阪神大震災(前文) (つづき)

 阪神大震災から6年が過ぎました。あの日をいまも、忘れることが出来ません。当時僕は名古屋から大阪に引っ越してちょうど1ヵ月たった日で引越に伴って買い換えた洗濯機と乾燥機が到着する予定の日でした。
 早朝、ガタガタ!っと揺れました。時計を見ると真夜中の3時。年甲斐も無く地震の時は建物がゆがんで戸が開かなくなると小学校時代の避難訓練で校長先生が言っていたのを想いだし、1月の真夜中の寒空に玄関の扉を開けに行きました。開けたついでに外に出てみると「おや?」ものすごく揺れて目が覚めたのに辺りは何事もなかったように静まり返っていました。今まで地震で目が覚めたことなど一度も無かったので変だなと思いつつもう一度寝ることにしました。ただ、地震には『初期微動』と『本振』があってきっと今のは初期微動だから玄関は開けたままにしました。
 一眠りした頃、それはけたたましい爆音と共にやってきました。
 「バリバリバイ」「ガリガリ!」そんな音がしながら僕の住んでいるマンションは上下左右に揺れ始めました。上下のゆれはからだが一瞬、宙に浮く程大きなものでした。僕は怖くなり、普通「掛け布団」「人」「敷布団」「畳」の順に有るものを校長先生の「天井から落ちてくるものに気をつけなさい」という言葉を思い出して「掛け布団」「敷布団「人」「畳」の順に修正(敷布団の下にもぐりこんだ)しました。
 揺れは一向に収まらず2枚の布団に押しつけられた僕の体は畳との摩擦で右半身が擦り傷と焼けどになっていました。揺れが収まって時計を見ると5:45。「へ〜あれから3時間も経ってるんだ。でも収まったからまあ、良いや。」と再び眠りにつきました。大丈夫そうなので今度は玄関を閉めました。
 11時頃でしょうか。やっと目覚めて近くの親戚の家にお邪魔しました。あれだけ揺れたのでガラスやなにかの掃除でも手伝おうと思ったのです。からくも借りていたレンタカーにのってそこへ良くと「ん?思いのほかひどい?」と言った感じで周りを見渡しました。
 でも、取り敢えず、そこの片付けを手伝ったらお昼をご馳走してくださると言うので有りがたく頂戴した。食卓を囲んでテレビのスイッチを入れたとき一家は絶句した。

つづき