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ひとりごと その7 (2007/02)

2007/2/28
(カブ新聞03/3/20) 2月2日 文化祭準備
僕の隊は、一時10名ぐらいまでになったがこのときには、男の子3名、女の子3名で計6名だった。
普通、6名で一組の編成だが、男の子、女の子、に分けて二組にしていた。
ともかくたった3人で何か文化祭で出し物をしようというのだから、「普通」では出来ない。
大いに頭をひねる。
そこでひらめいた。 まるで一休さんになった気分だ。
僕の仕事は、ビデオ屋で子供たちの思い出をビデオにパックする仕事だ。
思い出の缶詰の仕事と言っていい。
そこでひらめいたのは、「思い出」ではなく「出し物」をパックするというアイディアが生まれた。
なかなかいい発想でしょう?
それなら当日そのパッケージを披露すればいい。 そのパッケージ作りには何日でもかけられる。
そこそこの内容のものが出来るだろうと予測した。
スカウトたちに分かりやすくそのことを伝えて、何か上映をするような出し物にしようと僕が提案した。
男の子は、その言葉がけで単純に「映画」を作ろうということになった。
女の子は、自分たちの好きな曲をカラオケで歌ったものをCDにして欲しいという。
いつもそうだが、女の子の方がマセている。
どちらの組も、おおむね出し物のイメージが出来上がっていった。
小粒な隊だけど、自分で言うのもなんだがブッチギリの企画になる。
乞、ご期待。

余談
なんだかんだともう数ヶ月書き込んだ。
まだネタのストックはある。
よくもまぁ、馬鹿馬鹿しいほどたくさん活動をしたものだ。
ところで、実話だから(多少の演出・脚色表現があるが「捏造」ではない)オープンできないこともある。
むしろ、この書き込みの少なくとも数倍のエピソードがあると思って欲しい。
とくに自分の子のことについて、将来、本人に僕が睨まれそうな、しかし許してもらえそうな、ギリギリのところをネタとして使っているので本当の面白さは、半分ぐらいになってしまう。
四人の僕の子全員いつまでも寝ションベンたれだったなんていうことは言えないのだ。
長男の寝ションベンを危うく飲み込んでしまいそうになったなんて言ったら後で殺されてしまうかも知れない。
事実を明かすのは命がけだ。
僕の全部の子、小さくてかわいかったころは、僕の腕の中で「スー、スー、」という寝息で僕に最高の幸せを味合わせてくれた、なんて恥ずかしくて告白できない。
ということで、この書き込みを間違って読んでしまった方が、もしかしたら勘違いされそうなので事実を知ってもらいたいと思う。
それは、僕の子は、全員学校の成績が最下位であったのだ。
とくに三番目の子は、障害の域に達していた。
その他の子も「障害」ではないにしろその境界であった。
僕の上の子二人のときには、僕がそれを理解していなかったため、「発達障害かもしれない」という本にあった「二次障害」をしてしまった。
三番目の子は始めからそれが分かっていたので自分なりに努力した。 そして多少はその効果がでた。
四番目の子は、僕自身の学習効果でやっと人並みに人を育てられるようになった、と思う。
どちらにしても、知識的なことに問題がある。 覚えるのが苦手だから年中忘れ物をしている。 学校の先生にしてみれば「最悪の子」になる。
その最悪の僕の子にいかに人生を歩ませ、本当の人生を味わえるのか、そのアプローチをここで紹介しているのだ。
だから、「いい子」だから書き込んでいるのではない。
頭の悪い子でもこう育てられるという見本です。
前にも書いたが、学力が半分以下の子が日本に半分いるという事実を認識しましょう。
無理に詰め込み教育しても無駄なだけではなく、むしろ二次障害の恐れが非常にあるかも知れないということを覚えて欲しい。
僕の子は、優秀という言葉と縁のない生活をこれからもしていくだろう。
そういう子に幸せを教えているのだ。
物や金では味わえない幸せを教えている。
もう一度言う。
僕の子は優秀ではないが、幸せを握り締めた人生を歩むよう教えている。
お父さん、よく考えて欲しい。
そして、お子さんにも幸せの根本を教えよう。
幸運をお祈りする。


2007/2/27
(カブ新聞03/2/20) 1月25日 文化祭準備
今までの僕の方針を、さらに意味的に大きな展開を二つ図っている。
一つは、それまで男の子主導で隊活動をしてきた。 それは男の子の親の方が活動に熱心だったからだ。 とくに年間の課題を男の子は全員、家庭で履修してきたことに対して女の子は全員、まったくやろうとしなかったことに、それがハッキリ現れていた。 ただ、それは親の問題であって子供の責任ではない。
それまで男の子のやり方を見てきた女の子に重要な仕事を与えている。
文化祭の準備のスカウト会議で、この日初めて議長と書記に女の子にやらせている。
会議をどうやってやればいいのか、へたくそなりにも体験をさせている。
写真を見ると女の子の議長に男の子が身を乗り出して聞いている。
すごくいい感じだ。
もう一つ。
それはそれまでのカブ新聞の記事は僕が書いていたが、この日の記事より僕の三番目の子に書かせていることだ。
その子は、それまでの記事を読んでどう書けばいいのか自分なりに学習して書いたようだ。
文脈など僕のものにそっくり。 
お父さん、お子さんにはこうやっていい見本をたっぷりと見せてから実際に体験させましょう。
子供はまねっこして覚える。
これは子育ての基本中の基本です。
いいことも悪いことも実に良く子供はまねる。
だからこそ、親自身の生きる心構えがしっかりしていなければならないのです。
お父さんが子供に教えるべき内容はというと、
生きる意味。
生きる価値。
生き方。
そのようなものを体験を通して、言葉も使って、子供に教える。
これが父親の役割です。
これから春。 お子さんと大いにフィールドへ駆出してお子さんと遊びながらしっかりと家庭教育をしてください。
頑張れ! お父さん!


2007/2/26
(カブ新聞03/2/20) 1月18日 老人ホーム訪問
またガールスカウトからのお誘いがあった。
それは、老人ホームにお年よりを和ませるという奉仕活動だった。 ガールの方ではもう何年もやっているそうだ。
ここらへんは、やっぱりガールスカウトらしい企画だと思う。 ボーイでは今のところそういう活動を聞いたことがない。
やんちゃだらけの僕の隊がはたしてそれを理解して老人を和ませることができるか・・・・ 
大いに疑問があって不安だった。
しかしだ。 大人と違って子供はすごい。
新しい環境に慣れるということに子供は抵抗が少ない。
新しいことを学習するということに偏見がない。
「発達とは何か」という本にこう書いてある。

今までの心理学は、子供が未熟で何も出来なく、次第に発達して大人になるという考え方に立脚している。
しかし、実際は、大人より子供のほうが学習力がある。
つまりたいがいの大人は、学ばなくなる。
大人は「発達しない」のが本当のところだと言う。

大人は、それまでの体験で要領を身に付けてはいるものの、学習に関してはむしろ次第にしなくなる。
僕はビデオ屋で仲間に「録音」について教えたが真剣に学ぶ人は少ない。
仕事でその基礎が出来なければ絶対にダメなことだが、たぶん「面倒」で学ぼうとしない。
ビデオ屋で商売を立ち上げようというときに、これも絶対に避けて通れないのが「営業」だが、たぶん辛いのだろう、たいがいはそのことで仕事を諦める。 営業について勉強会をしようという提案さえ、「みんなそういうの嫌いだ」と断られる。
だから営業を伴わない仕事を一所懸命に探している。
ネットを活用した仕事探しに夢中な人がいる。 それは「営業」をしたくないという心理であるようだ。
しかし、現実社会では営業をしないで済む仕事などない。
営業もしっかり学ぶべき基本があるが、大人は学ぼうとしない。
子供たちは、この間の「世界の取引」でその交渉力を面白がって学んだ。
そして僕がビックリするほど子供たちは、「交渉」できるようになった。
子供の学習力はすごい。
自分の仕事について学ばない者が、子供に学べとは矛盾している。
その本もそのことに触れていたが、親が学ぼうとしていないのに子供が学ぶわけがない。
ニート、それは働きも学びもしない若者という意味だ。
それは、大人がそうだから子供もそうなる、と僕は訴えたい。
お父さん、これは極めて重要なことだ。
お父さん自身がどれほど「子育て」について真剣に学ぶか。
今の日本では、これが問われている。

さて、その老人ホームの話しだが、僕の隊には「注意疾患多動症」の子がいた。
ともかく年中手間取っていた。
その子からほんの一瞬でさえ目が離せなかった。
僕はその子のお陰で、その障害がどういうものでどうすればいいのか、実際に世話をすることで「学んだ」。
本当に、世話が掛かる。
その子がおばぁちゃんの世話をしている写真が載っている。
あれほど「世話」がかかる子が「世話」をしている写真。
ナント、そのおばぁちゃん、その子と触れ合うことで涙を流して喜んでいただいた。
サプライズ!
本当に僕はその光景が目の前にあっても信じられない出来事!
その子の熱心な奉仕を施設の方々も見ていて、お褒めの言葉もいただいた。
すごい、本当にすごい。
その活動を終えて老人の方々に挨拶するときに、僕の代わりにその子にしてもらった。
僕は、その子を抱き上げて後ろの方たちにもよく見えるようにした。
その子を高く、高く、高く、持ち上げた。
僕の眼から涙が出た。 今、思い出しても涙が出る。
その子は、スカウトらしく堂々と、おじいちゃんやおばぁちゃんに挨拶をした。
ブラボー! ブラ−バ!

お父さんもお子さんの成長で感動ある人生を味わってください。


2007/2/23
(カブ新聞03/2/20) 1月13日 竹ハウス
これはカブ隊の集会でなく、僕の子供のための訓練キャンプだ。
記事をそのまま。

この間、この「竹ハウス」で寒さをしのぎましたね。
これからは、小屋作りのときにはなるべくこれを建てて集会の用意をしようと思います。 
・・・・と・・・・も(僕の二人の子)どうしたら隙間のないものができるか工夫しています。
どうしたら丈夫でいいものが出来るだろうか・・・・・
ここをこうして、あそこをこう直して、もう一度改造して・・・・
夢中になって研究しています。
へたくそにやっているので時には隊長に怒られたりもしていましたがメゲません。
この日は、最高の竹ハウスづくりのため訓練で作りました。
簡単にいやにならずに、これでもかぁ、これでもかぁ、と、さすがボーイ隊ですね。
カブ隊も負けるなよ!

まぁ、このようにして僕はカブ隊以外に自分の子供のためにボーイ隊の内容のものも活動していた。
この竹ハウスは、とても実用的な工作物だ。
しかも、大きいから作り応えもある。 中学生以上の子にとってもいいと思うので「親子キャンプ」のハウツービデオで紹介している。
これは、ブルーシートと竹、麻紐があれば出来る。 麻紐は、「シュロ縄」というものがちょうどいい。 ホームセンターで手に入るはずだ。
ビデオで写っているこの竹ハウスは、Snowmen camp Club でディキャンプしている埼玉の戸田市、道満グリーンパークで撮影した。
そのときに、近くでディキャンをしていた若い親子連れのグループがいた。
竹ハウスがだんだん出来ていき、完成したところを見ていた若いお父さんがビックリ仰天していたそうだ。
僕の家内が暇でそれを見ていた。
お父さん、日曜大工のノリでできるからお子さんとぜひ挑戦して欲しい。
ビデオでは、ブルーシートの大きさが12畳のものを使ったが、それより小さければもっと簡単に出来る。
またこの工法を応用すれば、既存のタープのコシマキも出来る。
この時期のディキャンでは、風除けにそれをしている。
かなり実用的だ。
お父さん、お試しあれ!


2007/2/21
(カブ新聞03/2/20) 1月11日 畑
記事の一部をそのまま。
・・・・自分たちで手入れした畑に行き、ほうれん草を収穫しました。 
うまい、うまい、と本当にうまそうでした。 おかわりがなくなって、隊長の分まで食べてしまいました。
自分たちで作った野菜を食べるのは、自分たちで捕った魚を食べるのと同じでうまいね。
しかもこうして外で食べるのは、おにぎりを食べるのと同じで楽しいね。
しかも、しかも、仲間と一緒に食べるのは、とっても愉快だ。
これが本当の幸せっていうんだ。 絶対にお金や物では味わえない幸せ。
これからもたくさん集会で身に付けてほしいな。
通りすがりの小学生が「あっ、ボーイスカウトだ!」って言っていました。

お父さん、ここにはたくさんのヒントがある。

@見たり聞いたりの知識で知るのではなく、体験を伴うということ。
A大人も一緒にその体験を共有しているということ。
B野菜や、魚、といった物が重要なポイントではなく、子ども自身が育てたり
 捕まえたりしたからこそ「うまく」感じるということ。
C物や金との関係ではなく、人との関係で幸せだねという言葉がけ。

お父さん、休日にはこのような子供の心を育てる遊びをたくさんしよう!


2007/2/20
(カブ新聞03/2/20) 1月4日 お正月
今まで「団行事」だった新年儀礼の神社への参拝は、ボーイ隊では僕の子だけが参加だった。 いつものカブ隊の集会となんら変らない。
団自体がもう末期症状を表していた。
午前中、近くの大きな神社まで歩いて行き、午後は正月遊びを楽しんだ。
室内でお手玉と凧作りをして、外でその凧揚げをした。 暗くなってからいつものようにランプファイヤーをやった。
そのときの隊長メッセージ。

苦しいこと、いやなこと、つらいこと、そういうことから「いやだぁ〜」と逃げるのではなく挑戦していこうと隊長が言ったことを覚えておいてください。 そのことで君たちの心が強く育つのだから、必要なのです。

本当は、ヤーンは何か感じ取るような内面表現がきいたものがいいのだが、なかなか難しい。
つい、このような直接的な表現に頼ってしまう。 
それでも、真っ暗な屋外でランプの明かりの元で語りかけると、それなりに雰囲気は出る。
まぁ、演出効果ってところだ。

歳をとると同じことを何回も言うので嫌われることがある。
しょうがないでしょう。
いかがでしょうか、「いやなことを乗り越える」ことで心が強くなる、というこのフレーズはもう何年も言い続けている。
自分の子供にも今でも毎日のように言い続けている。
この書き込みでも、しつこく書いている。
一回や二回では通じないので年中同じことを言っているうちに、ついには同じフレーズを繰り返すクセがついてしまうんだな。
これは、「じぃじ」の勲章だ。
またか、とは思わずに聞く耳がそれほどにして遠いんだなぁ、と謙虚に受け取って欲しい。

ということで言おう。

気楽を追い求めると働くことができない大人になりやすい。
辛いこと、苦しいこと、いやなこ、悲しいこと、それらを乗り越えようとしたときのみ心が強く育つ。


2007/2/19
(カブ新聞03/1/20) 12月28日 小屋作り
スカウトたちが、自分たちの小屋を新築する。
その作業の休憩場にこの日、初めて「竹ハウス」を使った。
僕の家族にとって記念すべき日だ。
12畳ほどのブルーシートをタープとして張り、竹の骨組みで強化して、その回りをシートで囲む。 これで北風を防ぐ。
文章だと分かりにくいと思う。
「親子キャンプ」のハウツービデオに作り方を紹介した。 そのダイジェストを見ることが出来るのでぜひご覧下さい。
記事では、作業の後この竹ハウスで「カブにぎり」を食べたとある。
この月は、カブ隊の集会だけで6日活動した。
それ以外に、僕の三番目の子と四番目の子のためにこの竹ハウス作りをしたわけだ。
それと、竹の工作物で「椅子」も自分の子に作らせている。
二ヶ月に一度しか活動しないボーイ隊なので、その分をこうして補ってきた。

芋掘りの活動で、ブルーシートを使ってタ−プにしたものが進化して、こうして「竹ハウス」の発明となった。
カブ隊の活動以外に、僕は自分の子供たちにスカウティングを体験させていたわけだが、それが発展して Snowmen Camp Club になったのだ。
僕自身がこうして「成長」させていただいた。
僕は四十歳後半でこうしたのだから、若いお父さんならもっとできる。


#### Snowmen camp Club ####

07年2月18日 ディキャンプ実施  気温8℃ 雨
ただでさえこの時期には誰もいないのに、雨だから犬の散歩の人さえいない。 人影は完璧にない。
古い友人も雨で来なかった。
広い公園に古い女房と二人だけ。
アウトドア−でコーヒーにチョコレートがよく合う。
僕は普段チョコを食べないが、このときだけは食べる。
この間のバレンタインで古女房のおばばにチョコを貰った。
僕のチョコのはずだが、おばばはそれを半分ぺろりと食べてしまった。
この日の夕食は、四番目の子にお父さんが説教している間におかずをぺろっと食べられてしまった。
こうして、キャンプじぃじはいつも食べられてしまう運命なのだ。
さて、その夕食のときのオヤジの小言とは・・・

(四番目の子に語りかけ)
なぜ、誰もいないことを知っていながらこうしてディキャンをするのか分かるか?
そもそも、Snowmen Camp Club の活動の目的はなんだか分かるか?
四番目の子は、活動の目的をよく分かっていた。
お父さんは、月に一回、こうしてディキャンを実施するという目標を掲げた。
一度そう決心したのだから、たとえどんなに困難でも、無駄に思えても、全力で取り組む。
それは、遊びでも仕事でも同じだ。
そういう志をしっかりと持つことで、お父さんは今の仕事を開拓できた。
だから、お前もこうして何か目標を掲げて絶対に諦めないで挑戦する心を持て。
自分の力でその心を自分の中に作れ。
その力で将来よく働く人になれるのだから、今、必死に身に付けろ。
苦しい、辛い、大変だ、それらを乗り越えろ。
だけど、人間の心は弱いものだ。 どうしても負けそうになる。
そういうときにこそ、お父さんが奨励している宗教に耳を傾け元気を取り戻すのだ。
分かったか?

こうやって、だれもいない公園での古女房と二人だけのチンケな活動が、子育ての説教に役立てた。
それだけではない。
今まで、ぺグにロープを仮止めしていた方法があまり良くなく、すぐ解けてしまっていた。
だが、雨の中での設営でなんとか解けにくい方法はないものかと考えていたら、ひらめいた。
実に簡単、効果的。
そのロープワークをその子に話した。
今度、ディキャンで教えてやると僕が言った。
子供は興味を示した。 さすがボーイスカウトだ。


2007/2/18
(カブ新聞03/1/20) 12月27日 畑
記事を読んで思い出した。
それは、スカウトたちの誕生会だ。 これは「集会」としてではなく自由参加だったが、ほとんど全員集まっていた。
隊長のおごりだから、それをいやがる理由は一つもない。
たいがいはファミリーレストランだった。 誕生会の立案、実施はスカウトたちに任せていた。
課題の多い集会より、ガゼン、ハッスルしていた。
そして、一人のスカウトの誕生会が終わった後で畑に行った。
畑には、ビニールに覆われてすくすくと若葉が育っていた。
スカウトたちも自分で世話をしたものだから、その様子が嬉しかったようだ。

物や金の消費の喜び
ではなく

成長の喜び

これを教えるのに打って付けだった。

余談
親の豪華は、子供の当たり前。
稼ぎを搾り出すようにしてまで豪華な生活を求めて、子供にだから幸せだと教えるとどうなるか。
親の最大限の豪華が、その子にとって「最低限の豪華」になることを知って欲しい。
そのために共働きして、子供が一人ぼっちの食事−孤食にしていたら、
それはさらに二次災害となる。
そこに、「気楽だから幸せ」という親の生活態度が加われば、いやがおうでも子供はニートへの切符を手にするのではないかな。
それら総て、「物や金」を価値にした人生だ。

こうして、草花やペット、同級生やチームメイト、の成長振りを心から喜べるように、お父さん、お子さんにたくさんチャンスを与えてください。 そして、お父さん自身もお子さんと一緒にお祝いしてあげましょう。
子供の誕生会は、まぁ、すると思う。 その子の友達の誕生会だってあるでしょう。
そういうことに、お金を使うべきです。
僕の下の二人の子供は、スカウトの誕生会の費用を貧乏な自分のお父さんが出費しているところを見てきました。
こうやって、成長の喜びを教えるのです。
僕の場合、それを徹底的に年中いろいろなことを通して、自分の子供に見せて示しました。
口先だけで奇麗事を言っても、子供は間違えなく見透かしています。
僕は、真剣勝負で、人生で大切なことは「物や金を目当てに生きる」ことではなく「成長の喜び」を得ることだと子供に訴え続けました。
その成果が数年後に現れました。
お父さん、小学校の時期は人格形成において非常に重要な時期です。
このときにこそ、しっかりと生きる意味、生きる価値、生き方、それらを子供に教えましょう。
それを怠ると、僕の上の子供のように思春期で問題を起こします。
お父さん自身、子育てをとおして気楽ではなく、「成長」をしてください。
そしていつか僕と同じ「じぃじ」を名乗れるようになって欲しいな。 
頑張れ! お父さん!


2007/2/16
(カブ新聞03/1/20) 12月22日 クリスマス
文化祭のときにガールスカウトをご招待したら、クリスマスで招待を受けた。
僕はこのときに初めてガールの活動を見た。 結構カルチャーショック。
受けた印象としては、指導力の違いか、性差か、ガールの子供たちのほうがはるかに「スカウト」らしかった。
なんと言っても相手の団の団委員長は、元幼稚園の副園長先生だ。 考えてみればプロに勝てるわけがない。
僕の隊の子たちは、その前に発表した人形劇を披露した。
スカウト運動は、信仰奨励の一つの方法としていろいろな儀式がある。
とくに始めと終わりには「セレモニー」というものを行うことになっている。
それがガールだと随分違う。 女の子らしいものだった。
Snowmen Camp Club のディキャンプでも子供がいればセレモニーを行う。
終わりのセレモニーでは、参加賞で子供を表彰もする。
ここらへんは総てボーイスカウト運動のパクリだ。
ただ、三指の敬礼はしない。 お辞儀にしている。 もし、BSのリーダーが読んでいたらご安心願いたい。
さて、そのセレモニーをSCCで行うと、たいがいの保護者は驚く。
たぶん、なにか怪しげな新興宗教とでも感じるのだろう。
そう感じていただけるということは、やはり子供に信仰奨励の効果が多少はあるということだ。
怪しまれてもそれをやり続けようと思う。 子供のために。

余談
さて、このところ年度末で忙しい。
週に二つぐらいの割合でイベントを撮って、それをビデオ編集しDVDやVHSにするまで一週間以内で納品している。
もう十年以上のお付き合いをしていただいているところでさえ、その速さに驚いてもらっている。
これを個人事業でたった一人でこなしているのだから、自分でもすごいと思う。
そういう中、銭湯の露天風呂は唯一僕の一日の楽しみだ。
たいがいは湯船でうとうとと船を漕いでいる。 あの世とこの世をいったり来たり・・・・
しかし、昨日はついつい同じ湯船の中の親子の会話を聞き入ってしまった。
お父さんは、三十台半ばぐらい。 子供は小学校2年生と4年生ぐらいの三人の親子だ。
どうやら少年野球を親子でしているらしい。
お父さんが子供たちに、試合で勝っても相手チームをバカにしたりしてはいけないこと。
チームメイトで下手な子がいたら、慰めて励ますこと。
モチベーションをどう高めるか、その方法。
お父さんが一所懸命に子供たちに教えていた。
素晴らしい。 実に素晴らしい。
少年野球にぶち込んで親が何もしないのではなく、こうしてお父さん自ら、たぶんリーダーをしているのだろう、自分の子供の心を育てている。 
素晴らしい。
僕は、感動しながらそのお父さんの説教を聞かせてもらった。
だが、子供はやんちゃだ。
終いには、お父さんが、話しはちゃんと目を見ろ、とか、約束だぞ指切りしよう、と、あの手この手で苦戦もしていた。
僕がカブ隊をやっていたころと同じ。
頑張れ! お父さん!


2007/2/14
(カブ新聞03/1/20) 12月15日 クリスマス
二ヶ月に一度くらいしか活動しないボーイ隊と「団行事」としてクリスマス会をした。
僕が、宗教についてもっと真剣に扱うようリーダーに迫った結果、やっとクリスマスの意味について語るようになった。
なんともはや、お粗末な限りだ。
パーティ自体はいつものように出し物で楽しんだ。
カブ隊は、「グレーテル」の人形劇を披露してくれた。

余談
本当かどうかは分からないが、この越谷市では離婚した母親に対する保護が必要以上にあるらしい。
先日、ある幼稚園の園長先生が偽装離婚して越谷に引っ越してくる人が多いと言っていた。
近隣より目立って保護しているらしい。 そしてその金目当てのようだ。
物や金で立派になりたいという輩が多そうだ、それは幼稚園の複数の経営者の話しを聞いていると分かる。
しかし、ウソの離婚までするというのは、完全な詐欺だ。
そういう親に育てられている子が本当にかわいそうだ。
見栄やだますことを親の生活ぶりで子供に教えている。 それが分からない馬鹿親だ。
僕はビデオ屋で幼稚園の発表会やお泊まり保育などのイベントをビデオで撮って売っている。
これは、商売の始めからそうだが、それを親がダビングしてかっぱらう。 
かっぱらったビデオを子供が大きくなって見てどう思うのだろうか。
その子も、自分さえ良ければいいという人になりやすいのではないだろうか。
目先の利益を欲張って、子供に対する家庭教育が最低ということが平気な人たちがいることは確かだ。
しかし、お陰さまで僕にはそういう保護者が比較的少ないのでこうして食べてこられた。
この間、幼稚園の作品展であるお母さんに声を掛けられた。
そのお母さんは、中学生の女の子を連れていた。
そして、いつもビデオを買っています、と言う。 その中学生の子もビデオを持っていると言う。
嬉しかったねぇ。
僕は思わず、「ありがとうございます。 お陰さまでこうして生活が出来ました。」
と言った。
もう少しで中学生の女の子がお母さんの背を抜きそうだった。


2007/2/13
(カブ新聞03/1/20)12月14日 募金活動
いつもの大きい駅で歳末助け合い募金の奉仕活動をした。
そのあと、クリスマスの出し物の練習をしている。

駅前で大きい声を出せますか?
僕は、今のこの商売を始めるときに自己啓発のトレーニングを受けていたし、広告物の営業を10年経験してきたから、リーダーになってすぐ出来た。
自分の殻を突き破り、自分の既成概念をぼっ壊して新しい自分を創る。
知識で知っているのではなく、それを行動できる。
こういう力がなければ僕は、自分の仕事を開拓できなかったのです。
学校教育では、まず教わるはずのない最も重要な生きる力。
今、最も不足している、生きる力。
気楽を追い求めるがゆえに出来ないトレーニング。
その結果、物や金にはこだわるけど堂々と生きていけない若者。
お父さん、お子さんがそういう不自由な人生を歩んでいいのですか?

僕は、風呂のない二間のボロアパートに25年住んでいる。
たいがいの人にみすぼらしく無能な男という評価を頂く。
長男が通っていた幼稚園にも「卒業ビデオアルバム」を売り込んだことがあるが、保護者だったので僕がボロアパート住まいのことを知っていて、それを取引しない理由にしていた。
もう15年ぐらい前だろうか、韓国の宣教師が僕のアパートを訪ねてきた。
彼は、韓国でもこれほどの貧乏生活をしている者はいないと言っていた。
僕は国際比較において立派な貧乏人なのだ。
素晴らしい。
何でも飛びぬけていることに価値があるではないか。
僕は平成3年度に「卒業ビデオアルバム」の処女作を完成させた。
それ以来、15年、作り続けている。
本当に奇跡を実体験した。 よくここまで出来たものだ。 まったく不思議だ。
ところでこの「卒業ビデオアルバム」だが、YAHOO で検索をすると今日現在スポンサーサイトではない一般の欄で僕のホームページが一番最初に出てくる。
嬉しいね。
ナント、写真の卒業アルバムの最大手の印刷屋のダイコロさんを抜いている。
驚きだ。
この仕事は、今だ未開拓分野であることがこのことでよく分かる。
そういう仕事を15年できた、その力はこの自己啓発のトレーニングにあったのだ。
スカウトたちは、子供のうちにそのトレーニングを募金活動をとおして受けていることになる。
すごい。
これは、家庭ではなかなか出来ない教育の見本みたいなものだ。
お父さん、僕は一人のお父さんとして自分の子供に、それだけではなく人の子供にもそのトレーニングを率先してやってきたのです。
そして、こうしてスカウト運動をほとんど自腹で、また仕事を蹴ってでも時間を作って活動したのです。
だから名誉ある貧乏人なんだなぁ。
女には分かるはずがない男の美学、ちょっとおごり過ぎかな・・・・ 深く反省。
お父さん、同じことをしろとは言わない。
せめて自分のお子さんだけでいいから、大胆に育てましょうよ。


2007/2/12
(カブ新聞03/1/20) 12月8日 マス釣り
手作りの竿を持って釣堀へ行った。 チャレンジ章の「フィッシャーマン」の獲得を目指す。
食品添加物の「紅色」を使って魚拓をとる。 
子供の好みは、ほとんどそのときの雰囲気で決まる。
食卓で魚料理を子供がバクバク食べるということは、刺身以外であまり見かけない。
しかし、こうして自分で捕った魚は本当に良く食べる。 
お父さん、お試しあれ。

ボーイスカウトの活動は、数学や理科、国語、社会、などの内容が盛り込まれることが多い。
学校の授業のような情報量はないが、子供たちはその体験を通してそれらを学ぶ。
実は、これは「暗記」ではなく「身に付く」学びになりやすい。
スカウトたちはリーダーの「ヤーン」をとおして宗教を身に付けさせるというのが、本来のボーイスカウト運動の目的だった。
それは宗教家によって「知る」のではなく「心に染み込む」ための運動だった。
いかに実体験が伴うことが子供の育ちに有益かが、やってみれば分かることだろう。
このことをヒントにお子さんとフィールドへ駆出そう。
方位磁石一つあれば地球の話しが出来る。
ガソリンバーナーがあれば燃料の特徴を教えることが出来る。 石油について、日本のエネルギーについて語ることが出来る。
虫アミがあれば、一日中生き物の不思議について子供と一緒に観察できる。
タープがあれば、金物の自在を使わずにロープを張ればロープワークの2つや3つを教えられる。
これこそ子育てのためのキャンプだ。
ぜひ、お父さん、実践してみて欲しい。
そして、かわいい盛りのお子さんと二度とないひと時を得て欲しい。
心に残る、いや焼きつくいい思い出を作って欲しい。
お父さんの愛がお子さんに伝わっていく感動を味わって欲しい。
それこそこの世に生きていてビックリ仰天する幸せが溢れ出ることだろう。
思わず感謝せざるを得ないことだろう。
子供の存在は、地球より大きい。
お父さん、目の前の子と価値ある人生を作ろう!!


2007/2/11
(カブ新聞02/12/20) 11月30日 クリスマス準備
記事をそのまま。
 クリスマスの出し物をみんなで考えて準備をしました。 今年は、1組、2組、それぞれ3人しかいませんので合同で何か劇のようなものをすることにしました。 さてさて、どんな出し物を見せてくれるのでしょうか、とっても楽しみです。 どんな出し物でもいいんです。 隊長は上手に出来るのかどうかではなくて、こうしてみんなで考えて大人に内緒で練習しているだけでもう嬉しいんです。

余談
このことは、カブスカウト隊長ハンドブックにも書かれてある。
どうしてもそばにいる母親が見てくれよくしようと口を挟むので追い払うのが大変だった。
しかるに、家庭内では押して知るべし。
その母親は、「見た目」しか興味がない。
例えそうではないと言葉を出しても本音は「見た目」しか理解しないと言ってよかった。
それがどう生活の中にあるのだろうか。
まず見た目綺麗な家にすまなければ、納得しない。 人生の総ての労力を使ってでも人より立派に見える生活を追い求める感じだった。
これは、随分後になって知ったことだが、その家族は、まずまずの一軒家に住んでいた。
その母親は普段から挙動不審なところがあって、休みの日などで、子供にお昼ご飯を食べさせないことがよくあったようだ。
そういうとき、ご飯さえあればそれにバターをぬって食べられると子ども自身が言っていた。 それを「バターご飯」と子供が呼んでいた。
何時帰ってくるかいつも分からないから自分でどうにかしているそうだ。
まぁ、ある意味で自主性が育つが、この母親の養育態度は極端に悪いと思う。
後に、ここの家庭の場合、たぶんそういう母親の生活態度が原因と思われるが、父親が一方的にスカウト活動を辞めさせてしまった。
子供は、毎回ほとんど休まずに楽しくやっていたのにまったくひどい話しだ。
そのほかの母親も問題を起こしていた。
ある日、僕が子供好きなのをいいことにスカウトを一晩僕のボロアパートに泊まらせた。
子供たちは大喜びでいたが、その母親は外泊で連絡不能になった。
子供を引き取りに来たのは次の日の夕方だ。 
これは本当に起こった事実である。
さて、母親同士でお互いにねたんだり、ひがんだりしていたようだ。
僕は、母親たちの力関係が分からない。 陰でいやがらせの応戦状態だったようだ、これも後で知った。
そんな調子だから、僕の隊はこの年度で母親のトラブルが一番の原因で空中分解するように終わってしまった。
たった数人の母親でこうなのだから、幼稚園の経営者は本当に大変だ。
よく辛抱していると思う。 僕にはできない。 強靭な精神力の持ち主だ、幼稚園の先生は。

お父さん、お父さんは母親だけの世界を知る術もないと思う、僕と同じで。
それはそれは陰唇ですさまじい。 それは決して特別なことではなく日常茶飯事のようだ。
僕の家内でさえ、女は何を考えているか分からないというぐらいだ。
子育てを本当に母親任せでいいとお思いですか?
こういうことで、僕は「父親」こそしっかり子育てをしなければならないという結論がでたのです。
僕はこの実体験を通して、母親任せの子育てはよくないという確信さえ持ったのです。
これは理想ではない、そうしなければ子供は生きる上で本当に大切なこと、生きる意味や価値、生き方を学ぶことが出来ない。
父親がしっかりとそれを子供に教育しなければならない、と強く訴えたい。
お父さん、さぁ、立ち上がってお子さんが将来社会に堂々とでて良く働き、良く仕事を学ぶ人になるように育てましょう。
そして、自分自身の力で考え行動できる自立した人に育てましょう。
育て間違えて、悲しい思いをするのは他でもない親だということも、僕の体験で訴えたい。
頑張れ!! お父さん!


2007/2/10
(カブ新聞02/12/20) 11月24日 畑仕事
Snowmen Camp Club のディキャンプに良く参加する高校時代の級友にこのころ「畑」の指導を受けていた。
彼は趣味で畑を借りて、そこでいろいろなものを育てている。
そのノウハウをスカウトに教えてもらった。
持つべきものは友と言うが、本当だ。
そのときの記事。

 畑仕事の名人、・・・さんに教わって畑に種を蒔き、ビニールシートをかぶせたりビニールハウスにしたりしました。 どんなことでも上手に出来る人に教わることは重要なことです。 実際に上手にやってみせること、いい見本を見せることができること、これが本当のリーダーシップと呼ぶんです。 君たちはたくさん良いことを見てまねて覚えてください。 そしていつか、そのリーダーになって欲しいと思います。

余談
つまり、お子さんの良きリーダーにお父さんがなるということだ。
他人任せはよくない。 僕のように下手くそでいい。 子供にとって自分のお父さんに教わることほど嬉しいことはない。
これから春になって暖かくなると戸田の道満グリーンパークに親子連れがたくさんやって来る。
僕の「お父さんと子供」という魚釣りがまた始まる。
お父さんの膝に乗った小さな子が、お父さんと一緒に工作をする。
そのときの子供の嬉しそうなこと。
やっぱり自分のお父さんが最高だ、そういう顔をしている。
そういう嬉しそうな親子を僕は見たいがために、その活動をしている訳だ。
僕の子供が小さくてかわいかったころの光景・・・・
今はもうない・・・・
むか〜し、昔のこと・・・・
かわいかった・・・・
その光景は、この世のパラダイスだ。
幸せがあふれ出ている。
物や金では絶対に味わえない本当の幸せがそこにある。
あぁ、早く公園に親子連れが出てこないかなぁ・・・・

♪ は〜るよ来い、は〜やく来い、♪


2007/2/9
(カブ新聞02/12/20) 11月17日 小屋作り
僕が隊長になって最初の小屋は、ロープでシートを張った簡単なものだった。
それが次の年には、三角錐のずいぶんと大きいものを作ってそこで一泊をした。
さて、この年はどんなものが出来るのだろうか?
こうして、スカウトとリーダーも工夫を重ねていった。
お父さん、お子さんに工夫を身につけさせる重要なヒントです、これは。
さて、そのときの記事を。

「しか」(そういう学年名)になって初めての小屋作りをしました。
床にベニヤ板を釘で貼り付けました。
さぁ、今年は去年より丈夫な小屋を建てよう!
3匹のこぶたの話しを知っているね。 簡単にいいかげんに作った家は、狼に吹き飛ばされてしまう。
努力して、苦労して、大変な思いをして作るものは簡単には壊れない。 これはね、人生でも同じなんだ。
苦労もなく簡単な大人になってしまうと、狼に喰われてしまうんだ。

余談
苦労もなく簡単な大人とは、つまり、甘やかされて育った人のことだ。
狼に喰われるとは、心が貧弱な大人を指す。 つまり幼稚な大人のこと。
お父さん、
努力をして、苦労をして、大変な思いをしてお子さんを育てると、丈夫な人が育つ。


2007/2/8
(カブ新聞02/12/20) 11月12日(火) 畑仕事 
学校が終わってから畑をクワで耕し、肥料をまいている。
記事の一部。
君たちスカウトで、ときに我慢をし、ときに仲間を助け、ときに良く考えなければなりません。 そうして人間として「手入れ」をしてこそ将来、堂々と生きることが出来る人になれるのです。 自動的に立派な社会人にはなれないんです。

余談
堂々と生きるという意味は、自立した人生を指す。
本当の自立とは、親のお世話にならないことだけではない。 
例えば、「就社」ではなく「就職」、つまり会社にへばりつくのではなく自分自身の「職業」を持つということでもある。 

正真正銘の自立は、命がけでなければ手に入らないものだ。 生きる感覚が「気楽」な人には本当の自立を勝ち取ることはあまりない。
自立とは、自由とそれに伴う責任の両方をしっかりと持ち、自分の意思で人生を切り開くことだ。

甘やかされて育った人は、自由を主張するが責任をとらない。 ここに問題が起こる。
子供をどう育てようと親の自由だ。
それと同時にその責任も100%親が持つべきだ。
その責任を学校が負い過ぎていると僕は思う。
子供を一人の社会人に育てるためには、畑になる作物以上に上手な方法が確実にある。
それをデタラメにするのは親の自由だが、その結果の責任は親に負わせなければならない。
上手な子育てを学ばないのは親の自由だ。 学ばないがゆえに知らないのも自由だが、その結果を親が負うべきだ。

さて、若いお父さん、お父さんはこの書き込みをヒントにしてお父さんの心が「これだ!」と思うものをぜひ見つけてお子さんの心を強く育てて欲しい。
僕の書き込みは、所詮素人の体験談だからノイズが多い。
しかし、その中に大切なヒントが隠されていると思う。
ぜひそれを見つけて、お子さんを立派な社会人に育てて欲しい。
頑張れ!! お父さん!
お子さんをニートやうつ病なんかにするな!


2007/2/7
(カブ新聞02/12/20) 11月10日 ハイキング
隣町主催のハイキングに、年中合流しているカブ隊と前回のガールスカウトと僕の隊と3ヶ隊で参加した。
また即効で自隊以外のスカウトでチームを組み名前を付けたようだ。
そのハイキングで、「標識と地図」を履修したとある。
たぶん、歩いたところの標識をたくさん見つけるような、そんなゲームをしたのだろう。
「チームTHE蓮」が優勝したとある。
ネーミングがいかにもガールスカウトが考えたような感じがする。
男の子のスカウトが「THE」なんて思いつきそうにない。
まぁ、真実のほどは分からないけどね。
記事の最後のところをそのまま。

だからこれからどんどんガール・・・団と仲良くすることで女の子は、カブ隊を卒業してからもスカウトであって欲しいんです。 隊長は、君たちの心が強く育ってもらうためには、なんでもするからね。 逆に君たちの心を育てるのに役立ちそうもないことは、改善していくよ。

自分でしてきたこととは言え、本当に必死だった様子が分かる。
これは、スカウトの世話をするためだけということではなく、自分のお子さんを育てるときも、このように「必死」に取り組んで欲しいということを訴えたい。
それでどう必死になるか。
塾通い。
違う。 心を強く育てることにだ。
しかもお父さん自身が愛情をもってお子さんに接して欲しい。
仕事で忙しいは、言い訳だ。
僕は実行した。
もちろん、お父さんは、子育てをご自身でする決心をお持ちだからこそここをお読みになっている。 嬉しいね。
ともかくやる気のない人ほど、どうにもならないことはない。
お父さん、さぁ、実行あるのみだ。

余談
僕は自隊のスカウトたちにベストを尽くして心を強く育つ環境を用意していった。
そして二ヶ月に1回しか活動しないボーイ隊にいる自分の二人の子の活動も考えていた。
しかし、ボチボチその限界を感じていたころだ。
本当に自分でこのころは、すごいエネルギーが出ていたと思う。
そのエネルギーは、四人の男の子のうち、上二人を育て間違えた反省から生まれた。
僕は、最もひどいダメオヤジだ。
そして、同時に一所懸命お父さんでもあったと思う。
どうダメオヤジだったかは、この書き込みの始めのころを読んで、同じドジを踏まないように参考にして欲しい。
どう熱心だったか、
この月は、ナント7日も活動をしている。 まったく馬鹿げていると自分で思う。
お父さん、お父さんは自分のお子さんだけでいい。
思いっきり子育てをしよう!!
ぜひ、その参考にもして欲しい。


2007/2/5
(カブ新聞02/12/20) 11月7日(木)畑仕事
記事をそのまま
 学校が終わってから畑に「石灰」を撒きに行きました。
もう一度教えるね。 畑は、そのままだと「酸性」という状態で作物が育たないんだ。
環境保護の本を読んだと思う。 そのときに「酸性雨」という言葉があっただろう。 だから「石灰」を撒くことで土を「アルカリ性」にするんだ。 分かるかな?

余談
「ニートから救う・・・」や「うつ病を治す」といった本をぜひお読みくださるようお勧めする。
それは、どうしたらそうなるかが分かるからだ。
畑も手入れをしなければ、ナスも、キュウリも、トマトも、育たない。
ましてや「人」を育てるのだから、その手入れ方法も簡単ではないし確実にしなければならないことがある。
それは、しつこく言うが、
幸せを感じ取る能力を高める。
ということだ。
さて、それならばどうすればいいか・・・・
この書き込みは、多少はそれに役立ちたいと願っている。
しかし、もっといい本が世の中にはある。
それが、お経や聖書だ。
もうちょっと具体的なものには、ボーイスカウト関係の著作物がある。
それぞれの地域に「県連」というセンターのようなものがあるから、そこで手に入れることが出来る。
どうしてもボーイスカウトに抵抗を感じるようだったら、その本だけでも読んでご家庭で実践すればいい。
BSの内容は、案外家庭で出来るものが多いことに気付くはずだ。
それはどうしてかと言うと、子育ての基本は「家庭」にあるからだ。
小学生の時期でいかに心を育てられるか、それがその後の思春期に多大な影響を及ぼす。
子育ては知識だけだと何の役にも立たない。 実践あるのみ。
親がどれほどの犠牲を払って子供の「心」が育てられるか、それが本当の親の愛ということだ。
分かるかな ?


2007/2/4
(カブ新聞02/12/20) 11月3日 準備
午前中は、タープ張りとテーブル作りでロープワークをスカウトに教えた。
ただそれだけでは面白くないのでニジマス釣りのためにそのタープの下で竿も作った。
午後は、ひょんなことで畑が借りられたので、そこの雑草を刈った。
スカウトたちは、遊んでいるというより「働く」感覚の一日だったと思う。
家の仕事の手伝いという働きを子供のうちからしっかりやっていれば、大きくなって働ける人に育つだろうことは想像に難しくない。

余談
今朝の朝日新聞の生活面に「育児ファイル」というのがある。
そこの記事に、予想外の共通点で、妻が育児のことで父親である夫に相談した形跡がない、とある。
前にも書き込んだが、「ニートから救う・・」という本や、「うつ病を治す」といった本にも同じフレーズが出てくる。

父親不在。

このことは、何が何でも改善を急ぐべき問題だ。
だからというわけではないが、違う角度で子育てについて考えを巡らしていたら、僕も「お父さんの子育て」に行き着いた。
これは、決して偶然ではないと思う。
どこからどう考えてもそこが今の日本社会でおかしいということだ。

それは、日本の男が情けないという現状だけの問題だろうか?
僕が思うに、その情けない男がいいと思う女がいる。 
フニャフニャ男のバックゾーン。
その情けない男と結婚するのも問題ではないのかな。
理念やでかい夢のない男と結婚した自己責任を女が自覚させられている。
その具体的なこととして子供の育ち具合があるのではないのかな。

女が男を求める条件。
そう言えば、ついこの間の書き込みで30過ぎのおばさんが結婚相手に望むことで年収一千万、世田谷の高級住宅・・・というのがあったが、決して極端に特殊ではなく、たぶん多かれ少なかれ今の女の求めるところを表しているのではないだろうか。
まるでカタログを見て買うような感覚でしか男を見ていない女。
そこには女の高慢が見え隠れしている。
「家付き、カー付き、バァバァ抜き」
そんな、今の女の心も現代日本社会に反映していると思う。
実はこれは、今から40年以上前に流行った言葉だ。

情けないフニャフニャ男と豪華な生活しか頭にない女。
どっちもどっちだ。

要するに、気楽で楽しく物や金で威張っていたい生活を追い求めた結果ではないのかな?

生きる価値を求めたり、生きる意味を求めたり、義や真理を求めたり、そんなことより簡単・便利・安全・快適、こそを人生で一番大切にした結果ではないのかな?

その結果とは、働く気も学ぶ気もない我が子という重荷だ。

チンケなことで見栄を張っているみみっちい男ではなく、雄雄しいお父さんに子育てのヒントになることを目指している、この書き込みは。
マスメディアのように大勢のウケ狙いをしていない。
読むべき方が読んで欲しい。

日本の本当の男たち、
これから骨太の男に育てようではないか、我が子を!!

日本男児は、世界中で活躍できる素晴らしいDNAを持っている。
それを我が子から引き出す子育てをしよう!!

大胆でドラマチックな人生を歩んでいる本当の雄の男たち、
子供にそれを熱く語って、本当の人生を伝えよう!!


2007/2/2
(カブ新聞02/11/20) 10月27日 パレード参加
またやってきたパレード。 スカウトたちに旗を持たせて行進させるために、僕は子供たちの上着や弁当などリュックに健康盛りに入れて付き添った。 前から横からキチッと整列をしているかどうかチェックした。 何の練習もなしにブッツケ本番の割には、しっかりやってくれていた、と思う。 そしてその後吹奏楽団の脇で2時間、旗持ちをした。 リーダーの僕にも本当に辛い。
まるで立ちっぱなしの「禅」だ。 子供の心を、もしかしたら一番強くしていた活動かもしれない。
修行から開放されて土手に出た。
前年度、何回か合流したことがある団のカブ隊と、そのとき初めて合流するカブ隊の三ヶ隊でゲームをしたとある。
その初めてのところの隊長がハッスルして仕切ってくださり、4つもゲームをしている。 子供は元気だ。 よく遊んだ。 それは子供の仕事とよく言うではないか。 
今、小学生なのに夜の11時まで塾通いさせている親がいるという。
古今東西の子育てでそんな馬鹿なことを人類がしてきたのだろうか?
親の見栄の極限。
享楽を得るための妄想。
ただのブーム?

余談
山梨県に清里高原がある。
僕が初めて尋ねたのは高校の美術部の写生旅行でだ。
今から35年前。 生まれて初めてディゼル機関車に乗って行った。
そのころは、アスファルトの道はなかった。 どろんこ道のいたるところに牛のウンコが転がっていて、それをよけて歩くのが大変だったことを思い出す。 高原の空気は独特で本当に「おいしい」感じがした。 いったい何にそう感じるのだろうか、不思議だ。
ただ滞在中、ずっと霧雨で何も見えない。 それなのに先輩は透き通るような青空の風景画を描いていた。 中には富士山を書いた人もいた。 そこから本当に見えるのか?
先輩に、「絵」は空想でOKなところが最高さ。 と言うので僕も見えはしないデッチ上げの山を描いた。
写真ではありえない面白さだ、確かに。
次に行ったのは、上の子二人だけしかいなかったときにキャンプをしたときだ。 このころの二人はかわいい盛りだった。
その次は、ビデオの仕事を目指していて、それでは食べられないのである写真屋に一年勤めていたときだ。
小学校の林間学校での「写真屋さん」で写真を撮った。
このときに初めてそこを開拓した人を知った。
その人は、ポール・ラッシュと言う。 戦前に宣教師としてそこにやってきて、そしてそこで開墾し乳牛を飼育したと聞く。
戦中、戦後の食糧難のときでも、ここの子供たちは、そのミルクでまるまるとしていたそうだ。
その後に尋ねたのは、ビデオ屋をしていて知り合った業者の集いでだ。 
初めて尋ねた時より何年も過ぎていた。
その間に、清里は避暑地として有名になり若者が津波のように訪れてきた。
道はアスファルトになってパープルカラーのペンションが立ち並んだ。
若者が集まるとテレビで放送していた。
そしてブームが去った。
ペンションだった建物はボロボロで、いかがわしい商売をする者がでてきた。
街は閑散としてそこら中がクローズしている。
そこを象徴するポール・ラッシュの銅像だけが妙に輝いていた。
そこはただの僻地でしかなくなった。
しかし、それは気軽な連中が興こした街でのこと。
ノアの箱舟に乗りそこなった享楽な人たちがいなくなっただけのこと。
その地の元々の清泉寮は未だ健在でおいしいミルクが飲める。

お父さん、お子さんに本当の人生について熱く語って欲しい。


2007/2/1
(カブ新聞02/11/20) 10月20日 恒例の芋掘り
正月の餅つきと並んで企画内容に不満だったこの「芋掘り」。 この年には手を加えた。
芋を掘った後、そこの近くに団専用の小屋作りをしているキャンプ場があって、そこで芋汁にして食べた。
これなら履修科目の「簡単な調理」ができる。
記事にはないが、確かこのときに僕の三番目の子に先回りさせてブルーシートでタープを張らせたなずだ。
これが次第に進化して親子キャンプのハウツービデオにある「竹ハウス」になっていく。
カブ隊の活動をしながらいかに「ボーイ隊」の内容を僕の三番目のこと四番目の子に与えるのか、いつも頭をひねっていた。

余談
今日、僕の最後の子が高校受験だ。
僕の子はみな頭が悪い。 これは大いに遺伝的な要素が関係している。
それを、この前書き込んだ母親のように強迫神経症かもしれないというアドバイスを「馬鹿にした」と受け入れないのか、それとも客観的に見て納得できるかは、本人の心のキャパシティの問題だ。
今の母親は、少しでも劣っていることを指摘されると逆上しやすい。
それがどれほど幼稚園の先生を困らせていることやら・・・・。
子供を育てる前に親を何とかしなければ・・・・
親の幼稚、困ったものだ。
もう僕はこの仕事を始めたときから言われ続けている。  
僕はこの仕事をして20年経つ。
最近は、幼稚園の先生方が諦めたのか、もうなるようになれといった印象があるが、僕の勘違いだろうか。
お父さん、お父さんがしっかりと立ち上がらないと本当にこの国はお終いだよ。 本当の教育改革は、お父さん自身がお子さんを育てることにある。 それは子供に生きる意味や価値、理念、宗教、といったことを幼少期から成人するまでしっかりと教えることだ。
冗談ではない。 本当に今すぐ取り掛かって欲しい。

さて、その出来の悪い僕の子も、一丁前に受験勉強もどきをしてきた。
中学三年の春、偏差値テストで入れる高校がなかった。
それが本人にやる気がでて少しは暗記の勉強をするようになった。
そうしたら最近になって行けそうなところが出来た。 そこを受験する。
僕は子供の能力以上のことを要求したくなかったので、ボーイスカウトには力を入れたが暗記勉強に関して極めてのんびりと構えた。
これは奇麗事ではない。
そのところは、僕の上二人を育て間違えた根本のところなのだ。
慌てず、騒がず、驚かず、しっかりと客観的に観察しながら必要に応じて適切なアドバイスを子供にするだけ、あとは本人のやる気に任せる。 非常に重要な親の心構えだ。
僕の場合は、その子にこう言い聞かせ教えた。
「さて、受験は成功するか失敗するか、こういうときにこそ必要なのがお祈りだ。 どうお祈りをする? 何の努力もなしに祈るのは、神様に命令することになる。 決してそのようなことがあってはならない。
しかし、自分の最大の努力をしたのなら、自分の願いを神様に訴えると良い。 それは本当のお祈りだ。 ただ、それだけではなくこうも付け加えて完全なお祈りにしよう。 それは最後に『神様の御心のままに』ということを覚えることだ。
もし希望通りにならなくても、それは自分の希望とは違う何かを与えるため、そう思うことが大切だ。 分かったか?」
受験に受かろうが落ちようが、そんなことはどうでもいい。 僕の願いとしては定時制高校に行って欲しい。 本人にそのことを言ってもいる。
それより、このことをキッカケにして本当のお祈りの仕方を教えることが出来た。 もうすでにその子にとって人生でたぶん今のところ最大なこと、受験なんかより大切なものを手に入れたのだろうと思う。 本当の祈り。
お父さんの子育てとは、こういう風にするものだ。
ご家庭の宗教を真剣にお子さんに教えて欲しい。
お父さんの子育ては、エプロンを着て台所に立つことではない。

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