「新しい歴史教科書」ーその嘘の構造と歴史的位置ー

〜この教科書から何を学ぶか?〜

「序章:歴史への招待」批判B


 3.「日本歴史の流れー歴史モノサシ―」の虚像

 序章のふたつめは、「日本歴史の流れ」と称し、キリスト紀元を基準に1世紀を1センチで現した「年表」で、日本の歴史の流れを概観した章である(p8・9)。ここの小見だしは、「人類誕生は450m左に」「明治からは1cm強の長さ」「20cm台を生きるみなさんへ」となっており、人類の歴史の長さに比べ,明治以後の近代・現代の時間の短さを比べている。このことに別に問題はないのであるが、この「明治からは1cm強」の節の記述のしかたに問題がある。

・・・この歴史モノサシでは、ちょうど20cmを示したあたりに現代がある。そして、明治時代は、現代から左へわずか1cm余り。明治以後が、いかに短いかに、かえって目を見張る思いさえするだろう。明治になって日本が欧米文明の影響をもろに受けたことはよく知られている。日本人が欧米を知って以来の歴史を、歴史のすべてだと思ったら、大きな間違いをおかすことになる。
 日本の歴史がいかに長く、豊であるかが、かえってここからはっきり分かってくるはずだ。

(中略)

・・・みなさんは聖徳太子の名前を知っているだろう。5cm9mmで登場する。そのころヨーロッパは、まだ存在しない。フランスやドイツやイタリアがはっきり姿をあらわすのは12〜13cmで、日本でいえば鎌倉時代である。

 なにゆえここで、「日本人が欧米を知って以来の歴史を、歴史のすべてだと思ったら、大きな間違いをおかすことになる。」などと、ことさら強調しなければならないのだろう。また「日本の歴史の長さ」を強調するときに、なにゆえ、「みなさんは聖徳太子の名前を知っているだろう。5cm9mmで登場する。そのころヨーロッパは、まだ存在しない。フランスやドイツやイタリアがはっきり姿をあらわすのは12〜13cmで、日本でいえば鎌倉時代である。」などと、ヨーロッパの歴史の短さと対比して強調しなければならないのだろう。しかもこの最後の「ヨーロッパの歴史の短さ」という表現には問題のすり替えすら存在している。

 なぜその国の歴史の長さをあらわすときに「国家」の成立を基準にしなければならないのだろう。しかもそれを現在の国民国家の版図を基準に。そして現在のフランス・イタリア・ドイツに現在の国家とほぼ同じ大きさのほぼ同じ民族構成の国が登場したのをその国のはじまりに置いたとして、それは「870年のフランク王国の分裂」がそれにあたるのであって、これは日本では平安時代である。なぜわざわざ「鎌倉時代」などと嘘をいうのだろうか。

 この答えは、870年ごろの日本の姿に理由がある。この時期は、いわゆる「大和朝廷」による長い蝦夷侵略がほぼ完了した時期にあたり、北海道と沖縄を除く現在の日本国の全版図が「大和に都する天皇家」の下に「統一された」時期だからである。フランスやイタリアやドイツの出現がこの同じ時期であっては、「日本の歴史がいかに長く、豊であるか」を強調することは不可能になってしまう。

 この教科書の著者たちは、こんな嘘をつかってまで、日本の歴史の長さを誇らなければならないのだろうか。なぜか。

 その理由は、上に引用した部分の「明治になって日本が欧米文明の影響をもろに受けたことはよく知られている。日本人が欧米を知って以来の歴史を、歴史のすべてだと思ったら、大きな間違いをおかすことになる」というものの見方に起因しているのである。

 どうやらこの本の著者たちは、日本が欧米の影響を強く受けたことが大いに気に入らないらしい。だから欧米の強国が歴史上に現れた時期を偽造してまで、「日本の歴史の方が長いのだからすぐれている」と強弁したいのであろう。それほどまでに明治以後の近代に日本の歴史は、彼等にとって汚濁に満ちた歴史なのであろう。

 この日本の歴史を欧米の歴史と比べて長いという嘘には、まだ二つ大きな嘘がある。それはこの年表の中で、4世紀ごろに「大和朝廷統一進む」との1項を入れていることである。

 またあとで古代の項で詳述するが、これは戦前の皇国史観の焼き直しで、なんとしても現天皇家の先祖がかなり早い時期から日本列島の統一王者であるという命題を証明するために「大和発祥の王墓の形である前方後円墳」という「神話」と、その墳墓の形と「中国伝来の鏡の下賜」という「神話」によって捏造したものである。

 要するに「4世紀のころにもう日本は統一が始まっていたのであり、欧米などよりもっと歴史は長い」と言いたいのであろう。

 しかしヨーロッパにおける国家的統一の始源をあげるなら、それはローマ帝国によるヨーロッパ地域の統一をあげるべきである。これはキリスト教による信仰の統一であり、ローマ字表記による文字の統一であり、その他法律や国家の組織や度量衡にいたるまで、今日のヨーロッパ文化の諸特徴の始源であり、これは紀元前2世紀のことである。

 ここでもこの教科書の著者たちは、おおいなる歴史の偽造を、「国家の起源」の基準をあいまいにすりかえることによって、実現しているのである。

 しかしこの章における「日本の歴史の長さ」の問題をめぐる最大の捏造は、日本における国家の始源を中国におけるそれと比べていない事である。よく知られているように中国における現在の版図に匹敵するような国家の成立は、紀元前16世紀の殷王朝の成立であり、それが倒したという伝説上の前王朝の夏の遺跡らしきものが今日発掘され始めている事実に照らせば、中国における国家の始源はさらに遡る。

 これは捏造された4世紀日本統一の始まりよりも2000年も前の話であり、日本では縄文時代後期にあたる。

 なぜ日本の国の歴史の長さを誇るなら、それとは比肩できないほどの長さをもった中国のそれと比べないのか。そもそもこの「歴史のものさし」には、日本以外の外国の歴史のものさしは掲載されていない。特に日本と密接な関係を持っていた東アジアの中国・朝鮮という国の「歴史のものさし」が掲載されていない。

 ここには中国にたいする蔑視の思想が裏返しされてあらわれている。そして日本の歴史を世界の流れ、少なくとも東アジアの歴史の流れの中位置付けて考えるという視点が欠如されたままでの、日本一国史しか、この教科書の著者たちの頭の中にはないことがよく表現されている。

 「新しい歴史教科書を作る会」の人々の誇る日本の歴史の長さは、以上のような多くの虚偽によって彩られた幻だったのである。

05年8月の新版では、日本の歴史がいかにヨーロッパより長いかという、日本の歴史の長さを誇示しようとする記述は全面的に削除されている(p7)。


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