「新しい歴史教科書」ーその嘘の構造と歴史的位置ー

〜この教科書から何を学ぶか?〜

「序章:歴史への招待」批判@


 1.「日本の美の形」のとりあげ方に潜む危うさ

 この教科書は序章に入る前に、「日本の美の形」という一章を設け、縄文時代から現代までの、日本の「代表的な」「美術作品」を挙げている。しかし、そのあげ方が特異である。
 通常の歴史教科書ならこの部分は、原始・古代の章の前段階として、世界の人類文化の発祥としてアルタミーラなどの洞窟壁画の紹介に始まり、各地の古代文明の文化を紹介し、最後に古代日本文化に大きな影響を与えたインドや中国の文化を紹介する部分である。

 通史的に日本の文化を美の形の変遷を通じてつかませようという意図は良いが、そのとりあげかたが問題である。

 最初のグラビアページの4ページ目に、「日本の美の形」と題した一文を載せ、その最初に、日本美術の歴史と性格を以下のように要約している。

 「世界にほこる日本の美」

 明治時代の思想家で、美術界の中心的存在だった岡倉天心は、「アジアは一つである」との言葉を残している。天心は、中国やインドなどアジアの美術が、日本に伝わって一つになったと考えた。日本人は大陸の文化を積極的に取り入れながら、独自の美意識に裏付けられた、世界にほこる美術作品を生み出してきた。
 日本の美術は、西洋や中国の美術と並んで、深い内容をもっている。すぐれた美術が日本でつくられた背景には、「形」に対する日本人の高度な鑑賞力があった。

 しかしこのグラビアページでは、その日本人が積極的に取り入れた大陸の文化である中国やインドの美術が具体的にどんなものであり、どこが「日本独自の美意識」に基づくものなのかを、この教科書を使う生徒たちが自分の目で確かめられるように、中国やインドの美術作品を載せることをしていないのである。そして各時代の美術の紹介文の中には、かなり独善的な評価を示す文章がちりばめられている。

 すなわち、飛鳥時代には「ギリシャの初期美術に相当する」、奈良時代には、「イタリアの大彫刻家ドナテルロやミケランジェロに匹敵する」、鎌倉時代には「17世紀ヨーロッパのバロック美術にも匹敵する表現力をもつ」などである。

 これでは『日本人独自の美意識』なるものは、客観的な資料の配列により、その比較対照によって考察された結果として導き出されるのではなく、検証の対象ではない、あらかじめ作られたドグマとして、生徒に提示される結果となってしまう。

 この教科書の最初のグラビアのページに、資料による検証を不可能な形で提示された「日本の美の形」なる一章は、この教科書が「日本的なるもの」の姿とその「優秀性」とを、歴史資料による検証を度外視して、あらかじめあるべきものとして押し付けて行こうとする意図を、たくまずして露呈しているものと思われる。

05年8月の新版では、ここに上げた「日本美術の歴史的評価」に関わる記述はすべて削除されている。扶桑社のホームページにある編集方針によれば、「角のある部分は削除して丸くした」とあるので、「つくる会」の主張をストレートに出した部分は新版では削除されたものと思われる。


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