「新しい歴史教科書」ーその嘘の構造と歴史的位置ー

〜この教科書から何を学ぶか?〜

「序章:歴史への招待」批判A


 2.「歴史を学ぶとは」に潜む問題のすり替えの構造

 序章の最初は「歴史を学ぶとは」という文章である(p6・7)。この文章にこそ、「新しい歴史教科書をつくる会」の人々がこの歴史教科書を作った意図が直裁に表現されており、その主張の正しい部分も、まちがった部分も、全てがあらわれている。

 歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだと考えている人がおそらく多いだろう。しかし、必ずしもそうではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶのである。

(中略)

 歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の理由があった。

 ここにこの会の人々が歴史をどう考えているのかがはっきりあらわれている。

@『事実を知るのではなく、事実を当時の人がどう考えていたのかを学ぶこと』

 A『過去を今の基準から裁くことではない。それぞれの時代に固有の理由があった』

 これが彼等の主張である。

 たしかにそれぞれの時代には固有の状況があり、ある歴史的事実は、その固有の状況から生まれた。そして歴史的事実は全て当時の人々の判断によってなされた彼等の行動なのだから、彼等がどう状況をとらえどう判断して行動したのかを知らなければ、その事実の意味を捉えることはできない。
 この意味の範囲内においては、彼等の主張は正しい。そしてかれらが以下の様に続ける限りにおいては、この主張は正しい。

 何年何月何日にかくかくの事件がおこったとか、誰が死亡したとかいう事実はたしかに証明できる。(中略)けれどもそういう事実をいくら正確に知って並べても、それは年代記といって、いまだ歴史ではない。いったいかくかくの事件はなぜおこったか、誰が死亡したためにどういう影響が生じたかを考えるようになって、初めて歴史の心が動き出すのだといっていい。

 歴史は事実の羅列では、まだ歴史ではない。その事実の原因や影響を考えて初めて歴史と言える。そしてこれを考えるには、当時の固有の状況と当時の人々が時代をどう見て、どう行動したのかを知らねば、歴史的事件の意味もその影響もつかむことはできない。その意味で歴史を学ぶとは過去を今の価値基準で裁く事ではないのである。

 今までの学校教育における歴史学習は、この歴史的事件の原因や影響を当時の状況に即してとらえ、その意味を考えると言う面は、とても弱かった。当時の状況を知るための記述や資料も少なく、教科書の記述だけでは、ともすれば単なる事実の羅列に見えてしまう。
 言い換えれば、今までの教科書は、歴史的事件の意味を考えるかどうかは、教科書を主たる教材として授業を行う教師の判断と力量に全てをゆだねていたのである。教師の歴史観や歴史哲学。つまりなんのために歴史を学ぶのかという目的意識や、その歴史に対する知識や洞察力の深さによって、歴史の授業によって生徒が学ぶことには、大きな差が生まれたのである。
 さらに言いかえれば、今までの教科書は、歴史を考える資料として位置付けられていたのであり、歴史叙述の書としては位置付けられていなかったのである(ただし、資料としてはあまりに不充分であり、歴史の意味を考えるには、教科書以外に歴史資料集を必要としたし、教師の自作の資料によって補足する必要があったのである)。

 この点で今までの歴史教育と歴史教科書には限界があった。
 「新しい歴史教科書を作る会」の人々の今までの歴史教育・歴史教科書に対する批判の一つは、ここに向けられている。

 この面に限って言えば彼等の主張は正しい。

 しかし立ち止まってゆっくり考えてみよう。

 なぜ今までの歴史教科書が、国民教育の教科書としては異例なほどに自己主張を過度に制限しているのはなぜか。

 これは歴史を振りかえってみればすぐわかることである。戦前の歴史教科書は皇国史観によって歪められた、「日本民族の優秀性」という極端な民族主義的主張によって彩られた、政治的プロパガンダの書といっても過言ではなかった。そしてここで作られた歴史意識や自国認識が、15年戦争にいたる悲惨なアジアと日本の歴史を作り出した原動力の一つであったことは記憶に新しい。
 戦後の歴史教育は、その反動として、歴史的評価を正面に掲げる事を、極端にセーブしたのであり、科学的な客観的な歴史認識を育てるためには、プロパガンダではなく、事実に基づいて生徒自身が学習の中で気がつくようにすることが必要だとの認識に基づいていた。
 しかしこれは歴史認識の育成が教師個々の力量に過度に依存した体制であり、そして学習が立身出世のための受験のための手段と化していったときには、歴史学習がたんなる受験知識の習得に矮小化され、自国の歴史すら知らない、自国の文化的伝統も知らない、日本人としての意識すら持たない、大量の無国籍人間を生み出すもととなったのである。

 この認識にてらしてみれば、「新しい歴史教科書をつくる会」のさきの主張は、この弱点を問題にし、歴史教科書を歴史叙述の書と位置付け直し、過去の歴史の当時の状況をリアルにつかむことを通じて、自国の歴史の意味を考えようとし、自国の歴史と自国の文化とを深く知り、日本人としての意識を持った国民を作り上げようというものである。

 この主張はこの限りにおいては正しいのである。

 しかし彼等がこれに続いて以下のように主張するとき、その主張の正しさは、彼等が歴史を偽造しようとする意図を合理化するためのものでしかないことを明らかにし、そこには大いなる問題のすり替えがそんざいしていることが明らかになる。

 しかしそうなると、人によって、民族によって、時代によって、考え方や感じ方がそれぞれまったく異なっているので、これが事実だと簡単に一つの事実をくっきりとえがきだすことは難しいということに気がつくであろう。

(中略)

 歴史は民族によって、それぞれ異なって当然かもしれない。国のかずだけ歴史があっても、少しも不思議ではないのかもしれない。

(中略)

 歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう。歴史を自由な、とらわれのない目で眺め数多くの見方を重ねて、じっくり事実を確かめるようにしよう。

 たしかに歴史は民族によって、個人によって、時代によって、同じ史実が違ったものとしてとらえられる。だからこそ『数多くの見方を重ねて事実をじっくり確かめる』必要がある。
 もしこの『新しい歴史教科書をつくる会』の教科書が、ことなる立場の民族の・ことなる立場の個人の、それぞれの見方を裏付ける事実を併記して、歴史を複眼的に見られるように、事実の多様な側面を、一方だけ切り捨てることなく記述するのであれば、歴史的評価を正面に立てた歴史叙述の書としての教科書は意味のある、有意義なものになるであろう。

 しかしこの教科書の真実の姿は全く逆なのだ。以下の章に一つ一つ詳述するが、この歴史教科書は事実の多様な側面の一方だけ記述し、対立する見解の一方だけを示す資料を載せるという、「単眼的」な教科書なのである。もっともひどい事実の切捨ては、日本による周辺諸国への侵略の事実と、侵略の意図を削除し、そうせざるをえなかった事実ののみを強調することによって、他国を侵略征服したことを合理化する態度である。これは古代史から現代史まで、この教科書の編集者が一貫してとった態度なのである。かれらの歴史にたいする態度は決して『自由』でも『とらわれのない目で眺めた』ものでのない。極めてとらわれの多い偏った、歴史的事実を偽造しようとした態度なのである。

 とすれば、上に詳述した彼等の歴史学習にたいする極めて正しい認識の披瀝はは何の爲になされたのかは一目瞭然であろう。

 今までの歴史教科書は「歴史に善悪をあてはめ、現在の道徳で裁く場」であったという彼らの主張を、まるで正しい立場であるかのようにすり替えるためにのみ主張されていたのである。
 これが何をさしているかはおわかりであろう。歴史教科書において、日本が古代から現代までにおこなった全ての周辺諸国にたいする侵略行為を記述し、その当時の人々の侵略意図を記述することがすべて「歴史に善悪をあてはめ、現在の道徳で裁く」悪しき行為だというのである。これが彼等のいうところの『自虐史観』であり、正しい歴史叙述ではないというのであり、自分たちの歴史観を、正しい、『自由主義史観』であると主張する所以である。

 しかし過去の事実を曇りのない目で、とらわれのない目で見、事実を多面的にとらえることがどうしていけないのか。それをしてはいけないというのなら、事実は確定できないと言う事になり、歴史的事実はつかむことはできないことになる。また、事実を一面的にしか見ないで得られる民族の歴史認識や民族の誇りとは、なんであろうか。歴史の真実に目をつむった、単なる自己満足の表明にすぎない。

 そういえば彼等はこう言っている。『歴史を学ぶことは事実を知る事ではない』と。『事実を正確に知ることはできない』と。そうだ。彼等が多面的に見なければ、自由な、とらわれのない眼で見なければならないと主張したのは、すべて『歴史は事実を学ぶのではなく、過去の人が事実をどう考えていたかを学ぶこと』だと言いたいがためである。しかもそれを対立する他の人々の目で見た事実と対比させ検証することなく、全て正しいと理解せよということは、『歴史は事実を知るのではなく、神話を知るのだ』と言っているのに等しい。

 彼等は『歴史は神話だ』とも言ってきた。そうだ。神話なのだ。

 神話とは歴史的事実ではない。歴史的事実に基礎を置きながらも、その一つの側面を強調したり、自分に都合の悪い事実や側面は切り捨てたりしてつくった、歴史の捏造の結果なのである。

 なにゆえ歴史を捏造するのか。それは、その神話を歴史だと主張する人々が、自己の主張や立場を歴史的正統性のあるものとして、その神話を示す対象となる人々に、その捏造した歴史を信じこませるために行うのである。
 自分の歴史観を『自由主義史観』と呼んだ彼等のその看板にこそ、嘘があったのである。彼等が誇らしげに主張した歴史哲学は、すべて彼等の歴史の捏造を合理化せんがための隠蓑だったのである。

 ではこの教科書がどのように事実の一側面のみ記述して事実をを捏造したのか。以下の章で詳述しよう。

:05年8月の新版は、旧版では見開き2ページあったものを1ページに圧縮(p6)。そして旧版にあった「歴史は事実を学ぶのではなくどう現代から見てどう解釈するかだ」「国や民族が違えば歴史に対する解釈は異なる」という強烈な主張は影を潜め、彼らが言う所の「自虐史観」への批判も影を潜めている。ここでも「角をとった」ということなのだろう。だが後に見るように、記述本体での強烈な主張=歴史の捏造は改まってはいない。


目次へ 次のページへ HPTOPへ