「新しい歴史教科書」ーその嘘の構造と歴史的位置ー

〜この教科書から何を学ぶか?〜

「第1章:原始と古代の日本」批判P


 17.「宝の持ち腐れ」に終わった「日本神話」の復活

 日本国家の確立・日本語の確立に続いて、「日本の神話」と題して、古事記に伝えられた日本神話の概略を、この教科書はくわしく述べる。ここにこの教科書の特徴の1つがあり、『神話を事実のようにあつかう』と批判されている部分である。

 神話を歴史を学ぶ上での重要な資料の一つとして位置付けることには、何の問題もない。むしろ戦後の歴史学が「神話は造作」と言いきって、神話を歴史を明らかにする材料として批判的に検討するのではなく、『まったくの嘘」と称してゴミ箱に投げ入れてしまったことこそ、おおいなる間違いなのである。

  この教科書は神話を次のように位置付けている(p60)。

 世界の民族には、さまざまな神話や伝説があり、古代の人々の考え方や暮らしぶりを知る上での重要な文化遺産となっている。
 日本の神話は、『古事記』『日本書紀』『風土記』や、いくつかの民話に残されている。その内容は、天地のはじめ、神々の出現、国土のおこり、生と死のこと、光りと闇、恋愛と闘争、建国の由来などの物語であるが、ここでは『古事記』のあらすじを紹介する。

 (1)政治宣言としての神話!

 たしかに神話は『古代の人々の考え方や暮らしぶりを知る上での重要な文化遺産』である。しかしこの捉え方には根本的な欠陥がある。それは、今残っている神話は「神話として編纂される」過程で、何度も政治的に改変を被っているという事実を、この教科書の著者たちが完全に無視している事である。

 たとえば「古事記」や「日本書紀」や「風土記」は、その編纂を命じた政治権力が、自己の権力の正統性を明らかにするために作られた書物である。したがってそれは、さまざまな資料をそのまま組みたてたのではなく、彼らの権力の正統性を証明できるように改作の手を加えているのである。このことは例えば古事記の編纂を命じた天武天皇が、『諸家に伝わる記録の誤りを正す』という目的を掲げて、それを編纂させたという事実が、そのあたりの事情を暗示している。

 古代は現代と違って、神と人とはもっと密接に繋がっていた。したがって権力は自己の正統性を、人々が信仰する神とのつながりの中で証明してこそ、その正統性を認められたと感じたのである。だから諸事実だけではなく、神話もまたその権力に都合の良いように改作されているのである。

 神話は言いかえれば、権力による「自己の政治的正統性」を宣言する、「政治宣言としての神話」であったのである。

 そしてこのこととともに忘れてはならないのは、この政治的改作は、文字が存在しない時代においても権力があるかぎり行われているということである。だから日本神話を扱うときにも、その神話がどの権力の正統性を明らかにすることを目的にしているのかと言うことを慎重に判断していくことが必要なのである。

 だが残念ながら新しい歴史教科書を作る会の人々は、この作業を全くやっていない。だから「神話を事実のようにあつかっている」と非難されて当然なのである。

 (2)歴史的事実の「神的」表現としての神話

 しかしこのことは、「神話は事実ではない」ということ意味していない。神話は「神」という存在に仮託して述べられた歴史的事実なのである。

 日本では神話を歴史と結びつけて研究することがほとんど行われなかったが、19世紀の終わりにヨーロッパでは、一人の天才によって、神話が事実に基づいていることが明らかになっている。有名な「トロイ」の遺跡の発見がそれである。

 「イリアス」と「オデッセイア」という英雄叙事詩に描かれた古代ギリシアの「トロイ戦役」。英雄叙事詩という神話の形式ゆえに、そこには多くの神々が登場し、人間世界の出来事にさまざまに口出し手出しをする。それゆえ西洋の歴史学者は、「トロイ」などという都市の存在もトロイ戦役の存在も信じてはいなかった。しかしシュリーマンという一素人の考古学者は、この叙事詩の記述を信じ、そこに描かれた地理的描写をもとにして、古代都市トロイを、そしてギリシャ側の将軍のアガメムノンの宮殿都市ミケナイを発見したのである。

 そして彼以後の考古学者は、ギリシャ神話にあらわれる諸都市を次々と発見していったのである。

 日本では21世紀になった現在でも、神話をもとにした古代研究は、古田武彦の研究を除き、全く行われていない。したがって神話と歴史はまったく切り離されているのであり、このことが「神話は嘘」という考えに基づく歴史叙述からの神話の追放と、神話を無批判に許容するこの教科書のような両極端な態度を生み出しているのである。

 (3)今に伝承される神話

 さらにもう1つわすれてはならないことは、神話は文字資料として伝承されているのではないということである。今でも日本各地には多くの神社と祭礼が伝えられている。そしてこの神社と祭礼に関わり、多くの伝承が伝えられている。そして、これらの伝承の中には、書物として残された神話よりも、より古い時代の神話の形を残している事も多いのである。

 たとえば、11月のことを「神無月」と呼ぶことは多くの人が知っていることであろう。そしてこれは「神様が皆出雲の国に行ってしまうので、各地には神様がいない」ので「神無月」という、ということもよく知られたことである。

 ではこの伝承の意味は何か。ちょっと考えてみればいろいろな疑問が出てくる。「なぜ神々は出雲に集まるのか?」。「出雲の神様はほかの所にはいかないのか?」。など。そしてこのことは直ちに『出雲の神様が一番偉いので、日本中の神様が1年に1度出雲に集まるのではないか』という疑問に行き当たる。しかしこれは、「古事記」や「日本書紀」に書かれた「天照大神」が一番偉いという神話に反するため、ほとんど検討されてこなかった。

 だがこれは歴史的事実である。近年、出雲大社の本殿が奈良の大仏殿よりも高いものであったという伝承が発掘の結果明らかにされたように、そして弥生時代初期において出雲がもっとも多くの「銅矛」を所蔵していたことが発掘されてわかったことなどに、この神話は対応しているのである。さらに後述するように、この神話は、古事記や日本書紀に書かれた神話を虚心坦懐に読めば、それとは全く矛盾しないことをわかる。

 神話と言ったとき、それは文字で書かれたものだけではなく、今に伝えられている伝承(言葉や踊りやその他のもので表現された)にも、原初の神話が伝えられていることも忘れてはならない。

 では、古事記や日本書紀に書かれた神話がどのような歴史的事実を語っているのか。古田武彦の研究をもとにして、教科書の記述に添いながらいくつか指摘しておこう。

 教科書はまず、天地のはじまりを以下のように記述する(p60)。

 混沌の中から天と地が分かれ、天は高天原と呼ばれて多くの神々があらわれ、そこに住まいはじめた。イザナギの命とイザナミの命という男女の神が、天地にかかったはしごに立って、天の沼矛を潮におろして、「こおろ、こおろ」とかき回し、引き上げると、その矛先からしたたり落ちた潮水が積もり、「おのごろ島」ができた。
 そこに降りたイザナギの命とイザナミの命の二神が性の交わりをして生まれた子供が淡路島、四国、隠岐の島、九州、壱岐島、対馬、佐渡の島、本州だった。「大八島国」とよび、これが日本の誕生である。

 (4)「高天原」は天ではない!

 教科書は「高天原」を天と記述している。だが高天原は天ではなく天原(あまばる)という1つの場所であり、現在の壱岐に「天の原遺跡」と呼ばれる古代遺跡があるが、そこを指した言葉である。そしてこのことは上の神話でイザナギ・イザナミの神が生み出した国土を詳細に調べてみればわかることである。

 二人が生み出した島の名を正確に記せば、下のようになる。

  淡道之穂之狭別島       今の淡路島   
  伊予之二名島     四国のことではなく、伊予の国の「二名」という島 
  隠岐之三子島(天之忍許呂別)     今の隠岐の島
  筑紫之島     今の九州の筑紫の国のこと
  伊岐島(天之比登都柱)     今の壱岐の島
  津島(天之狭手依比売)     今の対馬の島
  佐度島     今の佐渡の島
  大倭豊秋津島     今の豊後の国の「秋津」という島

 この8つの地域を良く見ると、そのうちの3つの島に「天」という言葉がついている。つまりここが「天国(あまぐに)」であり、この地域に住んでいた人々が、イザナギ・イザナミの神が生み出した国々を支配する権利があると主張しているのがこの神話である。つまりこれは「国生み神話」と呼ばれているように自己の支配領域を宣言したものなのである。そしてその中心となった地域が「天国(あまぐに)」であり、その中心の都が高天原なのである。(なおイザナギ・イザナミの神が国生みをした「おのごろ島」は、「お」という美称の接頭語と「ろ」という接尾語を除いてみれば「のこ島」であり、博多湾に浮かぶ「能古島」と考えられ、この島が「天国(あまぐに)」の神話誕生の聖地なのであろう)

 (5)男社会で改作されたイザナギ・イザナミの神話

 この教科書は紹介していないが、イザナギ・イザナミの神が最初に生んだのは上の国々ではない。「水蛭子(ひるこ)」である。おのごろ島に立てた『天の御柱』のまわりを二人でまわってであったとき、女神であるイザナミが最初に「いい男だなあ」と声をかけて結婚して生んだとされている。そしてここで生まれたものは良くないので「葦の舟」に乗せて流し、どうしてうまく行かないのかを神々に尋ねたところ「先に女が声をかけたからだ」といわれたので、もう1度『天の御柱』のまわりを二人でまわって出会ったところで、今度は男神であるイザナギが先に「いい女だなあ」と声をかけて結婚したところ、今度はうまく行って、次々に国々を生み、そして次々と神々を生むことができたと古事記には書かれている。

 「女が先に声をかけてはいけない」という論理は」「男社会」の論理であり、この神話は人間の社会が「男中心」の社会になってから1度改変を』受けていることがわかる。

 (6)最初に生んだのは男女二神の太陽の神!

 では最初に生まれた「水蛭子」とは何か。これは同じ神話を記している「日本書紀」の「一書群」の中に語られている、天照大神の別名である、「大日霊女貴(おおひるめのむち)」の言葉を参考にしてみよう。「大日霊女貴(おおひるめのむち)」から前後の美称や接尾語を除くと、その根幹になることばは「ひるめ」。これは「ひるこ」という言葉の対語にあたり、「ひるこ」「ひるめ」は男女二神の太陽神ということになるのである。

 おそらくこれが原初の形の神話だったのであろう。

 ではなぜこの改作がなされたのか。それは天照大神とスサノオの命とが姉弟であるという神話をつくるためなのである。
 天照大神やスサノオの命はイザナギ・イザナミの神以上に人間的に描かれている。なにしろ妻や子や孫までいるのだから(天照大神には夫がいたとは書かれていない。この点で「神」的なのだが、娘や息子や孫がいたのだから夫もいたと考えるのが当然である)、これは神の形を借りた人間の物語と考えた方がわかりやすい。では二人はどのような関係に描かれているのか。

 この二人は姉弟という関係に描かれているが、通常の姉弟ではない。二人の父神であるイザナギの命が妻のイザナミの死後、黄泉の国を訪ねたあとで身を清めていたとき、天照は右目からスサノオは鼻から生まれたということになっており、彼らはイザナギから天照は高天原にいてその世界を、そしてスサノオは海原を治めよと命じられたが、スサノオはそれを拒否して母イザナギのいる根の堅州国へ行きたいといって、天国から追放されたということになっている。そしてスサノオが行った所は出雲なのだ。

 これはどう見ても、本来別の地域の神であった天照とスサノオをくっつけ、そのスサノオを天国より追放されたということで、彼を天照より下位に位置付けることが目的であったように思われる。(これはイザナギ・イザナミでも言える。イザナギは天国を代表する神だが、イザナミはその死後祭られたところが、出雲と伯耆の国境の比婆山ということなので、もともと出雲の神と思われる。そしてイザナミがいる根の堅州国は出雲のどこかだと思われるが、それを黄泉の国と同じものとすることで、根の堅州国を、ひいては出雲の国を天国より下位に位置付けることが意図されているように思われる。)

 それはなぜか。次に展開される「天孫降臨」を準備するためである。

 (7)大国主は天照より上位の神であった=天孫降臨の真実!

 教科書の記述を見よう(p63)。

 さて、天上の高天原には天照大神が、地下の根の堅州国にはスサノオの命がいる。地上の葦原の中つ国は大国主神が治めていたが、天照大神は、そこは本来、自分の子が治めるべき国であると、タケミカヅチの神を使いに送った。この神、海辺に十握の剣をさかさまにつきたて、その剣先にあぐらをかいて大国主神に「国土をゆずられるか」と交渉したのである。大国主神は「わが子に聞かねば」とこたえ、その子が承諾したので、ここに国ゆずりの実現となった。 天照大神は孫のニニギの命を天上から下した。(中略)日向の高千穂の峰に降り立った。これを天孫降臨という。

 天上=高天原、地下=根の堅州国、地上=葦原中国という図式が、この神話を作ったものか、古事記の編者かはわからないが、意図的に作為したものであることは明らかであろう。根の堅州国は、葦原中国の一部分であろう。スサノオは自分の娘を大国主神の后とし、彼に大国主神という名前をつけたのであるから、本来上位にいたスサノオが大国主に国の支配権を譲ったと見るべきである。そして高天原を中心とした天国(あまくに)は壱岐・対馬を中心とした対馬海流圏の島々であり、葦原中国は西は筑紫・東は越の国までの日本海岸の地域を指している。そしてニニギが降り立った高千穂の峰とは、ただしく書くと「筑紫の日向の高千穂のクジフルダケ」である。筑紫の国、今の福岡県の中央部、福岡平野とその西の糸島半島の真中に日向川が流れ、その水源の山々に日向峠とクシフルタケがある高祖連峰がある。そしてこの山の東と西に広がる平野には、多くの縄文水田に囲まれた遺跡があり、その村村は異常なほど堅固な掘りと冊で囲まれている。

 天孫降臨とは海洋民の国の天国を支配する天照が、水田耕作地帯の葦原中国を支配する大国主に対して国の支配権を譲れと強要し、その結果天国から自身の孫を将とした軍隊を送って、すでに水田稲作が盛んに行われていたそこを(正確には筑紫を)占領したという事件である。

 この神話は、剣や矛が現れていることから、金属の武器が使われるようになった弥生時代の始めの時期を表しているであろう。弥生時代のはじめの筑紫の遺跡の状況とこの神話は良く対応しているのであり、したがって事実と考えられる。

 そしてこの神話をよく読むと、大国主の方が天照より上位に立っていることがわかる。もちろんこの神話は、本来天照が国を治めるべきものだという大義名分論に立っているので、天照の御託宣を伝えるという形で話しを進めている。そしてその根拠は葦原中国の支配権を大国主に譲ったスサノオは、本来は天国(あまくに)のものであり、天照の弟で、罪をおかして根の堅州国に追放されたものだからということになっている。

 だがこれが本当なら、いちいち軍隊で占領することは必要ないはずである。

 古事記には、タケミカヅチが大国主の子の言代主に国譲りを持ちかけたとき、それを承諾した言代主は乗っていた船を傾けて転覆させ、海に沈んで自殺したような記述がある。そしてさらに大国主の子の建御名方神と戦ってそれを諏訪まで追い詰め、それを殺そうとしたという記述がある。国譲りはけして平和になされたのではない。

 そして天孫降臨もまた同様である。古事記ではニニギを迎え案内した神ということになっている猿田彦の神は、地元筑紫の神社の神楽では、天孫降臨を拒絶した神ということになっている。そう。筑紫の稲の神はニニギの侵略を拒否したのだ。だからこそ古事記ではその猿田彦をアメノウズメが媚態をつくって篭絡するという記述が残っているのである。

 出雲の神が諸神の上位に立つ主神であったという神無月の伝承。そして壱岐の島の「アマテル」神社に伝わる「神無月の時、うちの神さまの天照大神は一番最後にでかけて一番最初に帰ってくる」という、天照が出雲の神の家来の中で一番偉い神だったという伝承。これらの伝承も、考古学的な事実と結びつけた国譲り・天孫降臨の神話の新しい様相と比べてみるとき、本来の神話の姿を色濃く残している事が明らかになろう。

 神話は、弥生時代においても、それを必要とした権力によって改作されたのである。

 

 神話を歴史的事実と関連させて考えたり、今でも地元に伝承されている説話とつなげて解釈すれば、天孫降臨の神話も以上のような豊かな様相を見せ始める。しかし新しい歴史教科書を作る会の著者たちは、神話を金科玉条として神聖不可侵の存在にしてしまったために、神話の持つ真実の歴史に繋がる豊かな姿を、ついに発見することなく終わっているのである。

  (神武が天皇ではなく、九州の倭国の分国の長としての名乗りをあげていることはすでに述べたとうりである)

:05年8月の新版では、文章表現を多少改め記述を簡略化しただけで、神話についての記述はほとんどそのままである(p46・47)。削除されたのは、イザナギ・イザナミの国生み神話の中での「おのごろ島」の話。文章表現が改められたのは、スサノオの高天原での乱暴の実態表現と天岩戸説話でのアメノウズメの踊る様が、「糞をする」「馬の皮をはいで落す」「乳房をかき出し」「腰の衣のひもを陰部までおしさげ」という教科書としては「刺激的」とされた表現を削除したところである。

:この項は、前掲古田武彦著「盗まれた神話」などを参照した。


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