活動だ。 BSは、心を育てるプログラムだ。 上手、下手はあるにしろ目指すものが違う。 当然、カブ隊の活動には、大変、辛い、苦しい、そういう乗り越えるべき負担がある。 そうだからこそ心が育つ、ということをほとんどの保護者は分からない。
気楽で楽しいことばかりを子供のうちに体験した場合と、ものすごく大変だったけれど「面白かった」体験をたくさん積み上げた子供では育ち具合が違う。 見れば分かる。 ちょっとした仕草でもテキパキ動けるようになる。 
しかし、大方の保護者は、本人が負担でいやになる。
たぶん、この書き込みは、そういう方は2〜3行を読んでいやになるだろう、気楽ではないから。
たぶん、この書き込みは、完成に近づいてわずかな方が熱心に読んでくださる日がくるだろう。
1万人に数人の方ぐらいの割合。
しかし、きっといると思う。
なぜなら、狭き門に興味を持つ人は、少ないがどこかにかならずいるものだからだ。
その方がどこにいるか分からないが知らせたい。 その媒体としてこれは便利なような気がする。
志を同じにする方に恵まれますように。

2006/11/24
(カブ新聞01/7/24) 6月23日 僕が隊長になって一番力を入れたこと。 
それはたった15分で終わってしまった。 子供バージョンだからだ。 大人は40分を3セットやるとかという話しだった。
それは座禅だ。
やっとの思いで見つけた曹洞宗のお寺。 住職は元ボーイ隊の隊長。 このお寺を育成会にスカウト活動をしている。 本当に本物のスカウト運動をしているだろうことは明白だ。 仮に多少教育規定に反したとしても、その上の理念を貫ける。
「内の団はみんな宗教が嫌いだから」そんなバカなことがあってはならない。

さて、僕個人の宗教は曹洞宗ではない。 打ち合わせのときに住職に一応説明した。 それでも本物は本物だ。 スカウト運動の理念を心がけているから、受け入れてくれた。 日本兵とアメリカ兵の話しを思い出す。 スカウトの本当の平和の友情。
僕は人生の大先輩としてこの住職の態度を学ばせてもらった。 僕の人生にものすごく影響を与えてくださった。 ありがたい。 本気で取り組むと間違えなく大人も成長できるこの運動と、考え創ったBPに感謝だ。
僕の四番目の子は、まだカブ隊でなんだかさっぱり分かっていない様子だったが、三番目の子は意味が分かる。 ものすごく緊張して仏壇を拝んだ。 そのときにこの子は、自分の家族の宗教ではなくても尊重し理解する大切さを「知った」のではなく「体験」をした。
本当に自分の企画ではあるがたまげるほどの素晴らしい体験教育だ。
他のスカウトたちもみんなその場の雰囲気と本物の住職の貫禄でビッシとした。 目に見えない何か怖い存在があることを身をもって感じる。 今の子供に決定的に無い緊張感だ。 素晴らしくいい。 そう思いませんか?
物や金が総ての価値観だとどうしても理解できないかもしれない。 
物質的な欲望と精神的な成長とは、対峙する関係にある。
修行僧は、寝て一畳、起きて半畳。 
キリスト教では、日用の糧に感謝。

禅は、無心になって目をつぶり自分の心の中にあるゴミを浄化する。 考え事をしてはならない。 非常に難しい。 それだけ僕には雑念が多いと言うことだ。
ぜひ、一度は禅を体験されるといい。 また浄土真宗では、説話で分かりやすく生きる大切な意味を教えてくれる。
キリスト教会では、神を無視する「原罪」について教えてくれる。
日本神道では、祈祷の大切さを味わえる。

この書き込みは、心の成長が課題だからこれが一番言いたいことになる。

2006/11/23
(カブ新聞01/7/24) 6月16日 ビーバーの子に「リスの道」というのがあって、その履修に創始者ベーデン・パウエルの話しをした。 そして地区の活動である「ポスター展」に出品するための絵を書かせている。
なぜ、ベーデン・パウエルという人がボーイスカウト運動を興したのだろうか。
それは今の日本の若者たちの様子と似たようなロンドンであったからだ。
彼は優秀な軍人で退役した。 ロンドンに戻って来るとそこにはいたるところにブラブラしている若者たちがいっぱいいた。
いわゆる「ニート」だ。
心を痛めた彼は、若者たちにもっと希望が溢れる人生を送れるように教育するプログラムをいろいろな専門家とも相談して考案した。
そしてそれを実際に試すことになる。
ある島で数人の子供たちだけでキャンプをさせた。
自分たちで考え、リーダーを決めて役割分担をし、行動した。 大自然の中で甘えられないのは一目瞭然。 否が応でもフニャフニャしていられない。 何としても乗り越えざるを得ない。 これがいい。 大自然、寒い・熱い・風・雨・・・・ 子供たちは子供たちなりにどうにかして、つまり生き延びるためのあらゆる工夫をして生きる。 ここだ。 ショゲていても辛いばっかりだ。 明るく歌おう、元気良く作業をしよう、仲間と分かち合おう。 そういうキャンプが出来たらしい。 大成功だった。
この実験キャンプを元にボーイスカウトの活動方針ができた。
そして理念として「明確な信仰を奨励する」という崇高な目標を掲げた。 ここにこそこの運動のカッコ良さがある。
そしてこの運動は全世界へと普及して日本でも大戦前に盛んになる。
とまぁ、こんな風に子供たちに地球儀を使って話しをした。
BSのリーダーはこの理念を忘れてはならない。 無視するようなことがあってはならない。
一番肝心なことだ。
教育規定はただの戦術にすぎない。 この違いをハッキリさせるべきだ。

2006/11/22
(カブ新聞01/6/20) 6月3日 「ゴミゼロ運動」と言って街全体でごみ拾いをするボランティア活動に参加した。 本当は5月30日らしい。 5・3・0、でゴミゼロ。 くさ〜。
学校の運動会と重なったスカウトが来られなかったらしい。 僕の四番めの子とイタズラ坊主のビーバーの子の二人だけだったようだ。 そのビーバーの子が他団のビーバー隊の子と「ほおずり」したとある。 確かに集合写真でそう写っている。
かわいいね。
この子にはたくさんの思い出をいただいた。
近所に住んでいて、ある日、その母親がパソコンを買った。
その母親が生まれて初めてメールを送った。 相手は僕だった。 その母親は、メールをしたことを告げに僕のボロアパートに来て「隊長、隊長、わたしのメール着いた?」
ナント、メールより本人の方が早い。 まぁ、そんな調子だから子供も同じだ。 本当に子供は親の影響通りに育つ好例だ。
ある日、二日酔いでうつ伏せになって寝ていた。 そこにそのスカウトがノックもしないまま上がり込んで、一目散に僕の背中に乗った。 それだけではすまなかったらしく、ジャンプ! ジャンプ! ジャンプ! ただでさえ気持ち悪いのに吐きそうになったことがある。
まだいくらでもある。 僕は仕事で出かけていた。 携帯にその子から電話がかかってきた。 「隊長どこにいるの?」「お前こそどこにいる?」「隊長の家」
僕は貧乏人なので盗まれる心配のものがない。 もうず〜とドアに鍵がかかっていない。 だからスカウトはいつでも部屋に入れた。
この子はほとんど僕の子のようだった。
このころは、集会をして解散してもスカウトたちは着替えて僕のアパートに勝手に集まっていた。 子供たちの二次会だ。
それで、風呂の無いアパートなので僕の家族は銭湯へ行く。 当然、スカウトたちも来た。 他のお客さんがいたら絶対に騒ぐなと教えた。 
ところで行き付けの銭湯には露天風呂がある。 豪華でしょう。 僕は毎日その露天風呂に入ってビールを飲むのが大切な日課なのだ。 
話しが逸れた。 その露天風呂にスカウトも入る。 他のお客さんがいたら騒いではいけないと言う条件だ。 
いなかったら・・・・
黙認した。
こんなふうにいろいろ愉快な子供たちに囲まれて、集会を開くことが「負担」だったのではなく、隊長自ら楽しみだったことを告白する。

2006/11/21
(カブ新聞01/6/20) 5月20日 公園で虫取りをした。 公園のアスレチックでも遊んだようだ。 手抜き企画だな。 ビーバー隊の子のお兄さんがボーイ隊で、その子も来ている。 ビーバー、カブ、ボーイ、全部の制服が揃っている。 感想も「まるで団行事のよう」とある。 規定違反だ。
前回の実施日より空いているのには理由がある。 この間でカブ隊の隊長資格を取るために研修所へ行っていた。 3泊4日のキャンプをした。 ただのレジャーキャンプではないことは分かると思う。
そもそもそれに参加するのに、前もって1日のリーダー講習を受けなければならない。 そして作文を提出する。 僕はその作文にこう書いた。 「・・・子供の数が減って二組を編成することさえ難しくなっている。 そこにリーダー不足だ。 規定では、ビーバー、カブを混成してはならないとあるが、現場ではそうできない事情がある。 それなのにその規定にこだわると言うのは、スカウト運動そのものに金属疲労があるのではないか?」
怒られたね。 県連のお偉方に「こんな作文じゃ、現場でいじめにあうぞ。」
僕が思うに、この運動の規定を宗教にしている証拠だ。 支離滅裂。 子供の心を育てることが一義的でなければならない。 
僕の性格は、組織が大きらいだ。 だから会社勤めを10年もやったのは、自分で画期的だと思う。 よく出来た。
そういう性だから、BSという組織にもどうしても馴染めない。 別に雇われているわけでもないのにおばさんリーダーに命令されたり、「お偉方」に諂わなければならなかったり、もううんざり。
個人で経営をしているビデオ屋の会に入っているが、僕と同じで組織大きらいの連中が集まっている。 どんなに苦しくてもサラリーマンよりはいいんだな。 自由の魅力は何にも替えられない。 そういう価値観があるのです。
そういう僕だから、逆に言うと組織として出来上がっているところでは喧嘩ばかりしてだめだろう。
ある意味でいい団に入れた。
事実上、僕が責任者で三番目の子がスカウトのリーダー役。 家内が補佐。
10人ぐらいのスカウトならこれで十分だ。 幼稚園の先生はプロだから一人で30人以上の子の面倒を見ている。 それから比べればチョロイもんだ。 子供の人数が少ないところに補助が二人もいる。
しかしいいことばかりではない。
各団のカブ隊の隊長が集まる、月に一回「ラウンドテーブル」という会議に出席しなければならない。
その会議では、基本的に全員カブの隊長で「同僚」のはずだが、なぜかおばさんリーダーがシャシャリ出ている。
ある時、仕事の打ち上げがありほろ酔い気分でそのラウンドテーブルに遅刻して出席したときのことだ。
ドアーを開けると、僕と同じで隊長になりたての青年が、いつものおばさんたちに囲まれていじわるを受けていた。 ひどいもんだ。 よって集っている。
理由は規定違反。 そんなものクソ喰らえっていうんだ。
僕は酔った勢いで、思いっきりそのおばさんたちを撃退した。 もう殴る勢いだったと思う。
そのことでその青年隊長とは仲良くなった。
しかも僕よりは若い、可愛いおばさんリーダー一人とも仲良しになった。
そしてその仲良しおばさんのカブ隊とは頻繁に合同で活動することになる。
スカウトは、それで一気に倍の人数の活動を味わえることになる。 
結構、結構。 
結果オーライだ。
人生はこうして愉快に前進させる。


2006/11/20
(カブ新聞01/5/15) 4月28日、公園でゲームをした後2〜3キロ離れた集会場まで読図をしながら歩いている。 そして僕が隊長になって初めての募金活動をした。 5人のスカウトが40分で9,566円集めている。 募金の目的は、「緑の羽根」だ。

最近新聞で見かけないが、昔、よく「40日間地獄の特訓」とかという自己改革の合宿があった。
聞いた話しでは、知識的なことは少ないか無いか、やることは総てモチベーションを高めるプログラムだそうだ。
僕はそれには行った事がないが、似たような講習を脱サラのときに2泊か3泊で受けたことがある。
どんなことをするのかというと、例えば、「あれが悪いから、これが悪いから、そうぶつぶつ念仏のように心に不満を持っている間は何事も成就しない」とか、「真剣に取り組んでいるつもり、実際は腹の底からエネルギーをだしていない」とか、「人前で大声で自分の考えを発表する」とか、まぁそういう根性を叩き直すことばかりだ。 最後の人前で大声を出すというのは、僕は大きな会議室でやったが、その40日間では駅前に繰り出して実施すると聞いた。
ボーイスカウトの活動の内容をよく検証すると、実はこの自己改革の講習内容が多いことに気付く。
駅前での募金活動は、特にそのことが言える内容だ。
スカウトたちは、何回も募金活動をするうちに実際にモチベーションが上がっていった。
そうなるようにするためには、隊指導者自らでかい声で堂々と募金を訴えなければならない。 子供たちは指導者の声に同調してでかくなることを体験するはずだ。 募金活動で僕の隊では、後にビックリするようなことが起こった。
カブ隊のリーダーをしている方は、この募金活動を逃れられない。 どうせやるなら腹の底から思いっきり声を出して実施し、スカウトに見本を見せてやって欲しい。 恥ずかしがっている心は、実は普段真剣に生きていない証拠です。 言い逃れができない。 
頑張ってください。

昨日、Snowmen Camp Club のディキャンをした。
小雨の中、誰も来ないだろうと思っていたら僕の高校時代の友人が来た。 彼とはもう35年の付き合いだ。 妹と結婚した。
昔、年に35日スキーをしていたころのスキー仲間でもあるし、ただのレジャーだったがオートキャンプの仲間でもあるし、カブ隊の活動の手伝いを時々してくれた友人だ。
僕の古女房と三人でのんびり過ごした。 人生は本当に、アッという間に過ぎ去っていく。 そんなことを思い巡らす一日だった。
僕はアウトドアーで調理が苦手で出来ない。 そこで昨日は「イカの鉄砲巻き」に挑戦した。 結果は・・・・、食べられなくはなかった。 ニラの卵とじの味噌汁にシジミを入れるのも良くないことを知った。 
じぃじの体験学習でした。

2006/11/19
(カブ新聞01/4/16) 4月14日 やっと晴れたらしく、ミニハイクをしている。 それまでは目的地まで歩いていって帰りに電車に乗って帰ってきたが、今度は逆で電車で行って帰りを歩いている。 「東川口駅」まで行った。
どうやらこのときに初めて読図をしたようだ。 カブ隊なので地図を拡大したものを使わせている。 方位磁石はなし。 東西南北の方向の概念を教えている。 馬鹿馬鹿しいかも知れないが、慣れていないと大人でも分からなくなることがある。 体を北に向けて右手が東、左手が西、後ろが南だ。 そんなことは知っている、と思うでしょう? 何回も訓練しないとすぐ様には案外出来ないものだ。 知っているのと出来るの違い。 体験教育のところです。 太陽の影を頼りに歩いた。
さて、例のくら〜い男の子がとっても元気が良さそうだ。 一番の年上なのでたぶん隊長も力を入れていたのだろう。 
異年齢交流、幼稚園界隈で言うタテ割保育を実施するに当たって要領がある。
それは、年の違う数人の子供のグループでリーダーとなる子を一人育てる。 リーダーとしての資質を身に付けられるようにする。 そして次にその直近の子の面倒を良く見るよう仕向ける。 年上の子が年下の子の面倒を見るのだが始めは負担が大きい。 しかし、そこを乗り越えさせると不思議なぐらい年下の子の面倒を見るようになる。 そうなったらしめたものだ。 次はその年下の子がさらに年下の子の面倒を見させる。 こうしてその子供たちのグループの中で「友情」を連鎖させる。 
今回はそれを意識して一番の年上の子を指導している。
その暗い子は、ナント、自主的に他の通行人に道を尋ねたようだ。 その子にとって画期的な成長をした。 そのことが隊長として嬉しくて記事にしている。 そしてこうある、「・・・自分でそうしようと思ったこと、そして実際にしてみたこと、実はその時、乗り越えようとそう努力したところに・・・の本当の男のカッコ良さがあったんだ。 これからもその調子でいろんな問題を乗り越えようぜ!!」 
お父さん、パクリでいいからこういう言葉がけを頑張った我が子にしよう。

2006/11/18
(カブ新聞01/4/16) 3月31日 雨のため活動内容を変更して児童館でゴム鉄砲作りをしている。
活動日数が前年度より多いため二人の副長の一人がリタイヤ。 もう一人も大きい企画のときだけで手伝ってもらうことになる。 その分三番目の子が、「ベンチャー隊」に登録し事実上カブ隊のリーダーを始める。 写真でも制服を着ている。
結局家族総出の隊運営になった。
少年野球が月に二回程度の練習でいいのだろうか。
サッカーのチームだって同じだろう。
僕の姪っ子は、バスケを習っていだが「毎日」だそうだ。
子供の心を育てるという非常に難しいことをするのに月二回ぐらいで本当に出来るのか?
そう考えると毎週はやりたい。 ついて来られないリーダーに合わせていられなかったのだ。
ここらへんは、小さな隊だったので好きなようにさせていただいた。 昔は毎週活動をしていたとも聞く。
お父さん、幼稚園の「お泊り保育」というのはまったくボーイスカウトのキャンプそのものです。 自分のことを自分でさせる。 親の甘やかしから離れる。 つまりこの年齢で「自立」を子供なりに意識させるというすごい活動です。 
大人の観光旅行ではないのです。 そこには子供に意識されなくても「訓練」の要素があります。
そしてこのような体験は一回だけでは身に付きません。 ボーイスカウトに入らなくてもご家族で何回も何回も子育てを目標にしたキャンプを小学校、中学校へ行っても体験させてください。
その方法は、親子キャンプのビデオのダイジェストを見ればだいたいの察しがつくと思います。 一番重要なところを端折らないでダイジェストしました。

これから寒くなりますが、寒い、熱い、雨、雪、そういう自然の厳しさを子供に体験させる。 そのことで生き生きと生きようとするように育てましょう。 けっして人をいじめたりするような心にならないように。
いじめをする子は、心が育っていないのです。 いや親が育てなかったのです。

2006/11/17
(カブ新聞01/4/16) 3月24日 市内の中学校でほんのちょっぴりだけ吹奏楽団に混じって演奏をした。 滅多にない体験をした。

今朝の新聞では「いじめられている君へ」と題して子供たちへのメッセージが載っている。
僕は、小学校高学年から中学生までで6回引っ越した。
その内で目黒の中学での話しだ。
一人の女の子がいじめに遭っていた。 それはひどかった。 何の理由もない。 たぶん僕と同じ転校生だからだろうか。 口をきかないといういじめをしていた。 その子に声をかけた子も「有罪」になってみんなに無視される。 僕は転校したてで事情など知らない。 その子に普段の会話をしたら僕が今度はいじめに遭った。 幸い男だったからか数人のクラスメイトができた。 
多感な時期に精神的に追い詰められれば誰でも相当なストレスだ。
それで分かったのだが、いじめは一人に対して大勢でやるということだ。
僕の四人の子のうち、上二人は暴走族をした。 これも決して一人ではしない。 ある日長男の仲間一人だけと会ったことがある。 それは弱々しい子供だった。
精神的に貧弱だからこそグループで悪さをするという共通点があるように思う。

人の行動には、その動機の背景に必ず本人の嗜好があると思う。 例えば恋愛中であれば、会社に行っても、もう帰ってからのことばかり考える。 うまく落ち合えるか、そのことがその日の活動の中心になる。 たいがいの人がこれを経験するだろう。
僕はサラリーマンだったころ、毎年、35日ゲレンデに立っていた。 休む理由に親戚を皆殺しにした。 上司に「お前は親戚が多いなぁ」と言われた。 5月の連休に初めて月山へ春スキーへ行ったときもそうだった。 葬儀に出席していたはずの僕の顔は真っ黒に日焼けしていた。 営業だったのでお客さんに会わなければならない。 毎日毎日、行く先々でその顔の日焼けの理由を語る仕事が増えた。 同じ説明を何回も何回もするのは本当に辛かったなぁ。 それでもスキーはしていた。
何に興味をもち、何を好きになるか。 それがその人の行動、活動の根本になる。
僕は、小学校低学年で年中ドライブに連れて行かれた。 「鉄腕アトム」の漫画が遅くなっていつも見ることが出来なくていやだったことを思い出す。 毎週のようにドライブ。 そういう環境だったから僕は大人になってすることは、「毎週」何かをすることになる。 スキーでもBSの活動でもその癖は抜けない。
そして僕の子供はみんな小さいときからキャンプをたくさんしてきたのでアウトドアーが好きなようだ。
虐待を受けて育った人は、子供を虐待する傾向があるという。
いいことでも悪いことでも、親子の間で連鎖しやすいらしい。 たぶん日常の生活で特定な活動が多いとその影響が代々に伝わるのではないだろうか。 そしてそれが個人の嗜好になりやすいのでは。

毎日毎日、気楽で楽しいことばかり。 そして苦労なく楽しいことで「幸せだね」と言葉がけをしていたらどうなるのだろうか。
当然その子は、気楽でないと不愉快な人に育つ。 そういう人に、僕が主張するような「苦労があるからこそ心が育つ」なんて言うとムキになって怒り出す。 理屈では了解したとしても行動はたいがい「気楽」が動機になる。 建前と本音が違う人に誰でも会うことがあるでしょう。 

いじめをする子は、恐らくいじめをするように親が育てているのだろう。 
いじめられやすい子は、実はいじめられやすいように育てられているのかも知れない。
机に向かって暗記ばかりを毎日毎日していて、または毎日毎日下品なテレビばかりを見ていて、または毎日毎日ゲーム漬けになっていて心が育つ訳がない。 ありえない。

お父さん、キャンプは一回や二回では子育ての効果はない。
思いっきり、毎週のように子供とキャンプをすれば効果絶大だ。
そこまではいかなくともせめて最低でも月に一回は子供と遊ぼう。 子育てを放棄してツケが回ってくるのは他でもない、お父さんです。 僕がそうだったからこそ声を大にして訴えたい。

僕は、日曜日にビデオ撮影をして稼ぐ商売をしている。 僕は仕事を蹴ってでもボーイスカウトの活動をした。 それもこれから紹介するように毎週のようにやった。 仕事を言い訳にできない。 僕はやった。
男の子は特に父親の存在を肌身で感じてこそ「男前」に育つ。 男が女々しいのでは困る。

2006/11/16
(カブ新聞01/3/16) 3月10日 隣の県にある団のキャンプ場で初めてディキャンプをした。 竹やロープを用意しておいてスカウトたちがヒントなしで「小屋作り」に挑戦した。 僕も子供の頃、ダンボール箱を使って陣地ごっこをした覚えがある。 子供たちは試行錯誤の末、なんとかブルーシートを使ってタープのようなものを完成させた。 そこでお昼の「カブにぎり」を食べた。
大人の指示で上手に作るのではなく、自分たちでこうして試行錯誤するところに「工夫」の力が養われる。 これは非常に重要なことです。 
ぜひお父さん、子供に考える機会を、そして実験することを、たくさんそういう体験を積み重ねてください。 そのことを普段の習慣になるようにしましょう。 小学生の低学年からしっかりこういう教育を重ねることで中学生ぐらいで自主的にキャンプの計画が立てられるようになるでしょう。 いや、立てられるようになることを目指してください。
工夫の力、それはデザイン力です。 発想力です。 
僕はビデオ屋ですが、この力がないと「絵」を組み立てることができません。
先日の漢字を知っているのではなく、文字を組み合わせると言うのもこの力です。
キャンプを通して工夫を身に付けさせれば、将来その子は自分の人生に「工夫」が出来るようになるのです。

子供の自殺の原因はさまざまだと言われます。 たぶん、自殺のキッカケがいろいろあるということだと思います。
そのキッカケ以前の問題として「工夫」が出来ないということが恐らくあるのではないでしょうか。
自分の都合のいいようにならないから「ダメ」と決め付ける。 
そうではなくて自分の都合が悪かったら、なんとか工夫をして良くしよう、そう思うことが出来るように育てましょう。 そういう心に育てるのは親の義務であり責任です。
工夫することを子供に覚えさせる。 ひとたびこの工夫の力を身につけた子供は、人生のあらゆる局面で工夫ができるようになる。 そしてそのうちにこの工夫自体が面白くなる。 こういう教育をしましょう。
そう育てられた人は幸いです。 物や金を人生の価値にするのではなく、自分のまた他人の成長を人生の価値にし、幸せを感じることが出来るようになります。 
消費の喜びではなく成長の喜びこそ本当の幸せ、いや感動と言ったほうがいい、があるように人生は出来ています。

昨日の朝日新聞のトップに「いじめている君へ」と題して精神科医がメッセージを子供に送っている。
ここのところの子供の自殺が連鎖して、ともかく緊急提言という切羽詰ったものを感じる。
残念だが子供にいくら訴えても改善の可能性は極めて低いだろう。
自殺しやすい弱い心に親がしてしまったところに問題の根本があるはずだ。 だから親の養育態度が変わらない限り子供たちは変わらない。 
これはうつ病やニートを治すという複数の本に書かれてあったことだ。
ニート、うつ病、自殺、晩婚、今の社会問題の根本は心の育ち具合にある。 なぜ、ここにもっと注目しないのだろうか。
心を育てる。 知識教育に偏っているから疎かになっているわけだ。
若いお父さん、早くこのことに気付いた分、子供の心を強く育てられるようになれるでしょう。

また同じ朝刊に「自殺の連鎖止めたい」と題して事例を挙げている。 その脇に京大院助教授調査というのが出ている。 そこに「テレビやゲーム漬けがいじめを助長する可能性がある」とある。
お父さん、この記事をどう読みますか?
子供に下品な番組や過激なゲームを与えているのは、今現在の親です。
真剣によく考えてください。
テレビやゲームに子供が夢中な分、工夫する活動がないのです。

お父さん、大自然に子供と繰り出して親子キャンプをしよう!

2006/11/15
(カブ新聞01/3/16) 3月4日 となり街の文化会館へ市民団体による吹奏楽を聞きに行っている。 スカウトたちがほんのチョッピリだけこれから演奏をするので、その興味付けに聞く側になってみた。 カブ隊のお兄さんは聞く態度が良好だったようだが、それより小さいビーバー隊の子は、モジモジしていたようだ。 その小さい子達も次第に立派にしていくのが子育てになる。 決して急には成長しない。 言葉で無理やり仕向けるのは、まったく身に付かない。 ましてやスローガンを掲げるだけでもし、子供の心が育つようだったら誰も苦労などいらない。 まるでいい酒でも造るようにジワジワと醗酵させるように子供の心を育てよう。 早すぎても、ほったらかしでもいけない。 
お父さん、僕の言いたいことを心で聞いて分かって欲しい。

幸せを感じ取る能力、それは心を強く育てることで実現する。
その訓練を幼少期から受けていないとどうなるか。
些細なことで我慢が出来ない心になる。

ここのところ、子供も校長も自殺流行だ。
大人も子供も、弱々しい心の証拠だ。
心を強く育てる。 それは有名大学に入るための知識をいくら詰め込んでもならない。
苦しいこと、辛いこと、大変なこと、悲しいこと、それらを乗り越えようと決心したときだけ少し心が強くなる。
知って欲しい。
心も筋肉と同じで鍛えない限り貧弱だと言うことを。
暗記という「苦しい」もあるが総てではない。
体験によるそれらをその子供にちょうどいいストレスで与えて欲しい。
ちょうどいいところを越してストレスを与えることを虐待と言う。
おとうさんが真心を込めてこの「ちょうどいい」を与えるところにこそ父親の愛がある。 甘やかしではない。

2006/11/14
(カブ新聞01/3/16) 2月24日 ミニハイクが雨天のため中止になって、ロープワークをスカウトたちが学んだ。
たぶん僕はまだ覚え切れていなくてボーイ上がりの副長にリードしてもらっている。 本当は何かゲームをしながらロープワークを教えるのが伝統だが、写真をみると直接的に教えている。 まぁ、学校教育と同じだ。 結局子供は覚えてくれない。
興味付けが浅く、子供が面白そうに感じていないときに何を教えようとしても「身に付かない」ものだ。
学校教育では、本来、「暗記」が主流の教育になる。 それはそれで必要だ。 知っているか、知らないか、そういう教育である。
それに対して社会教育であるBS運動は、知識なり技能なり「身に付ける」ことが目標になる。 知っているのではなく出来るということ。
このことで体験教育とも言う。

話しが変わるが、僕はビデオ屋だ。 映像を撮るほかに録音という技能が必要になる。 しかし、僕のように個人事業のビデオ屋は録音技術がほとんど度素人のことが多い。
個人事業のビデオ屋の会をしていてビデオによる会員紹介を年に一度発行している。 その編集の担当だが、音のレベルがみごとにバラバラで一本づつ調整して編集している。 ビデオ屋なんだからもう少し音をしっかりやってもらいたい、そう毎年思っていた。
先月、学校の合唱、合奏を専門にやっているビデオ屋さんからいきなり4回のヘルプがきた。 今まで年に一回ぐらいだったから何かあったのだろう。
音の仕事だから、当然録音技術がそれなりに必要だ。
たぶん、それでつまづいたビデオ屋が干されたのではないだろうか。 そうでなければ急にこんなことが起こるわけが無い。
そこで、とりあえず会報で録音技術の特集を組んだ。 会員の一人が理屈を知りたいというリクエストに答えた。
そして来年1月にその実地を行うことになった。 この実地のところが体験教育となる。 「知っている」のではなく「出来る」ようにする。
僕は学校の知識教育を悪く言っているのではない。 十分な知識があって実地した方が効率よく身に付けられるから、それは必要だ。
しかし、テストに合格するためだけの知識教育は社会で役立たない。 ただの理屈屋になってしまう。
お父さん、ここの違いをよく理解して子育てをして欲しい。
例えばこんなことがあった。
僕は学校の勉強が大きらいで漢字が小学校3〜4年生ぐらいのものが怪しい。 同業者で本人が自慢するほど漢字をよく知っている人がいる。
しかし、その人はビデオの申し込み用紙の文章を書くことが出来ない。 
これは本当のことだ。 僕の申し込み用紙を改良して作っていたことがあった。
「知っている」から「出来る」とは必ずしもならない例である。
お父さん、子供はたくさん知っていて自慢する人ではなく、自分の人生を能動的に開拓できる、そして幸せを感じ取る力がつくよう育てましょう。

それには、子育てキャンプの遊びが非常に有効です。

2006/11/13
(カブ新聞01/2/14) 2月10日、スカウトのリクエストで釣りに行っている。
チャレンジ章の「フィッシャーマン」の取得を目指している。 たくさん釣った子が釣れなかった子に魚を分けてあげたようだ。 そのことを強調して記事にしている。
子供をやたらに誉めればいいというものではない。 そのタイミングと調子が大切だ。

逆に叱ることも重要だ。 子供は怖い存在を意識してこそビッシとする。 
子供の心に緊張感を体験させることは、たぶん今の日本の子育ての中で最も不足しているものだと思う。
気楽で楽しく緊張感がない生活を毎日、毎日、過ごしているとどうなるか考えて欲しい。
それを幸せだと親も子供も思ってしまったら・・・・
僕には手が負えない。

幸せを感じ取る能力を高める。

ぜひ、そのために子供の心を鍛えてください。 鉄は熱いうちに打て。 可愛い子には旅をさせろ。(ここで言う「旅」とはレジャーではない、命がけの冒険という意味だ)
日本舞踊に「親子連獅子」という番がある。
親獅子が子獅子を谷底に突き落とす。 子獅子は必死にその谷より這い出ようとする。 しかし、それはなかなかうまくいかない。 失敗体験を味あわせる。 ふてくされないで最後まで諦めずに登りつめようとする。 親獅子は、心配で谷底を眺める。 そこへ子獅子が登ってくる。 すると子獅子はすでに親獅子と同じ立派な毛を身にまとっている。 親獅子はもう嬉しくて嬉しくて、子獅子と共に乱舞して祝う。
子育てで重要な親の心構えをこうして日本文化では伝承していたはずだったが・・・。

2006/11/12
(カブ新聞01/2/14) 2月4日 チャレンジ章の「アイススケート選手」を取得するためにスケートリンクへ行った。 初詣もそうだが、こういう時期のものは、他団のカブ隊によく出会う。 こういうチャンスを生かしてBSは世界運動と言うことを教える。 記事もそのことが書かれている。 
スカウトたちのおかげで何十年ぶりに僕もスケートをした。 子供を育てる、というのは大人にとってとても健全な刺激になる。
この間、幼稚園の参観日をビデオ取材した。
三人の子供がいるお母さんが、年長さんの参観で来ていた。 手の離せない二歳の弟を連れていた。 ここまで話せばどういう状況か想像できるだろう。 二歳の子が大人しくしている訳が無い。 当然お母さんはてんてこ舞いだ。 僕はお母さんに言った。「その大変なところが賑やかで楽しいんだな」 お母さんは何をバカなことを言っているおじさんだろうという顔をしていた。 そんな悠長なことを言っている場合じゃない、という状況だからしょうがない。 それでもそういうときが後から思うと一番人生で充実しているものだ。
今、子育てで子供に振り回されているお父さん、お母さん、頑張ってね。
負担が大きければ大きいほど、いい人生なんです。
僕はカブ隊のリーダーをしていて普通のお父さんよりは負担が多かったはずだ。 だからこそ今、心の財産になっているのです。
できたら、お子さんが男の子だったら活発な活動をしているボーイスカウトに参加して、お父さん自身も積極的に活動の手伝いをしてみましょう。 いい思い出になること間違えなしです。

2006/11/11
(カブ新聞01/2/14) 1月13日 四番目の子一人を相手にビーバー隊の頃やった「ランプファイヤー」を行った。 
まさか、そのリハーサルをすでに済ませているなんて自分の人生の綾に驚いた。 事実は小説より奇なり。
公園で「グニャグニャ凧」を作って遊んでいるうちに暗くなるように設定している。 そしてランプファイヤー。 歌ったり踊ったり・・・。
これは夏の「舎営」のキャンプファイヤーの予行を兼ねている。
集会の始めと終わりに「セレモニー」という簡単な式をするのだが、それがどうもビッシっと決まらなくて隊長が悩んでいる記事になっている。
僕がリーダーの補助の前年度では、スカウトたちの歌声が小さくてダメだった。 僕が隊長になってそれはすぐに改善できたが、スカウトがジッと立っていられなかったのだろう。 文脈が少々乱暴で怒っている。

三番目の子が小さいとき、この子は言葉が通じなかった。 だから僕はその子とコミュニケーションをとるためにオーバーアクションの表情を作っていた。
毎日毎日、顔が引きつるほどのオーバーアクションの顔をつくった。 まるで俳優なみだ。
それが、幼稚園の仕事にとってもいいことになった。 
何かと言うと、子供たちが僕によく懐いてくれる。 どうもその理由がハッキリした表情を僕がするかららしい。 無理に作ろうとしているわけではなくもう習慣になってしまっている。
人生の綾は本当に不思議だ。
仕事柄、人の顔の動きはいつも観察している。 顔全体の動き、口元、目、その中で最も重要なのが「眉」だろう。
眉を隠すとその人がどういう気持ちなのか読み取れなくて不安になる。
笑い話で、お母さんが化粧を落としたら赤ちゃんが泣き出した。というのがあるが、まさにこれは「眉」がなくなったからだ。
カブ隊のリーダーは、子供と「顔つき」でコミュニケーションをとれるようにしてみて下さい。 大声で怒鳴なくて済むようになれるでしょう。 また多くのお父さん、お母さんにもこれを勧めます。

ヒステリックな大人が子供の心を歪めます。 覚えておいてください。

2006/11/10
(カブ新聞01/1/12) 1月8日 団行事で初詣と餅つきをした。
初詣は最寄の大きい神社へお参りに行った。 制服をきちっと着て隊の旗を持ってなかなかりりしかった。 目に見えにない神様を畏れ敬う気持ちをこうして実際に体験することが大切だ。 その場の雰囲気で子供は子供なりに緊張する。 それがいい。
神社までミニハイキングしている。
そのあと餅つきをしているが、毎年恒例なのでしかたなく実施した。 なぜかというと、スカウトたちは杵を持つという体験だけで内容的にスカウトの活動らしくないからだ。 芋掘り同様次年度では内容をガラリと変えた。

2006/11/09
(カブ新聞01/1/12) 12月17日 団行事でクリスマス会をした。 
僕は子供の頃なんでクリスマスをするのか分からなくて親に尋ねたことがある。 分からない。 神様と仏様はどう違うのか尋ねたこともある。 分からない。
子供は何でも知りたがる。 子供の質問は鋭く難しいことが多い。
お父さん、自分の宗教ではなくてもちゃんと子供に説明できるようにしよう。
僕はいろいろな宗教家に会ったが、自分の信仰に夢中なことは大いに結構だが、違う宗教の悪口は最低だ。
そういう宗教家を信頼できない。
たぶん、本当のところ心の奥底でそれを信じるのにどこか不安なのではないだろうか。 他教を具体的に非難することで安心したいという心理が働いているような気がする。 そうでなければ、盲目的狂信的なのだろう。
マザーテレサという有名なシスターがいる。 僕は彼女が大好きだ。 自分の子供にその活動を描いたドキュメンタリーをもう何回も見せている。 そしてその度に「マザーテレサは、違う宗教を本当に大切に扱った。 ボーイスカウトの日本兵とアメリカ兵の話しでも分かるが、国を越え宗教を越えて友情が持てることが大切だ。 人の宗教の悪口は決して口に出してはならない。」

自分の信仰はしっかりと自分の心の支えにし、また人の宗教を尊重する心に育てることが大切だ。
宗教を無視すると言うのは、これとは別次元の話し。
少なくてもボーイスカウトのリーダーは、このことを腹に据えなければならない。 そして、スカウトに宗教の違いについて、また特徴についてしっかり説明して欲しい。
残念だが、このクリスマス会は、ただのドンチャン騒ぎだった。 非常に不満である。

2006/11/08
(カブ新聞01/1/12) 12月16日 宝物探しをした。 カブ隊ならではの企画だ。 海賊が残していった宝の地図がそこら中に落ちていて、それをスカウトたちが拾い集める。 そして一枚の地図が出来ると何か印がある。
もうここまでで子供たちはかなり目を輝かせている。 そしてたぶんこれがお宝だ、いやこっちだと相談しているところの写真が出ている。 中にはテーブルに見を乗り出している子もいる。
そして相談の結果、たしか二手に分かれて公園の中でお宝探しをしていた。
この相談したことと、二手に分かれるという作戦を子供たちが自主的にやっていた。 正にここのところにこの企画の目当てがあったわけだ。 こうして少グループで年の違う子供たちがワイワイと遊ぶ、これこそBSの活動の特徴なのである。 組長というボスがいて時々だがリーダーシップをとることがある。 年上の子が下の子の面倒を見たりする。 幼稚園界隈ではこのことを「縦割り保育」と呼んでいる。
スカウトたちは、手分けして一つの「お宝」を地図によって見つけ出したようだ。 どうしたか詳しく覚えていないが、実はそれを元にもう一つの本当のお宝のヒントがそれにあって、また子供たちは公園の中を走り回って探した。
たぶん、このときにBSならではの「追跡」を実施したはずだ。
こうして本当のお宝を見つけてめでたし、めでたしという一日だった。
リーダーは事前の準備で簡単に見つからないけど、いつか見つけられるだろうというちょうどいい具合にお宝を隠すわけだが、これが非常に難しかった。
僕は、カブ隊の活動の企画を立ち上げるたびに「企画力」を学び身につけていった。
大人も成長するすごい運動だ、BSは。

2006/11/07
(カブ新聞01/1/12) 12月9日、サイクリングを実施。 滅茶苦茶多動の子がいて安全を図って公園を周回するコースを考えた。 これはカブブックとは別の「チャレンジ賞」の科目で「サイクリング」を取得するのが目的だ。 
このチャレンジ賞というのは、本当は自主的に自分で取るものだが始めの何個かは、こうして隊活動で取得する。 そうしているうちに子供が自分で勝手に貰えることを知ると次第に夢中になって自分自身で「チャレンジ」するようになる。 本当にBSの教育システムはよく出来ている。 感心する。
さて、サイクリングだからといってただ自転車に乗るだけでは面白くない。
乗る前に自分の自転車の絵を書かせて、そこに部品の名前と機能を教えている。 実は、ギックリ腰、痛風もちの僕は、こう見えても若い頃はサイクリストだった。 アランのフレームのロードでそこら中走り回っていた。 自転車のオーバーホールは当然自分でした。 だから子供たちにマニアックに部品を教えたはずだ。 こういうのって楽しいんだなぁ。
そしてそのあと実技をしている。
真っ直ぐに走る。 直角に曲がる。 カラーコーンを置いてスラロームもしている。
多分、ロードで何かの妙技に失敗したのだろう。 隊長がコケたようだ。 紙面で一所懸命言い訳をしている。
リーダーの失敗は大いに子供にウケル。 トホホ・・・・

200/11/06
(カブ新聞00/12/1) 11月25日、ミニハイク実施。 「松原団地駅」まで歩き、そこから電車に乗って帰ってきている。
今度は、道路標識を歩きながら探してメモを取っている。 カブブックという教科書みたいなものがあってその履修をしている。
スカウト一人、一人の様子が書かれている。 その中でのオオトリは、普段ゲーム漬けで部屋にこもりがちのクラ〜イ男の子だ。
誰が見ても暗い、実にその父親でさえも暗いと言っているぐらいだ。 その子が、「あぁ、楽しかった。 あぁ、楽しかった。」と言っていると書かれてある。 続いて「隊長はその・・・の言葉が一番心に残りました。 さぁ、次はサイクリングと宝捜しだ!!」と感想を述べている。 僕が音頭を取り始めてまだ数回の活動でこの子は目を見張るように生き生きとした子になった。 
本来の子供の姿に戻ったのだ。 
ということは、家庭教育で暗くなるように育てているということなのだ。 
ぜひ、それはどういうことなのか、お父さん推論してみてください。
ヒントは、大きな家に住んでいる。(引きこもる部屋がある) 
父親はまったく子育てに興味が無い様子。 
母親は見た目でいいかどうかを常に判断をしている。 
そしてヒステリックにいつも制止している。
そこの家庭を全部観察したわけではないが、これだけのことが分かれば僕には、どうしてその子が暗いのか理由が分かる。
そして、たぶんハイキング中にその子が元気が出る言葉がけの処方をしていたのだと思う。

2006/11/05
(カブ新聞00/12/1) 11月11日 ミニハイクを実施。 「吉川駅」を目標に歩き、帰りは電車で帰ってきた。 途中で草花の観察を行っている。 コースに神社、お寺、教会があってそれぞれ「宗教」が違うと言うことを教えた。 大方の子は、教会が違うことは理解しているが神社とお寺の違いが分からない。 普段の生活でごちゃ混ぜにしている弊害だ。 本当にこのような宗教観でいいのだろうか。 大晦日に除夜の鐘を聞きに行って翌朝初詣。 なんの疑いも無くごちゃ混ぜで本当にいいのだろうか。
僕は、子供たちに教会はイエスキリストというお方の教えがある宗教で、お寺は仏様の教えがあるところだよ、と教えた。 神社はよろずの神と言っていろいろなものに「神様」が宿っている。 そしてそれを拝む宗教だ。 だから神社とお寺は宗教が違うんだよ。 お寺では静かに両手を合わせて礼拝(らいはい)し神社では二礼二拍手の作法で祈祷するんだよ、と教えた。 BSのハンドブックにもこういう機会を通して子供に「宗教」があることを教えるよう記してある。 カブ隊のリーダーの方たちはこれが一番重要なことだから端折らないで活動して欲しい。
僕は、子供たちが神社とお寺の違いをあまりに知らな過ぎることを問題に思った。
団活動では、クリスマス会と新年儀礼で初詣の活動を毎年しているが、仏教に関してまったく何もしていない。 信仰がないにしろ大方日本人は仏教徒が最も多いにもかかわらずだ。
そこでたまたま取引先に浄土真宗のお寺の幼稚園があったので、園長先生に相談をもちかけた。

僕はそのころその幼稚園の活動で年に一回、築地の本願寺へお参りに行くところをビデオで取材していた。
そしてその時に子供たちに仏様について、親鸞さんについて、上手に説話される方がいることを知っていた。 だからそこの園長先生になんとかスカウトたちにもそのお話しを聞かせて欲しいと頼んだ。
園長先生にいろいろと段取ってもらったが結局、子供相手に説話できるのはたった一人しかいなくて、時間を作るこでができなかった。
残念だ。 しかし、諦めないところが僕らしい。 そしてお父さんに真似てもらいたいし、子供に伝えて欲しいところで目標はなんとしてもクリヤーする。 
インターネットで検索して子供に「禅」の体験をさせてくれそうなお寺を探した。 あった。 臨済宗だ。 問い合わせをしたらOKだ。 しかし、場所が新幹線で行くようなところだった。
そこの住職にいろいろと事情を話したら、ならば僕の近くで受け入れてくれるお寺を探してくださると住職が言ってくれた。
数日後、その住職から連絡があった。
臨済宗ではなく宗派が違う曹洞宗でどうやらあるらしいからと情報をくださった。 
分かるかなぁ。 この親切を。 僕はその住職を本当の宗教家だと思った。
宗教は本当に大切だ。
僕はさっそくその曹洞宗のお寺に問い合わせをした。 そして事情を説明がてら訪問した。 OKを取り付けた。
お父さん、子供たちにこのように積極的にお金にならなくても行動できるよう育ててください。 子供が中学生ぐらいになったら自主的にキャンプ地を選んで調べて、場合によっては下見をして、という具合に行動できるよう、そうなれることを目標に育てましょう。
さて、そこのお寺の住職は、ナント、元ボーイ隊の隊長だった。 そしてそこのお寺を育成会にしたボーイスカウトの団を運営していたのである。 大当たりだった。 翌年の6月に禅の体験をスカウトにさせた。

余談
リーダーの方で禅の体験をスカウトにさせたいと言う方がおられたらそこのお寺を紹介します。

2006/11/04
(カブ新聞00/11/7) 今からちょうど6年前のことになるんだなぁ。 カブ新聞に全員の顔写真が出ている。 団委員長、僕、副長2人、デンリーダー1人、スカウト8名、そのうち女の子半分。 しかも半分がビーバーの子。 僕の三番目の子は手伝わせてはいたが、この時点ではリスト外。 一番働いていたけどね。 四番目の子はカブ隊で「うさぎ」という学年名になっていた。
11月3日に芋掘りに行っている。 団委員長が不動産屋で隣の県に土地がある。 ボーイスカウト用のキャンプ場が二箇所あった。 その近くで芋掘りをした。 僕は、幼稚園の遠足のような内容のこの企画に不満があったが、とりあえず前年度の活動を網羅するということで大人しく実施した。 リスト外の三番目の子も写真に写っている。 芋を掘って帰ってくるだけでは、やっぱりどうもBSの活動らしくない。 ちょっと「辛い」「苦しい」「大変」が無さ過ぎの企画だった。
紙面には、なぜBSは10月が年度始まりなのか、それはイギリスと言う国に関係している話題がでている。

2006/11/03
(カブ新聞00/10/24) 10月22日に市民パレードに参加した。 僕の隊は先頭で旗持ちだ。 まったく練習なしで行進した。 当然のことながら右に寄ったり左に寄ったり・・・・
隊長は、スカウトの弁当やら水筒、着替えなどを50gのリュックに押し込んで、「もう、ちょっと右、いや今度は左・・・」と付き添っていた。 もしかしたら僕の方が目立っていたかも。 トホホ・・・。
すぐ後ろのガールスカウトの立派だったこと。 指導力不足の現実を思い知らされた。 反省。
その後、吹奏楽団の脇でその旗を掲げた。 ただひたすらジッとすること2時間。 これは大人の僕でも辛かった。 スカウトも音を上げていたが頑張った。 こういう辛い思いこそ心の成長に大切なのだ。 いや、こういう辛いことでのみ心が育つ。 若いお父さん知って欲しい。 気楽なことでは子供の心は一切強く育たない。
終わって、スカウトたちを大いに賛美した。 これも絶対に必要なことだ。 励ましの言葉。

2006/11/02
(カブ新聞00/10/24) 10月15日に入団上進式あった。 ボーイスカウトでは、イギリスに習って10月を年度にすることが多い。 4月の場合もあるし1月というところもある。 それぞれの団が自主的に決めている。
新たにビーバーの子が二人入っている。 これでビーバー4人、カブ4人のやってはいけない混成部隊が出来た。
しかも、三番目の子がボーイでまったく活動をしていないのでカブ隊の手伝いということでこれより一緒に活動をすることになる。
なんと、僕は、ビーバー、カブ、そしてボーイもいる隊を運営することになった。 地区のお偉方が聞いたら鶏冠から湯気が出るようなお叱りを受けることだ。 
郵政省顔負けの「形式主義」の連中に合わせていられない。 子供の心を育てると言う一番肝心なことを心にしっかり決心することが重要だ。 カブ隊の善良なリーダーが読んでいたら、このことを熟考願いたい。 形式主義はよくない。
さて、この8人の子供の面倒を三番目がやるようになったが、これが非常によかった。 僕は隊長として全体を仕切り、三番目の子は実質副長役であった。 問い合わせや手配などの企画を立ち上げるためのあらゆる体験をした。 たぶん普通のボーイでは味わうことが無いことばかりだったと思う。 デメリットを最高のメリットにしてしまうのは、僕の生き方だ。 そしてお父さん、お父さんにもこれを真似て欲しい。 しかもこの生き方を子供にも伝えて欲しい。 分かって欲しい。
三番目の子は、知識的な障害があって定時制高校を2浪してやっとそこへ通えるようになったが、ついこの間無事社会人になった。 本当に生きていけるようになれるか心配だったが、ともかく育っていった。 こうなれたのは、このみょうちくりんな活動の賜物だ。 結果オーライである。
三番目の子は、年下の子の面倒を心から一生懸命見ることで、まるでターボチャージャーがかかったように成長していった。 これは目の前で起こった事実だ。
そして気付いて欲しい。 お父さんが子育てを真剣に自ら取り組むことで、実はお父さん自身が本当の「オヤジ」に成長するものだということを。
金で子育てを済ませた父親は、オヤジになれない。

余談
この書き込みは、風変わりで愉快なパソコンの先生のおかげで勝手に進化する。
書き込んでサーバーに送ったら、10月分がもうすでに別項になっていた。
ビックリ。 そしてサンキュー!

2006/11/01
次にしたことは、ともかく子供からゲームを取り上げることだった。
たいがいは2〜3回取り上げているうちに持ってこなくなった。 ただ取り上げるだけではいけない。 ゲームなんてなくても楽しい一日であることが大切だ。 
ここに多分ゲームを作っている会社やテレビ局のブーイングを喰らっているだろう一冊の本がある。
「脳内汚染」岡田尊司著 文芸春秋社刊 1600円
日本人は、宗教を持たないのが正しいと考える国民だ。 しかし、人は何かの心の支えがないと生きていけない動物だ。 そこで日本では血液型による性格分類法という根拠の無いものに真理を求めたり平気でする。 いやもっと多いのは「拝金主義」だ。 そこに何の問題も感じていない様子だ。
タバコがこれほどダメと言われてもまだタバコを生産しているし、新たな喫煙者ができる。 タバコ、僕の好きなビール、確かに良く考えれば「依存」している。
もし、子供がゲームを心の支えにしてしまったらどうなるのだろう。
もし、子供がゲームに依存するようになったらどうするのだろう。
ほとんどの親は、まったく問題意識も無くゲームを子供に与えている。 
本当にいいのかどうかなぜ考えようともしないのだろうか。 思考の停止。 僕にはそうしか思えない。
ともかく子育てに真剣な方は、たぶんこの本をお読みになっていることだろう。
そして僕は、数人のスカウトの心の成長に有害だと、この本が出る前に気付いた。
子供の成長に必要なことは、本人にとってちょっと大変なこと、ちょっと苦しいこと、ちょっと悲しいこと、などの体験とそれを乗り越えようとする元気だ。 
ここにこそ子供が「成長の喜び」を感じる大変大切なチャンスがある。 
この「成長の喜び」をたくさん感じ取ることで生き生きと生きるようになる。
僕は、これを引き出すように活動ができるよう目指した。 もし、カブ隊のリーダーが読んでいたらこの点に細心の注意をして欲しい。 教育規定はただのガイドラインに過ぎない。


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