HOME研究ノート

人物誌 ―楠美家系図―


楠美晩翠が明治16年にまとめた『楠美家系譜』では、
藤原鎌足の後胤九条右大臣師輔公の裔孫工藤為憲を初代とし、
5代を久須美祐隆、6代を『曽我物語』の河津二郎、7代を曽我十郎とし、
以降は伊藤または伊東を名乗り、応永年間の15代のときに楠美を名乗り、
その後3代は詳細不明としています。
津軽における史実で確認できるのは19代の則満からです。
したがって、本系図では便宜上、則満を初代とします。
2006年9月12日 鈴木まどか

則満: 初代 伊東の地名「宇佐美」を名乗った時期がある。津軽藩に仕え、天文年間に岩木山神社近くの百沢を知行し、百沢姓となる。
則久: 3代 娘が、狐森(板柳町)の別家4代当主百沢則繁に嫁ぐ。
則茂: 5代 元禄2年、藩主より楠美姓を許される。別家も準ずる。
則徳: 9代 寛政3年、参勤交代中に平曲を学ぶ。
又次郎: 則徳の弟で、館山家の養子となる。
仙内: 文化3年に26歳で中風病に罹り廃嫡。則級を養子とした。
総蔵: 仙内の弟で、幼くして北原家の養子となる。
則級: 10代 館山又次郎の次男。楠美仙内の養子。27歳で死亡。
: 楠美仙内の長女。18歳で死亡。
太素: 11代 楠美仙内の次男。10代則級が家督相続後に誕生。
: 北原総蔵の娘。太素の従妹で妻。晩翠・楽翁・漸之進の母。
ぬい: 楠美太素の妹。夫は津軽平八郎
: 楠美太素の妹。夫は工藤與兵衛
晩翠: 12代 楠美太素長男。泰太郎。
楽翁: 楠美太素次男。菅次郎。佐野茂介の養嗣子。
漸之進: 楠美太素三男。敏三郎。館山源右衛門の養嗣子。
岩根: 楠美太素四男。豊四郎。足立又右ヱ門の婿養子。
六五郎: 楠美太素第六子、五男。
七雄: 楠美太素第七子。小枝要蔵の養嗣子。
礼之進: 楠美晩翠長男。明治13年、22歳で死去。
冬二郎: 13代 楠美晩翠次男。
つげ: 楠美冬次郎の妻。父は折笠儀正、姉は折笠ナキ
恩三郎: 楠美晩翠三男
すぎ: 狐森楠美家16代楠美繁の弟、楠美盛に嫁ぐ。
: 佐野楽翁長男。龍之進。
盈之進: 佐野楽翁次男。
倉之丞: 佐野楽翁三男。
甲午: 館山漸之進四男。
一郎: 楠美六五郎長男。
梅子: 楠美盛・すぎの長女で、一郎に嫁ぐ。
宣昭: 館山甲午の次男。
元子: 楠美一郎・梅子の四女。鈴木家に嫁ぐ。
まどか: 鈴木元子の長女。
参考文献:『楠美家系譜』楠美晩翠、明治16(1883)年
『平家音楽史』館山漸之進、明治33(1910)年
『平家詞曲相伝の家 弘前藩士楠美家の人びと』鈴木元子、北の街社、1999年

楠美家あるいは縁者で平家詞曲を学んだものについてのデータです。
順次データを補充しますので、お待ち下さい。

楠美荘司則徳  宝暦4(1754)年閏2月12日〜文政2(1819)年7月8日。弘前藩士。
寛政3(1791)年2月、勘定奉行として江戸藩邸に上る。雅楽を少し学ぶ。平曲を学ぶ時間は無し。
寛政4(1792)年に再び江戸に上り、三嶋自寛から前田流(吟譜)数句を習う。伶人より笙篳篥も学ぶ。
寛政5(1793)年に帰藩、藩士たちに平家琵琶や雅楽を伝える。
寛政7(1795)年より弘前町奉行。弘前を訪れた菅江真澄を招く。
寛政9(1797)年、藩校「稽古館」の釈奠において間山甚五郎等と共に雅楽を奏す。
寛政11(1799)年4月より松前箱館警衛。(蝦夷地警護のため弘前藩の参勤交代は免除される。)
文化2(1805)年6月末より旗奉行。藩校「稽古館」学校総司(学長)を文化5(1808)年末まで務める。
文化7(1810)年3月より松前江差警衛。
文化8(1811)年6月1日より用人。
文化10(1813)年2月、21年ぶりに江戸に上り、幕府への八朔の使節を務む。 三嶋自寛死去のため川村良碩より前田流(吟譜)を学び、灌頂巻を含む十余句を学ぶ。 同年または11年3月にこの記録を藩主津軽寧親公に提出、「筆記の趣き殊勝に存ずる。永く相伝せよ」との命を受け、楠美家は平家琵琶の家となる。
文化11(1814)年8月、座当頭城幾に平家琵琶を教えるに当たり、起證文を提出させる。
文化14(1817)年、弘前東照宮200年大祭に、弟子の城幾・城豊に「戒文」を語らせ法華頓写の式を行う。
文政2年(1819)年2月に江戸に上り、川村良碩より七十余句を学び「三嶋自寛直筆の小秘事譜本」を得る。 同年7月8日、江戸藩邸で死去。晩年に学んだ七十余句は弘前に伝わらなかった。
 (初版:2006年10月1日)

工藤繁治(1771)年?〜弘化二(1845)年1月28日 学問所書学士。楠美則徳より灌頂巻を学ぶ。

楠美類司則級

北原総蔵

佐野茂助

楠美太素 文久2年に平家詞曲相伝。

那須與一資禮

津軽順承公

工藤與兵衛祐利

楠美泰太郎晩翠  天保8(1837)年2月25日〜明治20年(1887)8月13日 楠美晩翠長男
元治元(1864)年6月、西洋兵学修業のため江戸上り。
明治元(1868)年2月〜明治2年2月京都留守居役。 帰藩後は軍謀局、軍政局評定方等を勤める。
明治3(1870)年閏10月28日太素より家督相続。 明治5年長男礼之進に家督を譲る。
明治7(1874)年戊辰役に関する『弘前藩記事(全66巻)』を編纂、明治9年12月津軽承昭公に提出。
明治15(1882)年父太素没。「平家詞曲相伝の家」の当主として研究・後進の育成に専念。
明治15年9月〜弘前報恩寺にて毎月4日に「平曲奉納会」開催。
明治16年4月〜9月「平曲古今譚」「平曲温故集」「平曲統伝記」編纂。 同年12月家系図を整理。
明治17(1884)年4月「平曲吟譜新集」跋文に太素の遺志を継いだと明言。
明治17(1884)年10月「前田流平家詞曲相伝議定書」。
*この前年、福地桜痴が平曲を「創作する」前代未聞の事件が起こる。
 平曲の伝承を永く守るため、灌頂巻以上の免状を有する旧弘前藩士8人が 楠美家を師家と議定した。
明治18(1885)年安徳天皇や先人たちの命日などに「平曲追遠会」を催す。

佐野菅次郎楽翁 太素次男。佐野茂助養子

館山敏三郎漸之進 太素三男 安政2年、館山源右衛門の養嗣子。

折笠儀正

津軽平八郎 太素妹の夫

足立豊四郎岩根 太素四男

津軽八十五郎

楠美冬次郎 晩翠次男

楠美六五郎 太素五男

佐野龍之助 楽翁長男

佐野盈之進 楽翁次男

佐野蔵之丞 楽翁三男

北原泰一

楠美七雄

楠美恩三郎 晩翠三男

森岡守衛 晩翠妻縁者

折笠ナキ 折笠儀正娘

館山甲午

館山宣昭

鈴木まどか
参考文献:『楠美家系譜』、『平家音楽史』、『平家詞曲相伝の家 弘前藩士楠美家の人びと』

Copyright:madoka 
研究ノート 無断リンクを禁じます。内容の転載・引用を希望の方は 必ずご一報下さい。