「新しい歴史教科書」ーその嘘の構造と歴史的位置ー
〜この教科書から何を学ぶか?〜
はじめに:
「新しい歴史教科書をつくる会」の作った教科書が検定を通ったことから、この教科書に対する内外の激しい批判が繰り広げられている。この教科書は日本の歴史の捏造であり、アジア各国との今後の友好関係を築く上での障害となることは事実である。
この教科書は
(A)日本の歴史における天皇制の役割を過度に強調し、「天皇中心」の日本があるべき歴史であるとしていること。
(B)日本国・および日本文化の形成にはたした中国や韓国の役割を過小評価していること。
(C)日本が過去に行った列島内外での侵略行為の事実を押し隠していること。
により、日本の歴史を捏造しようとしていることに疑いはない。
しかしこの教科書をめぐる議論には大きな欠陥があると思う。
一つは、「今現在学校で使われている歴史教科書には重大な欠陥がある」ことが忘れ去られていること。
二つは、なぜ今「新しい歴史教科書」なのか。きわめて民族主義的な教科書が、なぜ今作られねばならないのかという、歴史的状況の分析が不充分にしかなされていないこと。
三つめは、なぜ韓国や中国があれほど強行に、過去の出来事を記した日本の歴史教科書のありかたを、今、問題にするのかという、歴史的状況の分析が不充分にしかなされていないこと。
@歴史的出来事の歴史的評価をしない歴史教科書の欠陥
今現在学校で使用されている歴史教科書の根本的欠陥は、歴史的出来事の歴史的評価を下さず、「事実」のみを記述していることにある。なぜ 「事実」だけではいけないかというと、その出来事がどんな意味をもった出来事なのかを知らずして、その歴史を学ぶ意味がないからである。
歴史とは単に「事実」を学ぶことでもないし、昔の人の考え方を学ぶのでもない。その歴史の積み重ねによって、今現在がどのようにして成り立っ てきたのかを学ぶことによって、今後の未来をどう構想するかを(どんな未来をつくったらよいのか)を考える所に、歴史を学ぶ意味がある。中国の 格言に「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉がある。経験は狭い個人の限られた体験にすぎないが、歴史は集団的なさまざま な歴史的経験の集積であり、そこから学べるものは限りないということである。
したがってこのためには、歴史的出来事を評価することが大事であり、当時の人はその出来事をどう評価していたのかを知るとともに、客観的な 資料によって復元した当時の「事実」に基づき、それを客観的に評価し、かつ、今の目からも評価する事である。
「新しい歴史教科書」は、不充分ながらこの問題をも提起しているのであるが、反対論者の多くはこのことを無視している。
A背景にあるアメリカ標準のグローバリズムの展開にたいする反発
そしてもう一つ大事なことは、歴史教科書が問題になっているのは、アメリカ標準のグローバリズムの展開によって、世界各国は自国の存続の爲にどう未来を構想するかが課題となっており、そのためには、歴史をどうとらえるかが優れて現代的問題になっているからである。
グローバリズムの展開はアメリカの巨大な政治的・軍事的・経済的力に依拠しており、日本やアジア各国のこれまでの個々の国々のやってきたことを否定し、アメリカに従うのかアメリカに対抗して独自の勢力として屹立するのかを問うている。
アジア諸国は、アジア経済圏ともいうべき、広域経済共同体を設立してグローバリズムに対抗しようとする傾向を強く持ち、その盟主として日本を引きこもうとしている。アメリカに対抗するには、日本の高度な科学・技術力と経済力が不可欠だからである。
しかし日本は、アジア諸国の期待にもかかわらず、あいかわらずアメリカの腰ぎんちゃくの態度を取りつづけ、アジアの盟主たる自覚もない。いやそれどころか、アメリカの強力な力の前に何も出来ないことにいらだった日本の支配層の一部は、アメリカに従うかわりに、日本民族主義を賞揚することで、アメリカに付き従う自分の傷ついた自尊心を慰めようとする傾向を強く持ってきた。80年代前半からつづく、「大東亜戦争肯定論」がそれであり、『新しい歴史教科書をつくる会』は、この傾向の極端な表現である。
新しい歴史教科書をつくる会の人々が民族主義をかかげて自国の歴史と自国の対外侵略の事実を捏造してまで「日本民族の誇り」にかけるのは、このグローバリゼーションの流れの中でアメリカに従属しながらすすむという日本の未来像への対応であり、逆に中国や韓国がそれに反発し日本の侵略の事実を問題にし、謝罪を要求するのは、過去のいきさつを清算し、アジアレベルでの共同をグローバリゼーションの展開の中で模索する中での対応だからである。
この両者のすれちがいをどうするのか。そして今後日本は、中国や韓国やアジアの国々とどのような関係を持つべきなのか。歴史教科書のありかたをめぐる論争は、この問題と一体なのである。
この小論は、以上の観点にたって、
@教科書の一字一句を検討し、批判する(その問題提起の積極的な面と、歴史の捏造の二つの面を正当に評価する)。
Aこの批判を基礎に、新しい歴史教科書をつくる会の歴史観とその背景となる現実認識を明らかにする。
この二つの作業を通じて、上に概略をしるした私の考えを、最後にまとめとして展開していきたい。
(なおこの批評は、扶桑社刊の市販本に依拠して行った。検定で削除訂正された部分については、この会の従来の主張にてらして推測した。)