阪神・淡路大震災
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 『阪神・淡路大震災』ご存知ですか。もちろん被災した方もここに起こしに成るかもしれません。そう言った方はこれを読んで、「そんな、生易しいものじゃない」とお叱りに成るかも知れません。そう、その通りです。実際の震源地近くではここに記したことの何万倍もの悲惨な光景が繰り広げられていました。
 被災地の緊急復興対策用の自動車を「レンタカー」で調達現地の自動車は倒れたブロックベイや家!に押し倒されて使えないものが多かったため被災地の緊急復興対策用の自動車を「レンタカー」で調達する人々に大阪から自動車を配送した折、ここに記したより厳しい状況を僕も目の当たりにしています。しかしそれは体験ではなくその表層を見知っているに過ぎません。それを語るほど調査もしていません。ほんの少し覗いただけでそこに生きた人々を語ることは僕には出来ません。
 しかし、あの体験から7年が過ぎ、いま、関東に住んで一番感じるのは被災地の人々以外もう、誰もあの出来事を覚えていないと言う現実をホンの少しでもみんなが思い出すために出来ることをしなければという危機感です。あの地震の体験者の1人として自分の体験をここに記すことで近畿2府6県以外の地域の人に忘れないでほしい「がんばろう神戸!」
 あの時、日本で初めて「NGO」という言葉が報道に乗りました。日本の若者が「助け合いの精神」をしっかり持っていることが再認識されました。コミュニティーとは何か、生きるって何かをそこここで教えてくれた事件でもありました。
 今もって生活条件も含めて後遺症に苦しむ人々が多数います。しかしそれでも神戸の町は経ちあがりました。「もはや戦後ではない」と宣言した首相がいました。「もはた震災後ではない」と神戸市長が宣言できる日はいつか。僕はこの文章をつづりながら待ちつづけたいと思います。
2001.1.21
    ちょっとお喋り