HOME収納棚 大河ドラマ「義経」メモ

最近の感想メモ


タイトル 放送日 内容、私の感想ツッコミ
31飛べ屋島へ8/7 義経、摂津の渡辺で四国へ渡る計画を練り、景時と対立/逆櫓をつけずに嵐の中を出陣
鷲尾三郎が義経の郎党となります。義経にホレた男1
義経出陣を知った平家では、船戦に余裕をみせる宗盛と、挟み撃ちを懸念する知盛が対照的です。
義経は摂津で情報を集め、三種神器を取り戻して鎌倉殿に報いようと策を練ります。
軍目付の梶原景時は自分の水軍の到着を待つように伝え、嵐の中を出陣しようとする義経に
鎌倉軍を守るため逆櫓をつけるよう進言しますが、義経に「自分が大将だ」と却下されます。
弁慶ホレ男2、継信ホレ男3、景季ホレ男4は 義経の無謀な計画を支持し、阿波を目指します。

※ 大モテの義経ですが、軍目付に対して「自分が大将軍」と豪語したり嵐の中を出かけたり。
 兄のために努力する義経も、景時から見たら息子をたぶらかす妬ましい存在でしょうネ。
32屋島の合戦8/14 義経軍、阿波勝浦に上陸/屋島で平家を攻撃/那須与一、扇の的を射る/志度の合戦で継信討たれる
阿波へ向かう船の帆が大風に煽られたとき、義経はとっさに帆を切り裂き、風の逃げ道を作ります。
一晩で阿波に着き、その日のうちに屋島に到着、状況を調べ、翌2月18日には平家を攻めます。
義経のスピード感あふれる判断は、時の運に助けられ、平家の不意をつくことに成功します。
船に移った平家は、扇の的を掲げた小舟を汀に近づけます。源氏軍は弓の名手を募ります。
風や波の様子を観察していた那須出身の与一宗高が義経に選ばれ、見事に扇の的を射ます。
翌日、志度寺の戦いで、義経は田口教能の加勢を得ながらも、継信の最期に落胆します。

※ 勝浦にあっさりと上陸。屋島の地形が三浦半島(福原や伊豆にも似ています)。
 弓の名手として名乗り出た面々の華麗なるアクションを見たかった。
 能子が「柳の五つ衣」を着ていない。もうちょっと夕方が良い。今井翼君の好演には満足。
 志度合戦の場面のあとで、水面に浮かぶ紅の扇を時子が見ているのは、不自然。
33弁慶走る8/21 平家軍、彦島へ/弁慶の説得で、熊野別当湛増の水軍は源氏の味方となる
彦島の平家では知盛が総大将となり、田口や熊野水軍を取り込む計画を練ります。
安徳帝と守貞親王が絵の無い蛤で貝合せをします。知盛が彦島で即興で用意したオモチャです。
船軍に弱い源氏は水軍を確保するため、弁慶が熊野湛増を訪ねて援護を要請します。
弁慶との闘鶏で勝った湛増は、主君を思う弁慶を信じ、熊野牛王宝印の起請文を託します。
海に慣れるため、移動し始めていた義経一行は、備後の鞆の浦で弁慶と合流します。

※ 湛増のところに千鳥がいるという突飛な展開が、ドラマっぽくて良いですね。
 カモメの声で弁慶の気配を感じた義経と、鞆の浦が三浦半島にある点が、ステキでした。
34妹への密書8/28 義経は能子に密書を送る/平家は安徳天皇と守貞親王、唐船と雑船のすりかえを計画する
平家にあって源氏に無いもの(主上=安徳天皇)を守るため、時子は親王とのすりかえを計画します。
義経は、平家と互角に船戦するためには船が同数必要と考え、周防正利も味方につけます。
ゆっくり移動する義経の計略に、知盛は気づいています。
弁慶に「せめて臈の御方には戦の外に身を置かれるような手立てを」と言われ、義経は密書を準備します。
「白き布を身にまとえば源氏は襲わない」という密書を読んだ能子は、時子の計画を知ってしまいます。

※ お徳が戦を見るために都を出たのは、物見高いわけじゃなくて、ナレーションを担当する都合。
 ところで来週、宗盛様は泳いで下さるのでしょうか。それからロケ地は三浦半島なんでしょうか。
35決戦・壇ノ浦9/4 資盛の射殺される/義経の八艘跳び/知盛や女房たちと「安徳天皇」の入水/宗盛は入水失敗
梶原景時は先陣を申し出ますが、義経は範頼軍の三浦義澄を推挙します。
平家は松浦・筑前軍を一軍として田ノ浦の範頼を抑えますが、範頼軍の矢は平家軍を岸に寄せ付けず、
大将軍資盛を射殺します。ここでお約束のひとこと。「資盛よくがんばった!感動した!(父)」
平家の一門は二軍で、御座船を守るような配置。阿波水軍は平家の三軍です。
流れ矢に当たる梶取を目撃し、義経は平家軍の梶取を射させます。熊野と阿波の水軍が平家を裏切ります。
当時の戦では、梶取は非戦闘員。平家の知盛も、源氏の景時も、義経の作戦には怒りを覚えます。
義経は御座舟を見つけ、近づきます。能子は「まじない」として「白き布」を身にまといます。
義経と知盛の船がすれちがい、義経は知盛に降伏をすすめますが、落ちた矢に義経がよろめき、
斬りかかる知盛に、咄嗟に喜三太が投げたのは砂金袋。一瞬の隙に義経は身をかわしていきます。
義経は次から次へと金粉を散らしながら船を飛び移り、ついに知盛も追うことを諦めます。
知盛は女房達に負け戦を告げます。一門は、清盛が築いた「波の下の夢の都」での再会を誓い、
内侍所(鏡)は輔子、神璽(勾玉)は領子、宝剣は二位尼(時子)が持って次々に入水します。
「守貞親王(実は安徳天皇)」は能子が守ります。時忠はなぜか船に残っています。
二位尼は義経に笑みを浮かべます。「親王」をよろしく、なのか、三種の神器は渡さない、なのか……?
入水にふみきれない宗盛を家来が突き落とし、清宗が続いて飛び込みますが、沈むことができず、
梶原景季に「重きものを持たないからだ」と呆れられ救出されてしまいます。
知盛は碇を背負って入水します。海上には赤旗が漂っているのでした。

※ 大将軍というものは船の舳先に無防備に立っているものなのでしょうか?
 入水する女房も知盛も、なぜか入水の瞬間は顔が見えません。水面に頭が出ても後姿ばかり。
 そんな中、私の一年前からの願いが叶いました。宗盛様は顔を見せて泳いでいるではありませんか!
 清宗役の渡邉邦門さんも着衣水泳で顔をつけずに平泳ぎをしていましたので、なかなかの泳力です。
 でも、見ました? 鶴見辰吾さんは、顔や手は宗盛の演技なんです。つまり足だけで泳いでいるんです。
 着衣で泳ぐだけでも大変なのに、スポーツ系ではない40歳の俳優さんが、ここまでなさったわけです。
 いや〜〜〜満足満足! この場を借りて製作スタッフと鶴見辰吾さんにお礼を申し上げます。
 あと、やっぱり壇ノ浦も三浦半島にあるみたいですネ。それで三浦義澄が先陣なのか?!
36源平無常9/11 義経、天皇と宝剣の行方がわからない/回想シーン多数/義経、生捕の人々と対面
※ 選挙特番の都合で19:15からの放送。知らずに帰宅する人や録画し損ねる人もいるわけです。
 ちょうど壇ノ浦の直後だし、ここらで総集編! という理由でしょうか、総集編が25分放送されました。

宗盛は(鎧直垂ではなく)直垂姿で義経と対面し、母時子が入水したと知り涙を流します。
徳子(白小袖と緋袴姿)、輔子、明子は、淡々と「安徳天皇の入水は定め」と話します。
能子と言葉を交わした義経は、能子が「守貞親王」を守ったと聞かされ、まなざしから何かを感じます。

※ 宗盛・清宗が髪も整えきちんと着替えているのに対し、女房達は髪が乱れたままです。
 白小袖と緋袴は下着。いくら生捕でも徳子が敵の大将と面会するのはちょっと……。
37平家最後の秘密9/18 義経は都に帰り鏡と勾玉を法皇に返す/頼朝は景時の書状で義経の奇襲戦法を知る/建礼門院徳子出家
法皇の仰せに従い、二つの神器をお返しした義経は、六条堀川にて京都を再び守護します。
頼朝は法皇から直接官位などを賜った24人の家人を、義経を通じて処罰します。
義経は自分に処罰が無いことを「兄上の温情」と考え、頼朝には謝罪しません。
頼朝は神器を直接返したこと、奇襲戦法のことや大将としての器の無さを知り、義経に失望します。
長楽寺で出家した徳子を訪ねた義経は、「守貞親王」が徳子と似ていることを確信します。

※ 逆櫓却下(31話)、先陣却下(35話)、梶取を射る戦法(35話)……。景時から見たら義経は新人類?
 義経から建礼門院へ「こころ、強くあらせられますように。」中越ココロのお友達は巴御前でしたね。
38遠き鎌倉9/25 義経、法皇の命で宗盛を護送/重衡、南都行きを決意
女院を訪ねた義経を、法皇は褒め、梶原景時は戒めます。景季もやむなく別れを告げます。
義経の起請文に返事をしない頼朝と、義経に宗盛・清宗の護送を命じる法皇の、試しあいが始まります。
行家が義経を訪ね、戦の勲功を挙げながら頼朝を攻めようと提案しますが、義経は拒否します。
義経は杢助と千鳥に義孝の墓参をさせています。大姫が心を開き、政子は時政に義経の処分を相談します。
伊豆に逗留する重衡は頼盛と会い、興福寺行きを決意します。酒匂川で重衡と宗盛は対面します。

※ 義経は行家が嫌いなようですが、行家は懲りずに義経をスカウト。報われない叔父。
 そういえば、宗盛の命乞いシーンを期待していたのですが……。宗盛・重衡対面は、満月で良いのかな?
39涙の腰越状10/2 頼朝、宗盛と対面/義経は腰越の満福寺にとどめられ、大江広元あての書状を弁慶に書かせる
ひたすら命乞いをする宗盛をみて、頼朝は重衡は器量があったのに…と呆れます。
政子は大姫に義経を会わせようと考えますが、頼朝に忠実であろうとする義経は断ります。
弁慶は、頼朝に情を求める義経に、頼朝は義経に情を持っていないことを進言します。
義経は数々の誤解を解くために、頼朝宛の書状(腰越状)を後述し、弁慶が書き留めます。

※ ハッ! 頼朝さんと宗盛さんは同窓生。(あの…実は私も……)
弁慶が、満福寺の「弁慶の腰かけ石(によく似たセット)」に腰掛けていました。気が利いてます。
千鳥が義経に大姫の様子を報告するとき「姫が申された」と言ってたのが、なんか変。
腰越状は、義経の生い立ちなども記されているので、今日も回想シーン満載でしたね。
40血の涙10/9 頼朝、腰越状を読んだものの義経に対面することなく、京へ帰すことを決定
タイトルは「腰越状」の一文「御勘気を蒙る間、空しく 紅涙に沈む」に由来するのでしょう。
「腰越状」には「虎口の讒言」(景時による誹謗中傷)による誤解を解きたいとありますが、
ドラマ中ではそのくだりは無く、兄に会いたいことを強調していました。
★6月5日? 満福寺の僧によって届けられた腰越状を、大江広元は政子に見せます。
 政子は頼朝・義経が情で結びつくことを恐れ、頼朝には見せないように伝えます。
★6月7日? 腰越状の存在を知った頼朝は、宗盛の処遇を訊きにきた広元から書状を受け取ります。
★6月8日? 知らせが来ないことから義経は郎党に覚悟を決めるように伝えます。(雨降ってます)
 御霊神社参拝の帰り、頼朝は稲村ガ崎から腰越方面を眺め、帰宅してから腰越状を読み苦悩します。
★6月9日早朝? 時政は満福寺を訪れ、宗盛父子と共に京に帰り上るよう、義経に伝えます。

※ 腰越状を読んだあとの頼朝が、義経を京に帰すことを決める場面が日中だったり、
 その直後に義経が【満月】を眺めるシーンがあったりして、てっきり10日以上経ったのかと思いました。
 しかし。平家物語ではココを4日間で描いています。満月は出ません。上弦の月だったら合格なのに。

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