スノーメン タイトル



ここのページは、お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!!
と、お父さんに呼びかける Snowmen Camp Club のメッセージです。

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キャンプじぃじ、お勧めの一冊!

「家族・親子 アウトドアー・キャンプ入門」

赤井 健一 監修  1,480円+税
HP:土屋書店

僕の作った「親子キャンプ」ハウツーDVDは、どうやら「敷居」が高すぎるようだ。
もっともっと親子でキャンプを気楽に始めるのにちょうどいいハウツー本です!
これで、小学校四年生までにたくさん子供と遊ぼう!
そういう子育てをしよう!

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「キャンプじぃじの子育て論」
「教育」と「子育て」の違いを知って、心の強い子に育てよう!

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○ 新連載「お弟子さんの日記」 毎週火曜日に掲載
● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に、
● 木曜日には、「ビデオマンの日記」・・・・ビデオ屋を目指す方へ、
● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」・・・子育て真っ最中の方へ
● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」・・・・老後の提案
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13/12/31(火)朝 キャンプじぃじの日記

呑みすぎ。
昨日は、古い仲間で忘年会だった。
ものすごく懐かしいヤツも来て、とっても嬉しかった。
15人ぐらいのパーティだったが、高校のときのクラスメイトは、5人もいた。

「スノーメン・スキー・クラブ」

これが今の僕の活動の前身だ。

「けんちん汁&餅つき」の活動をスライド・ショーにしてDVDに焼いたものをみんなに配った。
これは、気合を入れて僕のナレーションを入れてまとめた。
だいたい6分半の長めのスライド・ショーだが、
BGMだけではないので、けっこう見られるものになったと思う。

ビデオ屋のこだわりだな。
呑みすぎで、これで終わり。


13/12/30(月)朝 キャンプじぃじの日記

「スノーメン・キャンプ・クラブ」は、
実質は、僕一人でやっている。

でも、古い友人が手の空いている時に手伝ってくれて、
それで、出来ている。

特に、前回の「芋煮会」は、僕が高校のときからの友達で、
ソイツの知り合いの畑で芋をもらってできた。

「けんちん汁&餅つき」も、大家のおばぁちゃんを「さぎ山野営場」まで古い友人が車で連れて来てくれた。

また、その時には、最近知り合ったカメラマンも来てくれて、
餅をついてくれた。
いなかったら、全部僕がつかなければならなかった。
彼は、最後の片づけまで手伝ってくれた。

こうして、手伝ってくれる仲間がいるので、イベントを運営できる。

昨日の夜は、いつもの「日曜晩餐会」で、
手伝ってくれた古い友人と、そのカメラマン、大家のおばぁちゃん、
僕とばぁばで、「けんちん汁&餅つき」の打ち上げをした。

デジカメで撮りたての写真をPCでスライドショーにして見ながら盛り上がった。

今日は、そういう古い友人たち・・・・僕がスキーで狂っていたときの友人達が集まって忘年会をする。

そもそも「スノーメン」というネーミングは、
そのスキーバムをやっていたときの「スノーメン・スキー・クラブ」から受け継いだものだ。

年にゲレンデに40日もいた。 平均で軽く30日を越していた。
それを10年ぐらい活動していた。

こんな馬鹿なことをしたから、
僕の四人の男のこのうち、上二人がグレてしまったんだ。
僕は、「ダメオヤジの頭」ね、そういうことで。

忘年会の前に、みんなで僕が毎日通っている銭湯に入りに行く。
それからビールで乾杯だ。
楽しみでしょうがない。

僕は、風呂のない二間のボロアパート住まいの貧乏人だ。
でも、
人生の本当の豊かさは、建物にない。

自分と人との関係から、人生の豊かさが作られる。
しかし、人生の地獄を見るのも、人との関係から起こる。

この全部をひっくるめて「人生」だな。

自分と物との関係・・・・・これで幸せを得ようとするのは、惨めだ。
自分と人との関係・・・・・これで幸せを得られるのは、幸いだ。
自分と神様の関係・・・・・これは幸せというより、生きている価値だ。

こういうことで僕は、自分の一番の宝物「アウトドアーの遊び」をこれから生きていく子供たちへの「捧げ物」にしているのさ。
こういう目的意識でボランティア活動をしている。

強い目的意識、このことを「理念」とも言う。
あらゆる「物」は、生きていく上での「手段」に使うものだ。
それが「目的」になってしまうのは、本末転倒ということさ。

僕は、目的意識を強く持っているから、面白くてしょうがないんだ。
自分の消費で頭が一杯の状態を、僕は、本当の不幸だと思えてしょうがないね。

お寺でも、神社でも、本気になって信仰をすれば、
この気持ちが分かってくるでしょう。
そのときに絶対的に重要なのは、「信仰」は、たった一つの宗教であることだ。

仏様も神様もゴッチャにしたら、目に見えない仏様や神様からどういう罰を受けるのでしょうか?

意味を無視する恐ろしさがあるよね。

高度経済成長の頃は、国民全員で「物」で豊かになることを目指した。
でも、その結果、今、ひきこもりが150万人もできてしまったと、僕は考えている。

「物」は、「砂糖」みたいなものだ。
心の糖尿病には、溢れるばかりの「物」がとっても効果的でしょう。

そんなバカなことを目標にしないで、
自分の子との「思い出」をたくさん作っていくことを人生の目標にしようか。

自分と、自分の子という人との関係。

とってもダイナミックな人生を得られるでしょう。
今夜は、末っ子も帰ってきて、一緒に忘年会ができそうだ。
末っ子に、友達がいる愉快さを見せ付けたいね。
僕の子も、人との関係で幸せを築いていって欲しい。


13/12/29(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

12月28日(土) 「けんちん汁&餅つき」を実施

とっても面白かった。

大人12名、子供9名、の参加で多いに賑わった。

取引先の幼稚園に、
カマド、釜、セイロ、専用の布巾、臼、杵、を借りることが出来たので実現した。

朝9時、「さぎ山野営場」に集合して、子供たちに「けんちん汁」の食材の買い出しに行かせる。
前回、「芋煮会」の時には、用もないのに保護者がそれに着いて行ってしまった。

その時には、うちのばぁばに強くこう言い聞かせていた。
「親に、口を出したり、手を出したり、そうしないよう注意する事」

それで、前回でのばぁばと二人の打ち上げでの報告で、
「子供たちが買出ししているのを親が見ていて、イライラしていた。
   中には、もう来るんじゃなかった、と言った人もいた。」

こういうことで、今回の子供たちの買出しには、親が着いて行かなかった。

この活動は、子供ではなくて、
「親の子育て」について、学んでもらうのが本当の狙いだ。

親による「過干渉」「甘やかし」の自覚をしていただけたのだろうか?

子供たちは、主に「けんちん汁」の調理を担当させた。
子供が危なくないように「親が見守る」ことをお願いしたのだが、
はたして、どこまで「口を出さず、手を出さず、見守る」ことができたのだろうか?

僕は、餅つきの準備で忙しくて、そこらへんの様子は分からない。

ただ、小学校一年生の男の子のズボンを親がはかせて上げているところを偶然目撃してしまった。
僕は、子供に言うようにして、
「恥ずかし〜〜〜い、はかせてもらってんのかよ、赤ちゃんみたい。」
と、注意した。
これは、もちろん、親に対する警告だ。

でも、僕が餅つきの準備に夢中な時に、
タープの下の調理室から、親の悲鳴が聞こえてくる。
「それ、危ないから、危ないから、止めて!」

親がすぐには、手を出さずにそのスリルを味わったようだ。
これが一番面白いシーンになった。
「子育ての面白さ」って、ここにあるんだよ。

まぁ、なんだかんだの明神下、「けんちん汁」の味付けもOKでした。

「餅つき」は、昔、僕がカブスカウトの隊長を引き継ぐときにもこれで活動をしていた。
しかし、これは子供の活動にはしにくい。
こういうことを僕は、体験で知っている。

だから、「餅つき」だけではなく、子供の活動にするために「けんちん汁」を加えたプログラムにしたわけだ。
ここ、非常に重要だ。

「子供を育てる」のだが、
そこには、必ず「大変」「難しい」「辛い」という要素が活動になければ「成長」をしない。

しかし、そればかりでは子供が嫌がってしまう。
そこに何かの「面白さ」を活動に必ず加えるわけだ。

ここで、ここの書き込みで散々訴えていることを思い出してもらいたい。

「目的」と「手段」の違いをシッカリ頭に入れておく。

「子育て」が「目的」にならなければ、ただのレジャーになってしまう。

だから、子供自身で「買出し」という作業を、
「調理」という作業をさせて、「出来なかった」ことを「出来た」という達成感を味あわさせる。

子供には無理そうな、餅つきの作業は、大人が準備する。
ただ、つき上げた餅に、さらに子供につかさせてこれを体験させる。

昨日、結構驚いたのは、その後の、つきたての餅を団子にする作業は、
子供たちが大騒ぎで面白がってやっていた。

こういうことに子供が興味があったことは、僕は、知らなかった。
大いに、結構だ。

こうして「けんちん汁」や「餅つき」は、「子育て」のための「手段」であることを、
シッカリと親が頭に入っていなければ、ただのレジャーになってしまう。

読者の方も分かったかな?  本当の子育ての勘所が。

学校の成績だけに注目した「知識偏重」の子育ては、
後で、僕ぐらいの歳になった時に、まさかの悲しい思いをしかねないよ。


僕には、四人の男の子がいて、一人は、学習障害を専門家に指摘された。
残り三人も学校の成績は、みな最下位だ。

でも、本当の子育てを、三番目の子と末っ子にした。
子育てのための「親子キャンプ」を実行した。

中学生ぐらいで、「キャンプ場の下見」「計画作成」「実行」「感想文」を
何回も、何回も、何回も、実体験させた。

そして高校生ぐらいで「ソロ・キャンプ」を体験させて、
「自立」に向けた「訓練」をした。

こういう家庭教育を受けた三番目の子から、
この「けんちん汁&餅つき」の活動の最中に電話があった。

「お父さん、次男坊と末っ子も時間が出来た。
  僕の住む御殿場まで来て。」

「帰省」ではなく、親を「呼び出す」んだな。

昨日、ばぁばと二人で打ち上げしている時に、その三番目の子に詳しく電話で聞いた。
1日に、次男坊と末っ子を、おまけにばぁばを御殿場に連れて行って、
そこを観光しろと言う。
そして、夕方に落ち合って、(ここまでしか三番目の子は、言わなかったが、カラオケで騒ぐという説明は、端折っていた)ホテルへ行って、
次の日にスキーをしようと言う。

三番目の子が、次男坊と末っ子が来られるように調整したり、
旅行の行程を考えたり、それの手配をしたり、

おかげで、僕は、何も関わっていないのに勝手に「お正月」の企画が立てられていた。

その三番目の子が、学習障害なんだよ。

「子育て」を本気で、命がけで、取り組んだ、これが成果だ。

昨日の活動に参加をした親も、この「本当の子育て」を体験で分かっただろうか?

この活動は、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

ことが「目的」だ。

まぁ、母親でも、黙認しよう。

昨日は、ウッカリと最後の「木のメダル」で子供を表彰するのを忘れていた。
牧師夫妻が、これを思い出してくれて、
間一髪、解散前にこれができた。

「参加賞」の木のメダル。
結構、子供たちが喜ぶんだ。
若いお父さんもぜひやってみて欲しい。

子供に与える「物」は、豪華でない方が非常にいい。


13/12/28(土)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、「けんちん汁&餅つき」の実施日だ。

参加者は、大人と子供全員で15〜20名近くになりそうだ。

「けんちん汁」は、料理教室で教わったものだ。
子供たちには、無理そうな、
「しいたけ」を水で戻すことや、「昆布と削り節」の合わせダシ、
ここらへんは、集合前に僕がやる。

前回の「芋煮会」同様、40食分を作ろうと思う。
レシピでは、屋内のおしゃれな分量の四人前のものだが、
それの10倍作る。

この方が、子供たちが計算しやすいからだ。

子供たちに、量りを持たせて、買出しをさせる。
「4」とか「7」という倍数では、計算をする子の頭がたぶん、
パンクするだろうから、多すぎるけど、そうする。

学校で、掛け算を習っていても、
実際の応用では、体験がないと混乱するものだ。
こういうところが、
「知識教育」と「体験教育」の大きな違いとなる。

ここのところ、子育てでとっても重要なヒントだ。

「餅つき」の準備は、大変だ。
昨日の内に、もち米を洗って水に浸けてある。
このことは、僕には知識でしかなかった。
実際にしたのは、初めてのことだ。

でも、僕は、普通のうるち米を水でとく体験をしてきているから、
それがもち米になっただけで、戸惑うことはない。

臼に熱湯を入れて、そこに杵を浸す。
これも実際にやるのは、僕は初めてだが、知っていれば誰でもできることだ。

この作業は、熱湯で煮沸消毒をする効果と、
臼と杵に水が染み込むことで割れにくくなる効果がある。

「作業」の意味を僕は、知っているので、その効果が出るように、
昨日の内からしておいた。

日本人は、本当に「意味」が大嫌いな様子だ。
この間、書き込んだようにクリスマスの意味なんて大嫌いだ。

阿部首相も、日本人らしく「意味」の重要性についての認識が甘かった。
靖国神社へこのタイミングで行ってしまったそうだ。

「世界」では、日本と違って「意味」を重要視する。
日本人よりはるかに「意味」を大切にする。
クリスマスで騒いで、除夜の鐘を見に行き、初詣・・・・
こんなでたらめな「意味」のないことは、「良くないこと」というのが「世界の常識」だ。

阿部首相は、あくまで「日本基準」をしただけだ。
責めてはいけない。

なんだっけ・・・?
そうそう「餅つき」の話しね。

昨日までに、SCC専用キャンプ場「さぎ山野営場」に、タープを張って、
そこに調理をするためのテーブルをセットしておいた。

SCCオリジナル工作物の「竹ハウス」という12畳の常設大型テントには、
子供たちが食べるためのテーブルと椅子をセットした。

ここには水がないため、
20gのタンクに水を汲んで、それを7本、
10gのものを2本、
さぎ山野営場まで持って行っておいた。 これが結構な肉体労働だ。
一輪車で斜面を登って持って行った。

そして、今朝早く、7時半には、現場入りして、
仕込み始める。

集合は、9時だ。

天気は、一日「晴れ」。

何が何でも成功させるぞ、オッス!


13/12/27(金)朝 キャンプじぃじの日記

今年は、Snowmen Camp Club の活動は、とっても充実をした。

この活動は、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

というボランティア活動だ。
戸田市の道満グリーンパークでの「親子で工作」は、

3月23日、4月20日、5月18日、6月22日、9月7日、10月12日、11月16日、

計7回、実施する事ができました。

SCC専用のキャンプ場「さぎ山野営場」では、

「親子でカレー作り」「芋煮会」そして明日の「けんちん汁&餅つき」

これは、「調理」という「工夫」だ。

そして、幼稚園の園庭を借りて「親子で流しそうめん」を、1回できた。

8月には、マザー牧場で、
「ごちそうサマーキャンプ」でキャンプスタッフを3回やった。

「親子で流しそうめん」に参加をした方で、
この「ごちキャン」にも、3シーズンも来ていた親子がいた。
サプライズ!

ただ、今年は、「父親」がターゲットの活動なのだが、
どうしても面倒くさがって母親が代理で参加をするケースが目立った。

これほどにして、根の深い問題であることを痛感する。

父親の子育てに対する意識改革。

大げさだが、これは本当に問題の核心だと気付かされる。
僕の余生での挑戦で、馬鹿でかい目標だ。

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

ともかく、年間をとおして、少しずつ態勢が整いつつある。
H26年度は、これらの活動を統合しつつ、計画的に実行をし、
「父親」が興味を覚え、参加できるように方向付けしていこうと思う。

これを考えると「父親」が100%の「親子で流しそうめん」の活動は、
たった1回だけの実施だけど、意義は、非常に強くある。
ここが僕の挑戦の突破口になりそうだ。

自分の「消費」しか思いつかないで生きている人が気の毒に思う。
僕ぐらいの歳のジィちゃんは、
これからの時代を生きていく子供たちのことを考えることができるように「成長」できていないと惨めだ。

「ヒト」は、年齢を重ねながら死ぬまで「心の成長」がある。
それで初めて人らしい人生を歩めるようにできている。

なんだか日本の社会を見ていると、
中学生ぐらいの「心もち」のまま、大学生、30才代、40才代、になってしまって、
ついに「自分の消費」しか考えることができなくなってしまっているように感じる。

「自分の消費」だけの人生。

これは、中学生ぐらいで「自立」に向けた子育てを受けていないから起こる問題だと思う。
そして、高校生ぐらいでは、

「自立」に向けた「訓練」

をまったくしていないので、
結果として、20才で「自立」ができなく、
そのまま歳をとってしまうというプロセスになっているのだろう。

僕の歳で本人が自立できていないので、
子供たちの将来の危険を考えたり、それを回避することを提案したり、
生きる希望を示唆したり、できないのでしょう。

「幼稚な年寄り」

ついには、こういう惨めな人生を本人が味わうことになる。

「消費」ではなく「成長」だ。

「物」ではない。
「心の成長」、
これこそが人生を豊かにしてくれる。

僕は、風呂のない二間のボロアパート住まいの貧乏人だが、
今年は、サイクリングのスライド・ショーを12タイトル作ることもできた。

さぁ、本当の「豊かさ」を考え直してみよう!


13/12/26(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

昨日、お弟子さんを公園に連れて行って、
そこにいた親子に了解を得て、子供を撮る練習をした。

僕のカリキュラムに「子供ビデオ12章」という項目があるが、
これにそって練習をした。

これは、今から17〜18年前に考えた撮影の練習方法だ。
このHPでも公開をしている。

「子供ビデオ12章」

これを考えた当時には、「卒業ビデオアルバム」を、10件制作していた。
それで、とても僕一人では取材しきれない。

普通のギャラを払ってカメラマンを手配したら、
採算がまったく合わなくなる。

そこで、主婦に速攻で撮り方を教えて、
「ギャラ」ではなく「お小遣い」を支払うという方法を編み出した。

ここだ、
僕は、この「編み出す」ことが好きなんだ。
「一生涯安泰」の気持ちで生きている人には、
思いも付かないし、実行不可能なこと・・・・・・

「問題解決能力」

このために新たな手法を編み出す。

主婦に、公園でこれにしたがって、3〜4回練習をした上で、
午前中の拘束で、交通費一律別途二千円支給で、5,000円の謝礼、計7,000円。
この条件で僕は、「卒業ビデオアルバム」の取材をお願いした。

おじさんの趣味のビデオサークルの人より、はるかに上手に取材をしてくれた。
特に、幼稚園を結婚退職した主婦は、
もともと「子供を見る力」があるから、
とっても面白い絵を拾ってくれた。

お弟子さんは、「結婚式」を喜んで撮っているけど、
それの悪い癖が付いてしまっている。
それは、何か・・・・・

「的外れなこだわり」

これだ。
それで、これからこの「子供ビデオ12章」で特訓をして、
その癖を一度取り除かなければならない。

スキーでも一度、自己流の癖が付くと、上達できなくなる。
こういう場合、早い時期で徹底的に矯正しないと、どうしても後で問題が出てくる。
これと同じだ。

昨日の練習で「画面サイズ」を変えて何カットも撮る、ということが苦手であることが分かった。
それで、そこを意識して僕は、デモで撮った。

お弟子さんに自分が撮ったものと、僕のデモを見比べるように宿題を出して、
練習を終えた。

目標に向かって、何に障害があるのか、
それをまず見付ける。
そして、それを解決するための具体的な方法を編み出す。

これは、普段から「命がけ」で生きてこないとできない。

「気楽」「簡単」「便利」を浴びるように生きてきた人は、
それを解決できる「物」を買って済ませることしか考えようとしないものだ。

これはいくら「知識」がたくさんあっても、解決しない。
どんなにテストの成績が良くても解決しない。

「工夫」「アイディア」「デザイン」の能力だからだ。

子育てでも、お弟子さんでも、身に付けさせるべきことには、
驚くほど共通点がある。

ビデオ屋でも、子育てでも、「視点が定まる」ことが初めに必要だ。
ビデオ屋の場合、いかに早く商売を立ち上げることが出来るかという「視点」。
これは、「社会的自立」を意味する。

子育ての場合、20才では、
「自立をした一人の大人の社会人」という「視点」。

こういう具合に「自立」が目指すべき最大の目標であることが共通する。

「意味」を考えることができなくなって、
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」という社会現象をそこら中に見かけるが、
ビデオ屋の場合、それは、
「新しいカメラさえ買えば商売ができるつもり」と、こうなるわけだ。

どちらも本当の成功はほど遠い。

本当の成功とは、一つの商売をどれだけ長く継続できるのか、ということだ。
たまたまのまぐれ当たりを成功とは言わない。

「大変」「辛い」「苦しい」練習をしない限り、ビデオ屋のウデは、上がらない。
とっても当たり前のことでしょう。

せっかくの人生なのだから、思いっきり生きようではないですか。
そのためには、身を削るような練習、訓練、の実行にかかっているよね。


13/12/25(水)朝 キャンプじぃじの日記

メリークリスマス!

全世界で、今朝、子供たちの枕元にプレゼントが届いたのかな。

戦争や、家庭環境で届かなかった子を覚えて、
プレゼントという「物」ではなく、
本物のクリスマスが子供たちに届きますように。

お隣の韓国では、キリストを受け入れる人がとっても多くなったようだ。
牧師先生の話では、台湾でもすごいらしい。
一気に三千人の人が洗礼を受けるということもあったらしい。

それで、どうやってそんなに多くの人を受洗できたのか、
牧師先生が現地の先生に尋ねたのだそうだ。

そうしたら、その三千人に一気にホースで水を浴びさせたのだとか・・・・・
豪快な洗礼式だな。

また、将来、その人口の多さで、世界一クリスチャンが多くなりそうなのが、
中国だと、牧師先生が言っていた。


その牧師先生は、昨日の夜のキャンドルサービスのときには、
あまり調子がよくなかった様子だった。
僕は、音楽の世界を知らないけど、
彼は、声楽家で一番低い声の、たぶん「バス」というものを学んだようだ。

コーラスで、とってもいい声を何回も聞いたけど、
昨日は、調子悪かったみたいだ。

今、お世話になっている教会のキャンドルサービスは、
とっても素晴らしい。
隣に住む大家のおばぁちゃんは、仏教系新興宗教に関係しているけど、
昨日の夜のそれをとっても楽しみにしていて、
一緒に行った。

そのおばぁちゃん、冗談で冥土の土産にそのキャンドルサービスに行きたいと、
友達に言ったら、笑われたとか。
そのぐらいに素晴らしかった。

礼拝そのものは、どこにでもありそうなプログラムで進行するのだけど、
「生演奏」なんだな。
セミプロかプロの音楽家が奏でる。

聖楽隊も、普段から特訓しているから、
アマチュアぽくなく上手だった。

ピアノ、バイオリンに二人、
何て言うのか知らないがバイオリンよりちょっと大きい楽器に一人、
そしてチェロ。
メインで歌う女性歌手。

キャンドルサービスの後の、ミニコンサートがとってもいい。
それを目当てにたくさんの人が集まっていた。
でも、
そこで、牧師先生の得意な声が・・・・・・
出なかった。

それでも、とっても素晴らしかった。

礼拝の後奏では、ピアノの演奏だったけど、
それが、チェンバロに、僕には聞こえた。
これには、ビックリした。

気のせいかなぁ・・・・・?
チェンバロに聞こえた。

それで、終わってからピアニストに尋ねようと思ったのだけど、
他の方との話しに忙しそうで、確かめられなかった。

相当の昔、
保育園でのお遊戯会で、ウデのあるピアニストが、
生で演奏した時のことだ。
それが「ハープ」の音色に聞こえたことがある。

僕は、それをビデオで撮っていて、
スイッチャーをやっている園長先生にインカムで「どこにハープがあるの」と、
何回も聞いたことがある。

後でピアニストに尋ねたら、「ハープのような音」で演奏したのだそうだ。
でも、何もないホールでそれを再現しても、ピアノの音しか出なかった。
その時の、観客や遊戯室の構造、いろいろな条件が揃って、
ピアノの音がハープの音色に聞こえたらしい。

昨日の夜のチェンバロの音色も、そういうことだったのだろうか?
気になってしょうがない。

アッという間に昨日の夜のキャンドルサービスが終わってしまった。
また来年のこの礼拝がとっても楽しみだ。
生きていれば聞くことが出来る。

今朝、「物」のプレゼントが届かなかった子供たち、
本物のクリスマスが届きますように。
そういう弱い者の上にこそ、キリストが近くにいる。

これは、間違えがない。
このことを「アーメン」と呼ぶのさ。
あらゆる弱い人に、今、希望を。


13/12/24(火)朝 お弟子さんの日記

 ここ数回はクリスマスの取材に参加させて頂いております。

初めての取材の際、
何をどのように見せるかという視点をハッキリ持たないまま撮影に入り、
散々な結果で終えてしまいました。

ブライダルの撮影に慣れ過ぎていたという事を言い訳にするわけではありませんが、
幼稚園では最初から最後まで進行が完全に決まっている訳ではなく、
その場その場で変更が掛かる場合が多々あります。

それに対応出来るようにするには先生達から情報を得るという事、
「取材力」が必要不可欠という事になります。

ブライダルの会場では進行表があらかじめ用意されており、
決まった時間に決まった場所へ行けば目的のものが用意されており、
何もしなくても撮りたいものが目の前に現れてくれます。

大袈裟に言えば何も考えなくても良い画が撮れてしまうわけです。

その点、幼稚園という環境は全くそれが通用しません。
どれだけ「取材力」を身に付けられるか、
そして、どのような「視点」を持って撮影に挑めるかで結果が0にも100にも変化してくる環境なのだと感じました。

これからしばらく幼稚園は冬休み、
その間は「視点」を鍛える為の練習に入ります。

早ければ来年の夏には営業を行い自分の「お泊まり保育」の撮影に入るかもしれないというところ、
遅れている編集含めて、
2014年はギヤを上げてスキルアップしていきます。

今年は転職して映像の世界に飛び込み、
本当に色んな方々と出会い、
お話を聞かせて頂いたり、
聞いて頂いたり、
自分が成長したかどうかは自分で判断は出来ませんので、
今後結果で身の回りの方々へ報告出来るよう励んでいきますので、
今年同様、来年も宜しくお願い致します!

2013年、大変お世話になりました!良いお年を。。。


13/12/23(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の夕方には、その教会でやっている塾の子とクリスマスを祝っていた。

子供向けの礼拝の後で、パーティをした。
キャンドルサービスもした。

このキャンドルサービスの意味は、昨日書き込んだけど、
「サービス」については、詳しく知らなかった。

ここでの「サービス」の本当の意味は、「礼拝」ということだと牧師先生に教わった。
僕は、このことを昨日まで知らなかった。
言葉の本当の意味を知る大切さを改めて感じたね。

これからを生き抜いていく子供たちに、
言葉の本当の意味を伝える重要さも感じた。
これはこれからの「グローバル」に不可欠ではないだろうか?

言葉の本当の意味を知る。

クリスマス
僕は、聖書を精査したわけではないので、間違っているかも知れないが、
キリストの誕生日を祝うようにと聖書には記していないと思う。

サンタクロースも、聖書には出ていない。
彼は、「サンタ二クロス」と言ったか、とっても優しい神父で、
子供たちへのプレゼントを始めた人だ。
それが全世界に広がった。

また、サンタのあの赤い服は、コカコーラの戦略的広告で赤くなった。
ヨーロッパの田舎あたりでは、サンタの服は昔ながらに緑色のところがあると、聞いたことがある。

言葉だけではなくて「本当の意味」を知っていくのは、非常に重要でしょう。

クリスマスは、キリストの誕生日であることも知らないのでは困ったものだ。
でも、12月25日が彼の誕生日であったわけではないようだ。
人間的な祭りのバカ騒ぎを抑えるために、
この日になったと聞く。

なぜ、ドンチャン騒ぎを静める効果があったのか・・・・・
それは、キリストが産まれたときのエピソードにある。

今から二千年前、その時代の中東では、ローマが支配をしていた。
悪名高きローマのヘロデ王は、税金をたくさん取り立てるために人口調査をする。
それは、地方に住む人々をも集めて数えるというとってもアナログチックな方法だった。

さて、そのころマリアというどこにでもいるような少女がいた。
彼女は、ヨセフという許婚がいた。
当時の戒律は非常に厳しく、
婚前交渉どころか、婚外子ができると、石で打たれて殺されるものだった。

そこに、マリアは、精霊が宿って妊になる。

これを信じるかどうかは、信仰の問題だが、
こういうシチュエーションが本物のクリスマスであることを知っておくべきだ。

マリアは、処女で妊娠をするのだが、
マリア自身、このことにあまりの怖ろしさを感じる。
まぁ、当然のことだ。

ヨセフも気が気ではない。
この場面を想像してみて、祭りでバカ騒ぎはできなくなるでしょう。

でも二人に別々に天使が現れて、「恐れることはない、それは神の子」と告げられる。
二人は、それを受け入れる。
これは二人の信仰があるがゆえの出来事だ。

それで、ヘロデ王の命令のもと、ベツレヘムまで二人は人口調査のために行く。
何日もかけての厳しい旅だ。
しかも、マリアは妊娠の身だ。

上京しているうちに、ものすごい人々が人口調査で集まって、
ついに、二人が泊まれる宿がなくなる。

こういうことで、二人は馬小屋に泊まるハメになるわけだ。
馬小屋と言っても建物ではない。
洞窟だと聞いた。

この場面を想像して、居酒屋でバカ騒ぎができるでしょうか?
ホテルでセックスができるでしょうか?

クリスマスの本当の意味、意味を知りもしないでバカ騒ぎする東洋の端っこの国を、
外国人は、どう見ているのでしょうか?
こういうことを考える能力も「グローバル」に必要だよね。

そしてマリヤは、キリストをそこで産んで、飼い葉おけに眠らせたというエピソードだ。

昨日の午前中の礼拝では、当時の習慣でマリヤは、14〜15才ぐらいと思われると牧師先生に聞いた。

この重苦しい人生の葛藤を、その歳で体験したマリヤ。

日本の中学生が、恐ろしいほどに幼稚だね。
その幼稚なまま大学生になっていないだろうか?

僕は、学習障害の子や、学校の成績が最下位の子を自立させた。
非常に難しい挑戦だった。

具体的には、
中学生ぐらいで、子供に、

キャンプの下見、計画書作成、実行、感想文、

こういう流れを何回も、何回も、何回も、させた。
そして高校生ぐらいで子供に「ソロ・キャンプ」を体験させて

自立に向けた訓練

を意識的に行った。
それで自立をして行った。

障害のある子と健常の子を「自立」させるのは、どちらが難しいと思う?

同じだ。
子供を「自立」に向けて育てるのは、親が本気にならなければできない。
マリヤは、自立をした本当の「大人」だった。
14〜15才でも、大人に成長をしていた。

物が豊かになり、「快適」「簡単」「便利」を浴びるように生活をしているうちに、
「自立できない幼稚な大人」が増えたのだと思う。
これが「ひきこもり」や「ニート」といった問題の根本だ。
日本でも、つい、60年前では、中学を卒業をして働き出して大人に成長をした人がたくさんいた。

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」

この弊害は、大きい。

ちなみに花祭りは、4月8日ね、仏教に関係している人は、
これを祝うことをするべきだよね。
甘茶をいただくべきだ。


13/12/22(日)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、「さぎ山野営場」の近所にある教会で、
夕方にクリスマスがあって、それに出席をする。

ここの教会の牧師夫妻が塾をしていて、
そこに集っている子供と、その親を対象に
今年は、「カレー作り」「芋煮会」をやった。
そして今度は「けんちん汁&餅つき」をする。

今回の「けんちん汁&餅つき」から、
ここの読者の方も参加していただけたら嬉しいね。

さて、
ここのクリスマスに出席するのは、今年で三回目だ。
去年は、ケンタキー・フライド・チキンで、から揚げを5,000円分を持って行ったのだけど、
子供が多すぎて、それが行き渡らなかった。

それで、今日は、もっと安いところで「量」を買って持って行こうと思う。
礼拝での献金も、
今回は、フィリッピンへの義援金を送るそうなので、
いつもより奮発したい。

自分の子ではなくても、何かの役に立つのかと思うと、
貧乏人であっても、喜んでお金が使える。

逆だ。
だから、貧乏人なんだな。
「金持ち」は、ケチだから金が溜まる。

午前中は、最近お世話になっている教会に行って、
今日は、礼拝のハシゴということになる。

自分で、ヘンテコな人生だと思ったな。

キャンドルサービスの意味を知っているでしょうか?
あれは、人から人へ愛が伝わるという伝道を意味していると聞いた覚えがある。
結婚披露宴のセレモニーではないんだ。

宗教儀式だよ。
意味を知らずに行動をしているうちに、
それが悪い癖になってしまうよ。

本当に、それが悪い癖になってしまう。

なにをするのでも「意味」を考え行動をする。
「ヒト」が人らしく生きていく上で、この「意味」を理解して行動をすることが重要でしょう。

もし、意味を無視して行動をする癖がついてしまったら・・・・・

その時、その時、の「感情」だけで行動をしてしまうようになってしまうだろう。

「気に入らないから嫌がらせをする」
こういう「いじめ」は、生きていく上での「意味」を考えようとしないから起こるのでしょう。
恐ろしいことではないかい?

行動の意味、なぜそうするのかの説明、
つまり大人には、「説明責任」がある。

今年は、僕にお弟子さんが出来たが、
個人事業のビデオ屋は、ありとあらゆる分野のことを学ばなければならない。

「プロデュース」の分野、
その他に、構成能力、基礎技術、表現方法、
極めて多岐にわたって覚えなければならない。

そこで僕は、必ず、その時に説明をしていることは、
そもそも何を「意味」してどこを学ぼうとしているのかを事前に説明をする。

そして、僕がデモをしてからお弟子さんに実地させる。

科学的に学ぶことで、少しでも早く商売を立ち上げて欲しいから、
こうして、

行動の「意味」の説明 → デモンストレーション → 実行

を繰り返して覚えてもらう。 このことを「体験教育」と呼ぶのさ。

僕は、カブスカウトのリーダーをしていて、
さんざんこれをやってきた。
この方法で、学習障害のある子を自立させることに成功をしたんだよ。

「説明責任」
こういう責任があることをも、
何をするのでも意味があるということを、
子供にシッカリと身に付けさせたいものだ。

そうでないと、クリスマスは、セックスをする日と子供が覚えてしまうさ。
こういう驚くほどの幼稚さは、大人の責任だよ。

「意味」を考えることができないで行動をしてしまう・・・・
動物的な人生になってしまうさ。

ニューヨークに住むユダヤ人は、当然クリスマスをしない。
当たり前だ。

これからを生き抜く子供たちは、世界の常識を、それの意味を知って、
「人」らしく生きていって欲しいよね。


13/12/21(土)朝 キャンプじぃじの日記

今朝の読売に、ロボット掃除機「ルンバ」の一面広告が載っていた。

本当だったら、こういうのは、SONY が作ってヒットさせなければならないんじゃないの?
スマートフォンでも負けて、
テレビ事業も液晶テレビ、ブルーレイの不振、
名前は知らないけど、変な形をした今までとはまったく違う構造の扇風機も、

「大企業」の体質に溺れて革新的な商品開発が、
もはや日本企業ではできなくなったのだろうか。

こういうことが、日本経済の「成長力」に直結するんじゃないのかなぁ。

「今までを打破する」という「成長力」

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」

こういうアンチョコな「生き方」で育てられた人ばかりだと、
「今までを打破する」ことは、まず無理だよね。
「一生涯安泰」しか出来なくなるよね。

商品開発力の硬直化。

僕は、これの根本的なことに、個人、一人一人の「心構え」があると思う。


東京都の年間予算は、お隣の韓国の国家予算に匹敵するとラジオで聞いた。
凄まじいね。

たしかに、まだ、「国力」はありそうだけど、
国民、みんなで「一生涯安泰」をやりだしたら、潰れるのは時間の問題でしょう。

栄華を極めたという「ソロモン」も「ギリシャ」も「ローマ」も、
今や・・・・・・

これに東洋の「ニッポン」も加えられるのだろうか。

「享楽」、「腰抜け」、「気楽、簡単、便利、安全、快適」に溺れて生きていたとしたら・・・・・
どうなってしまうのだろうか。

国の衰退は、国民一人一人の「心構え」にかかっていると思えないだろうか。
その一人ひとりが、「一生涯安泰」という思いで生きていたとしたら・・・・・
ロボット掃除機は、こういうことで作れなかった、のではないかな?

子供、一人ひとりがこれからの時代をどうやって堂々と生きていけるのか、
「堂々」というのは、「虚勢を張る」ことではなくて、

自分の人生を思いっきり生き抜くこと。

自分の「生命力」を思いっきり使い切って人生の「完全燃焼」すること。

こういう「生き方」を父親が教えることができる国になって欲しいね。

一人ひとりが「個人」としての「自立」がどれだけできるのか、
「自立」ができているからこそ、
へつらったり、媚びたり、何かに「依存」したりした「生き方」から解放されるのでしょう。

強く生きる、とは、自立をした人の「生き方」のことでしょう。
そう、育てられるのかどうか、父親次第でしょう。
そういう教育をするのが父親の役割だと、僕は、強く思うなぁ。

本当に、
大自然の厳しさの中で、親子でキャンプをすることで、
親子で「野性にリセット」できると思う。
この「野性」こそが、生きている根本に戻れる方法だと、僕は、とっても強く思えるんだ。

大自然の中で、キャンプ生活をたくさんしない限り分からないことがある。
ぬくぬくとした快適なお部屋にこもっていたら、分からないことがある。

さぁ、今日、
子供の手を握って、デイキャンプで北風と親子で戦ってこよう。
その分からなかったことが見えてくるさ。


13/12/20(金)朝 キャンプじぃじの日記

人生の面白さは、「成長」していく、そのプロセスにあると、
僕は、実感するな。

何かで常に「成長」し続ける・・・・・
死ぬまで「成長」・・・・・・

このときに、ある一定の方向性があると、その道のスペシャリストになれる。

「消費」で空威張りをする人がいる。
こういう人と話しをしていてもつまらない。
会話がどこまで展開をしても、結局、「消費」でしかないからだ。

そして、そういう人は、決まって努力をして「成長」することは避ける。
どうかすると、
「成長」している人を「知っている」という自慢話になる。

「成長し続ける」ということに快感を覚えるのか、

それとも

「消費」を自慢する事に満足を覚えるのか、

さて、自分の子は、どちらの道を選んで生きていくようになれるのだろうか?

「簡単」「気楽」「便利」「快適」を浴びるように育てられて、
「大変」「辛い」「苦しい」「不便」なことに挑戦できるようになれるかどうか、

親子で大自然の厳しさの中でキャンプの体験をたくさん積み上げて、
「大変」「辛い」「苦しい」「不便」がヘッチャラに子供がなれるか、

どういう「家庭教育」を父親が出来るのでしょうか。
子供の育ち具合は、父親次第だと、つくづく僕は思うね。

この家庭教育を父親がサボっていると、
若いうちは、なんでもなくても、
そのうちに、子供の育ち具合をとおして、人生の「悲しさ」をタップリと味わうように、できていると思うね。
子育てが、おっくう、こんな気持ちで子育てをサボっているうちに、
子供の育ち具合で悲劇をみるハメになるよ。

「金を払って子育てを他人任せ」

こういう子育てのツケは、重いよ。
どう重いかって?

想像してみよう、
僕ぐらいの歳になって、子供が30才を過ぎても、働こうとしないで、
家でゴロゴロしている風景を。

ニートも含めた「ひきこもり」が、数え方によれば、150万人もいるそうだ。
これは、現実に今、起こっていることだ。

若いお父さん、サボっていると、20年後、30年後に、自分の身に降りかかってくるリスクがあると思うよ。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

このことをシッカリと頭に入れて、
「親子キャンプ」で自然の厳しさに挑戦してみようか。
子供の「心」を鍛えようよ。

でも、自然を甘くみてはいけないよ。
とくにこれからの冬季キャンプには、それ相当の技術と体験量が必要だ。

まずは、子供と一緒に「デイキャンプ」で北風と戦ってこよう!
こういう遊びをとおして、子供に「生き方」を教えられれば、
本物の「オヤジ」になれるさ。

本物の「オヤジ」に成長するのは、とっても愉快さ、大変だけどね。


13/12/19(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

二学期の取材は、昨日ですべて終わった。

三学期は、正味二ヶ月間しかない。

今年も年度末に向けての追い込みがある。
ただ、僕の場合、今日から1月14日まで冬休みに入る。
人気のないカメラマンだから、タップリと暇がある。

と、思ったら、今年はお弟子さんが出来て、
特訓をしなければならないことを思い出した。

個人事業でビデオ屋を立ち上げ、商売を継続するためには、

「動画で見ようビデオ屋への案内」

これを身に付けることが不可欠だ。
これに基づいてお弟子さんに教えている。

ここの冒頭には、
「売れるものを作ることができること」
「その商品を売りこんでいくことができること」
を訴えた。

今までビデオ屋を目指す方にたくさん会ったが、
「売れそうもないビデオ」を作っていた方も結構いた。
市場のリサーチができないで、「自分の好み」を主張しても商売は成り立たない。

僕の今の仕事を始める時には、タップリ一年間を費やして「市場」を予測した。
始めた当初には、なかった、ありえなかった市場を目指した。

28歳で脱サラして、ギャラ仕事で食いつなぎ、
「卒業ビデオアルバム」の処女作が出来たのは、脱サラして7年後だった。
平成3年度に記念の第一作ができた。

その7年間は、とっても辛く長かったことを思い出す。
もう、毎日のように、「こんなバカな挑戦は、止めよう」と思っては、
気を取り戻す、これを繰り返していた。

すでに僕には、子供が三人いたので、気が気ではなかった。
しかし、その人生の辛さ、苦しさ、大変さ、これらを乗り越える、
これこそが僕を「大人」に成長させてくれていた。

本物の「自立」「自由」を僕はこのことで得られた。

この「乗り越える」重要さに気付いたのは、つい最近だ。
だからここに、

「大変」「辛い」「苦しい」などなどがなければ「心の成長」はない。

と、僕には、断言できるんだ。

「気楽」「簡単」「便利」「快適」を追い回して「心の成長」はまずない。
これで子育てをするから、心のトラブルを起こしやすくなる。
このことをよく考えてみよう、理に適っているから。

つぎに「その商品を売り込んでいく」については、
もともと僕は、営業マンだったから、
「売り込み」に対しての「理念」「戦略」「戦術」を身に付けていた。

ただ、相手が「企業」ではなく「幼稚園」という違いがあって、
この違いを乗り越えるのが大変だった。

具体的には、「企業」を攻める場合、「一点突破」だが、
幼稚園へ売り込む場合は、「下手な鉄砲、数内当たる」式で攻める。

これの具体的な方法を編み出して、実践して、今の取引先を得た。

ビデオ屋で、何年経っても立ち上げられない人は、この「営業」が出来ないことが多い。
僕に言わせれば、
そもそも「営業」が出来ない人が商売をしてはいけない。
さっさとどこかに就職した方がいい。

このバカバカしいほど簡単なことが分からなくて、
「プロの画質」だとか、「プロのテクニック」とか、訴えている。
要するに、「物」にすがっていたいという心理だ。
とっても幼稚な状態で、僕より歳をとっていたりしている。

こういう人に育ててしまったら、まずいよね。

こういうことで、僕は、「金」や「物」ではないところの「豊かさ」をここで訴え始めたんだ。
これからの時代を生き抜く子供たちに、これを分かって、身に付けて欲しい、こういう願いがある。

もちろん、お弟子さんには、何かにつけて、
この「心構え」を教えている。
理解できているかどうかは・・・・・・
これからかな?

僕の「人を育てる能力」が問われているな。
歳はとっても、気合を入れるぞ、オッス。


13/12/18(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の読売の朝刊、p.11「解説」面で、ワーク・ライフ・バランスについて載っていた。

僕がサラリーマンだったときには、僕は、営業職で、
社員が、一歩、会社を出たら何をやっているのか分からない時代だった。
今から40年前に僕は、その会社に勤めだした。

それで、「残業」は、基本的に「してはいけない」という会社だった。
そこに僕は、10年間勤めたので「残業」は、段取りが悪いという感覚が身に付いた。

これは、極めて「日本的」ではない慣習だった。

記事を読むと、
今でも日本では、「残業」が働き者でよい、という評価が根強く残っているそうだ。

しかし、これからは、「効率よく働く」ことが優秀な社員という評価に次第に変わっていかなければ、いけないと思う。

そして、国の健全な発展に、この「効率よく」が不可欠のようだ。

このことは、「能力主義」に必ずリンクをする。

これからを生き抜く子供たちに、この「能力主義」社会を教えていくべきでしょう。
「学問」に関心がないのに「大学さえ出れば、どうにかなる」と子供に教えるのは、ひどく間違っていることに気付くべきでしょう。

僕は、高卒だが、生きていく「ウデ」さえあれば、どうにかなる。
こんなに長引いた不況の時代に、僕は、商売を立ち上げ、継続をしてきた。
貧乏人だが、商売は順調にやってきた。

この僕の「ウデ」とは何か?

それは、社会の方向性を感じ取って、それを分析して、目標を定めて実行をする能力だ。

今から30年前、
僕は、あらゆるもので、「これから伸びる商売」を調べた。
それで分かったことは、「これからは、ソフト・ウエアーの時代になる」ということだった。

これは、パーソナル・コンピューターの普及のことを指していたが、
「ソフト・ウエアー」という言葉自体には、家庭用ビデオカメラの普及に伴い、
「放送」以外の映像の使われ方が必ず増えて、これも「ソフト・ウエアー」に入ると考えた。

そう考える人は、当時皆無だった。
でも僕は、
ここに新たな仕事があるということを突き止めた。

それで、当時、家庭用ビデオデッキである「VHS」の普及率がまだ25%ぐらいの頃、
その普及率25%のさらに、20%だったか30%の普及率の「家庭用ビデオカメラ」について、
調べた。

「家庭用ビデオカメラ」の購買理由は、ダントツ「子供の成長記録」であることが分かった。

そこで僕は、必ず「子供の成長記録」を代行するサービスが興ると考えた。

子供がただ好きだからということで、僕は、今の商売を始めたわけではない。
「営業職」らしく、時代をシッカリとリサーチしていた。
ここのところだ、僕の本当の「ウデ」は。

この調査と、方向性を定めることと、最後は「実行」を、
僕は一年以上かけてやった。
誰かに教わったのではない。
自分の力で、「理念」「戦略」「戦術」を使い分けて「実行」をした。

これは、そのまま今の僕の新規開拓のノウハウにもなっている。

僕は、高卒だよ、その僕がこのことを突き止めて「卒業ビデオアルバム」の商品開発をして、それを商品化することに成功した。

どう? 「大学さえ出せば子育てをしたつもり」で家庭教育をサボって子育てをしたら、
家族の悲劇の始まりになりかねないよ。
一説によると「ひきこもり」は、150万人にのぼるという数字があるそうだ。

「働く能力」

「生き延びる能力」

こういうものがあると思わないだろうか?

子供は、主に父親と遊ぶことで「生き方」を身に付けていくものだ。
「父親が成長した分、子供が育つ」と、ここで訴えている理由がここにある。

これに早く気付いた父親が、これからを堂々と生きていく子供を育てられるだろう。

僕は、自分の子を育てる上で、こういうことで、
中学生ぐらいで子供に、

キャンプの下見、計画書作成、実行、感想文、

を何回も何回もさせた。
そして、高校生ぐらいで子供に「ソロ・キャンプ」を体験させて、
「自立」の訓練をした。

僕は、これを実行をした。
それで、今の愉快な余生を楽しむことが出来るようになった。

「金」や「物」ではない、
天からのご褒美をいただいた。


13/12/17(火)朝 お弟子さんの日記

 前々からお伝えしていた発表会の1人1カメの撮影実践練習。
いよいよ本番となりました。

バイクにまたがり凍える想いで草加にあるホールへ向かいました。
会場は思っていたよりも大分広く、他業者も撮影に入っており、
そういった現場に慣れていない自分にとってはどことなく緊張感を感じる部分がありましたが、
いざ撮影準備に入ると「ここは練習と一緒だ」とやっと一息つけたような気分になりました・・・

と思ったのも束の間、発表会がスタートし練習通りに子供達の顔を狙おうと寄ったり、
タイミングを見て引こうと思っても、
今まで紙に貼り付けた棒人間を相手にするのとは大きく違い。

当たり前ですが、動く被写体を相手にすることがこんなにも難しいことだとやりながら気付かされました。

ブライダルでは味わうことが出来ない体験です。
やりながらアドバイスを頂き「曲に乗る」の意味が徐々にわかってきたこともあって、
午後からの撮影はツメが甘い部分はあるものの、
人に見せられるものになってきたかなと思えるくらいカメラを扱えるようになってきたと思います。

もちろん一時の慣れであり、今後も場数を積まなければ元も子もありませんが・・・。

兎にも角にもこの撮影で実際の現場を体験出来たことは大きな収穫であったと思える結果を得ることが出来ました。

ジャッキー・チェンの映画「ベストキッド」に出演しているジェイデン・スミスのような気分でありました。


13/12/16(月)朝 キャンプじぃじの日記

仕事で、
まったく自転車に乗れない人生を送っている。

その内に、もう半世紀以上使ってきた体がポンコツで動かなくなってしまう。
だからこそ、
まだ動ける内に自転車に乗りたいよなぁ・・・・・

生きているうちに、「思いっきり生きて」いたい。

死んでしまえば、「永眠」でいくらでも寝られるでしょう。
だからこそ、生きているうちに自転車に乗って地球の景色を楽しみたい。

この間の「狭山湖」は、途中の土手がとっても良かった。
もう一回行ってみたいな。
今度はスキーなんかしないで「多摩湖」「狭山湖」をグルッと周ってみたい。

若い頃に覚えた趣味は、本当にいい。
とっても心地がいい。

僕が20才ごろには、だいたい一日200`を走っていた。
関東平野が、まるごと僕の「お庭」だった。
面白かったなぁ・・・・・

それで、毎週の日曜日は、よほどの雨でない限りサイクリングをしていた。
車種は、「ロードレーサー」を使っていたが、
走りは、「ファスト・ライディング」で、快走を楽しんでいた。

気心の知れた2〜3人のグループでも走っていたが、
ソロで走るのが大好きだった。
僕は、チームを組んで何かをするのが、好きではない。
個人プレーで、自分のイメージどおりに行動が出来る遊びが好きだ。

これも今の仕事に役立った。
一人で3台のビデオカメラを操って発表会を撮るという「ソロ」の仕事を始めることになった。

何がどこで、どう役立つのか・・・・・
長く生きてみないと分からない。

僕は、20才のころにこう自問していた。
「サイクリングを毎週の日曜日にしていて、いったい何の役にたつんだ?」

でも、僕は、自分に、こう言い聞かせていた。
「面白いと思うことを夢中にやっていれば、それが儲けだ」

本当に僕は、人生で儲けた、もちろん、金ではない。

大好きなサイクリング、
自分の気に入った仕事、
自分の子供はいなくなっても、今年は、さぎ山野営場で親子を集めて、
「カレー作り」「芋煮会」、そして今度は「餅つき」が楽しめる。

それだけではない。
今年も幼稚園の園庭を借りて「流しそうめん」をやった。

享楽的なことではななくて、建設的で面白いことに夢中になって生きることが出来た。

ここだ、「気楽で楽しい」という享楽ではなくて、
「大変だけど面白い」ことに夢中になって生きることができた。
この「大変」があるところが、僕の「成長」になった。

あと、スキーで復活すれば完璧だよな。
天然のスキー場で、昔の、195センチの慣れた板を履いて、
高速パラレルで涙を出して滑りた〜〜〜〜〜い。

そのためには、スキーブーツを買わないといけない。
ノルディカのレーシングモデルがいいよな、欲しくなった。

来シーズンの課題だな。
あとどうやって、ばぁばにバレずに実行できるのか・・・・・
これも課題だ。


13/12/15(日)朝 キャンプじぃじの日記

ここ数日、幼稚園の発表会ばかりではなくて、
クリスマスもレンチャンになっている。

キリストに関係ないクリスマスは、「あわてんぼうのサンタ」か何かを歌って、
たいがいサンタが登場してプレゼントをもらうというものだ。

本物のクリスマスも撮った。
そこでは、礼拝があって、降誕劇を子供が演じて、サンタは登場しない。
幼稚園のクリスマスは、まだ来週もある。

キリストに関係のないクリスマス・・・・・
僕は、小学校の頃、そのことがどういう意味だか分からなくて親に尋ねたことがある。
結局、意味は分からなかった。

どうやら、僕は、子供のときから「意味」が知りたくてしょうがない性格のようだ。
それが今のこの仕事に役立った。

「卒業ビデオアルバム」には、たくさんのシーンがある。
その一つ一つのシーンに「意味づけ」をして撮る。
このことを「視点」と呼ぶのだが、
この「視点」が、どうやらお弟子さんにとって難しいらしい。

何をどう「視点」するのか・・・・・・

これは、普段の生活でありとあらゆることでトレーニングできる。

何をやるのでも「意味づけ」、それを行う「意味」をハッキリと意識さえすればいい。
ただ楽しいから、とか、なんとなく綺麗だから、
こういうことばかりで「行動」しているうちに「視点」がつかめなくなる。

作品全体では、このことを「テーマ」とも呼ぶ。

「視点」がハッキリしないことを「的外れ」と言う。

子育てで、「自立をした一人の大人の社会人」に育てるのが、
本当の子育てだと、ここで訴え続けているが、
この「視点」がない親は、
ただ大学さえ出せば子育てをしたつもりという「的外れ」を平気でしてしまう。

学校の成績は、良ければよいほどいい、こう思ってしまって子供を塾漬けにしてしまう。

英語さえできれば「グローバル」に育てられると、文部科学省も考えてしまう。
もし、それが本当なら、アメリカ人は、2才で「グローバル」ということになるでしょう。
バカバカしいことだ。

本当の「グローバル」に必要なことは、
世界を相手にビジネスマンとしてのあらゆるスキルを身につけることで、
その中の一つに「英語」があるという、こんな簡単なことが、
大学を卒業しても分からないのか・・・・・

「グローバル」の意味づけがひどく曖昧な証拠だ。

「視点」のことを「理念」とも捉える事が出来るとお弟子さんに教えた。

「理念」「戦略」「戦術」
これも、サッパリ分からない人は、多い。
それでは、商売を立ち上げて、長く継続させることは出来ない。

「意味」を考える能力。
英語よりも子供に教えていくべきことでしょう。

僕は、子育てのための「親子キャンプ」を散々やったが、
その時に、子供に、

キャンプの下見、計画書作成、実行、感想文、

一つのキャンプにこういう流れを、何回も体験させた。
このことで「目的意識」を持てるようにさせた。
子供にこれが、身に付いたかどうかは、これから次第に分かってくるだろう。

この「目的意識」こそ、「意味」を考えるトレーニングになる。
「意味づけ」ができるからこそ、「的外れ」な行動ではなくなる。
「意味」は、そのまま「理念」に捉えられれば、
「理念」「戦略」「戦術」の使い分けと実行もできるようになれる。

少なくとも、僕は、こうして自分の人生に「意味づけ」をして「生き方」にこだわってきた。
その結果として、面白い人生を、自分にとって価値のある人生を、
デザインする事が出来た。

キリストに関係のないクリスマスは、どこをどう考えてもナンセンスだ。


13/12/14(土)朝 キャンプじぃじの日記

ここのところ、レンチャンで発表会の撮影だ。

それで疲れた。
ともかく20日で二学期がお終い。
今日も朝早く出なければならないので、これにて失礼。


13/12/13(金)朝 キャンプじぃじの日記

今から30年ぐらい前のことだ。

僕は、趣味のスキーが高じて、基礎スキーのトップデモをビデオで撮っていた。
トップもトップ、平沢という当時の基礎スキー界一番のトップを撮った。
彼は、NHKの番組にも出演した。
撮影の合間に、その人から直接指導をしてもらったことがある。

当時、「ペダル・プッシング」という和製英語を作って、
それを一般のSAJのスキー教室で広めた人だ。

この「ペダル・プッシング」というのは、
プルーク・ボーゲンで、インサイドエッジに強く加重すると、
結果として板のトップが少し浮くようになる、
と、こういうものだった。

あくまで、「加重によって」、結果としてトップが浮くということなのに、
スキー教室の現場では、
「トップが上がるように」プルークボーゲンをする、と、こうなってしまった。

「目的」と「手段」を履き違えてしまった例だ。

昨日、個人事業のビデオ屋の会合があった。
もともと「理念」が明確ではなかったが、
ここにきて音頭とりが次々に倒れて、ハンドルのない車が走っている状態になった。

「理念」
これがないとどうなるのか・・・・・・
統一性がなくバラバラ。
それは、多種多様性とは違う。

具体的には、「会の目的」がないから、
趣味のビデオサークルになってしまった。
それで、「機材」「画質」だけが話題の中心になってしまっている。

「ビデオの仕事で飯を喰う」
僕は、初めからこれを目標にしてきたので、
今までこの仕事で実際に30年間を喰ってきた。
「卒業ビデオアルバム」制作の商品化をもう20年以上前に果たした。

「目的」と「手段」

このことをビジネスでは、「理念」「戦略」「戦術」と分けて考え計画をし、実行をする。

これが分からないまま、商売をしている人ばかりが集まってしまった。
僕の言う「統一性」とは、
このことを踏まえて、商売を立ち上げ、継続していくという、
ビジネスの「捉え方」の統一のことだ。

これがないから趣味のサークル活動になってしまった。

さて、
自分の子をいかにこの現実社会で生きられるように育てられるのか。

このためには、20才では、
「自立をした一人の大人の社会人」に育てる、という「理念」があれば、
大きく間違った子育てにはならない。

しかし、どうだろうか?
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」
が多いのではないだろうか?

今、日本では、大学を選ばなければ、
希望者は、大学全入ができるという状態になった。

それで子供は、「自立」に向けて「心」を鍛えるべき年齢で、
大学生活で「享楽」癖を身に付けさせてしまっていないだろうか?

結果として、このことでニートや心のトラブルを起こしやすくなっている。
また、生物として「繁殖」が出来なくなっている、つまり婚期を外してしまう。
こういう社会現象を起こしているのではないだろうか。

子供は、自分の力だけで「自立」を果たすことは、難しい。
だから、親が子供が自立できるように育てるものだ。

ここだ、親自身で子供を自立できるように育てる。

この「自立」こそが子育ての最も重要な「目標」であるはずなのに、
「どこでもいいから大学へ通う」ことが子育ての目標にしている親が多くないだろうか。
「目的」と「手段」の履き違い。

政治家は、これらの問題を「経済の活性化」で解決できると思っているらしい。

違うと思うなぁ。
本質的なことは、子育ての「目的」と「手段」の履き違いにあると思うなぁ。

「自立をした一人の大人の社会人」に自分の子を育てるために、
いろいろな「教育」がある。

そのいろいろな「教育」には、大きく、
「家庭教育」「社会教育」「学校教育」の三つがあって、
どれも重要だが、
今、ここ日本では「家庭教育」が極端に少なくなった。

とくに「父親の教育」がほぼないに等しくなってしまった。

子供は、「生き方」を父親から遊びをとおして体験で学ぶようにできている。

その「遊び」には、「目的」と「手段」の違いが込められていて、
それを子供は遊びをとおして学ぶ。

これがスッポリと抜けているでしょう。

こういうことで、ビジネスで、子育てで、「目的」と「手段」の履き違いが多いのでしょう。
世代を越してこの負のスパイラルが起こっている。
幼すぎないだろうか、この履き違いは。

「目的」と「手段」の履き違い。
こんなことばかりやっていて、この厳しい世界経済の中を生き延びられるのかどうか、
大人がもっと真剣に考えなければ、ヤバくないかい?

「目的」と「手段」の履き違い。


13/12/12(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

日本人の大きな特徴だな・・・・・

「個人」がシッカリと「自立」できないこと。

だから、どこでもいいから、何でもいいから、
「個」としての自立がないから「会社」に就職しなければならない。
このことを、僕はお弟子さんに「就社」と呼ぶんだと教えた。

日本人で本当の「就職」、つまり「職」に就く人は、少なく感じる。

30年前のバブル経済では、それでよかったけど、
「会社に忠誠」さえしていれば、適当に仕事を与えてもらえたけど、
もうそういう時代ではないでしょう。

個人事業のビデオ屋

これは、「就社」ではない。
「就職」とも違う。
正確には、「職人」になることだ。

職人には、「大工」「調理」「舞踊家」「音楽家」などなどがある。
よほどでない限り「金持ち」にはなりにくい。

「金」や「物」の価値より、
自分の人生自体に「価値」を見出す生き方。

強烈な個性・・・・つまり「個」としての確立、自立、ができていなければ生き延びていくことができない世界だ。

日本人でも、「自立」ができている人がいないわけではない。
ただ、少ないだけだ。

「個人」がシッカリと「自立」出来ない環境、教育。

教育現場では、
「みんなで取り組めば大きなことができる」と教える。

確かにそうだが、これを強調するがあまり「個人では、何にも出来ない」を暗示してしまっている。

ここに落とし穴がないだろうかね。

今年は、「お・も・て・な・し」が大うけした。

この「おもてなし」も度を過ぎれば、「甘やかし」「過干渉」になる危険がある。
老人ホームで、極端な「おもてなし」をしたら、
老人の「自立支援」がなくなるだろう。

どう? こういうふうに考えたら、

極端な「おもてなし」を子供にしたら・・・・・・
「自立」ができなくなる!

オリンピック招致には、この「おもてなし」がとっても効果的だったけど、
子育てにこの「おもてなし」をやってしまったら、
子育てに有害でしょう。

子供が自立できなくなる。

幼稚園でも保護者に「おもてなし」をしたら、モンスターペアレントが爆発的に増えるだろうね。

日本人は、「議論下手」とよく言われる。
これも「個人としての確立」、つまり「自立」ができていないことに関係していると思う。

「おもてなし」
「自立なんかどうでもいいじゃないか」という気持ちをポジティブにしてしまう器用な国民なのかも。

国際競争力が激化していくこれからの世界経済の中で、
「自立を無視した子育て」が通用すればいいけど、
たぶん、そう育てられた人は、働き口がなくなるだろうと、思えないだろうか?

人気テレビ司会者のドラ息子

これをよく見たほうがいい。
そのドラ息子は、東京大学を卒業したんだって聞いたけど、
どう?
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」で、本当にいいのだろうか?

大学さえ出せば、どこか、なんだかの「就社」にありつける・・・・

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

いったいいつまでそんなことをしているのだろうか。
これを考えたら、
「個人事業」の魅力が浮き上がってくると思うんだけどね。

それでも「やっぱり、ちゃんとした会社に勤める」ことから脱出できないんだろうな。

もし、28才以下の方で、自立をするんだ、自分の仕事を、スキルを、
身に付けて「個人事業」を目指すんだ、という元気のある方がいたら、
谷口までお声掛け下さい。

とっても厳しい世界ですが、「人間がやって出来ないことではない」ものです。
最高の「生き甲斐」が手に入ると思います。
これを覚悟できる元気な方、

お待ちしています。


13/12/11(水)朝 キャンプじぃじの日記

お弟子さんが、「小さな勘違い」に気付いたそうだ。

この「気付き」こそが「成長」の原点になる。
これからも、もっとたくさんの「気付き」を自らつかむことで、「飛躍」することができるでしょう。

新しいビデオカメラを買って「プロ」だなんて言っている「うぬぼれ屋」さんより、
よっぽども大切なことを身に付け始めている様子だ。

個人事業の同業者を見ていて、つくづく思うのは、
「機材でプロ」になろうという人が多いことだ。

これは、「血のにじみ出るような技術の習得」なんて「大変」「辛い」「苦しい」ことは、
絶対に避けて、
「物」でなんとかしてプロになりたいという心理が働いているのだと思う。

「物」で、「便利」「気楽」「簡単」に商売を立ち上げたい、こういう心理。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとってそれは生きる最低限の条件にする」

こういうふうに育てられると、「物」にしがみついて生きやすいのでしょう。
それで、「大変」「辛い」「苦しい」という「修行」には、耐えられなくなる。
これが「ニート」に育ってしまう原理ではないかね。

たぶん、そう育てられた人は、「根拠のない自信」で、空威張りしたりもするのではないだろうか。

「気付く」ことが「成長」の原点だと、このこと自体に「気付く」ことができれば、
ターボチャージャーがかかったように「成長」し始めるだろう。

このときに「根拠のない自信」という「自分の殻」から脱皮し始めるだろう。
この「根拠のない自信」のことを「見栄」とか「虚栄心」と言い換えてもいい。

実は、この「見栄」を捨てることで、
新しい技術をどんどんと自分に取り入れることができるようになれる。
つまりそれで「成長」が起こるわけだ。

「見栄」を捨てる・・・・・・これは、本質なところでの「自立」だ。

面白いね、聖書ではこのことを「幼子のように素直になりなさい」と、
具体的に教えてくれていた。
「見栄」を捨てることは、とっても難しい。
でも「素直」になれば、いとも簡単に「見栄」を捨てることが出来る。

「子育て」以外のことに夢中になってしまう・・・・・・
その方が楽だから。

もう一度言ってしまおう、その方が「楽」だから。

若いお父さんにとって「子育て」は、未知の世界、人生で今まで体験しなかったことだよね。
どれだけ「見栄」を捨てて「子育て」に取り組むことが出来るのか、
つまりは、「父親の子育て」の重要性に「気付く」ことから始まるわけだ。

「見栄」を捨てることは、「大変」「辛い」「苦しい」が伴う。

こういうことで「子育て」を避けたくなるのではないかな?
金を払って子育てを他人任せで済ませたくなってしまうのではないかな?

人気テレビ司会者のドラ息子を、よく見て欲しいね。
程度の差こそあれ、「子育て」以外に夢中になってしまう怖ろしさを覚えて欲しい。

「大変」「苦しい」「辛い」
父親がこれを実行できるようになることで、

子供がそれを真似っこして、子供が「生き方」を父親から学ぶようにできている。

つまり、「父親が育った分、子供が育つ」ということなんだな。

大自然の厳しさの中は、「大変」「辛い」「苦しい」ことだらけだ。
そこで親子でキャンプ生活をするのは、だから「親子で心の成長」を期待できるのさ。

地球環境を悪化させ続けている「快適」な生活では、
「心」が強く育ちようがないでしょう。

これからの日本社会は、ますます「能力主義」になっていく。
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」で育てられた子供は、
非常に生きにくくなっていくよ。

お弟子さんは、小さな「気付き」を体験したそうだ。
これからその「気付き」の大量生産をして、
「卒業ビデオアルバム」の制作のスキルを「知っている」のではなくて、
「身に着け」て、
ぜひこれからの「能力主義」に勝って生きていって欲しいね。

この仕事は、商売だからね、サラリーマンでは、あり得ない厳しさに勝っていくことが求められる。
いや、これからは「能力主義」の社会だ、サラリーマンと言えども、
「個人」が自立し、自分で自分の能力を高めていかねば・・・・リストラさ。

サラリーマンは、「顧客」が一つの会社しかない。
僕には、何軒もの顧客がある。
個人事業の強みは、ここにあるんだよ。

自分の顧客をつかみ取るんだ。
面白い人生を手に入れることが出来るさ。
頑張れ! お弟子さん!

ところで、
若いお父さんは、自分の子をどう育てられるのかな?


13/12/10(火)朝 お弟子さんの日記

 自分がやりたい事への意識が下がっているのかと考えると、
決してそうではありませんが、
先日、あるちょっとした谷口さんの一言で改めて将来自分で仕事をとっていく為に谷口さんの下で勉強をさせてもらっているんだということを再確認しました。

幼稚園での餅つき大会にて「園児たちはいつ出てくるんですか?」と谷口さんに何気なく聞いたところ「自分で先生に聞きなさい」と答えられました。

確かにそうだと感じました。
何でもかんでも聞けば・待っていれば準備してもらえる事じゃない。

自分で情報を得る為に動かなければ・・・、少し甘えていたのかもしれません。

谷口さんの所へ行っていれば仕事が出来るようになるわけじゃない。
撮影でも同じことが言えますが、
どのように作り上げるか考えながら撮る。

谷口さんの所へ行くのもどのような事を将来やりたいかというヴィジョンを持って勉強しに行く。
当たり前の事です小さな勘違いがどこかにあったかもしれません。

僕は自分の為に頑張ることが出来ない人間ですが、
将来撮影に入った場所にいる人の思い出を形にする為、
喜んでもらえるように今を頑張ると考えれば重い腰も動かせる・・・はず、
目的を見失わないようにギヤを上げていきます。


13/12/9(月)朝 キャンプじぃじの日記

12月1日の日曜日には、僕は、発表会の撮影でバタバタしていて、
「日曜晩餐会」をすっかり忘れていた。

昨日は、大丈夫。
古い友人と大家のおばぁちゃんに先週の「日曜晩餐会」を忘れていたことを説明して謝った。

そのぐらいに、これが恒例化した。
特別なことは、何もしない。
ただ、集まって、夕食を囲むだけのことだが、
この「夕食を囲む」ということに、僕は、生きている重要な意味を感じる。

僕には、四人の男の子がいるが、
子育てをしていた30年間、よほどのことがない限り、
子供たちとこの「夕食を囲む」ことをした。

夜な夜な、フラフラ、酒を呑みに行く時でも、子供と「夕食を囲む」ことはサボらなかった。
このことは、次男坊が覚えていて、
夕ご飯を食べてから、お父さんは、カラオケへ行っていた、と、この間証言をする。

子供の「孤食」は、あらゆる手段で避けるべきではないかね。
「孤食」、そこまでして、何を手に入れようというのだろうか。

ここなんだな、「物」ではなくて「子供との関係」こそが、
人生の本当の幸せに直結しているんだよ。

僕のところに来ているお弟子さんに、
幼稚園で子供たちが自由遊びをしているところで、
初めのころ、「人間関係」を撮る練習をさせた。

なぜこの練習を初めの内にしたかというと、
それは、被写体としてこの「人間関係」というものに敏感になってもらいたいからだ。
「人を撮る」
こういう行為の中で、僕は「人間関係」を最も大切にしてきた。

画質がいいとか、どんな機材を使ったとか、
そんな「物」で勝負をしたくない。
「人間関係」に面白さを追及してきた。

どうだろうか、
どんな立派な家に住んでいるとか、どれだけ有名な教育をしているとか、
そんなことではないと思うよ。

子供とどれだけたくさん遊べるのか、
ここに父親としての成長がある、僕はこれを確信しているんだ。
それで、僕は、
「親子で工作」の活動を続けてきた。

若いお父さん、お願いだから子供とたくさん遊ぶ思い出を作ろう。
そして、子供を20才では自立できるよう目標を持って遊ぼう。

このことで、うつ病やニートといった心のトラブルを回避できるだろう。
また、婚期を外すことも少なくなるだろう。

それどころか、
子供がシッカリと「自立」していれば、
子供は、自分の力で、自分の意思で、自分の人生を開拓していくようになるだろう。

どう?
これでも、どうしても、「子育て」以外のことに夢中かい?

それなら、人気テレビタレントのドラ息子をよく見るんだな。
気付いて欲しいんだよ、本物の「幸せ」がどこにあるのかを。

子供とどう接したのか、その答えは、僕ぐらいの歳になって分かるさ。
あれだけ悪さをしていた次男坊が、最近急に大人しくなったのは、
たぶん、「孤食」を避けていた効果ではないかと、つくづく思うんだ。


13/12/8(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、ラジオを聞いていたら、福島で震災を受けて中学生になった女の子が出演していた。

その子は、「生きているのが当たり前ではない」と語る。
関東平野で、「快適」を当たり前に過ごしている人で、
この心境を理解できるだろうか?

「気楽」「簡単」「便利」「快適」

これを当たり前にして生きているのだから、
「生きているのが当たり前」で生きているのではないかね。

そもそも、福島の原発は、関東平野のエネルギーの無駄遣いを補うために必要になったのではないだろうか。
未だに大都会の東京では、エネルギーの膨大な、気の遠くなるような、無駄遣いをし続けていると、
僕は、思う。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

人気テレビ司会者のドラ息子をよく見るべきだ。

そして、福島で災害にあったその中学生の女の子に耳を傾けるべきだ。

親子キャンプで、豪華な市販のキャンプ用品を使わずに、
中学生ぐらいになったら、
テーブルでも椅子でも、また立ちカマドでも、
親子で現場で作ってキャンプ生活をしてみよう。

その中学生の女の子の言葉が、心に染み渡るようになるさ。

こういう子育てのための「親子キャンプ」をたくさん体験をすると、
お父さん自身、「快適」がバカバカしく感じるようになれるさ。
「野性」にリセットできるさ。

たくさん体験をすれば分かる、このことが。
「生きているのは、当たり前ではない」

今、生きているのは、本当は奇跡なんだな。 まったくの奇跡で生きている。
こういうことで、神様に感謝を捧げる日が今日も来た。

ボロアパート住まいの貧乏人だが、本当にありがたい人生をいただいた。


13/12/7(土)朝 キャンプじぃじの日記

あぁ、面白かった。

昨日は、幼稚園の餅つきの活動で、僕も楽しめた。
お手伝いの保護者が集まる前に、
4基あるカマドに火起こしをした。

その時に、早めに来た一人のパパが、
僕の手伝いを始めた。
廃材の薪を火起こし用に細く割ろうとする。

僕は、「お父さん、斧の使い方が分かるの?」と尋ねる。
パパは、初めてだと言う。
おぉ、こわぁ〜〜〜。

僕は、手斧の使い方をパパに教えて、予備の皮手袋を貸してあげる。
たいがいの健全な男は、こういうおもちゃを与えられると子供に戻る。

案の定、目を輝かせて夢中になって薪割をしていた。
子供を喜ばせることに僕は、快感が走るが、
パパが喜んでいることにも快感が走ったね。 とっても愉快。

ついでに、電動ノコギリをそのパパに与えて、
長い廃材の薪を適当な長さに切るようお願いした。

そして、お手伝いのパパやママ、学生が集まったところで、
餅つきの手順の説明をする。
僕は、餅つきのデモンストレーションをした。

その場の雰囲気で、昨日は、一臼を僕がつきあげた。
これは初めての出来事だ。
いつも途中で止めて、パパにバトンタッチしていた。

それで今まで、どこか僕は、欲求不満だった。
一臼つきあげることができて、僕も子供に戻っていた。

昨日は、さらに研修生のお弟子さんにも「餅つき」の体験をさせることができた。
お弟子さんが、僕に、つき方がどうだったか尋ねるので、
僕は、「怖かった」と寸評をした。
お弟子さんは、初めての体験だったらしい。

幼稚園の子供たち全員と、そこにいた大人たち全員が、
腹一杯になるほどの餅をつくのだから、ものすごい餅の量だ。

たいがいのママは、カマドの番の仕方が分からないことが多い。
カマドに薪を「くべる」のだが、
若い人は、この「くべる」という単語さえ知らない時代になった。
つまり、「くべる」は、死語になっている。

そういう時代だから、時々、カマドの様子を僕が見ていた。
昨日のママたちは、とっても上手だった。

カマドの様子を僕が見ていたら、一人のママが突然僕にこう尋ねる。
「あのぉ、山屋さんかボーイスカウトをやっているんですか?」
僕は、ボーイスカウトのリーダーをしていたけど、なぜ?
と、尋ねると、そのママは、
「こういうことを夢中になる人は、たいがいそれのどちらかだと思って・・・」
と、言う。

そのママは、自分の娘を最寄のBSの団に入れたんだそうだ。
僕は、ガールスカウトではなくて、なぜBSに子供を入れたのか逆に質問をした。

そうしたら、ガールスカウトの方は、緩そうだからだと言う。
それは先入観だな。
僕の地区では、下手をするとガールスカウトの方が「立ちカマド」を作るのが上手だったりしている。

まぁ、そんなこんなで、そのママとそこで立ち話に弾んだ。
僕も、昔やったカブスカウトの活動を思い出せて、
とっても楽しかった。


僕は、ボロアパート住まいの貧乏人だが、
「生き方」にこだわったので、今、とっても愉快な人生を送れる余生だ。
そして、本物の「自由」を味わっている。

この本物の「自由」は、「物」の欲望から解放されない限り味わえない。
仏教でも、キリスト教でも、このことを教えてくれる。

これからも貪欲なまでに「快適」を追い回していくと、
今の子供たちの時代には、もっとひどい地球環境になる。

本当にこのまま「快適」を生きる目標にしていていいのだろうか、
「心の成長」が疎かになり過ぎているでしょう。
こういうことで「自立を無視した子育て」になってしまったのだろう。

ボーイスカウトの活動で最も重要なことは、
「信仰奨励をする我国唯一の青少年育成運動」と明記されている。

「信仰」を無視して生きること、
「自立」を無視した子育て、
たぶん、どこかでつながっているような感じがする。


13/12/6(金)朝 キャンプじぃじの日記

僕は、人気のないカメラマンだから、暇な方が普通の生活だ。

だけど、この年末や年度末は、世間並みに忙しくなる。
一週間の内に一度もサイクリングができないなんて、まったくの不本意だ。
でも生き延びるためにしょうがないよな、働かなくっちゃ。

昨日は、幼稚園の活動で子供たちが工作をするのに、
枝や落ち葉が欲しいというオーダーをもらっていた。
僕は、ビデオ屋なんだが、妙な注文が入る。
しかもこういうオーダーは、タダだ。

まぁ、そこでご注文に応えるべく、さぎ山野営場へ行った。
地主さんに年末の挨拶を済ませて、
地主さんの趣味の小さな神社とサイトを、熊手とブロアーで掃除して、
それからヒノキを一本チェーンソーで倒した。

幼稚園で欲しがっているのは、枝だが、
落ちている枝は、たいがい腐っている。
それでフレッシュな枝を届けるために一本倒した。

当然のことながら、幹の部分があるわけだ。
それを1メーターぐらいに切って、それも幼稚園に届けた。
先生達がたまげていた。

こういうサプライズは、僕の鑑賞物として最高だ。
ノーギャラでも、十分に儲けを感じる。

さて、今日だが、品物のオーダーではない。

随分と前、もう何年も前、
この時期は、取材が重なったりするので、うちのばぁばを僕の代わりに取材をさせることがある。

都内の幼稚園で、「餅つき」の取材があったときだ。
別の取材で僕が行けなくて、
代わりにばぁばにさせた。

そうしたら、保護者からクレームがついた。
それは、「取材」そのものではなくて、
僕がそこに行かないと「餅つき」の段取りが悪くなるという。

まぁ、こういうことがあったので、
保護者からのご指名でこの取材は、毎年、僕が行くようになった。

それで、今日は、この取材のために今、新宿でこの書き込みをしている。
取材だけなら、カメラを背負って自転車で来られるのだが、
薪割用の手斧、電動ノコギリ、着火用バーナー、
厚手の皮手袋、などなどがあるので車で来た。

これから、4基あるカマドで火起こしをして、
集まってくる保護者と手伝いの学生に、「餅つき」の段取りを説明して、
それのデモンストレーションをする。

ついでに、この活動を取材して、
さらについでにお弟子さんに取材の実習をさせる。

それでもって、全部タダだよ。
ボロアパート住まいの貧乏人になるわけだ。


13/12/5(木)朝 ビデオマンの日記

僕が作っている「卒業ビデオアルバム」は、
幼稚園の年長さんの一年間の活動と、年少、年中、のときの発表会の一部を素材に、
それを「一つのまとまりのあるもの」に編集をする。

「まとまり」がなければ「編集」とは言えない。

例えば、年長さんのときの行事を、ただそれをつなぎ合わせただけでは、
「思い出」の記念品にはなってOKだろうけど、
「作品」として見ることが出来ない。

これは、何を意味するのかというと、
20年、30年、経ってから見たときに、「記録」として見ることができても、
見ていて「面白い」ものではなくなるということだ。

同じ意味で「特殊効果」がある。
今は、多種多様な効果がPCで簡単にかけられるので、
エフェクタだらけにするのが「編集」と勘違いする人がいる。
これも、20年、30年、経ってから見ると、そのエフェクタが臭くなる。

オーソドックスに「一つのまとまりのあるビデオ」に編集してこそ、
経年変化なく作品を見てもらえるだろう。

いや、正確には、「卒業ビデオアルバム」の本当の価値は、
「まとまりのある作品」にすることで、
20年、30年、後には、作りたての時とは違う「価値」が産まれてく不思議なものがある。

それは、初めの内は、自分の子が何回ビデオに出てきたか、
そういう価値しか分からないものだが、
20年、30年、後には、そのときのその子の環境などが写っていて、
そこに感動さえあったりしだすものだ。

例えば、その子と仲が良かった友達が写っていたり、
懐かしい遊具が写っていたり、
大好きだった先生が写っていたり、

なによりも、そこの幼稚園の特徴が写っていれば、
その子が大人になってからそれが分かって、新たな発見があったりするものだ。

こういう作品作りを目指してきたのだが、
これをお弟子さんに理解させるのは、容易ではない。

たぶん、僕のこの制作姿勢を「頭で理解」ができても、
「心で感じ取る」ためには、お弟子さんに子供ができなければ、分からないだろうな。

僕には、出来の悪い子ばかり四人もいるが、
子供を育てないと分からないことがある。
子供とたくさん遊び込まないと分からないことがある。

「子育て」以外に夢中になっているうちに、
人生で最も心が豊かになる体験を見失ってしまうよ、若いお父さん。
産まれてから、ずっと子供と一緒に遊ぶ体験は、父親の心も育つものだ。

人気テレビタレントのドラ息子をよく見てみなよ。
「子育て」以外に父親が夢中になった、
そういう人生の結果さ。

程度の差こそあれ、
「子育て」以外に夢中になっていると、そのうちに後悔することになりかねないよ。
具体的には、子供がうつ病になったり、ニートになったりするリスクが高くなる。

それでも「子育て」以外のことに夢中でなければ気がすまないかな?

ここのところを熟孝してみよう!!
これが「大人」じゃないかな。


13/12/4(水)朝 キャンプじぃじの日記

一般の仕事だったら、12月の28日ごろに仕事納めというところだろう。
でも、僕の取引先は、どこも20日で終業式をしてしまう。
今年も、正味2週間しかない。

こういうことで、昨日の夜も夜中1時まで仕事をしていた。
滅多に遅くまで仕事をしないから、きついよ。

それで今、都内の幼稚園の取材で新宿に朝6時45分に車で着いて書き込んでいる。
眠い。

今年は、僕の人生の大きなターニングポイントになった。

一番大きいことは、四人の男の子がいなくなって、
ビックリするほど身が軽くなったことだ。

それで、
仕事に対する取り組みは、「何が何でも稼ぐ」から「余生を楽しむ仕事」に意識が変わった。
極端に売れない取引先を整理して、
その分、新規開拓を久しぶりにやった。

そういうところに、お弟子さんが現れて、
若い空気が僕のボロアパートに吹くようになった。
青々しくてとっても新鮮だ。

僕の四人の男の子のうち、上二人がグレたのだが、
どういう風の吹き回しか、
次男坊が大人しくなって、孫を連れてくるようになった。
これは、僕の家族で最も大きい出来事だ。

長男だけは、まだ更正の見込みがないけど、
僕の息子三人+αで、酒を交わしてカラオケで騒いだ。
引き裂かれていた家族が戻ってきた。

その時の写真が、このPCの壁紙になって、
PCを立ち上げる度に、それを見ることが出来る。
嬉しい。

今年は、サイクリングをデジカメに撮ってスライドショーにすることにハマッた。
ついこの間は、狭山湖までサイクリングをしに行ったのだが、
何がどうしたのか、スキーをしてしまった。
そして速攻でスライドショーを作った。

スライドショーは、今現在、12タイトルになった。
晩酌をしながら、それらを見ていると、「手酌酒」のわびしさがなくなる。
愉快になる。

僕の人生は安上がりに出来ている。

安上がりと言えば、ここ都内の取引先までの取材は、
何回も自転車で来た。
帰り道は、フリーだ。
神田川沿いにサイクリングを楽しんだ。

僕は、昔から「快適」に縁がない生活をし続けた。
でも、「生き方」には、こだわった。

「貪欲なまでの快適の追求」

僕の目には、都内がそう写る。

そのことでものすごい「エネルギー」と「資源」の無駄使いをし続けている。

僕には、こう感じる。

この間の、砧公園では、もう11月なのに生きているアブラゼミがいた。
東京のマークはイチョウだが、
このイチョウの木に、もう12月だというのに葉っぱがまだある。
中には、葉っぱが青いのもある。

サイクリングをしていて、感じるのは、
今年は、「春」と「秋」がなかった。
いきなり「夏」、
いきなり「冬」だ。

これから生きていく子供たちに、こんなひどい地球環境を残すのかよ。
「貪欲なまでの快適の追求」の末、
こんなにひどい環境にしてしまったのに、
まだ、「もっと快適」かよ?

これからを生きていく子供たちのことも考えるべきだと思わないかい?

僕のように、ボロアパートで貧乏生活をしていても、
十分どころか、涙が出るほどの嬉しい人生を歩むことは、
いくらでもできる。

「物」中心ではなくて、「子育て」に若いお父さんが目覚めれば、
きっと、この地球環境に敏感になると思うな。

「貪欲なまでの快適の追求」をしていたら、
子供たちがかわいそうに感じるはずだ。

「親子キャンプ」で、親子で「快適」をかなぐり捨てて、
大自然の懐で生活をしてみようか。
慣れてくると「快適」がバカバカしくなるさ。

子供を「野性」にリセットしよう!


13/12/3(火)朝 お弟子さんの日記

 先日、前職の先輩の結婚式に参加してきました。

普段は仕事で撮影をする側ですが、
列席者として出席するのは人生で2回目、慣れたはずの空気とはまた違った独特な空気を感じながら二人を祝ってまいりました。

今回、新郎より披露宴で使うビデオの作成を依頼受け、
結果から言うと無事に上映まで済ますことが出来ました。

そこにお金は発生していないものの、
自分で依頼を受け→今後の段取りの説明→必要な資料集め→編集→試写→上映・納品まで依頼主と一緒に行いました。

一回目の日記に書かせてもらった『make recollections together』自分としてはこのテーマを初めて実行出来たことなのではと感じております。

仕事を受け、こなすのではなく一緒に作り上げる。

なんだか一歩進めたような、
達成感・満足感・共有感・・・etc、とにかく充実した感覚でした。

谷口さんの下でビデオ屋として食べていく為に技術面・営業面でのノウハウを教わってはいるものの、
まだまだ基本中の基本段階、
そんな中で今回の結婚式での映像制作のお話で何か見えてきたような気がします。
・・・あくまでそんな気がします。

兎にも角にも、発表会の撮影で先ずは谷口さんに笑われないように練習に励みます!


13/12/2(月)朝 キャンプじぃじの日記

土曜日、日曜日、二日続けて幼稚園の発表会を撮って、
昨日、徹夜でそれをPCに取り組む作業をして眠い。

これからそれの編集をしなければならないのでお終い。
生き延びるために仕事があるのはいい。
とっても人生の刺激になる。

それにしても眠い。


13/12/1(日)朝 キャンプじぃじの日記

近所に住む自閉症の子、僕の末っ子と同じ歳の子が、
昨日、路上で声を出して泣いていた。

僕は、その子が泣くという感情を表しているのを初めて見た。

障害の程度は、自分のことをある程度はできるらしい。
親に対しては、ある程度の発語もできるらしい。
でも、普通に働くことは極めて困難そうだ。

たぶん、自分で思うように生きられなくて、悲しくなって泣いたのだろうか。
ある意味、感情を表すことまで成長できたと言える。

でも、本人は、きっと辛いのだろうな。
その辛さを泣き声で僕は、聞いた。
胸が詰まる思いをした。

僕の子も、別の障害がある。
本人には、中学生の時にその障害があることと、
それで、覚えることが出来ないという症状を、僕が直接話し聞かせた。

覚えられない障害だから、何回も、何回も、何回も、僕は言った。
とてもお互いに辛かった。
たぶん、僕の子は、非常に嫌な親だと認識したことだろう。

でも、僕は、鬼になって本人にそれを伝えた。

どうしてそうしたのか、分かるだろうか?
末期がんの宣告に似ている。

嫌で辛いけど、それを理解することで、どう乗り越えることができるかという作戦を持つことができるようになれる。
気をつけなければならないことが、分かってくる。

その条件で、人生を自分なりに思いっきり生きることができるように願って障害があることを、
僕は自分の子に言った。

そして、本人の「自立」に向けてできる限りのことをした。

今、思うと僕は子育てが下手っぴだった。
どうしても自分の子だと、僕の感情が抑えきれなかった。
僕は、焦ってしまった。

でも、神様に助けてもらえた。
その子は、自立し、自分の仕事を自分の意思で決めて、働いている。
よくカラオケで歌っているらしい。
この間、一緒にカラオケをしたときに、「歌い込んでいる」のが分かった。

一所懸命に働いて、自分の稼ぎで人生を楽しんでいる。
障害は、一生涯続くけど、その調子で生きていってくれれば、僕は、幸せだ。
良かった。

でも昨日泣いていた子は、自立が見えていない様子だ。
思うように生きられなくて悲しむ声。
僕の心に響いた。

どうして、健常の子を甘やかして、過干渉をして、自立を無視して育てるのだろうか?
ちゃんと、中学生から「大人の自立」を目指して、
自立の「訓練」をすれば、だいたい20才では本人の意思で自立できる。

そう育てれば、世界的には、18才でも自立できる。

自立をする事で、自分に必要な「学び」を必死になって手に入れようとする。
命がけで働くこともするようになる。

自立を無視して育てるから、働くことが嫌になったり、結婚できなかったりするのでしょう。
そういう人生を歩ませてしまうのは、その子の親の「育て方」にある。

人の成長には、必ず「辛い」「嫌なこと」「大変」がある。
親にも、その子にも、これがある。
親子でこれを乗り越えるからこそ「心の成長」が起こるんだ。

学習障害に比べて自閉症の場合、どう対応すればいいのか、
そのノウハウが確立している様子だ。
昨日泣いていた子も、親が乗り越える分、その子も伸びるだろう。

健常の子なのに思いっきり生きることができなくさせてしまうのは、
ひどいことだと、僕は思う。
ぜひ、このHP別項の僕の持論に目をとおして、
「教育」と「子育て」の違いをよく分かって欲しい。

これを訴えるのには、子供が幼稚園に通っているぐらいの親にした方がいいでしょう。
それで、今年、二回目の「流しそうめん」を幼稚園でやったんだ。
新米パパに、本当の「子育て」を目指してもらいたい。

「子育て」以外のことに夢中になりやすい
「お年頃」のパパに嫌われるのを覚悟でこれを伝えたい。


13/11/30(土)朝 キャンプじぃじの日記

今朝の読売新聞に「グローバル人材を育成するには?」という広告があった。

この中で、「個を確立し、自立した人間」とでてきた。
僕がここで訴え続けている
「自立をした一人の大人の社会人」とかなりかぶると思えるね。

ここ日本の「教育」ではなく「子育て」を大きく方向変換させなければ、
大学をいじくった程度では「自立」した人が育たないだろう。

と、言うより、大学生で「自立」の意識では、もう遅すぎる。
少なくても「自立」への訓練は、「中学生」から始めなければ、
子供に身に付くことは、非常に難しくなる。
これは、僕の体験だ。

意見広告をする割には、「自立は、子供のうちから少しずつ行う」ことを知らないのだろうか。
もう一度言う、「自立」は、大学生では遅すぎる。

これほどまでに、ここ日本では、「自立を無視した子育て」
になってしまっているのか。

だから、
教育機関の意識を、それぞれの親の意識を、

「子育ては、子供の自立にある」
「子供の自立のためにそれぞれの教育がある」
「子供の自立は、正確には生まれたときから始まるが、
         本格的な自立は、中学生から始めるべきもの」

ということに、まず大人が気付くことから始めなければ、
表面だけの対策になるだろう。

これは、大変なことだ。

でも、僕は、たった一人でも「親子で工作」や
「子育ての面白さをお父さんに伝える」活動をとおして、
この「自立」に向けた子育ての方法をお父さんに伝えているさ。

ほとんど、効果は期待できないけどね。
それを分かっていても、僕は、生きている限りやり続ける。

子供を20才で、本当の自立をさせれば、
子供は、自分で必要な学びを、自分の意思で、必死に学びだすものだ。

少なくても、僕はこの方針で、学習障害の子を自立させたんだよ。
世間体は、決してよくなくても、本人は一所懸命に生きているさ。
ここだよ、本人にとって一番充実した人生を歩んでいるんじゃないかい?

「自立を無視した子育て」

これこそが、この問題の核心だ。


13/11/29(金)朝 復活サイクリストの日記

先週は、仕事現場までのサイクリングを二回出来た。
今週は、昨日を逃したら自転車に乗れなかった。
来週からは、しばらく忙しくてサイクリングができないだろう。

僕は、自営業なので「通勤」がない。
普段の生活で歩くことがほとんどないので、
このサイクリングだけが、唯一、僕の運動だ。
遊んでんじゃないよ。

昨日、目指したのは「狭山湖」だ。
もう何回か自転車で行った。
今回は、それをデジカメに収めてスライドショーを作るのが一番の目的だった。

昨日の夕方、そのスライドショーを作った。
タイトルは、「狭山湖」だ。

行きは、朝霞市まで車で行って、そこに車を置いて、
そこからサイクリングをした。 オートサイクリングだ。

「新河岸川」の右岸を上って行く。
しばらくすると、その川は、「柳瀬川」に分かれて、そこを行く。
結構、綺麗で面白いコースだ。
写真をバシバシ撮った。

だいぶ進んだところで、今度は、「空掘川」に分かれるが、
ここは、そのまま「柳瀬川」を追う。

そうしたら、ここは大変だった。
川が蛇のようにグニャグニャと曲がりくねっている。
しかも川に沿った道がない。

一般道で「柳瀬川」を追うのだが、ともかく川の方向がグルグルと変わるので、
それに振り回されるように走った。
デジカメで風景を撮る余裕もない。

それでも、しつこく「柳瀬川」を追い回して、
ついに、「北川」に分かれて、「柳瀬川」にさよならができる。
すぐに、次に「北川」と「前川」に分かれる。
「北川」を選ぶ。

すると、「北山公園」に着く。
「菖蒲」が有名な公園らしい。
今頃には、まったく何もない。 みごとに何もない公園だった。

こうして「狭山公園」に着いた。
そこの位置から、「狭山公園」に隣接するのが「多摩湖」だ。
「狭山湖」は、その奥にある。
そして、「多摩湖」は、東京都だが、
「狭山湖」は、埼玉県になる。

ここは、とっても景色がいい。
サイクリング道も整備されていて面白い。
一般道をサイクリング道が立体交差をしているところもある。
そこからの眺めは、非常にいい。
デジカメで撮りまくる。

そうして走っているうちに、西武球場に着いた。
ここには、「狭山スキー場」がある。
たぶん、日本一つまらないスキー場だ。

つまらない、もう何回も行ったことがあるがつまらない。
そう念じている内に、僕は、レンタルスキーを履いてしまっていた・・・・

旅は、想定外だらけだからこそ面白い。
本当は、「多摩湖」と「狭山湖」をグルッと回って写真をバッチリと撮るつもりでいたけど、
レンタルスキーを借りてしまった以上、滑らないというわけにはいかなくなる。

1本目、もう10年ぶりで、初めて履いた「カービングスキー」がサッパリ分からない。
2本目、どうしてもひどい後傾になる。
3本目、意地になってその後傾を直そうとするがダメ。
4本目以降、いつのまにやらハマっていた・・・・・

なんで、狭山スキー場では、こうも思うように滑れないのだろうか?

大昔、僕は、重いビデオ機材を背負って、ストックを腰に巻くように着けて、
ノー・ストックで中斜面をウエーデルンで滑って、
当時の有名デモンストレーターを撮ったことがある。

それでも、ここへ行くとなぜか思うように滑れない。

なんとなく滑る感覚が戻ってきたところで、
滑っている僕の足元アップと顔をデジカメに収めてサイクリングに復帰した。

「柳瀬川」は、もう懲りた。
そこで、多摩湖を南下して「空掘川」に出て、
グニャグニャしていない「柳瀬川」へ、
そして「新河岸川」の左岸を走った。

「新河岸川」の左岸の最後は、ダメだったが、途中は、景色がバッチリ良かった。

僕のサイクリングのスライドショーは、
次第にタイトル数が増えてきた。
これのコレクションという感覚でも面白い。
もちろん、昨日の夜の晩酌で何回も見た。

ばぁばが、仕事から帰ってくるなり「どこへ行ってたのよ」と言うので、
僕は、「企業秘密」と答えた。
でも気の毒だから、スライドショーを見せてあげたよ。

数カットを見ただけで、ばぁばは、居眠りをしていた。


13/11/28(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

僕は、自分だけ商売が立ち上がればいいと、
この商売を始めた時から、そうは考えていなかった。

今のこの仕事にトライする時点で、
個人事業のビデオ屋が「卒業ビデオアルバム」制作を全国で始められたら面白いと思い続けてきた。

それで、登録はしていないけど「Channel」と、
僕の作った「卒業ビデオアルバム」のジャケットにプリントしている。

意味は、「道筋」だ。
そして、別項に 「卒業ビデオアルバム制作」」 の作り方を書き込んだ。

僕のそれを見て、書き込みしたとおりに作れば、
だいたい同じような雰囲気のものが出来上がるはずだ。

こういうところに、このHPを見てお弟子さんがやって来た。

昨日は、「フィックス」について、
もう説教に近いことを教えた。

これの制作のハウツーは、ここに書き込んであるのとだいたい同じ内容で本にしてある。
そこに「フィックス」については、
2項目あって、

その一つには、「ビデオの初心者が必ずやるミステイクは、カメラの振り過ぎ」と書いた。

もう一つには、専門家向けに
「カットを学ぶ上で、必ず基本として身に付けなければならないもの」と記した。

作品全体に、見ている人が吸い込まれるようにスムースに映像の世界に入っていけるように作る。
このためには、「フィックス」を身に付けなければならない、とお弟子さんに教えた。

「知っている」のではなく「身に付ける」と教えた。
そう、僕は、知識教育をしているのではなく「体験教育」を実施している。

この「体験教育」は、僕がカブスカウトの隊長をやっているときに、
僕自身が「身に付いた」ことだ。

家庭教育でも、父親が子供に体験をとおして「生き方」を教えられればいい。
この願いで僕は、「子育ての面白さをお父さんに伝える」活動も始めた。
諦めないでやり続ければ、
きっといつか、花が咲くだろう。

今の僕にお弟子さんが出来たように、
このことを分かってもらえる父親が現れるだろう。
ここに大きな希望を感じるな。


13/11/27(水)朝 キャンプじぃじの日記

随分と前に、「脳内汚染」という本が出た。

それは、主にPCによるネット依存症、ゲーム依存症、にたいする警告だった。
でも、今朝、ラジオを聞いていたら、
それは、もうすでにスマートフォンによるネット依存へと悪化の一途をたどっているらしい。

「便利」「快適」「気楽」

これの飽くなき追求の末、何らかの依存症に陥る。
これは、ネット依存症だけではないと思えるな。

こういう僕も、量こそ少なくなったが「晩酌」は、止められない。
ニコチン中毒も同じこと。

掛かり付けのお医者さんによると「ペットボトル症候群」なるものがあるそうだ。
もちろん、正式名称ではないだろうが、
そこに入っている糖分が非常に体に悪いらしい。

体を動かすことなく「楽」にお金を手に入れられたら・・・・
ギャンブル依存症になるだろうことは、簡単に想像できる。

「便利」「快適」「気楽」

これは、普段の生活を歩む上での有毒な「糖」になりうるだろう。
たぶん、これが根底にあって、
「ニート」や「うつ病」といった心のトラブルがあるのではないかね。

「苦しい」「辛い」「大変」「面倒」

こうした、「心の負荷」を乗り越えようとしない限り、
「人の成長」は、起こらないものだ。

これを避けることが、容易になった今、
「何らかの成長」を目指すことを若者が避けるように目立つのは、、
当然の結末だと思える。

ネット依存

これで満足して生活をしているうちに、昼夜逆転、働くことができなくなる。

恐ろしいことだ。
でも、子供が小さい時から「快適で幸せだね」と教えたのは、
その親ではないだろうか?

子供が、「便利」「快適」「気楽」の飽くなき追求を始めてしまうのは、
結局、そこの家族の「家庭教育」から始まるのでしょう。

「苦しい」「辛い」「大変」「面倒」

を乗り越える「快感」というものがある。
僕は、これを「親子キャンプ」で子育てをして味わった。
「苦しい」「辛い」「大変」「面倒」だったけど、
人生で一番面白かった。

あまりに面白かったので、止められなくなって、
今、「子育ての面白さをお父さんに伝える」活動を本気で始めた。

また最近では、自然の景色を楽しむ「サイクリング」にも、
同じような快感が僕の心に走る。
それの景色をスライドショーにすることにハマッた。

実は、商売で「飛び込み営業」をして、何らかの成果があるときにも、
この快感を感じる。

僕は、お弟子さんにこう話しをした。
「商売は、ギャンブル性がある。
  普通のギャンブルは、確率的に確実に負けるようにできているけど、
  商売のギャンブルは、努力次第で生活費を稼ぎだせるものだ。」

「商売」の一番重要なことは、「営業」にある。
この「営業」が「辛い」ので、「機材」という「物」にすがって、
どうにか商売ができないか試す人は、本当に多い。

「営業」をガンガンと出来ない人が、一つの商売を長く続けた例を、
僕は、見たことがない。

日本社会は、全世界を相手に、質の高い商売をしていかなければ
国が成り立たない時代に、もうなっている。

こういう時代だからこそ、

ユニークで独創的な商品開発

それを商品化できる営業力

これらをプロデュースするための
「理念」「戦略」「戦術」の使い分け

そして・・・・「実行力」「リーダーシップ」

これらの能力がこれから不可欠だ。
もう一度言う、
何らかの「苦しい」「辛い」「大変」「面倒」を乗り越える「実体験」が必要だ。

こういう能力を鍛えるためには、
「苦しい」「辛い」「大変」「面倒」を避ける子育てをしていたらできないということを言いたい。
これらを乗り越え、乗り越え、そのことで「成長」することを子供に身に付けさせる子育て。

僕は、こういうことで便利な市販のキャンプ用品を使わずに、
テーブルでも椅子でも、工作をして「親子キャンプ」を実行した。
ここが重要だ、便利なキャンプ用品を使わない。

これで、
学習障害を指摘された子が自立を果たした。
この間、その子とカラオケで騒いだ。

日本舞踊の「親子連獅子」の子育てを、こうして実践した。
とっても良かった。
ここに本物の平安を感じざるを得ない。

「気楽」「簡単」「便利」、こうした
「依存症」に落ちたところで子供が働かなくなるよ。

「知識偏重」で「大学さえ出せば子育てをしたつもり」という子育てで、
子供が享楽を覚えてしまって、本当に大丈夫だろうか?
真剣に考えて欲しい。

人気テレビ司会者のドラ息子をよく見てみよう。
数年前に製紙会社の社長のドラ息子が会社の金を横領して、
カジノ通いした事件をよく見てみよう。

程度の差こそあれ、子供に「気楽」「簡単」「便利」を与え過ぎていないだろうか。

「苦しい」「辛い」「大変」「面倒」を乗り越えた実体験による「心の成長」が子供に必要でしょう。
お弟子さんにも必要だ。


13/11/26(火)朝 お弟子さんの日記

 「構成を考えながら撮影を行う」をテーマに数回ですが撮影をやらせて頂きましたが、
現状ではそれを意識するあまり行動が後手に回ってしまっております。

移動中に園児全員の顔を抑える事は、
この勉強を初めてそれは基本中の基本なので狙うべきところだとわかるのですが、
それ以外の場面で瞬間的にどのように編集で使うかと考えたとき、
先生・園児どちらを狙うべきかの判断が遅くなっており、
周りを気にして見てはいるものの何かしら見落としていたりという現状、素材を集めないともいけない、
けれども無駄に撮りすぎるのも後々効率が良くない。

感覚的な話ではありますが、「場数」をこなすということでしょう。
しかしそれだけでなく「考える」事も忘れずに「場数」をこなさなければ、
それは「ただやった」で終わってしまいます。

言われたからやるのではなく、勿論指示は頂きますが、プラスして自分の意思を付け足す事、
余計な考えと言われる事もあるとは思いますが、
何かを作ろうという仕事をしていこうとしている者として、「既存」で済ませたくないのが本音。

面倒臭がりで腰が重いな面もある為、
頭の中の理想を行動に出すのが遅い自分ですが、
何が正しいかという事はわかっているつもりではあります。

自分の中の「新規」を形にする為にも、
今あるもの、覚えるべき・やるべき事をしっかりと、
先ずは12月の発表会の実践練習へ向けて練習あるのみです。

頑張ります。


13/11/25(月)朝 キャンプじぃじの日記

ここの書き込みは、2006年7月10日から始めた。

僕の作っている「卒業ビデオアルバム」の仕事を多くの人に知ってもらうためには、
このHPを常に更新しなければいけないというアドバイスで始めた。

写真をスライドショーにした「卒業ビデオアルバム」が圧倒的に多いと思える。
ビデオで取材したものでも、
保護者が撮ったビデオを編集して「卒業ビデオアルバム」というものも聞いたことがある。

僕がこの20年以上作り続けてきた「卒業ビデオアルバム」とは、
それらとは違うものだ。

何が違うのかというと、映画ほどではないけど、
そこには、「制作意図」を込めてきた点が違うだろう。

それぞれ、そこの幼稚園の特徴を出せるようにしている。
これが「制作意図」だ。

こういうこだわりで作ってきたのだけど、
この仕事が僕の代で終わってしまうのは、寂しい。

一時、10件の「卒業ビデオアルバム」を作った時期もあったが、
今は子育ても終わり、
無理に作る必要もないので、4件まで縮小をした。


そういうところに、このHPを見てお弟子さんがある日突然にやって来た。
書き込みを諦めずにし続けてきて、本当に良かった。
僕は、こういうところに神様を感じざるを得ないんだ。

ボーイスカウトの隊長が、僕に小さな椅子を作る材料を持って来た。
「作らなければならない」というものではない。
でも、何だか知らないけど、神様が作れと言っているように聞こえた。

僕は、その材料で30脚以上の椅子を作った。
このために、電動ドリルと電動ノコギリまでも買った。

この椅子は、さぎ山野営場で今年の「カレー作り」と「芋煮会」で大いに役立った。
また、
電動ノコギリのおかげで、木をスライスして作る「参加記念メダル」が大量に作ることが出来るようになった。
道満グリーンパークでの活動「親子で工作」で、子供の参加者全員に配ることができるようになった。

見えない神様の言うとおりにしてみた。
とっても不思議な人生を歩むことが出来た。
「幼稚であってはならない。」
しかし、
「幼子のように素直になりなさい」
とは、聖書に書いてある。

自分の利得ではなく、
目には見えなくとも、その方の言うとおりに素直になって生きるのは面白い。
仏教でも、このことを「他力本願」と呼んでいる。
肩の荷をおろして気張らずに生きる心地よさがあるんだ。

若いお父さんは、子供にどう「生き方」を教えられるのかな?
学校の成績ではなく、
そのことで、子供の人生がものすごく影響されるよね。

僕は、学習障害を指摘された子を、なんとか自立させることが出来たんだよ。
ものすごく大変だったけど、
この間の「芋煮会」の前の晩に、その子と一緒にカラオケで騒いだのさ。
これが幸せでなくて、何が幸せでしょうか。

健常の子をニートに育ててしまうのは、100%親の問題だよね。
そういう子育てを避けるためにも、
若いお父さん、宗教を学んでみようか。


13/11/24(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、午前中大人しく「卒業ビデオアルバム」の編集をしていた。
今年は、溜めないで取材をした分をドンドンと編集をしている。

ばぁばが早く仕事から帰ってきて、
前倒しで銭湯に行き、夕方の5時半には、晩酌を始めた。

僕は、ばぁばにこう言った。
「こんなに早く出来上がっちゃうと、夜中に目が覚める」

そこで、頑張って一人、手酌酒で自転車のスライドショーを見て夜9時まで起きていた。
最後は、どう寝たのかは覚えていないぐらいに酔った。

スライドショーは、全部で10タイトルある。
これは、僕がサイクリングしたときをデジカメで撮って、
それを著作フリーのBGMを付けて編集したものだ。

ばぁばは、2タイトルぐらいを見たところで居眠りをしていた。
その横たわったばぁばの上に猫が乗って、くつろいでいる。
猫とばぁばで、「ねこばば」だ。
昔の人は、とっても的を射た表現を残してくれている。

自転車のスライドショーは、ビデオ屋らしく編集した。
しかも、自分の体験でもあるので、何回も何回も見ては、酒を呑んで飽きなかった。

その内に、僕が作った「親子キャンプ」のハウツーDVDも見た。
子供に計画書を作らさせるシーンで、
PCが出てくるが、モニターがブラウン管だ。
そうとう前に作ったことが分かる。

登場人物は、僕の三番目の子と末っ子だ。
末っ子がまだ中学生ぐらい。

あまりに懐かしくて、まだ子供がかわいかったので、
酒がすすんだ。
これも編集したからこそ、見ることができる。

写真でもビデオでも編集をしていないと、
あとで見ることはしなくなる。
だから、写真では、撮ったらすぐアルバムに整理しておいたほうがいい。

僕のようにスライドショーにしてDVDを作れば、
もうこれは、作品だよ。
酒を呑みながら、昨日の夜は、とっても楽しかった。

ビデオは、なかなか編集をするのは大変かも知れない。
慣れていても、ビデオの編集は、根気がいる。

でも、それでも、ビデオも編集をしておかないと、
あとで見ることができなくなるものだ。

編集とは、「まとまりのあるものにする」という意味だ。
まとまっていなければ、編集ではない。

僕は、「生き方」にこだわってきたが、
僕の人生のエディターは、神様だな。
随分と冗談のきつい編集をしてくださった。
刺激の強い編集だ。
今日は、その御礼をしに行く日だな。

ここ日本では、「物中心」で生きるように教わってしまう。
それほどに「物」を手に入れることに夢中になってしまう。
それで、父親が子育てを放棄するように、僕には見える。

子供の人生のエディターは、お父さんだよ。


13/11/23(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、35`離れた取引先まで自転車で取材をしに行っていた。

幼稚園の中ではなく、だいこんと人参を畑に行ってそれを子供たちが掘る活動だった。
それで、杉並区第二小学校前広場という公園に集合して、
そこから畑まで歩いて行った。

それを「卒業ビデオアルバム」用に取材をしたのは、僕の仕事になる。
お弟子さんに、同じくカメラを持たせて取材の練習をさせた。
これは、お弟子さんの稽古だ。

その上で、僕はサイクリングを楽しんだ。
一日の中で、まったく違う趣旨のことを三つもこなした。
自分で自分のことをスーパーマンだと思ったね。

さて、サイクリングだが、
行きは、寄り道し過ぎて取材に間に合わないと困るので、
大人しく、数日前と同じコースを走った。

日光街道を南下する。
月曜日に走ったときには、荒川の橋の上で太陽が昇ったが、
昨日は、そこでオニギリを一個ほおばりながら、それを待っていたのだけど、
千葉県だろうか、山のシルエットが紅く染まるところまで見て、
ご来光を仰ぐまで待てずに走り出した。

でも、澄み切った青空で水平線が紅色に染まる景色は、
いいコントラストで、とっても綺麗だった。
自然の美しさは、人工美では決して越すことが出来ないと強く思う。

そこから神田川に出て、善福寺川に沿って上って行く。
おにぎりをもう一つ持っていて、
どこかで食べるつもりだったが、
時間的にかなり余裕があったので、いつものファミレスへ向かう。

それは、すでに通り過ぎたところにあったので、
Uターンをするように戻った。
焼き鮭定食を注文した。
ちゃんと朝食をとると、落ち着くね。

こういうことで、
神田川と環七の交差したところに「立正佼成会」がある。
そこを昨日は、二回も通った。

神田川から善福寺川に分かれて、善福寺川に沿って走る。
僕は、ここが大好きだ。
善福寺川には、公園があって、とても都内とは思えない自然の中を走ることが出来る。
集合場所は、この善福寺川沿いにあるので、タップリとそれを味わった。

若い頃は、ともかく自転車で距離を走っていたが、
歳をとって体力がなくなった今は、景色を楽しむのがサイクリングの目当てだ。
それで川沿いを走るようになった。

仕事の取材では、子供たちの道行きを何回かビデオで撮る。
お弟子さんは、子供を全員撮っては、走って先頭に行き、
また全員を撮らなければならない。

僕は、その「走る」ところを自転車で移動する。
とっても楽チン。
子供たちの活動をビデオで撮って仕事を終わらせた。

帰路は、
善福寺川から神田川、そして隅田川に出るコースだ。

神田川に沿って走っていたら、おじいちゃんがカメを散歩させていた。
たぶん「ヒョウがら陸亀」とか言う大型のカメだ。
後ろ足に毛糸のソックスを亀が履いていた。
前足には着けていない。
「手」だからか?

面白いからしばらく眺めていたら、亀が歩くのを一瞬やめる。
それでご主人様を見上げて、また歩き出した。
滅茶苦茶かわいいね。

高田馬場で、ラーメン屋さんの前で三味線を叩いている人がいた。
サングラスを着けて、どうみても「ロック」の兄貴風なのだが、
三弦を鳴らす。
この派手なミスマッチは、僕の脳裏に焼き付いたな。

この間の月曜日にミスコースをしたので気をつけた。
この間は、その隅田川の左岸を走って、ウンコビルの脇を通過したところで、
訳が分からなくなった。

そこで、昨日は右岸を走って、どこをどう間違えたのか、
対岸を眺めながら走った。

分かったよ。

そのウンコビルを過ぎてすぐに隅田川から分かれている川を見つけた。
その川は、スカイツリーを目指してまっしぐらに流れていた。

隅田川から荒川へ、そこから綾瀬川に出る。

この間、綾瀬川ではなく葛西用水を走って、そこが良かったので、
また同じように、一般道で葛西用水に出て帰った。

カメラを担いで走るので、肩と腰に負担がある。
いつもの銭湯の露天風呂にタップリと浸かって、
そこ中にバンテリンを塗った。

僕は、
「物」ではなく「生き方」にこだわる人生をデザインできて本当によかった。

これからの日本社会を生きていく子供たちにも、
「物」ではなく「心」の豊かさがあることを伝えたいな。

そのためには、父親自身で子育てに取り組む必要があると思う。
固い表現では、「父性教育」になるけど、
僕は、これを「子育ての面白さをお父さんに伝える」と言い直して、
今年、活動をした。
これを何としてでも推し進めるぞ。

これが僕の天国への貯金だ。


13/11/21(木)夜 キャンプじぃじの日記

明日の朝は、5時半には自転車に乗って取材現場へ行く。
それで、明日の書き込みは、夕方になる見込みだ。

今まで、そこの現場へ車で行っていた。
それで、早朝現場近くで車の中で書き込みをしていた。

しかし、自転車ではPCを持っていけない。
ということで、書き込みは夕方にします。

サイクリングしながら好きな仕事ができるなんて・・・・
なんて、不思議な恵みでしょうか。
若い頃、「気楽」や「快適」をかなぐり捨てて命がけで生きてきたこれが天からのプレゼントだね。
実感!

今の子供たちに教えたいね、思いっきり生きることを。


13/11/21(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

ここのところ、お弟子さんが週に三回の割合で、
僕のところに稽古に来ている。

この稽古量でプロになれるのか、どうか・・・微妙なところだ。
それでも、初めは、週に一回しか来なかったのだから、
少し本気が出てきた感じがする。

いつになったら、「命がけ」の稽古を始めるのだろうか・・・・・
「命がけ」とは、この仕事だけの一点を見つめて、
これを突破する事だ。
そのぐらいのエネルギーが駆け出しには必要だと思う。

二兎を追う者は、一兎も得ず。
と、お弟子さんには初めから言ってあるのだけど、
馬の耳に念仏。

なんとなく留年の香りが漂う。
まぁ、僕があせるものではないから、ぜんぜんOKだ。
僕が生きているうちに商売が立ち上がればいい。 本人の自由だ。

個人事業のビデオ屋の集いがある。
新しいカメラを買ったところで、「プロ」になってしまう人が多い。
何の修行もなしで商売を始められるという、ゆるい仕事なのだろうか。

昨日は、その集いで「ホワイトバランスのとり方」の実技講習会があったらしい。
そんなレベルで商売をしているのだろうか?

この間、同業者のパンフレットを見る機会があった。
そこには、発表会の撮影で「カメラマイク」で録音するので、
客席では静かにするよう注意書きが書いてあった。
僕には、まったく想定外の話しだ。
こんなレベルの業者が本当にいるんだな。

そういう僕は、どうなのか?
結構いいかげんで生きてきた。
でも、ホワイトバランスは、ビデオカメラを手にしたときから、
敏感になったと思うし、
発表会をカメラマイクで録音をしたことはない。

卒業ビデオアルバムの制作では、
作品全体の「構成」が重要になって、それを学ばなければ、
バラバラのものが出来上がる。

また、「言葉」の使い方を学ばなければ、
「ナレーション」のタタキ台を作ることが出来ない。

音響屋さんほどではなくても、「録音技術」がなければ、
ホールの仕事は出来ないし、インタビューもできない。

カメラのオペレーションができないとなると・・・・話にならない。

それだけではない。
商売として立ち上げるためには、「営業」が絶対に必要になる。
商売を継続していくためには、
「理念」「戦略」「戦術」の使い分けと実行が出来るかどうかで、決まる。

個人事業は、総てをこなさなければならない。

そこに人生をダイナミックに生きられる面白さがある。

学ばなければならない分野は、多岐にわたり、それは、膨大だ。
新しいカメラを買っただけで、プロになれる訳がないでしょう。
なんでもそうだけど、
「稽古量」こそが上手になる近道だ。

バカバカしいほど当たり前の話でした。

さて、
ビデオ屋を始めるわけではなくても、
これからの日本社会で生きていくためには、たとえサラリーマンであっても、
「営業力」そして「理念」「戦略」「戦術」の使い分けと実行力が必要になる。

これは、全世界の中で日本という国が生き延びるために必ず、
一人一人の「個人」に問われてくる。
これは時代の流れだ。 逆らうことは出来ない。

それにもかかわらず、「知識偏重」の子育てで平気な親は、多いのではないかな?
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」の親が多いのではないかな?

「生き延びる術」は、学校では身に付かない。

日本舞踊の「親子連獅子」の舞に、そのヒントを見ることが出来る。

ということは、昔の人は、もう気付いていたことになる。
これからの本当の子育てを舞に託していたんだ。

いったいいつになったら、これに気付くのだろうか・・・・本気、命がけ、を。

そのためには、個人一人一人の「自立」が要になる。
ここだ、「自立」だ。
この点、お弟子さんは、自立をしていて有利だと思う。


13/11/20(水)朝 お弟子さんの日記

 先週は、とある小学校の発表会の撮影に同行させて頂きました。

これまで幼稚園での撮影のみを見学・体験してきたわけですが、
学校の現場に入るのは初めてでありました。

前日の仕込みの現場に立ち会うことが出来なかったので、
全てを見れたわけではありませんが、
前回の幼稚園の発表会で見させて頂いた仕込み方とは当然の如くやり方は異なっているものでありました。

マイクの配置箇所、それぞれの箇所へ置かれた意図、置かれた場所とそれに合わせたマイクの特性等について説明を聞かせて頂き、アバウトに頭の中にインプットされていたものが、一つずつ頭の中で繋がっていく感覚に変わっていきました。

百聞は一見に如かずとはこういう事を言うんでしょうね。。。

実際の撮影は、前回と大きく違い、二人体制でそれぞれがドリーで動かなければいけません。
連携がとても重要になってくるものであったと思います。

難なくそれをこなしている二人を見ていると、
今まで経験してきた場数の違いを感じさせられます。

無駄に動くことはなく、抑えるところを確実に抑え、また次のカットへ・・・。
海外でビデオカメラマンの事をVideo Shooterと呼ぶ所もあるらしいのですが、
二人を見ているとまさに画を狙う狩人のような、
その言葉がピッタリな光景に思わず「こういうことか」と感心させられました。

来月、1カメでの発表会の撮影をさせて頂くのですが、
良い画を狙う・狙えるように、それこそ狩人のように貪欲になって挑みたいと思っております。
その為にも一回でも多くの経験、多くの事に首を突っ込んでいきます。


13/11/19(火)朝 復活サイクリストの日記

大人しく一般道を走れば片道35`のところへ取材に、昨日行った。

もちろん、川沿いに自転車で行ったので走行距離97`を走った。
行きは、
日光街道を南下して、神田川まででて、そこから川沿いに走った。
帰りは、
お昼時だったので環七にあるラーメン屋さんに寄って、
そこから五反田方面へ行く。
するとやはり神田川にでて、それに沿って隅田川を目指した。

神田川が隅田川に合流するところに何軒ものの釣り船だろうか、
船着場がある。
堤防を乗り越えるような構造でお店を開いていた。

隅田川を上って行く。
左岸を走る。
スーパードライのウンコビルの脇を通過。

そうしているうちに、どうやら隅田川から分かれた川沿いをいつの間にやら走っていた。
江東区だ。
スカイツリーが目の前に現れた。

そこから気の向くまま、赴くまま、走る。
ついに迷子に・・・・・
江東区は、「方向」を頼りに走ろうと思っても、思うようにいかない。

そこにたまたま出くわした川沿いを走ると・・・・
またスカイツリーまで戻ってしまう。

そうこうしているうちに分かる道に出た。
「蔵前橋通り」だ。

その道で荒川まで行く。
それの左岸を走る。

綾瀬川が見えてくる。
ここは、車がうるさくて面白くないから、それに沿った一般道を走った。

そうしたら、川の方が迷子になっていなくなる。

綾瀬川があるだろう方向へ行って、
見つけた川に沿って上って行く。
その川は、「葛西用水」だった。

僕のボロアパートは、この葛西用水が近い。
歩いて行けるところにある。

こうして、昨日は、想定外だらけのコースを走った。
「移動」が目的ではない。
「サイクリング」が目的だから、昨日は、十分に運動になった。

ちょっと重いカメラを担いで、普通のサイクリングより運動になった。
いつもの銭湯で、首と肩、腰、にバッチリとバンテリンを塗った。

遊んでんじゃないよ。
昨日は、ちゃんと取材をした。
働き者だ、僕は。 誰にも言ってもらえないので自分で言おう。

今日は、お弟子さんの稽古をして、
午後から納品と、別の打ち合わせをサッサと済ませて、
さぎ山野営場を整備しなければならない。

そうとう落ち葉が積もっているはずだ。

忙しい隠居生活だ。
社会的にまだ、つながっていられるのはいい。
自営業の強みだ。


13/11/18(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、恒例「日曜晩餐会」をやった。

いつもの古い友人が、風邪をひいたという理由で来なかったが、
その分、
最近知り合ったカメラマンが来た。

ばぁばと大家のおばぁちゃんと僕の三人で、
この間の「芋煮会」の写真をPCでスライドショーにして見ながら、
そのカメラマンの噂話をしていたら、本人がやって来た。

こういうことって結構あるよね。

それで飲み友達がいたおかげで、ちょっと呑みすぎた。

今日は、これから35`離れた取引先へ取材に行く。
もちろん、自転車で行く。
それで書き込みは、これでお終い。


13/11/17(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

11月16日 「親子で工作」 実施

埼玉県戸田市にある「道満グリーンパーク」で、
「親子で工作」のボランティア活動をした。

この活動は、もうかれこれ10年近くしてきた。
小さい工作物をとおして、父親と子供が触れ合い、遊ぶ場を提供するのが目的で行ってきた。

昨日は、子供の数で16名が参加をした。
大入りだった。

今回は、やたらに就学前の子が多かった。
それで、「枝ハンコウ」を案内したのだが、
ちょっと、そこらへんのレパートリー不足を感じたな。

この間、砧公園へ幼稚園の遠足で行ったが、
そのときに、いい歳をしたじぃちゃんたちが、紙飛行機をそこで飛ばしていた。
輪ゴムを使ってものすごい勢いで飛ばしていた。

これをヒントに来年のこの「親子で工作」でやってみようと思う。

人生のヒントは、いつでもどこでも落ちている。
アンテナさえ張っていれば、それに気付いてそのヒントを活用できる。
これで人生のデザイン力が違ってくるでしょう。

今の子供たちは、満たされ過ぎて、この「アンテナ」を張ることが出来ないのではないだろうか?
そんな気がする。

今年のこの「親子で工作」の活動は、とっても充実をした。
どの回も大入りだった。
中には、推定40組み以上の親子が参加をしたときもあった。

これ以外には、「さぎ山野営場」の近所の塾の子供たちで行った
「カレー作り」や「芋煮会」も盛り上がった。

そして、幼稚園の園庭を借りて行った「流しそうめん」は、今年、二回目を成功させることができた。

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

この目標に向かって、少しずつ活動が充実してきたと思う。
来年も、さらに活動内容をアップさせたいね。
商売より熱心に取り組んでいるような気がする。

いいんじゃない? こういう老後もありでしょう。
おかげさまで「キャンプじぃじ」は、ネットで上位になってます。


13/11/16(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、3台のカメラで撮影をしていた。
それの機材の仕込みや撤収は、それなりに大変だ。

仕事が終わって、機材撤収をして、
ボロアパートにそれらをしまって・・・・・
それから、今日の準備をした。

今日は、これから道満グリーンパークで

「親子で工作」

のボランティア活動をします。
これは、「子育ての面白さをお父さんに伝える」という目的で行います。
お近くの方は、
午後12時より始めますのでぜひお立ち寄り下さい。


13/11/15(金)朝 キャンプじぃじの日記

芋煮会が面白く大成功をした。

その時に撮った写真を、塾をしている教会へメール添付で送ったところで事件が始まった。

まず、「Outlook Explorer」が固まって動かなくなった。
添付の写真が重すぎたようだ。

どうにもならない。

そこで一か八か、ウインドウズXPを再インストールした。
何がどうなったのかはサッパリ分からない。
ともかく、今度は、HPの書き込みソフトが立ち上がらなくなった。

もう真っ青。
他のソフトを恐る恐る開いてみる。
とくに、「アドビ」の「アンコール」は、仕事でオーサリングに使うので、
開く時に生きた気分になれなかった。

でも、神は我を助けたもうたか、無事だった。 超安堵。

それで、どうにもならないので、近所にあるPC修理やさんにPCを持ち込んだ。
そうしたら、メールのソフトが「outlook」という別のものになって普及した。
今度はこれの使い方が分からない・・・・・
だいたい似たような名前のソフトがあるなんて知らなかった・・・・・

それでもなんとかメールの送受信普及となった。

ところが・・・・・・
HPの書き込みソフトが、今度は立ち上がらない。
そこで、PCの先生にヘルプをいただき、操作したのだけど、
結局ダメ。

それで、今朝、フト思い付いた・・・・・・
PC自体を立ち上げるのになぜか、立ち上がる途中で、
「Taniguchi」と「owner」の二つが表示されるようになった。

これは、こうしようと思ってなったのではなく、こうなっちゃったんだな。

それで、試しに「owner」をクリックしてみた。
そうしたら、壁紙も前の設定のままの画面になった。

しかも、HPの書き込みも前のままできる。
こういうことで、何だか分からないけど、HP書き込みも普及した。
めでたし、めでたし。

ただし、こちらの画面では相変わらず、メールソフトが固まったままだ。

今日は、これから小学校の合唱を撮るのだけど、
昨日は、その仕込み(機材のセッティング)に三時間半もかかるという忙しさの中、
PCのトラブルに引き回されて、
本当に暗い人生だった。

僕が、PCに振り回されている・・・・
デジタルは、便利だけど、これがないと仕事にならないけど、
なんか変じゃないかなぁ・・・・・


13/11/14(木)〜13/11/13(水)

PCトラブルのため書き込めませんでした。
決してサボっていたわけではありません。
小田さん、ご心配をかけて申し訳ありませんでした。


13/11/12(火)朝 お弟子さん日記

 先日は、個人的にも楽しみにしていた遠足へ同行してきました。

場所は世田谷区にある砧公園。
環八通りをバイクで通る際に何度か横目で見ていたのですが、
こんなにも広い公園とは思ってもいませんでした。

言われて気付きましたが、もう紅葉の季節でしたね。
このあいだまで暑い暑いと言っていたのに、
もうコートが必要になる季節、25歳を過ぎてから1年が凄くあっという間に過ぎていく感覚を実感してきております。

さて、遠足の撮影を今回させて頂いたのですが、
思うように自分で構成しやってみるというテーマで最初から最後まで谷口さんの動きを参考にしつつ撮ってみました。

バスが到着する所を先ずは狙うということだったのですが、
予想外のルートでバスが駐車場へ入ってきた為、
少し慌ただしいスタートとなりました。

一瞬バタつきはしたものの、
園児全員の顔を抑えることに関しては、
運動会の撮影練習の応用で難なく出来たと思います。

細かいところを言えばカットアウト時のパンフォローが行えていない事が修正点に上げられます。

カメラワーク的にはほんのちょっとした事ですが、
編集を行い、画を繋げていく際にこれは大きな意味・効果を出してきます。
絶対体に染み込ませなければいけないポイントです。

園児たちが集合し、集合写真を撮影、
それから今回の遠足の目玉「どんぐり拾い」となりました。

ここでは画角に拘りながら、いろいろと撮ってみたのですが、
良い画を撮ることに集中し過ぎてしまい、
3クラスのうちの1クラスの担任の先生を撮り忘れてしまうミスをしてしまいました。

良いカットを取る為に周りを見るだけでなく、
その行為を行いながら、必要となる被写体を探し・見失わないという事も頭に入れておかなければならないという教訓を得ました。

その後、お弁当の時間を挟み、リレー遊びを行い、その日の撮影は終了となりました。

改めて感じたのですが、撮影において言ってしまえば、
綺麗な画・かっこいい画というのは撮ろうと思えば誰だって撮れてしまいます。

しかし、谷口さんを見ていてよく思わされるのが、
子供達と本当に仲が良いという事、あのコミュニケーション力があるからこそ撮れる画がきっとあると思います。


13/11/11(月)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

11月10日(日) 芋煮会を実施

あれだけ雨が降る、降る、と天気予報であったので、
スッカリと意気消沈をしていた。

それでも、「諦めない」と自分に言い聞かせていた。
これは、僕の今の商売を立ち上げる時にも、年中こう言い聞かせていたものだ。

これが天に通じたのか、一日雨が降ることもなく、大成功をした。

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

こういう趣旨の活動だが、
どうしても、母親と子供の組み合わせの参加になってしまう。
いかに父親が子育てに感心が薄いのか、面倒くさがっているのか、
その根の深さを感じる。

僕の戦いの本質は、この「父親の面倒くささ」にあると、
ハッキリと分かった。

活動自体は、とっても良かった。
子供たちに「芋煮会」を運営させる。
と、言っても子供ができそうもないことはフォローした。

前日に古い友人と「サトイモ」を畑からとってきたものを子供に見せて、
根っこのまま、ドロだらけのまま、のサトイモを水で洗わせる。

ただこれだけのことに、一時間を費やす。

昔、カブスカウトの活動を夢中になってやっていたが、
なんだか、そのころを思い出す。

子供の作業が牛の散歩のように遅い。
その遅さに、大人がイライラするのだが、
そこを大人がどうガマンできるのか・・・・・・・
この刺激、久しぶりに味わった。

芋をやっと、洗い終わって、
レシピ本に沿って、芋がいくつ必要か数えさせる。
うっかり、小学校3〜4年生位の女の子がママに答えを聞こうとする。
こういうところを僕は、注意するんだな、自分達で考えろとね。

芋を90ヶ用意する事ができた。
それで、食材買出しには、芋を買う必要がないことを子供たちに意識させる。

僕は、子供たちに、電卓、紙、ペン、レシピ本、量り、一輪車、
を与えて、最寄のスーパーへ徒歩で買出しをしに行くよう指示する。

買出しをデジカメに収めることと、安全対策で、ばぁばに同行させる。
その他にも母親一人を補助で付き添うように言った。
でも、なぜか母親がみんな子供たちにくっ付いて行った。

僕は、母親の過干渉が心配なんだな。

でも、写真を見ると子供たちが電卓を使って量りで調べて、
ペンで何やら紙にメモしているのが写っていた。
どうやら過干渉は、なかった様子だ。

「自立」に向けて育てるというのは、こういう体験をとおして実行するといいのさ。

芋を洗って、買出しへ行って戻ってくるまでに、
とうとう二時間かかってしまった。
「芋煮」を作るのに、途方もなく時間がかかる。

最初の内は、こんなものだ、しょうがない。
何回も同じような体験を子供たちが積み上げることで、
次第に要領がよくなる。

実際に、手の焼ける腕白坊主が約一名いるのだが、
春の「カレー作り」では、まったく戦力にならなかったのが、
今回では、随分とその子は作業をしていた。

子供の成長は、こんなにも面白いものなのに、
日本人の父親は、「面倒くさい」が頭にこびりついている。
人生で一番面白いのになぁ・・・・・

食材を切ったり、むしったり、もちろん子供たちに体験させるのだが、
その前に、僕がデモンストレーションをして見せる。

ここ重要ね。

「いい手本を子供に見せる」

しかし!
僕がデモをして、母親に子供の作業の補助の仕方も教えて、
僕は、古い友人の提案の「カボチャのダッチ焼き」の準備を始めた時だ。

なんだか、妙な音がするんだな。
包丁のミネで芋の皮をこそげとる作業なのに、
「コトコト」という音がする?

様子を見たらビックリ、お母さん達がミネで皮をこそげとることが出来ないでいた。
それで、芋をまな板に置いて、ミネで芋を叩くようにしていた。

「こそげとる」ことは、僕は料理教室で教わったことだが、
僕は、すぐにそれの要領をつかんだのだけど、
この作業で、躓いてしまうとは・・・・

気を取り戻して、5人ぐらいしかいない子供、一人一人に、僕が直接指導した。
ちなみに、これの要領は、
リンゴの皮むきと同じだ。
右手の親指で、包丁の刃をガイドするようにして使う。

ダシは、子供たちが買い出しに行っている間に、僕が作っておいた。
スンドウ鍋に6gを作った。

マザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」で、
僕は今年、50家族、200名分の朝のスープを作った。
それから比べたら、おもちゃみたいな分量だ。

そこに、子供たちが刻んだ食材を入れて、調味料を子供に量らせながら鍋に入れた。
しかし!
今度は僕のミスで、調味料が必要分量に足らない・・・・

40食分の「芋煮」を作るのは、僕も初めての体験。
こんなもので足りるだろうと思って小分けをした調味料が足らなくなった。

暗くなる4時半には、活動を終了させたかったのだが、
ついに、ランプのお世話になる。

でも、ランプの灯りを子供たちに体験させるのもいい。
「竹ハウス」の中で、楽しそうに芋煮とカボチャを親子で食べていた。

まぁ、味の方はともかく、本当の幸せを親子が味わえたのだろうと思う。

ところで昨日は、僕の息子達三人もいた。
それが友達も連れて来ていて、暇を持て余している。
デカイがきんちょが、サイトでうろうろしている。

そこで僕は、古い友人にそのガキンチョの世話を頼む。

チェーンソーで適当なヒノキを一本倒してきてくれと頼んだ。
古い友人は、僕のガキンチョを連れて、サイトから出て行く。
しばらくして、チェーンソーがうなりだした。

こうして、子供たちや、昔かわいかった子供たちが、
さぎ山野営場で活動をした。

「物」ではなく「心」の豊かさというものがあると思うんだよね。


13/11/10(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の夜には、僕の四人の息子の内、長男以外が帰って来た。

それぞれ自立し、自分の人生を歩んでいる。
決して、人様に自慢できるような立派な人生ではないけど、
それでも、自分の力で精一杯を生きている。

どう表現すればいいのだろうか、
「しあわせ」・・・・そんな生温いものではない。
「しあわせ」感は、時間と共にすぐ冷めてしまうでしょう。

「安堵感」

ちょっと違うのだけど、これに近い。
昨日の夜は、三人の息子と一緒にカラオケで騒いだ。

今日は、これから「芋煮会」をしに、さぎ山野営場へ行く。
おっと、その前に教会へ行く。
心からの感謝をしに行く。
いろいろあったけど、良かった。 本当に安堵。


13/11/9(土)朝 キャンプじぃじの日記

明日は、「子育ての面白さをお父さんに伝える」ための活動で「芋煮会」を予定している。

今日、タンクに水を満タンにして、さぎ山野営場に持ち込む。
文章だとこれだけの話しだが、
20gのものを7本、10gのものを2本も坂道を登って持って行くんだ。
たった一人で・・・・・

後は、子供たちに表彰する「木のメダル」を枝からスライスをして作る。
もうサイトには、タープを設営済みだ。
「竹ハウス」の中には、この間作った手作りの椅子を10脚と、
別の椅子を並べて、そこに板を置いた簡易のテーブル、をセットしてある。

ただ・・・・・
明日の天気がよくなさそう。

次男坊が孫を連れてくるので、
思いっきりハッスルして準備をしてきたのだが、NGか?

このことで、今夜、僕の四人の息子の内、
長男以外が帰ってくるらしいのだが、NGか?

BSや、子供を鍛えるためのSCCの活動だったら、
雨で中止ということはないのだけど、
活動の趣旨が趣旨だけに、「楽しい」という雰囲気をかもし出せないと、
逆効果になってしまいそうだ。

さてさて、どうなることやら。
どうなろうと、最後まで諦めないで準備だけはするぞ。


13/11/8(金)夜 復活サイクリストの日記

東京の端っこに「砧公園」(きぬたこうえん)がある。

今日、ここに幼稚園の遠足の取材をした。
もちろん、快晴の下、自転車で行った。

予想片道距離40`を余裕をつけて4時間での行程にした。
朝5時半に出発。

随分と暗くなったね。
快晴なのに外は、真っ暗。
荒川を渡るところで、日出を見た。
広々とした川の上に、全生命の恵みの太陽の光が出た。

ドラマチックな絵を見ることが出来た。
もうこのことだけで、今日という日の価値を得た。

今日は、大人しく一般道だけで目的地に向かう。
昭和通り、外堀通り、内堀通り、青山通り、世田谷通り、
こういうスタンダードなコースを走った。

久しぶりに皇居の周りを走った。
ここだけは、「東京」を忘れさせる不思議な雰囲気がある。

気持ちよく走っていたら、世田谷通りを行き過ぎて、
川を渡って神奈川県に行ってしまいそうになった。
そこから戻ろうとしたところで迷子になる。

どうにかこうにか、行き着いたときには走行距離45`になってしまった。
でもかかった時間は、3時間半。
まぁ、僕の普通のペースだ。

タップリ時間があったので、現場近くのファミレスで遅い朝食をとる。
あまりに早く着いたので、うとうとと眠たくなってしまう。

そこから砧公園へ向かうところで、お弟子さんから電話があった。
駐車場での待ち合わせで、そこが分からないと言う。
「環八」に面したところに駐車場があることを伝えて、
そこで、彼と合流した。

お弟子さんは、なんでもこの日、一時間しか寝ていないそうだ。
でも僕が現場まで自転車で行くという、年寄りのハッスルを前に、
弱音を吐くことができない様子だった。

僕の弟子をするのは、根性が不可欠だな。
頑張って来たので、「君のやる気に敬意を持つ」と励ました。
とっても元気だ。 若いね。

それから、僕と彼は、別々にそれを取材して、
ファミレスで、二人の絵をプレビューして、
彼に寸評と僕の絵がどう構成されているのかを見せた。

でも、寝不足で彼は僕の言ったことを覚えていないだろうな・・・・たぶん。

ところで、砧公園では、イチョウの木がまだ青々としていた。
なんと、アブラゼミをドングリ拾いをしていた子供たちが見付けた!

アブラゼミだよ!?
自然は、ハッキリと地球の温暖化を警告している。
この温暖化の本質の原因は、「人々の貪欲なまでの快適の追及」でしょう。
次の世代に負の遺産を残していいのだろうか・・・


もっと違う捉え方で人生を豊かにしよう!

例えば・・・・
凄いでしょう、僕は、仕事とお弟子さんの稽古をこなして、
それで、サイクリングも楽しんじゃったんだな。

帰りは、ミスコースなく走行距離40`、総走行距離85`でした。
人生の充実感をタップリ味わったな。

「物」や「快適」の奴隷になって生きるのではなく、
自分の人生をデザインすることで、人生の充実感を得る。
これを次の世代に伝えたいと思わないかい?


13/11/7(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

僕は、基本的にそのイベントをビデオで撮ってから、
納品は、一週間以内と決めている。

お客さんには、たいがい「早い」と驚かられる。
理由は、二つある。

この仕事は、「生もの」という考え方が一つ。

だから、どんなイベントでも納品が早ければ早いほど、
新鮮な感動が保護者に起こる。

その証拠に、先生達が(納品が)「早い」と驚くわけだ。
これは、「画質」以外の「品質」と僕は捉えている。
非常に重要だ。

次に、
こういうペースで仕事をこなさないと、
その次のイベントが処理できなくなるという理由がある。
これは、生産上の問題だ。

こういうことで、
先週の土曜日に撮った幼稚園の発表会は、
今日、納品の段取りだ。

来週は、小学校の合唱を撮り、
月末には、また幼稚園の発表会を撮る。
しかもその間に、秋の遠足や、アルバム用の「インタビュー」も撮らなければならない。

「仕事」は、溜めずにさっさと処理する。

これが僕の仕事っぷりだ。
同業者の話では、撮ってから一ヶ月ぐらいの納品で平気の人がいる。
僕が、そこに「営業」をかけたらひっくり返る可能性があるね。
しないけど。


さて、先週の土曜日に撮った発表会は、5日後の今日、納品をして、
今日の午前中は、「インタビュー」を撮る。
そして、午後には、
さぎ山野営場を整備しなければ、もう「芋煮会」に間に合わない。

明日は、幼稚園の遠足の取材があって、
明後日の土曜日には「芋煮会」の前日準備をする。

どうやってサイクリングができるのか・・・・・・

実は、明日の遠足は、越谷市からだいたい40`ぐらいのところへ取材に行く。
しかも明日の天気は、予報では「晴れ」だ。

ここを普段お読みの方は、これの意味が分かりますよね?
と、言うことで明日のここの書き込みは、夕方になります。
表題は、もちろん「復活サイクリストの日記」です。

やけに忙しい隠居生活だ。
年末、年度末は、毎年同じようにプチビジネスマンだ。


13/11/6(水)朝 キャンプじぃじの日記

発表会の仕事をこなしながら、
秋の遠足の取材をしながら、
お弟子さんに、教えながら、

ともかく、今度の日曜日には、「芋煮会」を成功させたい。

さぎ山野営場には、もうすでに落ち葉が積もり始めている。
とりあえず、これを綺麗にしなければ、始まらない。

そして相当量の水を、さぎ山野営場に持ち込む。
20gのタンクを5本、10gのものを2本、
それからボーイスカウトが「竹ハウス」に置きっぱなしにしている20gのタンクが2本、
「汁物」だから、水がいる。

そして、芋を洗うためにも、食器を子供たちが洗うのにも水がいる。

災害時に、一番必要なのは「水」だ。

BSや、SCCの本腰を入れたキャンプでは、
ウンコは、地面に穴を掘ってケツから産み出す。

僕は、自分の子供にこれを体験させるために、
僕自身、自らした。
40才を過ぎてのこの体験は、最初は、非常に難産だった。

でも、子供にどうしても「野グソ」体験をさせたかった。

日本人の普通の生活で、もうすでにどんなに貧乏でも「快適」に溺れて生きていることが、
このことで非常によく分かる。

でも、こういう体験をとおして、
「快適」ではなくても面白く生きる「工夫」の力が身に付く。

ここがとっても重要だ。

「快適」ではなくても、人生を面白くできるようになることで、
自分の本当にしたいこと、やってみたいこと、興味のあること、
これに夢中になれる。

僕は、こうして生きてきた。

それで、子供が四人も出来た・・・・・・

それだけではない。
自分の気に入った仕事で生計を立てることも、
若い頃からの趣味のサイクリングを楽しむことも、
そうだなぁ、最近ではお弟子さんが出来て青臭い話もできる。

ともかく、今週は、やらなければならないことが健康盛だ。

さぁ、どうやってそういう環境の中でサイクリングが出来ると思う?

天気さえ恵まれれば・・・・奥の手が・・・・・
ウシシシ・・・・・・

こうして、僕は貧乏でも、滅茶苦茶人生を面白く作っているのさ。
「工夫」の能力こそ人生を豊かにするね。

人生のデザイン力だ。
これからの時代を生きる子供たちに伝えたいね。


13/11/5(火)朝 お弟子さんの日記

 何年ぶりでしょうか?電気の事を勉強したのは・・・。

ボルト・オーム・アンペア・・・
耳にすること自体が久し振りで、
頭の中の気分は中学生に少し戻ったような感覚です。

勉強していく中で、
東日本・西日本で周波数が異なることは知っていたのですが、
それが映像においてフリッカーが出る原因に繋がっている事を知りました。

いや、専門学校で教わっていたはず・・・
それすら忘れております。。。

ブライダルの撮影時にフリッカーが出ると
シャッタースピードを1/100に設定する対応を「フリッカーが出る=シャッタースピード1/100設定」という超単純解釈をしておりましたが、
「蛍光灯の下では周波数の違いから起きるフリッカーが出てしまうから、
それを合わせるためにシャッタースピードを変えなければならない」という解釈へ、
知識が付くと物事もスムーズに頭に入ってきますね。

本当、基礎中の基礎から教わっている状況で、
ふと考えるのですが、普通に働いている環境にいたとしたらこんなふうに教わることは殆ど出来ないのでしょう・・・。

妙なプライドは捨てて、どんどん学んでいきます。


13/11/14(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、そういうことで古い友人・・・もう40年も一緒に遊んできた・・・
と二人でサトイモを掘りに畑へ行った。

僕は、これが畑にあるのを初めて見た。
ハスのお化けみたいな茎と大きな葉っぱ。
あの小さなサトイモからは、とても連想できない大きさだ。

友人に教わりながら、
スコップでサトイモの周りを掘る。
大きさの割りに根が浅く、根をひっくり返すようにして芋をとる。

根の周りにサトイモがホリープみたいにくっ付いている。
ドロをかきわけて、芋をねじりとった。
茎の数で4本掘ったら、ずいぶんな量の芋がとれた。

そのうちの一つは、茎のまま、ドロだらけのままにしておいた。
子供たちに、見せて子供たちに芋をとらさせるためだ。

古い友人が、網になった袋を用意してくれて、
それに芋を入れて、さぎ山野営場に保管した。

帰りがけ、レンタル倉庫に寄って、今度の日曜日に予定している
「芋煮会」につかう資材を友人と二人で引っ張り出して車に入れる。

これから、ズンドウ鍋や大鍋などを簡単に洗って干さなければならない。
着々とその準備を始めた。

その後で、昨日は、恒例の「日曜晩餐会」の日だったので、
古い友人といつもの銭湯に入り、
別の古い友人と大家のおばぁちゃんを誘って、
みんなで食卓を囲った。

普段、ばぁばと二人だけの食卓が、
この日だけは、賑わう。 貴重なイベントになった。

さて、「芋煮会」には、何人ぐらいの子供が集まるのだろうか・・・・
楽しみだ。

これは、「子育ての面白さをお父さんに伝える」という趣旨で、
さぎ山野営場のすぐ近所にある教会で、普段は牧師夫妻が塾をしていて、
そこに集う子供たちに案内をしている。

過去に「カレー作り」で、似たような活動を二回していて、
子供たち自身で買出しをするのが面白いようだ。

春には、「カレー作り」、秋にはこの「芋煮会」を恒例化したい。

それと、まったく別なところでの、幼稚園の園庭を借りて、
そこの園児達を対象にした「流しそうめん」は、
今年、二回目を成功させた。
これは、来年もできれば三回目で、恒例化ができそうだ。

こうして、
「子育ての面白さをお父さんに伝える」活動を、
少しずつ増やしていきたい。
もうすでに、何年もやっている戸田市の道満グリーンパークでの
「親子で工作」のボランティア活動とあわせて、
徐々に、態勢が整いつつある。

これが僕の老後の「心の豊かさ」になるんだな。

若いお父さんは、ご自身の子供とたくさん遊ぶことで、
「心の豊かさ」になるさ。


13/11/13(日)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、昨日撮った発表会の編集をするつもりだったが、
古い友人が、どこかの畑で「サトイモ」がもらえると言うので、
二人でそれをいただきに行くことにした。

編集は、どうやら明日、雨模様らしいので突っ込みでやろうと思う。

来週の日曜日の午後に、Snowmen Camp Club での「芋煮会」があるので、
その他の準備も始めなければならない。

当日、いったいどのくらいの人が集まるのか、サッパリ分からない。
一人300円の会費で、
その時に集まった人から会費を徴収して、それから買出しに行く。

会費徴収、買出し、調理、後片付け、
これらを集まった子供に体験させるのが、この活動の目当てだ。

ただ、万一多くの参加者がいて、
最寄のスーパー(一軒しかない)だけでサトイモが手に入らなかったら、
車で買出しに行かなければならなくなる。

そうすると、大人が買い出しに関与する分、
「子供たちだけで作る」という感じがなくなってしまう。

ここなんだよ、若いお父さん。

「可能な限り、ちょっと頑張ればできるところを子供にさせる。」

ここのところが「自立」に向けて育てることになるのさ。
その逆で、

「甘やかし」

というのは、

「子供自身で出来るはずなのに、親が手を出し、口を出し、をしてしまう。」

ということなのさ。
子供の「成長力」は、すごいものがあるよ。
つい、昨日まで難儀していた作業を、今日は難なくこなしている、なんてざらだ。

だから、子供をよく観察をして、
子供自身で出来そうなことは、ドンドンと子供にやらさせよう!

SCC 自慢の工作物「竹ハウス」という大型テントを、
僕の末っ子は、最後には一人で設営し、それでキャンプさせた。

これをBSのリーダーにも勧めても、
BSの本にないせいか、リーダーが作れないからか、敬遠される。

ぜひ、一般のお父さんにこれを覚えてもらって、
お父さん自身で自分の子供に教えてもらいたいね。
そういう発展を、SCC の活動の目標にしたい。

この工作物は、いろいろなことに応用できるんだよ。
僕は、この「竹ハウス」を、
マザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」というイベントで、
この間は、幼稚園でのお祭りのコーナーで、
もちろん、キャンプで、
活用したさ。

さぎ山野営場では、これが常設してある。
だいたい二年もつ。

こういうデカイ工作物を子供自身で作れるようになれれば、自信にもつながるでしょう。

お父さん自身が、難しいから、出来そうにないから、とは言わずに、
こういうものに挑戦をして、
その挑戦するお父さんの姿を子供に見せよう!

「父親が成長した分、子供が育つ」

ものさ。


13/11/2(土)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、幼稚園の発表会の最初のものを撮る。

今年度も、お泊まり保育を撮って、運動会を撮って、
この発表会も撮れば、
あとは、
卒業ビデオアルバム用の子供に「大きくなったら何になりたいの?」
というインタビューをして、
卒園式があって、お・し・ま・い。

この仕事は、浦島太郎みたいだ。
子供たちの元気な歓声を聞いている内に、
アッという間に、じぃさんになってしまった。

この間、ぼ〜〜〜〜っと園庭にいる子供たちを眺めていたら、
年配の幼稚園の先生に、「谷口さん、まるで孫を眺めているようですよ」
と言われた。

今度の日曜日には、何かどこかに、支障がなければ孫に会えるんだな。


13/11/1(金)朝 キャンプじぃじの日記

今朝の読売新聞、p.3「総合面」でこう載っている。

「知識偏重 脱却図る」

「グローバル人材の育成について」の提言で、
「知識偏重の一点刻みのテストから、学生を総合的に判断できる制度に転換することが求めらる」

ということでの教育改革の提言だそうだ。
この中で学生の資質の「意欲」という言葉が出てくる。
ようするに「やる気」だ。

大学で享楽的に生活をして、「やる気」が身に付くだろうか?
卒業旅行に興じていて、「命がけ」に生きるようになるだろうか?

若いお父さん、本当にここのところをよく考えて欲しい。

大学の存在がいいか、悪いか、そんなことを言っているのではない。

大学へ行こうが、行くまいが、子供の生きる「意欲」、心の問題がここにある。

「子供の生きる意欲」を学校で教えるのは、無理でしょう。

もう一度言う、「子供の生きる意欲」を学校では教えられない。

誰が教えるのでしょうか?
そうでしょう、お父さんの役割だよね。
これこそ家庭教育の問題だ。

「大学さえ出せば、子育てをしたつもり」

こういうアンチョコな子育ての方針で、「子供に生きる意欲」が身に付くだろうか?
よく考えて欲しい。

「気楽」「簡単」「便利」な生活で「快適」に溺れて子供が生活をして、
「生きる意欲」が身に付くだろうか?

人気テレビ司会者のドラ息子をよく見てみよう。
「快適」を子供に与え続けることが、
これが人の心の育ちの上でいかに、弊害があるか、問題があるか、
気付いて欲しい。

なにも、今の生活でやりだしてしまった「快適」を捨てろとは、言わない。
たぶん、歯をむき出して怒り出すでしょう。
そのぐらいに「快適」は、過剰な糖分の摂取と同じ「毒」だと思える。

今の生活は、そのままでも、
せめて「気楽」「簡単」「便利」ではなく、
「快適」から程遠いキャンプを子供にたくさん体験させよう。

かなり有効な子育ての手段だ、これが。

さて、「グローバル人材の育成」とは、何だろうか?

ここの書き込みに、
しきりに「これからの日本社会は、世界を相手に勝っていく人」という意味のことを書いている。

このことではないのかな?

こういう人に育てるためには、
「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てることが、必須であることが分かるはずだ。
幼稚な大人のことではないだろう。

20才では、「成人」に育っているのが日本の法律ではないかい?
それで、選挙権が与えられ、
タバコも酒も「自己責任」となるのではないかい?

お父さんの子育て次第で、子供が自立できるものだ。

子供が勝手に自立を果たせるものではないよ。

子供が自立できるように、子供の心を強く育てるのが、本当の「子育て」だ。

小学校四年生までは、子供は親に庇護してもらうことで、
「親に自分が愛されている」実感を得ることができる。
これまでの年齢で過剰な厳しさは、ご法度だ。

ただ、「甘やかし」てはいけない。

小学校高学年からは、「自立」を目指して、少しずつ、少しずつ、子供の心を鍛えていく。

どうやって?

親子キャンプで、あらゆる作業を子供に挑戦させることでできる。

初めの内は、タープを子供一人で建てられるようにお父さんが教える。

そして次第に、テント設営、調理、撤収、
こうした総ての作業が子供自身で出来るように教える。

ここに「自立」を子供が覚えるでしょう。

さらに中学生ぐらいになったら、
キャンプの「下見」「計画書作成」「実行」「感想文」
という流れを何度も、何度も、子供に体験させよう。
これは、自立への訓練そのものだ。

高校生ぐらいになったら、「ソロキャンプ」を子供に体験させよう。
安全対策でお父さんも現場にいるが、子供のサイトから見えないぐらいのところで、
お父さんもソロキャンプすれば、「自立」への効果絶大だ。

親の自己責任で実行できる。

僕は、こうして障害のある子を自立させた。
これは、僕が作った「親子キャンプ」のDVDの内容だ。

僕は、商売を縮小して、子育てにこうしてチャレンジした。
僕は、これを実行した。

さらに反抗期の子供と一緒に「雪中キャンプ」を、
親子で助け合いながら体験をした。
これは、本当に今、心に残る子供との思い出になった。

若いお父さんも、ぜひ子育ての中に人生の本物の豊かさを味わえればいいね。