教育改革は本当に進んでいるのか?(1)
神奈川県川崎市の公立中学校で社会科の教師をやっています。今回JMMで教育について会員から意見をつのり教育についての特集をやるよう
なのでとても楽しみにしています。
様々なメディアで教育の問題が日々論じられていますが、おおかたは現場の状況とは無縁のところにあります。
子どもたちはたしかに昔とは大きく異なっていますが、無限の可能性を秘めている事は変わりありません。大人の働きかけいかんにより想像以上
の力を発揮するものと思います。しかし問題なのは大人の働きかけに現状では問題が山積です。
問題はたくさんあるのでここでは学習面のみに限らせていただきます。
現在文部省は「個性を尊重する」「生きる力を育む」とのことで大幅な教育改革に取り組んでおり昨年11月の教育白書ではかなり進んだと自画自
賛していますが現場の実態はかなりそれとはかけはなれています。
川崎市では文部省方針にそって「子どもが主体の学習」「課題を解決していく学習」が叫ばれ校長なども口をすっぱくして言います。しかし現場の実
践は旧態依然とした状況。さまざまに子どもが活動し、課題を調べて発表して討論したりする授業を展開して居るものは極少数です。
理由は簡単です。高等学校の入試がほとんど変わらないからです。少しずつ面接を重視した推薦入試が公立高等学校に導入はされ始めていま
すがまだ専門学科のところだけで定員の30%程度。あとはあいかわらず学力検査で合否を決めます。そしてこの学力検査があいかわらず瑣末な知
識を覚えているかを判定する問題で成り立っています。
したがって現場では教科書をいかに効率よく終わらせそこに書かれた事項をいかに効率よく覚えさせるかが授業をやって行く上での最大の関心
事になります。学ぶ中で子どもが何を考え何を認識として獲得したかが大切なのではなくどこまで知識を身につけたかが重要なのです。
そしてこの傾向に拍車をかけるのが文部省のいう「基礎基本」の重視です。これは教育改革によて授業時間と授業内容が削られる事により「基礎
学力が低下する」という批判に対する文部省の回答と言う側面を持っています。しかし何が基礎基本なのかはほとんど誰も答えられません。
簡単な事です。それぞれの教科がどのような力をどのような道筋でつけさせるものなのかが具体的に議論されてこなかったからです。
もちろん学習指導要領で各教科の目標としてそれは示されています。でもこの指導要領の目標自体が充分に吟味されたものではないし、学習
指導要領などは現場では「たてまえ」「お題目」の世界であって、具体的に検討された事もないのです。授業研究といって様々なレベルで研究会がな
されていますが其の指導案の作成にあたっては教科のそして単元の・その授業の獲得目標(つまりどのような力を子どもにつけさせるか)がかなら
ず頭に書いてはありますが極最近まではそれは学習指導要領に書いてあることを引き写すだけで吟味された事はありませんでした。
教育改革が叫ばれるようになってからもそれは、あまり変わってはいません。前記のように高校入試にいかに間に合わせるかが大事なのですか
ら、深い検討がなされるわけもありません。結果的に「基礎基本の重視」といっても従来の瑣末な知識を覚える事になり、「基礎基本の重視」は今ま
で通の知識詰め込み教育を推進する隠れ蓑になっています。
鳴り物入りで推進されている総合学習も実態としては、このような従来からの知識詰め込み教育が行われている事をうまく隠蔽する隠れ蓑になり
ます。そして2002年度にむけて総合学習や選択教科の拡充がなされるために各教科の授業時間は大幅に削られます。そして内容はそれに比例し
て削られるわけではありませんから、今までよりも詰め込みになってしまいます。
さらに入試選抜体制がそのままで父母の間にもまだ「立身出世」指向が強い中では子どもたちか受験受験競争に駆りたてられ結果として受験に
役立つ授業が父母や子どもの要求として噴出してきます。しかも学習の評価はあいかわらず相対評価なのですから、いかに人より多く覚えたかが
勝敗を分けるので、覚える授業への圧力は高まり、それは同時に進学塾や補習塾が活況を呈する事に繋がります。
教育改革の方向は間違ってはいません。しかし其の考え方は教育の全ての部分に貫かれてはいません。改革は極めて不充分であり不徹底であ
ります。そして最も大事なのは今のような面白くない学習を無理矢理やらされる場としての学校を作ってしまった責任の所在が明らかにされず、何が
間違っていたかもはっきりされずになしくづしに改革が行われている事です。
其の結果改革が進行といっても実際のところは様々な疑心暗鬼がはびこり改革は強制という姿を取らざるをえなくなります。
文部省は学校をここまで解体してしまった責任をとり自己批判すべきです。そして今までの教育の考え方や進め方の何処が間違っていたのかを
はっきりと指摘し、現場からの自発的な議論と取り組みを促すべきだと思います。(2000年2月23日)